鹿島アントラーズ原理主義

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2006年06月27日 | Weblog
ニッカン
鹿島寮長高野さん、ジーコ部屋空けて待つ
 日本代表ジーコ監督(53)が、W杯ドイツ大会の決勝トーナメント進出をかけて、母国ブラジルとの一戦に臨んだ。鹿島の独身寮「雄飛寮」の寮長を務めている高野圭史さん(63)は、ジーコ監督の現役時代から約15年の付き合いになる。W杯後に退任するジーコ監督に「ありがとう。ごくろうさんと声を掛けたい」。いつか鹿島に戻ってくるかもしれないジーコ監督のために「雄飛寮」の一室を空き部屋にして待っているという。

 ジーコ監督率いる日本代表の集大成ともいえるブラジル戦。高野さんは鹿嶋市内にある「雄飛寮」の自室でテレビに向かった。「どうせ散るなら、決勝トーナメントで散ってほしいんだけどね。鹿島だけじゃなく、日本のサッカーに15年ぐらい協力してきた人が、1次リーグ敗退で終わるのはちょっと寂しいから」。祈りを込めるようにして話した。

 会社員から転身し、92年から妻千枝子さん(63)と「雄飛寮」の運営を始めた。91年に住友金属の選手として来日したジーコ監督は92年の寮完成と同時に入寮した。当初、ジーコ監督は鹿嶋市内のブラジル料理店に通っていて、寮の食事にはほとんど手を出さなかった。高野さん夫妻は本を読むなどして研究した。2カ月ほどしたある日、豆と豚肉を煮込んだブラジルの家庭料理「フェイジョアーダ」を出すとジーコ監督は笑みを浮かべて喜んだ。以来、「味はこの方がいい」と楽しそうに注文を付けながら、食事はもっぱら寮で取るようになったという。今も試合前夜、鹿島の選手の食卓にはジーコ監督が好んだ「フェイジョアーダ」が出ている。

 「ジーコとの思い出はあり過ぎる」と苦笑いする高野さん。鹿島の草創期、ジーコ監督は決まって食堂の窓際の定位置に座って、外を眺めていた。選手の外出をチェックするためだったという。コンビニの袋をぶら下げて戻った選手に「お菓子は食べなくていい」と説教していたという。ある日には、ユニホーム姿にげたを履いたジーコ監督が、缶ビールを手にして「オレはサムライだ、サムライだ」と陽気に笑いながら、食堂のドアを開けたことがあった。高野さんは「サッカーを離れれば気さくで、朗らかな普通のオヤジなんですよ」と笑った。

 現在14人の選手が暮らしている「雄飛寮」には、ジーコ監督が現役時代や総監督、監督時代に使っていた通称「ジーコ部屋」がある。2階の南向きの角部屋で広さは約8畳。ドアには「ZICO」の名札が掛かっている。ホームの試合前夜に鹿島の外国人選手らが寝泊まりすることはあるが、普段は使われることはない。高野さんは「戻ってきたとき、いつでも使えるように」と、ジーコ監督のためだけに空き室にしている。

 ジーコ監督は日本代表監督を退任後、欧州のクラブを率いる意欲を持っているとされる。高野さんは「ありがとう。ごくろうさんと声を掛けたい」と話し、こう続けた。「どうなるかは分からないけど、どうなったとしても、鹿島との縁は切れるものではないと思う。また戻ってくるのを待っています」。いつか“神様”が戻るまで「ジーコ部屋」はもちろんそのままだ。【桐越聡】

[2006年6月23日7時35分 紙面から]

帰還したタカヤ ノリコへのメッセージのように「オカエリナサイ」(イは反対向き)と声を掛けたい。
あの作品同様、長き年月がかかろうとも。

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