名古屋がDF金古を期限付きで獲得
リーグ開幕3連勝で首位に立つ名古屋がJ2福岡DF金古聖司(26)を期限付き移籍で獲得することが27日、分かった。近日中に正式発表される。リーグでは11年ぶりの開幕3連勝と好スタートを切った名古屋だが、DF陣は4日のJ開幕戦でスピラールが全治6カ月の大けがで離脱するなど故障者が続出。穴を埋める実力者の補強に乗り出していた。金古は東福岡で高校3冠を達成するなど早くから注目されたDFで、J1通算73試合出場5得点。今季は、昨季に続き鹿島から福岡に期限付き移籍していたが、開幕から出番に恵まれていなかった。[2007年3月28日9時1分 紙面から][2007年3月28日10時58分]
J2福岡の金古を獲得
グランパス、DF層の強化で
名古屋グランパスがJ2福岡のDF金古聖司(26)を獲得することが27日、明らかになった。細部の条件を詰めて近日中に正式契約を結ぶ見込み。金古は180センチ、70キロのセンターバックでJ1通算75試合出場5得点。
グランパスは今季開幕戦でDFの軸になるスピラールが右ひざじん帯損傷の大けがを負い、穴を埋めた米山も第2戦で故障し、現在リハビリ中。昨オフ、古賀、秋田が移籍し、阿部(千葉-浦和)の獲得も失敗し、DF層の薄さが深刻になっていた。
竹内ら若手の成長もあったが、絶対数が足りないことも考慮したグランパスは開幕直後から、国内の数人をリストアップ。各チームの戦力が固まったのを見計らって、本格的な活動を始めた。
鹿島から福岡に期限付き移籍している金古は今季、J2の試合に出場していないが、一昨年は神戸、昨年は福岡の主力としてJ1でプレー。現在もJ1レベルの実力があると判断して獲得に踏み切った。金古は東福岡高で全国高校選手権連覇したほか、U-19(19歳以下)日本代表で世界ユース選手権アジア予選に出場した経験もある。
福岡金古が移籍「福岡は一番楽しく充実」
J2アビスパ福岡は28日、DF金古聖司(26)がJ1名古屋へ移籍すると発表した。金古は06年に鹿島から福岡へ期限付き移籍し、今年もレンタル契約を延長していた。名古屋へも鹿島から期限付きで移籍する。金古は東福岡で高校3冠、選手権連覇の中心メンバーとして活躍したセンターバック。99~05年途中まで鹿島、05年途中から神戸、06年福岡でJ1リーグ戦73試合に出場し5得点を挙げた。この日午前、金古は雁の巣球技場(福岡市東区)で、福岡イレブンにあいさつした。その後、クラブを通じて「アビスパでの1年間は、プロになってから一番楽しく充実した時間を過ごさせていただいたと思っています。辛い時期もありましたが、地元福岡ということで、たくさんのファンやサポーター、友人やチームメートに支えられて、ここまできました。J1昇格のために自分の力を注ぐことはできませんでしたが、新しい環境で自分の可能性を試したいと思います。1年間、お世話になりました。そして本当にありがとうございました」とコメントした。
リトバルスキー監督からCB失格の烙印を押されボランチコンバートも出場機会の無かった金古が名古屋へ移籍。
これは厄介である。
名古屋は今季、秋田や古賀などCBを大幅に放出したところに二人のCBが負傷離脱中であった。
そこで福岡で干されている金古に白羽の矢を立てた模様、大きな補強が行われたと言えよう。
金古については2005年8月7日にヴィッセル神戸へレンタルが決定した際にコメントした事が全てである。
2004年の降格寸前の神戸にアウェイとは言えで良いようにやられた事で我等の信頼を失墜させた。
既にレンタル三季が過ぎたが買い取って貰えていない事も事実である。
早めのラインブレイクから相手に寄せる守備は諸刃の剣であった。
相方に恵まれなかった事も災いしたと思う。
カバーに優れる羽田が健在であれば、彼のプレイスタイルも生きたと思い起こす事もある。
現在レギュラーを張るファボンも同様に早めにラインを壊しボールを奪い去る。
プレイスタイルは似ていなくもないのである。
が、「奪い去る」この部分が大きく異なる。
ファボンはボールを奪わない場合でも攻撃を遅らせる。
2004年レッヅ戦ではアウェイでもホームでも詰め寄ったエメルソンに簡単にいなされ失点に繋がった。
一皮剥ければ攻撃への一歩となる大きなプレイであったが、敵わずに終わった。
名古屋では先発を勝ち取り、是非とも買い取られて欲しい。
流転の上、やっと請われた仕官先と心得るのである。
百貫の俸禄が二百貫になるやも知れぬ。
ただし、木刀による仕合は行わぬ事だ。
リーグ開幕3連勝で首位に立つ名古屋がJ2福岡DF金古聖司(26)を期限付き移籍で獲得することが27日、分かった。近日中に正式発表される。リーグでは11年ぶりの開幕3連勝と好スタートを切った名古屋だが、DF陣は4日のJ開幕戦でスピラールが全治6カ月の大けがで離脱するなど故障者が続出。穴を埋める実力者の補強に乗り出していた。金古は東福岡で高校3冠を達成するなど早くから注目されたDFで、J1通算73試合出場5得点。今季は、昨季に続き鹿島から福岡に期限付き移籍していたが、開幕から出番に恵まれていなかった。[2007年3月28日9時1分 紙面から][2007年3月28日10時58分]
