鵬翔コンビ笑顔で始動 増田、興梠
2007年2月7日付
鹿島の鵬翔高コンビ、4年目の増田誓志と3年目の興梠慎三が、慣れ親しんだ地元のピッチで新シーズンのスタートを切った。
増田にとって昨季は飛躍の1年だった。自己最多の23試合に出場。アウトゥオリ前監督のもと、守備的MF(ボランチ)としてチャンスをつかみレギュラーを獲得。夏には2008年の北京五輪出場を目指すU―21(21歳以下)日本代表に召集された。
代表では「選ばれても試合には出られない」と思っていたそうだが、初戦のU―21中国戦で勝利を決定づける2点目をゲット。攻撃的MFとしてドーハ・アジア大会など計6試合に出場し、2得点2アシストの活躍で存在感を見せつけた。
「昨年もここでのスタートからアピールできたのがよかった。もう一度、開幕から試合に出られるようにここからアピールしたい。目標は全試合出場。得点やアシストなど攻撃に絡める選手になりたい」。9日に発表されるU―22日本代表への選出もほぼ確実。今季はチーム10冠目のタイトル奪取と五輪出場権獲得の二つの大きな目標へ新たな闘志を燃やす。
興梠はリーグ終盤を中心に10試合に出場。ヤマザキ・ナビスコ・カップなどでも出場機会を増やしたが、12月に右ひざを負傷。全治6週間と診断され天皇杯や国際大会への出場を逃し、悔いが残った。
けがも癒え、キャンプでは他のメンバーと同じメニューをこなす。「3年目ということで意気込みは昨年以上にある。コンスタントに試合に出ることで、チームのタイトル獲得に貢献したい」と力強く話した。
【写真】はつらつとした動きを見せる鹿島の増田(上)と興梠=県総合運動公園陸上競技場
宮崎出身の二人には地元キャンプで注目が集まる。
そして、頼もしい若手二人のコメントである。
いつまでもサブに甘んじている場合ではない、その意気込みが伝わってくるようだ。
アジアカップ以降誓志はチューヤンにポジションを奪われ、興梠は怪我という事で、二人の出場機会は激減していたが、監督も変わりチャンス到来である。
二人とも初出場でいきなり結果を出した実績者。
誓志のデビューゴールは鮮烈であった。
興梠のバーに当てたアシスト2発は芸術である。
このまま期待だけで終わらすわけには行かぬ。
宮崎といえばやまさき十三氏である。
「釣りバカ日誌」の原作者で有名であるが、やはり「泣き虫甲子園」であろう。
この作品があったからこそ「みゆき」があり「タッチ」があるのだ。
ちょっと、ちょっとちょっとも宮崎が産んだと言えようぞ。
2007年2月7日付
鹿島の鵬翔高コンビ、4年目の増田誓志と3年目の興梠慎三が、慣れ親しんだ地元のピッチで新シーズンのスタートを切った。
増田にとって昨季は飛躍の1年だった。自己最多の23試合に出場。アウトゥオリ前監督のもと、守備的MF(ボランチ)としてチャンスをつかみレギュラーを獲得。夏には2008年の北京五輪出場を目指すU―21(21歳以下)日本代表に召集された。
代表では「選ばれても試合には出られない」と思っていたそうだが、初戦のU―21中国戦で勝利を決定づける2点目をゲット。攻撃的MFとしてドーハ・アジア大会など計6試合に出場し、2得点2アシストの活躍で存在感を見せつけた。
「昨年もここでのスタートからアピールできたのがよかった。もう一度、開幕から試合に出られるようにここからアピールしたい。目標は全試合出場。得点やアシストなど攻撃に絡める選手になりたい」。9日に発表されるU―22日本代表への選出もほぼ確実。今季はチーム10冠目のタイトル奪取と五輪出場権獲得の二つの大きな目標へ新たな闘志を燃やす。
興梠はリーグ終盤を中心に10試合に出場。ヤマザキ・ナビスコ・カップなどでも出場機会を増やしたが、12月に右ひざを負傷。全治6週間と診断され天皇杯や国際大会への出場を逃し、悔いが残った。
けがも癒え、キャンプでは他のメンバーと同じメニューをこなす。「3年目ということで意気込みは昨年以上にある。コンスタントに試合に出ることで、チームのタイトル獲得に貢献したい」と力強く話した。
【写真】はつらつとした動きを見せる鹿島の増田(上)と興梠=県総合運動公園陸上競技場
宮崎出身の二人には地元キャンプで注目が集まる。
そして、頼もしい若手二人のコメントである。
いつまでもサブに甘んじている場合ではない、その意気込みが伝わってくるようだ。
アジアカップ以降誓志はチューヤンにポジションを奪われ、興梠は怪我という事で、二人の出場機会は激減していたが、監督も変わりチャンス到来である。
二人とも初出場でいきなり結果を出した実績者。
誓志のデビューゴールは鮮烈であった。
興梠のバーに当てたアシスト2発は芸術である。
このまま期待だけで終わらすわけには行かぬ。
宮崎といえばやまさき十三氏である。
「釣りバカ日誌」の原作者で有名であるが、やはり「泣き虫甲子園」であろう。
この作品があったからこそ「みゆき」があり「タッチ」があるのだ。
ちょっと、ちょっとちょっとも宮崎が産んだと言えようぞ。