ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「リア王」について

2022-05-07 16:15:33 | シェイクスピア論
シェイクスピアの作品について折に触れて書いてきたものを、これから時々ここに発表しようと思います。
まずは悲劇の極北、「リア王」から。
<リア王>
① 誰の召使いか
 ブリテンの老王リアは三人の娘たちに領土を分配して隠居することにし、どの娘が一番の孝行者であるかを判断するため、それぞれに自分への情愛の深さを
述べさせることにする。すでに結婚している長女ゴネリルと次女リーガンは父への孝養を大げさに誓うが、リアが一番気に入っていた未婚の末娘コーディーリアは
美辞麗句を好まず、素っ気ない言葉を口にしただけだった。リアは怒って彼女を勘当し、二人の姉娘にすべての権力、財産を譲ってしまう。
末娘に求婚に来ていたフランス王は、持参金無しで彼女を王妃として連れ帰る。
 リアはゴネリルの城に一ヶ月滞在するが、百人の騎士たちをお供にしていたこともあり、次第に彼女から疎んじられるようになる。ついに二人は激しく衝突し、
リアはリーガンの城に向かうが、リーガンはゴネリル以上に冷たかった。リアはコーディーリアを勘当したことを後悔し、半ば狂って嵐の夜に荒野をさまようのだった・・・。

これが「リア王」の主筋(の前半)だが、この芝居にはそれと並行して副筋がある。
リアの家臣グロスター伯爵には嫡出子である兄エドガーと庶子である弟エドマンドがいた。兄はのんびり屋だが弟は腹黒く陰謀を企み、兄が父の暗殺を企んでいると
父に告げ、信じ易い父をまんまと騙して兄を城から追い出すことに成功する。
父グロスターは、コーディーリアが姉たちの父への仕打ちを伝え聞きフランスから軍を率いて攻めて来るという情報を得、雨のなか城を追い出されたリアを助けて
ドーヴァーまで送るべくひそかに城を出るが、その前に、孝行息子と信じているエドマンドにこれを漏らしてしまう。
エドマンドは出世の機会とばかりにすぐさまコーンウォール公爵に知らせる。
リーガンと夫コーンウォール公爵は帰って来たグロスターを裏切り者として拷問する。

場所はグロスター伯爵の城である。
ここに客として来ていた新国王夫妻、すなわちコーンウォール公爵とリーガンは、グロスターが敵と通じていると知って怒り狂い、連れて来た家来たちに向かって、
彼を縛り上げろと命じる。この城に元からいる伯爵の家来たちは、何もできずに遠巻きにして震えながら見ているのだろう。
「火のようなご気性」と言われるコーンウォール公爵は、グロスターの片目をえぐり出す。
もう一つの目もそうしようとすると、あまりの残酷さに耐えられなくなった召使いの一人が止めに入る。
 召使いⅠ:お控え下さい。
      子供のころからお仕えして参りましたが、
      こうしてお留めするのが、これまでで
      一番のご奉公です。    (松岡和子訳)
さて、ではこの男は誰の召使だろうか?
松岡訳では、目的語が訳されていないのではっきりしない。
つまり、この男が誰にお仕えしてきたのか、誰を留めようとしているのか、誰に対して一番のご奉公だと主張しているのかが分からない。
他の翻訳家の訳もほとんど同様。
たとえば小田島雄志訳ではこうだ。
 召使い1:子供のころよりご奉公してまいりました私ですが、
      これまでのなによりも、いまお控えを願うことが
      最上のご奉公と心得ます。
日本語の特性から、「あなた」という目的語を使わなくても済むし、むしろ使わない方が自然なのだ。 
そのため、彼をグロスター伯爵の召使だとする誤解が生じる。
残りの目をもえぐり出されようとするグロスター伯爵を救うためにコーンウォール公爵を止めるという行為は、身分の違いから考えて、当然死を覚悟してのことだ。
これはグロスターの家来にとって最高の忠義の行為であり、命懸けの行為であるゆえに「これまでで一番のご奉公」に違いない。
やられるのが片目だけで済めば、完全に盲目にはならずに済むのだから。
だが果たしてそうだろうか。
原文は、こうだ。
 servant :     Hold your hand,my lord.
   I have served you ever since I was a child ,
   But better service have I never done you
  Than now to bid you hold
これを見れば明らかなように、彼は公爵に向かって「あなたにお仕えしてきた」と言っている。
ここで公爵を止めたのは拷問されている伯爵の家来ではなく、拷問している公爵自身の家来だった。
公爵自身の召使いが、恐れ多くも主人である公爵を止め、その行為が「あなたさまに対する最高のご奉公です」と言うのだ。
一体どういうことだろうか。
それは、残虐な行為を止めることによって、自分の主人が大きな罪を犯すのを防いで差し上げることになるからだ。
そこには、罪を犯せばそのままでは済まない、相応の罰が下される、という共通認識がある。
それを防ぐことは、(片目が助かるグロスター以上に)むしろコーンウォールの方にこそ「ためになる」ことなのだ。
召使が主人のためにできる最大のこととは何か。
それは主人が最悪の状態に陥るのを防ぐこと、すなわち大罪を犯す(その結果恐ろしい罰を受ける)のを未然に防ぐことに他ならない。
このことはキリスト教圏では当然の認識だろう。
だから特別な知識がなくても、どんな観客でもすんなり理解できるはずだ。
この男が誰の召使いかということが、どの注解書にも載っていないのは、わざわざ載せる必要がないからだ。
調査したわけではないが、この点を誤解してしまうのは、キリスト教にうとい日本人だけなのかも知れない。

吉田健一という作家がいる。この人は翻訳家ではないが、『シェイクスピア』という評論の中で「リヤ王」のこの部分をこう訳している。

召使の一人:お控えなさい。
      私はまだ子供の頃から貴方にお仕えしていますが、
      お控えなさいと今、貴方に言う程、今までに
      貴方に尽したことはないのです。
ここではすべてが明らかだ。
他の翻訳家たちが誰も使っていない「貴方」という言葉を、彼は三度とも使ってくれている。
吉田健一は十代の頃から英国で教育を受けたので、英語がネイティヴ同様にできたらしいが、その代わり残念ながら日本語がイマイチで、
読んでいて何を言っているのか理解するのに苦労する時がある。
ここの訳も日本語としてこなれているとはとても言えないので上演に使うのは無理だが、彼のお陰で原文に当たらなくても人間関係が一発で分かる。

ちなみに、ここで一人の名もない召使いが命懸けでコーンウォール公爵を止めようとしたことは、ストーリー展開上大きな意味を持つ。
この男は背後からリーガンに殺されてしまうが、公爵の方もこの時負った深手が元で、まもなく死ぬ。
            ↓ 
 未亡人となったリーガンは、かねて惹かれていたエドガー(父と兄を策を弄して蹴落とし、庶子でありながらまんまとグロスター伯爵となりおおせた)に急接近 
            ↓ 
 やはりエドガーに惚れている姉ゴネリルは(夫がまだ生きているので)気が気でなく、ついには妹に毒を盛って殺してしまう。

つまり、この後の一連の手に汗握る展開も、この無名の召使いの勇気ある行為あればこそ可能となったのである。








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