yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

高橋美久二著『古代交通の考古地理』(大明堂 1995年)の条

2013-05-08 18:22:14 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 高橋美久二さんが亡くなられて今年で7年になる。 十一月二三日、新嘗祭の日がご命日である。 

 昨年のご命日にお伺いしようと思ってご自宅にご都合をお伺いしたところ、7回忌で田舎で法要があるのでその日は留守にするということだった。その後高橋門下生の橋本清一さんとご一緒にご自宅をお伺いした。以前からの課題であった、遺された書籍の追加寄贈についてもう一度その状況を確認する目的もあった。しかし、近年の行動力の鈍化は疑いようもなく、その後なかなかお訪ねしてその準備をすることができていなかった。

 しかし、今年の正月にあった研究会で、この間高橋さんの書籍の寄贈について仲立ちをして下さっている滋賀県立大学の田中俊明さんにお会いして、具体的な準備をしてほしいと言われ、お尻に火が付いた。四月に入ってほんの少し気持ちに余裕ができて、ご自宅にお伺いする日が決まった。たまたま家にあった新の段ボール箱を持っておうかがいすることができた。

 高橋美久二さんは、歴史地理学を考古地理学として確立された歴史地理学会の大家である。

 高橋さんは広島県東部の町府中市のご出身で、府中高校から京都大学文学部へ進まれ、藤岡謙二郎先生の下で歴史地理学を学ばれた。と同時に考古学研究室の門を叩かれ、小林行雄先生から考古学も学ばれた。当時歴史地理学は地名や古地図、航空写真からの遺存地割の研究が主流でしたが、高橋さんはいち早く歴史地理研究に考古学の視点を導入された。特に卒業論文のテーマでもあった古代山陽道の研究では、いち早く遺跡と出土瓦との関係に着目され、今里幾次先生と共にこれが山陽道駅家の位置を特定する有力な材料であることを明らかにされたのでした。



 その諸論考を集めた『古代交通の考古地理』は出版直後から注目されていたのですが、2004年に出版元である大明堂が廃業となり、入手困難となった「幻の名著」なのです。ところがこれが、偶然高橋さんのご自宅から複数冊見つかったのです。以前から何とか手に入れたかった御著書である。何せ古本市場にも出てこないのである。そこで奥様に、

 「済みません、この本を一冊頂いてもいいでしょうか?」厚かましくもこう申し上げたのだ。

 もちろんご快諾頂いた。

 「この御著書はもうなかなか手に入らなくて、本当にありがとうございます。」

 なんだか、お手伝いの駄賃をせがんだみたいで恥ずかしいのだが、ずっと気になっていたことがやっと実現してとても嬉しい日となった。きっとあの世から

 「山中君、そんなもの読んでどうするんや?今から交通史でもやるのか?やるんだったらしっかり論文を書けよ!!」

こんなことを仰っているに違いない。たまたま長崎外国語大学の木本先生のご依頼で、年末までに「鈴鹿関と三間」について書かなければならない。きっとそれを知って高橋さんが出して下さったのだろう。恥ずかしい論文は書けなくなったのだが・・・・。


 高橋さんの名著、しっかり勉強してい論文を書けよ、と思う人はこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