yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

高橋美久二さんの命日の条

2010-11-23 00:00:01 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 今日11月23日は高橋美久二さんのご命日である。
 もうあれから4年も経ったのかと不思議な気持ちになる。

 あの角刈り頭から訥々と話される高橋さんにどれだけ励まされ、勇気づけられたことか。

 高橋さんはめったに怒られない。また、めったに人を貶さない。だからついその気になって頑張ってしまう。するとまた褒めてくれる。するとまた頑張ろうかなと思う。そんな高橋さんが御病気になられて直ぐの頃、なぜかこんな話しをされたことがある。

 「山中君な、そろそろ考古学協会に入ってくれないか。」

 「エッツ!?」

 意表を突かれた私は言葉に詰まってしまった。
 そもそもが、高橋さんは私が協会には絶対に入らないと知っておられたのである。その理由もそれとなく。だからお付き合いして頂いた30余年間の一度もこんなことは仰らなかった。

 それが突然のカウンターパンチであった。その勢いに押されて

 「しばらく考えさせて下さい」と答えてしまった。

 あそこまで言われたら入ろうかな?高橋さんを困らせるわけにもいかないしな。おそらくもう一度言われたらきっと「了解しました」とお答えしたに違いない。

 でもその後亡くなるまでお会いすることがなかった。手紙は一度だけ書いたのだが、その事には触れなかった。

 高橋さんが亡くなって、もちろん今、私は入る気持ちは全くないのだが、少しだけ引っかかったままだ。それにしてもなぜ突然に私にあんなことを仰ったのだろうか。田舎でこそこそ動いてないで真ん中で発言しろという意味なのだろうか、考古学協会で暴れてこいと言うことだったのだろうか?きっと前者だとは思うのだが、お元気なときに返事をし、その真意を聞いてみたかったのは事実である。

 ついでに言うと私がなぜ入らないか?「権威に頼って生きていきたくない!!」からだ。だから、いつしか日本遺跡学会からも足が遠のいて、とうとうやめてしまった。どこかの監督じゃないが、私には日陰が似合っている。但し、高橋さんとならなんかできたような気もする。
 そんな時、大嘗祭の跡発見!!と大々的に流された藤原宮のその跡と言われた遺構が実は見当違いだったというニュースが流れた。誰にだって間違いはある。だからそれをとやかく言う必要はないと思う。ただ、最近の研究所には、本気で都城を掘っている人、掘ることに意味を見出している考古学研究者があまりに少ないことだけは事実であろう。そんな伏線が、こんな誤報を生み出したとしたら悲しい。権威は嫌いだが、中味のない権威ほど厄介なものはない。

 今年も御霊前に参ることができず、お花を送るに留まってしまった。情けない!!

 高橋さんのような人が全国にいたら、きっときっと日本の考古学はもっともっと変わっていただろうになと思う人は人気ブログランキングへ

 新嘗めと 共に逝きし師 今いずこ 

  

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