鹿島アントラーズ原理主義

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日本代表内田篤人公式戦デビューか

2008年02月05日 | Weblog

内田が史上4位の年少出場へ軽快な動き

DF内田(右)は練習でDF駒野に抱き付きふざける(撮影・鹿野芳博)
 DF内田篤人(鹿島)は右のくるぶしの挫傷も順調に回復し、この日も軽快な動きを見せた。タイ戦に出れば19歳316日での出場、80年のW杯スペイン大会予選に出場した風間八宏、都並敏史、戸塚哲也に次ぐ年少出場となる。「僕らは日本がW杯に出て普通じゃないかと思う世代です」と内田は屈託ない。W杯では02年日韓大会でのベッカムのかっこよさが痛烈な思い出だ。「中学2年でした。すぐにベッカムヘアにしてもらいました。モヒカンです。学校では(篤人をもじって)アッカムと呼ばれてました」と明かした。
[2008年2月5日9時8分 紙面から]

★“イケメン”内田「プレッシャーに負けないゾ」
 先月26日のチリ戦で19歳305日で代表デビューしたDF内田(鹿島)は6日のタイ戦でも先発が濃厚。「(6日に出場できれば)プレッシャーはあるかもしれないが、負けたらそこまでの選手です」。中2の時には、日韓W杯のイングランドMFベッカムにまねて、ソフトモヒカンにしたという。当時、名前の篤人にちなんで“アッカム”と呼ばれた岡田ジャパンの秘蔵っ子が、大活躍でそのニックネームを全国区にする。

先発確実!内田 自然体の10代初陣

駒野(左)を笑顔で捕まえる内田。10代でのW杯予選出場にも気負いなし
Photo By スポニチ

 日本代表は6日、W杯3次予選初戦のタイ戦に臨む。この日は千葉県内で約2時間の非公開練習を行い、DF内田篤人(19)が、タイ戦でも先発出場することが確実となった。10代でのW杯予選デビューは、史上4人目で、J発足後では初。若き俊足サイドバックが、岡田ジャパンの秘密兵器としてタイに立ち向かう。
 岡田監督の“未成年DF”に対する信頼は揺るぎなかった。非公開練習の最後の15分間だけ公開された練習では、チリ戦、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦で先発した内田が主力組に交じってクールダウン。同じ右サイドバックの加地が控え組でボール回しを行っていたのとは対照的な光景だった。ボスニア戦で右足首を痛め、1、2日と別メニューだった内田だが、もう不安はなし。6日のタイ戦も3戦連続で先発出場することが決定的だ。

 10代でのW杯予選デビューは、82年スペイン大会で、80年12月22日のシンガポール戦に出場した風間、都波、戸塚に次ぎ史上4人目。Jリーグ発足後では初の快挙だ。小野は18歳で98年フランス大会に出場したが、予選の出場はない。突破が義務づけられている予選だけに、本大会以上の重圧が内田にかかることになる。

 内田は06年に、鹿島ではクラブ史上初となる高卒ルーキーでの開幕先発出場を果たした。その後も、U―20W杯やU―22日本代表で北京五輪最終予選にも出場するなど、数々の国際舞台を積み重ねてきた。タイ戦を2日後に控えたこの日も「アジア勢とはWユースでもやっているし、嫌な思いはない。僕はそれほど緊張感はない」とさらり。その強心臓ぶりをのぞかせた。

 W杯への思いは「デカイ大会」と特別な思い入れはないというが、当時13歳だった自国開催の02年日韓大会では、イングランド代表MFベッカムに夢中になった。ソフトモヒカンのベッカムカットをまね、翌日に学校で名前の篤人をもじって「アッカム」と呼ばれたこともある。だからというわけではないが、鹿島で昨季からヘアカットを担当する美容師が今月末に結婚する予定で、ひそかに祝砲弾も狙っているという。

 だからこそタイ戦では積極的に得点を狙いにいく。ボスニア戦ではシュートを打てるチャンスに打たず「考えすぎた。鹿島だったら打ってましたね」と悔やんだ。「プレッシャーに負けるようだと、そこまでの選手」と内田。岡田監督の秘蔵っ子が、右サイドをズタズタに切り崩す。
[ 2008年02月05日付 紙面記事 ]

2002日韓W杯時は中坊であったか。
あのベッカムフィーバーから早6年、時の経つのは速いものである。
その時代に流行を取り入れた想い出は彼にとっての宝物であろう。
「アッカム」とは時代を反映しておる。
ジャブローに潜入しGMの工場を発見するも、カツ・レツ・キッカに見つかりガンダムに破壊されてしまう。
む、これは「アッガイ」であるか。