yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

南京・鳳陽・開封報告-9 観星台登山も平気平気の条

2009-10-03 18:11:33 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
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20090920は私の61回目の誕生日である。無事1年間生きたという実感である。これから毎年毎年来年の誕生日が迎えられるのかな?という不安?期待!を抱きながら生きていくことになりそうである。これまで全く予想していなかった生き方である。ちょっと新鮮でもある(きっと若い皆さんにはわからない感覚でしょうね。でも皆さんが同じ歳を迎えたとき、昔。yaaが言ってたよな-と思い出すことでしょう。)。

 さて20日は鳳陽最後の日である。午前中は登山になった。
 独山という標高○○mの山登りである。岩肌が露出していて危険なロッククライミングも待っているという!

 「お腹痛くならないかな-」密かに期待したが今回はとんと元気である。



 はるかこの山の頂上まで道無き道を登ると聞くと益々不安になる。登るために車を置いたところがちょうど東城壁の位置でもあった。奉天門などと同じで道路が坂道になっている。



 外郭東城壁の遺存地割り



 この断崖絶壁をよじ登っていよいよ頂上である。



 独山の上に観星台は設けられている。独山の東裾野を外郭の東城壁が通っている。



 見よ!この凛とした姿。とても61歳のお爺さんには見えない。○○mの山もへっちゃら、これでなくてはね(フフフ(笑))。



 そうそう、最近写真が手に入ったので、掲載しておきますが、前日には大龍興寺でちゃんと3人の皆さんの病気平癒を祈っておきましたからね。



 観星台の平面図.これらの図面はいずれも『明中都研究』に掲載されているものです。とってもいい本なんですよ。



 観星台からの眺め。水関方向を撮ったつもりなのですが、どれも同じに見えてよう判らん。



 フラフラになりながら、(あ、違う、息切れもせず)独山を降りて次なる訪問地方丘へ。



 かつて調査されたらしい、方丘の斎宮跡。それにしてもこの方丘は近くの煉瓦工場が土取りのために南1/3を激しく破壊。かつて興秦宮跡でも見たのと同じ光景がここでも繰り返されていた。ただ救いは、ここでは文物管理局の人びとの意識がかなり高いのでその後の破壊は阻止されている。



 斎宮のあった辺りか?



 途中忘れ物を取りに帰ると私たちの泊まっていたホテルが式場に変身!その若い??主人公達。

 方丘を見て昼食。午後からはまだ見ていないところを駆け足で回ることに。南の正門である奉天門付近を探索。





 向こうに見えるのが、いろいろ事情があって側までは近寄れない午門。一応裏からと表から、ちらりと見たことに。



 人の立っている辺りが奉天門跡の高まり。



 そして夜は既報の打ち上げ兼誕生パーテー。久しぶりに白酒を飲みました。美味しかった!!



 そして翌22日には泥泥になった車を洗車して、いよいよ採集目的地、開封へ。



 途中もう一度淮河を渡り、この後は高速道路をぶっ飛ばして5時間余り、黄河流域へ。途中二度サービスエリアで休憩。とても綺麗だった。これもオリンピック効果か。



 昼はサービスエリアのコンビニで買ったカップ麺。



 トイレもとても綺麗!信じられない!!



 夕方6時頃に河南大学に到着。



 宿所は大学の留学生楼の一部なのだが、ここが、前近代的!ネットが不可。このためその後情報が途絶えた訳なのです。

 という訳でやっと最後の訪問地、北宋の都開封、今回の最後の訪問地に辿り着きました。この続きはまた明日。アー疲れた!!

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そして、シカゴも、東京もオリンピックは駄目だったけれど(恐らくオバマも鳩山も内心は喜んでいると思うよ.だって、あんな金食い虫の事業、今更東京に、シカゴに呼んできてどうすんの!?という感じ。ブラジルでよかったよかった!!) オバマ大統領のヒロシマ,ナガサキ訪問を求めよう!!

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