ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

オペラ「パルジファル」

2014-11-19 18:40:14 | オペラ
10月8日新国立劇場中劇場で、リヒャルト・ワーグナー作曲の神聖祝祭歌劇「パルジファル」をみた(台本:作曲者自身、演出:ハリー・
クプファー、オケ:東フィル、指揮:飯守泰次郎)。

聖杯と聖槍を守る騎士団の長アムフォルタスは、聖槍を魔術師クリングゾルに奪われ、その槍で傷を負っている。この傷を治すには「無垢な
愚者」の登場を待つしかない。ある日、白鳥を矢で射った若者パルジファルが現れる。老騎士グルネマンツは彼こそが王を救う「無垢な愚者」
ではないかと期待するが、若者は聖杯の儀式の意味を理解できない。
パルジファルはクリングゾルの城を訪れ、この魔術師に操られたクンドリーの誘惑を受けるが、それに屈することなく、彼女の接吻で悟りを
開く。クリングゾルはパルジファルに聖槍を投げつけるが、槍は彼の頭上で止まる。
時を経て、パルジファルは聖槍を手に王の元へ帰ってくる。パルジファルがアムフォルタスの傷口に聖槍を当てると、傷はみるみる消える。
パルジファルは聖杯の王となり、聖杯は光り輝く。

14時から19時40分まで(2回の休憩を入れて)5時間40分かかるゆえ、久々におやつと夕食持参で臨んだ。
「今日は体力勝負だから」というお客の声がする。

冒頭、舞台奥から青白い光の筋が稲妻状に伸びてくる。それは床をジグザグに進み、川の流れのようだが、よく見ると青空で、そこには白い
雲が流れているのだった。

解説役の老騎士グルネマンツを演じるジョン・トムリンソンが素晴らしい。

題名役は、(これは言ってもせんないことだが)ヴィジュアル的にとても素朴な若者とは思えないのが残念。

装置のすごさ。稲妻状の発光する床の一部が下降してゆくかと思えば、隆起して上昇したり、そうしているうちに、奥から矢印のような
形をした新しい道が伸びてくる。まるでラピュタのよう。手塚治虫に見せたい。
このようにすごい仕掛けだが、それでいてシンプルで美しい。

聖餐式のテーマ。少年たちが騎士たち一人一人に盃を掲げて聖餐にあずからせる。それをパルジファルはぼんやり見ている。意味が分からないのだ。

クンドリー役のエヴェリン・ヘルリツィウスは、わりと小柄で華奢なのに声量豊か。情感たっぷりで演技もうまい。「私は笑った」と音が急降下
するところなど印象的。

2幕でクンドリーが遠くからパルジファルの名を呼びながら現れる。この時初めて舞台にパルジファルの名が響き渡る。ここの音楽が厳粛で
ロマンチック。劇的光景に客席も静まり返る。

クンドリーの赤いドレス、そしてクリングゾルとのからみがハッとするほど官能的。

クンドリーに呼びかけられてパルジファルは初めて己の名を知り、彼女のキスで己の使命を自覚する。まさにロマンチシズムの極致だ。

3幕。鎧兜はなく、パルジファルはただオレンジ色の布を手に持って登場するのみ。つまり全3幕を通してパルジファルの衣装は変わら
ないが、これではつまらない。一目見ただけでパルジファルと分かってしまうではないか。

彼が鎧と兜を脱ぐ(ふりをする)と、グルネマンツはこの男があの「愚かな若者」だと気がつく。その歌詞に続いてあの時の(1幕の)
音楽が流れる。胸に沁みる瞬間だ。

「時間が空間となる」という謎めいた歌詞のあたり、舞台装置の紗幕がその言葉にふさわしい雰囲気を出していて素晴らしい。

2012年秋に、評者は初めてこのオペラをみた。回り舞台を多用し映像も使っての演出は、しかし心に響いてこなかった。ただやたらと
長くてぐったり疲れた思い出しかない。
今回の上演で、この作品の魅力を初めて知ることができた。
もちろん話のテンポがゆったりしているし、同じことが何度も繰り返されるので、ますます長く感じるし、疲れはしたが、歌手たち、演出、
装置、すべての点で、圧倒的に面白かった。またいつか見たいが、これほど上質なものは、もう二度と見られないのではないだろうか。






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