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郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの郷土史:観音寺城跡

2012-06-13 17:16:47 | 城址

観音寺城跡、中世五大山城

 =滋賀県のもう一つのすごい城=

       (この日記の掲載期間:6月22日~6月28日)


         大規模な石垣:滋賀県の研究員さんのご案内で

こんな城です
まずは日本五大山城の一つで滋賀県ではもう一つ小谷城が入
っています。険阻な山を利用して築かれた城としての分類です。
それと石垣を多用している事がこの城の最大の特徴なんです。
場所は安土城のすぐ隣、繖山(きぬがさやま:432m)一帯です。

 
        観音寺城跡のある繖山全景:麓の資料館から拝借

滋賀県教育委員会の講座から
表題から見てもとてもKennyの聞きかじりの知識でここに纏める
ことはできません。日頃ご厄介になっている当委員会文化財保護
課が編集されている冊子、そして過日「観音寺城の石垣
を探る」
と題しての講座で配布された資料の丸写しでノートを取るという一
昔前に帰っての緊張感です。

 
       冊子                最近の講座の様子

城と石垣:信長の安土城がその起源では?
観音寺城の特徴は石垣を多用している点、しかし安土城より古い
お城で石垣が多く使われているのは例外的でしかも戦国時代とし
てはほとんど唯一の城なんだそうです。そう云えば城郭での石垣
の本格的な導入は安土城以後
のことと過去の講座でも伺って
います。まだ土塁や堀切で防御をしていた時代これだけの規模の
石垣を使った(写真)お城があったのです。今もしっかりと残ってい
ます。石垣調査で見学路も整備されて今は歩きやすくなっています。


                本丸跡

最近の石垣基礎調査に基づき
平成20年から22年にかけての県の調査成果を講座として発表さ
れました。お話は多岐に亘っていますがそのうち分かりやすいお話
としては石垣の分布は城のある繖山の山塊中央に55%が集中
している。石垣の特徴は重ね積み(重箱積み:同じ大きさの石を縦
に積み重ねる)、城の構造は三国丸をピークにした尾根筋に展
開する馬蹄形縄張り
であると。なおこれらのお話は講座全体での
お話の極く一部です。

   
        石垣分布図:講座当日のスクリーンから

  
           馬蹄形縄張り:同スクリーンより

観音寺城
近江守護佐々木六角氏が戦国時代に居城とした城です。永禄11
年(1568)に信長の攻撃で六角承禎・義治親子は逃亡しその歴史
的役目を終えたようです。

ところがこの城は信長の破城には遭わず、信長が補助的な城と
して利用していたとの説もあります。石垣の保存状態がいいのは
この辺にもあるのかな?


         450年近くたってもこの保存状態

滋賀県には誰でも知っているお城が
最近では小谷城がNKHのドラマで出てきました。安土城彦根
とこれらは日本史でも必ず習う、出てくるお城ですが、郷土史
に興味のある方、特にお城に関心のある方にとって1300はある
と云われている城(跡)、滋賀県はまさに歴史の宝庫です。

この観音寺城の佐々木六角は惣領家を同じくする京極氏と近江の
南北をそれぞれに守護し信長の前に敗れ、また京極氏を継いだ浅
井氏も信長によって滅びます。その信長が安土に城を築くと続いて
行き
当時は滋賀県が時代の変遷の最大の舞台でした。そんな思い
を抱いて城(跡)を歩いています。


               井戸の跡

独り言:受講、感想日記
こんなことをしているのもまた楽しいひと時でもあります。受講しても
後日試験がある訳ではなく、次元が低くても間違っていても進級とか
の問題もこのレポートの提出期限もありません。 のんびりと・・・・。

この日記の掲載、冊子・資料からの引用などは当日の講師(研究員)
から承諾をいただいております。 現地の写真はKennyの撮影です。

      今日もご覧くださいましてありがとうございました


            *************      
        

                    お知らせ
 
                笑笑亭英語落語寄席の開催日が変わりました
 
先に掲載の日程が変更されています。新しい日時は下記の通りです。

 
    
 
          お問い合わせ: E-mail:rafurafutei@yahoo.co.jp

  ご鑑賞される方は念のため主催者にご確認ください(Kenny)

 


 

 

