元号についてぼんやり考える

2019年03月30日 08時43分57秒 | アイデアのかけら


もうすぐ元号が変わる。

ご存知のとおり、
天皇の即位によってのみ改元されるようになったのは、
明治以降のこと、
それ以前は在位中に元号が変わることはよくあった。

では、実際どれぐらい変わったのかと調べてみると、
3回4回、改元するのはざら。
平安時代後期の第73天皇・堀河天皇なんて、7回も改元している。
明治天皇の一代前の孝明天皇だって、5回改元している。

改元の理由は、新天皇の即位以外では、
疫病、旱魃、飢饉、地震などが起きた後の厄払い的なことが多い。
(「彗星が来た!」も意外と多い)

改元することで、「リセット」するわけだ。

時間軸を分断し、
前の元号の中に封じ込める。
改元にはそんな効果があったのだろう。

明治以降は、そうした目的で改元されるわけではないが、
その効果は今でも残っている気がしている。

たとえば、
広島と長崎に原爆が落ち、東京が焦土と化したのは、1945年。
え、まだ74年しか経っていないのか!
加藤茶の方が歴史あるじゃないか!
西暦で考えると、すぐわかる。

だが、昭和20年といった途端、
現在との距離感がわからなくなる。
わずか74年という歳月で、今に続いているにも関わらず、
まるで別世界で起きたことのように遠く感じられる。
新しい元号になったらそれは、さらに強くなるのではないか。
(僕だけか?)

日本史が好きなので、
元号を廃止する必要はないと思うけど、
元号によって過去の距離感が失われ、
現在と過去が分断されるのは、
僕は良いことだとは思えない。
(実務的にも元号の使用は不便だ)

なので、西暦を基本とし、
元号は、1300年以上続く日本の“伝統文化”として、
ひっそりとでもしっかりと受け継いでいく、
(そういうものはたくさんあるのだから)
というのでいいのではと思うのだけどなあ。

 
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