一ヶ月ほど前から大学への最寄り駅、近鉄江戸橋駅の先にある「江戸橋」の改修故事が行われている。通行は新江戸橋という、国道23号に架かる橋の方へ迂回するので少し不便である。しかし、そのお蔭で、鉄筋コンクリート造りとはいえ、往時の江戸橋を参考にして造られたと思われる「江戸橋」の構造を見ることができるので、ここに少し、最近訪れた伊勢神宮の宇治橋他の橋と一緒にご紹介しておくことにする。
実は私は橋にとても興味があるのである。
なぜ?
今から三十年程前に長岡京の東二坊坊間小路に架かる小さな橋を掘ったことがあるからだとおもう。調査では、道路の橋に接っして、宅地内にも橋が架かり、これは土橋だった。この宅地というのが長岡京の研究を飛躍的に進めた太政官厨家の敷地。敷地の中央を流れる排水溝に、役所内を移動するための様々な構造の橋が架かっていたのである。これをきっかけに全国の橋を調べ、橋が陸上、水上交通に果たす役割、障害となる理由を考えたのである。(拙稿「古代都城の交通-交差点からみた条坊の機能-」(『考古学研究』第37巻第1号1990年 ほか)
以来、橋をみるとワクワクするのである。母の旧姓が「大橋」であるのも無関係でないかも知れない。(笑)
そんな私の目の前に、江戸橋の改修現場が現れたのである。何年か前にもやっていたような気がするのだが、その頃は車を使っていたので、余りこの駅を利用せず、印象に残らなかったのだろう。
バリケードの隙間から垣間見える橋脚は全部で何本あるのだろう?と思って覗くとこんな光景が。
橋脚は流石にコンクリートだが、橋板を乗せるための部分には枕木のような木が使われている。この旧江戸橋は現在車も通るので、てっきり完全な鉄筋かと思っていたら木橋としての雰囲気を残しているのである。だから時々こうして改修しなければならないらしい。そんなことならいっそのこと車の通行を制限すればいいのにと思うのだが(だって、こうして通行止めにしてもそんなに困っている人もいないし、交通渋滞が起こっているとも思えないのである。)どうもまた、車を通すらしい。
向こうに見えるのが国道23号に架かる新江戸橋。こちらはもちろん完全な鉄筋造り。
そしてその下を流れるのが志登茂川。かつては相当な暴れ川だったらしく、弥生時代の終わり頃(1800年程前)には、三重大学の敷地はほとんど川の中だったらしいことが発掘調査で判っている。ちなみにこの志登茂川が伊勢湾に注ぐその先に「小丹(おに)神社」があったらしい。小丹が転じて鬼と表記するが元は丹、つまり水銀と関係のあることが判る神社が存在したのである。おそらく、かつて上流から水銀を出していたのであろう。なんと言っても伊勢は水銀の国である。
この江戸橋が繋いでいる道が伊勢街道(参宮街道)と言って、江戸時代には何百万人もの人々が通過した道である。東国からやってきた人は必ずこの橋を渡らなければならなかったはずだ。その橋を渡って直ぐのところに常夜灯がある。
「常夜燈
安永六丁酉正月吉祥日
嶋田氏」
江戸橋の常夜燈(江戸時代・管理者津市)津市指定史跡(昭和50年4月26日指定)
江戸橋西詰めは伊勢街道(参宮街道)と伊勢別街道の分岐点にあたり、古くから交通の要衝であった。江戸時代には伊勢神宮への参詣が盛んで特にほぼ60年周期で爆発的に流行することがあった「おかげ参り」のときには、各街道筋も参詣客であふれた。
この常夜燈は、『伊勢参宮名所図会』の絵の中では、江戸橋西詰めの追分けの所に大きく描かれている。安永六年(1777)の銘があり、春日型の形式をしており総高5.4メートル、最下壇の幅2.8メートルで、基壇最上段正面に伊勢信仰の象徴である「太一」を示す「○印」が刻まれている。
「太一」は、本来中国では北極星の宇宙神のことで、それがいつの頃からか中国の天体思想と伊勢信仰に習合されて、伊勢神宮の天照大神を示す印となったと思われる。
このような伊勢神宮への献燈は県内各地に見られるが、これらは参宮道者の安全、また神宮への感謝や町内の安泰を祈るものであった。この常夜燈は刻銘から、嶋田氏という一人の寄進者によるもので、沓脱半兵衛という石工によって造られた、津市内に現存する最古のものである。
津市教育委員会(常夜燈前の解説)
と書いてある。
そのすぐ前には道標があり、ここが追分であるとよく判る。
確かにこの先には高田専修寺がある一身田だ。一身田というのは変わった地名だなと思っていたが、「一御田」なら理解することができる。今ある神社の名前は明治になってつけたものらしいので使えないが、元々「御田」即ちミヤケがこのあたりに置かれていた可能性は十分ある。志登茂川の水運と、伊勢別街道と伊勢街道の陸路が交差し、情報の結節点である。
なお、江戸橋という橋の名前は藤堂藩参勤交代時の江戸への出発点だからという説が一般的なようだが、「江戸」とは「江」つまり海の湊の「戸」入口という意味で、この辺りが古くから小さな湊であったことによる可能性も十分ある。「御田」がそれ故設けられたと考えるとより興味深いのだが・・・。
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江戸橋の たもとで休む 雁一羽
小丹が江の 干潟のアサリ 磯の鴫
志登茂川 干潟の鴫と 江戸の橋
実は私は橋にとても興味があるのである。
なぜ?
