鹿島・小笠原、J1通算300試合出場
2010.10.24 20:35
J1第27節第2日(24日、鹿島2-0横浜M、カシマ)鹿島のMF小笠原が史上48人目のJ1通算300試合出場を達成した。初出場は1998年4月15日のG大阪戦。(カシマ)
小笠原満男のJ1通算300試合出場が報じられておる。
思い起こせば1998年1st ステージ、負傷のビスマルクに替わって入ったのは当時の新人・小笠原満男であった。
攻撃的MFのポジションで攻守に動き回り、完封勝利に貢献した。
当時は東北のファンタジェスタの異名を持ち、パスにドリブルと攻撃のアイデアを発揮していたものであったことを記憶しておる。
そこから、一つ一つ試合を積み重ね、300試合出場を達成とは素晴らしいこと。
ただし、2005年8月20日のホーム・広島戦に「心の風邪」なる不可解な不出場がなければ、もう一試合早く達成されていたはずであることが心残りである。
ところで、昨日はユダの200試合出場も達成されておった。
こちらが報じられぬのは、非常に残念である。
2010.10.24 20:35
J1第27節第2日(24日、鹿島2-0横浜M、カシマ)鹿島のMF小笠原が史上48人目のJ1通算300試合出場を達成した。初出場は1998年4月15日のG大阪戦。(カシマ)
小笠原満男のJ1通算300試合出場が報じられておる。
思い起こせば1998年1st ステージ、負傷のビスマルクに替わって入ったのは当時の新人・小笠原満男であった。
攻撃的MFのポジションで攻守に動き回り、完封勝利に貢献した。
当時は東北のファンタジェスタの異名を持ち、パスにドリブルと攻撃のアイデアを発揮していたものであったことを記憶しておる。
そこから、一つ一つ試合を積み重ね、300試合出場を達成とは素晴らしいこと。
ただし、2005年8月20日のホーム・広島戦に「心の風邪」なる不可解な不出場がなければ、もう一試合早く達成されていたはずであることが心残りである。
ところで、昨日はユダの200試合出場も達成されておった。
こちらが報じられぬのは、非常に残念である。
心の風邪ってなんですか?
教えて下さい。
そして、この広島戦の前に海外からオファーが届いていたにもかかわらず、満男本人にそのオファーが届かず、クラブがオファーを断ってしまいました。
それを知った満男は試合に出る気力が無くなり、この広島戦を欠場することとなったのです。
その欠場理由を、当時「心の風邪」と言われました。
余談ですが、後の情報によると、この海外からのオファーは、オファーと呼べるほどちゃんとしたものではなく、契約条件なども含めていかがわしいものだったとのことです。
正式なオファーじゃなかったから小笠原選手に届くことなくクラブ側が断ってくれたのでしょうか。ともかく、いろんな苦しみを乗り越えて強い満男になったのでしょうか?
どうしても1点欲しい試合を見ていて、私はいつも「満男、なんとかして!」と心の中でさけびます。
大事な選手を変な契約で出してしまっては、本人にとってもクラブにとっても、悪い結果しかないと判断したようです。
人間は環境が育ててくれる部分が大きいですよね。
ビスマルクの陰に隠れて試合に出れなかったときや、練習から本気のジョルジーニョ、サブでも練習から手を抜かない本田などに育てられたようです。
鹿島というクラブは、偉大なる選手を育むクラブだと思いますよ。
Jリーグでは小笠原と100試合開きましたが、海外が長かったし、怪我も大きかったですね。
海外ではリーグ戦のみでも71試合出場、あとの試合や代表でもかなりの数になります。
凄い二人です。
何試合目なんて、あくまで通過点であって、さして注目されない気がします。