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4 コメント

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第32番札所・観音正寺 (ポエム)
2012-06-23 16:14:49
観音正寺には霊場巡りで行きました。
長い石段を頑張って登ったのを覚えています。
Kennyさんの説明を読み、色々思いを膨らませています。戦国時代の覇者織田信長が築いた安土城を偲ぶ城跡も足を運びました。
沢山写真も撮れ、戦史を楽しく学ばれて良かったですね。
返信する
ねー、滋賀県って本当に・・ (Kenny)
2012-06-23 19:54:32
調べてみると、同じ繖山にある観音正寺は佐々木六角氏の庇護を得て相当栄えたそうですね。私も行きましたが新しい立派なお寺です。観音寺城が信長の軍勢に攻められて落城した数年後にはその観音正寺も焼き討ちに遭い全焼し再興されたことのことです。

近年では観音正寺の本堂は平成5年(1993年)に失火で焼失し現在ある本堂は平成16年(2004年)に再建されたと。だから新しかったんですね。

特に最近の政界の、我々の税金を使ってそんなことしてていいの!# と言いたくなる毎日に、本当のことは知らないけれど、戦国時代に繰り広げられる時代の変遷を見ている方がまだましな気がしましてこんなことをやっています。ポエムさま、コメントいつもありがとうございます。
返信する
興味が尽きない城 (茲愉有人)
2012-06-23 21:51:17
観音寺城と佐々木氏というのは、興味が尽きませんね。
あの調査報告の講座を聴講し、関心が深まりました。また、
『観音寺城跡』のブックレットは有益な情報源としてありがたい!

ブログを拝見し、ブックレットを久々にぺらぺらと部分再読してみました。また、当日のレジュメを読み直す良い機会になりました。
観音寺城の城下町の石寺が、史上初めて楽市が実施されたところだというのが目にとまり、改めてビックリ!です。信長が最初に始めたのだと思い込んでいましたので。(そう習ったような記憶もありますが・・・・・)
はじめてざっと読んだ時、素通りしていたのかもしれません。

ブックレットに記載の天文18年(1549)をキーに、手許の『新選 日本史図表』(第一学習社)を参照してみました。「1549 12 六角氏、楽市令」「永禄10年(1567) 10 信長、美濃加納を楽市とする」とちゃんと、載っていました!

六角氏は楽市の重要性をどこから学んだのでしょう? 興味があります。
信長は、「楽市」の意義や重要性を六角氏から学んで取り入れたということになるのでしょうか?
新しいシステムの導入、展開の系譜につながり、おもしろいなと思う次第です。
勿論、秀吉は、見習って楽市楽座を即座に取り入れていきましたよね。

当日の資料に、天文8年の観音寺城の様子を、『鹿苑日録』から引用しての解説がありました。某大学の図書館で、歴史群像シリーズ『戦国の堅城』(学研)というのを見つけました。そに本に観音寺城の記事がありました。おそらく天文5年(1536)頃には石垣が築かれていた(『金剛輪寺文書』)という書かれています。少ないとは言え、いろんな所に記録があるのですね。『馬場文書』によれば、天文初年には城下町も形成されていたことがうかがえるとのこと。

六角氏、京極氏というのが、京の都の両家の住まいしたところから来ているというのもおもしろいです。


情報が増えるほど、一層おもしろくなってきます。
あらためて、また観音寺城を歩いて見たいなあ・・・・そんな思いです。

今日は、「探訪 [近江 水の宝] 琴糸の里を歩く」に参加しました。
有意義な半日でした。


返信する
ありがたいことです (kenny)
2012-06-24 07:45:13
あの講座は観音寺を知るのに本当にいい機会でした。以前にも案内下さったのですが、大勢でそれも現場の見学だけでしたのでもう少し聴きたいと思っていました。近いうちに3度目の見学を考えております。六角が石垣を採用した背景を知りたいですね。やはり京都を知る尽くしており(田舎者ではなく)お寺の石垣からヒントを得たのでしょうか。

私は本当にありがたい環境に恵まれております。また色々と情報を頂きありがとうございます。滋賀県のブロガー募集に応募を進められて今月末の行事から行動開始です。とりあえずは5件の探索から3件UPすることにしました。他の方のブログも拝見するのが楽しみです。茲愉有人さん、いつもコメントありがとうございます。
返信する

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