J2福岡の金古を獲得
グランパス、DF層の強化で
名古屋グランパスがJ2福岡のDF金古聖司(26)を獲得することが27日、明らかになった。細部の条件を詰めて近日中に正式契約を結ぶ見込み。金古は180センチ、70キロのセンターバックでJ1通算75試合出場5得点。
グランパスは今季開幕戦でDFの軸になるスピラールが右ひざじん帯損傷の大けがを負い、穴を埋めた米山も第2戦で故障し、現在リハビリ中。昨オフ、古賀、秋田が移籍し、阿部(千葉-浦和)の獲得も失敗し、DF層の薄さが深刻になっていた。
竹内ら若手の成長もあったが、絶対数が足りないことも考慮したグランパスは開幕直後から、国内の数人をリストアップ。各チームの戦力が固まったのを見計らって、本格的な活動を始めた。
鹿島から福岡に期限付き移籍している金古は今季、J2の試合に出場していないが、一昨年は神戸、昨年は福岡の主力としてJ1でプレー。現在もJ1レベルの実力があると判断して獲得に踏み切った。金古は東福岡高で全国高校選手権連覇したほか、U-19(19歳以下)日本代表で世界ユース選手権アジア予選に出場した経験もある。
福岡金古が移籍「福岡は一番楽しく充実」
J2アビスパ福岡は28日、DF金古聖司(26)がJ1名古屋へ移籍すると発表した。金古は06年に鹿島から福岡へ期限付き移籍し、今年もレンタル契約を延長していた。名古屋へも鹿島から期限付きで移籍する。金古は東福岡で高校3冠、選手権連覇の中心メンバーとして活躍したセンターバック。99~05年途中まで鹿島、05年途中から神戸、06年福岡でJ1リーグ戦73試合に出場し5得点を挙げた。この日午前、金古は雁の巣球技場(福岡市東区)で、福岡イレブンにあいさつした。その後、クラブを通じて「アビスパでの1年間は、プロになってから一番楽しく充実した時間を過ごさせていただいたと思っています。辛い時期もありましたが、地元福岡ということで、たくさんのファンやサポーター、友人やチームメートに支えられて、ここまできました。J1昇格のために自分の力を注ぐことはできませんでしたが、新しい環境で自分の可能性を試したいと思います。1年間、お世話になりました。そして本当にありがとうございました」とコメントした。
リトバルスキー監督からCB失格の烙印を押されボランチコンバートも出場機会の無かった金古が名古屋へ移籍。
これは厄介である。
名古屋は今季、秋田や古賀などCBを大幅に放出したところに二人のCBが負傷離脱中であった。
そこで福岡で干されている金古に白羽の矢を立てた模様、大きな補強が行われたと言えよう。
金古については2005年8月7日にヴィッセル神戸へレンタルが決定した際にコメントした事が全てである。
2004年の降格寸前の神戸にアウェイとは言えで良いようにやられた事で我等の信頼を失墜させた。
既にレンタル三季が過ぎたが買い取って貰えていない事も事実である。
早めのラインブレイクから相手に寄せる守備は諸刃の剣であった。
相方に恵まれなかった事も災いしたと思う。
カバーに優れる羽田が健在であれば、彼のプレイスタイルも生きたと思い起こす事もある。
現在レギュラーを張るファボンも同様に早めにラインを壊しボールを奪い去る。
プレイスタイルは似ていなくもないのである。
が、「奪い去る」この部分が大きく異なる。
ファボンはボールを奪わない場合でも攻撃を遅らせる。
2004年レッヅ戦ではアウェイでもホームでも詰め寄ったエメルソンに簡単にいなされ失点に繋がった。
一皮剥ければ攻撃への一歩となる大きなプレイであったが、敵わずに終わった。
名古屋では先発を勝ち取り、是非とも買い取られて欲しい。
流転の上、やっと請われた仕官先と心得るのである。
百貫の俸禄が二百貫になるやも知れぬ。
ただし、木刀による仕合は行わぬ事だ。
必ずや復活させてくる。
心して挑まねばならぬ。
金古は戻ってこなくても、
鹿島のディフェンスラインは数的に大丈夫ですかね?
岩政・ファボンに大岩(怪我?)・後藤。
特に後藤の使われなさがちょっと気になります。
何かあったら青木を下げて対応する形で
ずっと行くつもりなのでしょうか。
大岩の負傷が深刻でないようですから大丈夫でしょう。
金古が行く名古屋もCBを放出して問題ないと考えていたと思うのです。
しかし、主力二人が同時に怪我をした誤算からこのようなことになったわけです。
不用意にCBを抱えるFマリノスの方がおかしなクラブだと思いますよ。
金古は怪我がなければ、ワールドユースでアフリカへ行っていただろうし、ユダも代表には登りつめず、まだ中田浩二として裏切ることなく鹿島にいたことであろう。