今から三十年程前に長岡京の東二坊坊間小路に架かる小さな橋を掘ったことがあるからだとおもう。調査では、道路の橋に接っして、宅地内にも橋が架かり、これは土橋だった。この宅地というのが長岡京の研究を飛躍的に進めた太政官厨家の敷地。敷地の中央を流れる排水溝に、役所内を移動するための様々な構造の橋が架かっていたのである。これをきっかけに全国の橋を調べ、橋が陸上、水上交通に果たす役割、障害となる理由を考えたのである。(拙稿「古代都城の交通-交差点からみた条坊の機能-」(『考古学研究』第37巻第1号1990年 ほか)
以来、橋をみるとワクワクするのである。母の旧姓が「大橋」であるのも無関係でないかも知れない。(笑)
そんな私の目の前に、江戸橋の改修現場が現れたのである。何年か前にもやっていたような気がするのだが、その頃は車を使っていたので、余りこの駅を利用せず、印象に残らなかったのだろう。
バリケードの隙間から垣間見える橋脚は全部で何本あるのだろう?と思って覗くとこんな光景が。
橋脚は流石にコンクリートだが、橋板を乗せるための部分には枕木のような木が使われている。この旧江戸橋は現在車も通るので、てっきり完全な鉄筋かと思っていたら木橋としての雰囲気を残しているのである。だから時々こうして改修しなければならないらしい。そんなことならいっそのこと車の通行を制限すればいいのにと思うのだが(だって、こうして通行止めにしてもそんなに困っている人もいないし、交通渋滞が起こっているとも思えないのである。)どうもまた、車を通すらしい。
向こうに見えるのが国道23号に架かる新江戸橋。こちらはもちろん完全な鉄筋造り。
そしてその下を流れるのが志登茂川。かつては相当な暴れ川だったらしく、弥生時代の終わり頃(1800年程前)には、三重大学の敷地はほとんど川の中だったらしいことが発掘調査で判っている。ちなみにこの志登茂川が伊勢湾に注ぐその先に「小丹(おに)神社」があったらしい。小丹が転じて鬼と表記するが元は丹、つまり水銀と関係のあることが判る神社が存在したのである。おそらく、かつて上流から水銀を出していたのであろう。なんと言っても伊勢は水銀の国である。
この江戸橋が繋いでいる道が伊勢街道(参宮街道)と言って、江戸時代には何百万人もの人々が通過した道である。東国からやってきた人は必ずこの橋を渡らなければならなかったはずだ。その橋を渡って直ぐのところに常夜灯がある。
「常夜燈
安永六丁酉正月吉祥日
嶋田氏」
江戸橋の常夜燈(江戸時代・管理者津市)津市指定史跡(昭和50年4月26日指定)
江戸橋西詰めは伊勢街道(参宮街道)と伊勢別街道の分岐点にあたり、古くから交通の要衝であった。江戸時代には伊勢神宮への参詣が盛んで特にほぼ60年周期で爆発的に流行することがあった「おかげ参り」のときには、各街道筋も参詣客であふれた。
この常夜燈は、『伊勢参宮名所図会』の絵の中では、江戸橋西詰めの追分けの所に大きく描かれている。安永六年(1777)の銘があり、春日型の形式をしており総高5.4メートル、最下壇の幅2.8メートルで、基壇最上段正面に伊勢信仰の象徴である「太一」を示す「○印」が刻まれている。
「太一」は、本来中国では北極星の宇宙神のことで、それがいつの頃からか中国の天体思想と伊勢信仰に習合されて、伊勢神宮の天照大神を示す印となったと思われる。
このような伊勢神宮への献燈は県内各地に見られるが、これらは参宮道者の安全、また神宮への感謝や町内の安泰を祈るものであった。この常夜燈は刻銘から、嶋田氏という一人の寄進者によるもので、沓脱半兵衛という石工によって造られた、津市内に現存する最古のものである。
津市教育委員会(常夜燈前の解説)
と書いてある。
そのすぐ前には道標があり、ここが追分であるとよく判る。
確かにこの先には高田専修寺がある一身田だ。一身田というのは変わった地名だなと思っていたが、「一御田」なら理解することができる。今ある神社の名前は明治になってつけたものらしいので使えないが、元々「御田」即ちミヤケがこのあたりに置かれていた可能性は十分ある。志登茂川の水運と、伊勢別街道と伊勢街道の陸路が交差し、情報の結節点である。
なお、江戸橋という橋の名前は藤堂藩参勤交代時の江戸への出発点だからという説が一般的なようだが、「江戸」とは「江」つまり海の湊の「戸」入口という意味で、この辺りが古くから小さな湊であったことによる可能性も十分ある。「御田」がそれ故設けられたと考えるとより興味深いのだが・・・。
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江戸橋の たもとで休む 雁一羽
小丹が江の 干潟のアサリ 磯の鴫
志登茂川 干潟の鴫と 江戸の橋