植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

『生き物として、忘れてはいけないこと』

2005年06月29日 23時08分27秒 | 癌・病気の意味
 表題の本を読んだ。著者はコエン・エルカさん。サンマーク出版から。日本に長く滞在して日本名ももっていて、野性の中で長く暮らした経験から得た様々な彼女の思いを、日本の子供達、次世代の人たちに伝えるために著した本だという。

 エルカさんは北部・中央アジア出身でシャーマンの教えを抱く部族の出身。長じてアメリカに渡りネイティブ・アメリカンと共に生きた後、現在は日本で暮らしている。

 「自然」というより「野生」と共に生活をしてきた人で、人間を初めとしてすべての生き物が己の周りの命をもらって生きているという厳しさを、肌身から出た言葉で表現している。

 「どんな生き物でもそのいのちをとるとき、掟がある。その生き物の霊に許しを得、その生き物の霊に贈り物を捧げ、そしてその生き物に恐怖や痛みを与えてはならない。そしてすばやくその命をとる」

 「野生の森に入ったとき、たとえば人間の男はその森の一部となれずどこか動作がぎこちない。それが野生動物に恐怖感を抱かせるため、動物が近寄ってこない。だから原生自然の中で人間の男は動物の恐怖を呼び覚ますため、また逆に動物に襲われるのだ。女は生き物としてその輪の中に自然と入るので動物は女性を見ても怖がらない」

 「植物だって痛みを感じている。人間から遠い植物を取ればいい、というのはエゴだ。同じ命なのだから」

 「動物達は今日を生きるために必死になっている。今日足を挫けば食べ物を得られず明日には死んでしまう。死は決して遠い、概念的なものではなく日常の生のすぐ隣にあるもので恐怖するものでもない。人間は死が遠くなってしまったことにより日常の生の価値がわからなくなっている。そして死を恐怖するようになってしまった」

 「生き物にとって死は当たり前のこと。肉体はまた分子になって次の生命の基礎になる。魂は輪廻転生して『生き直し』て向上していく。変化していくだけ。ただそれだけ」

 「何のために働くのか」「どうして自殺してはいけないのか」「どうして人を殺してはいけないのか」「どうして学校に行かなくてはいけないのか」「なぜ男の人と女の人がいるのか」「なぜいじめがあるのか」などといった項目に分けて、上記のような文章で明快に述べている。

 少年少女向けに書かれているようだけれども大人こそ読むべき本。

 「男はいつまでたっても大人にはなれない。女は小さい時から大人である」という章が身につまされました^^。
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大祓

2005年06月28日 20時54分34秒 | 神道、預言、13の月の暦
 私の崇敬神社である目黒八雲の氷川神社で行われた大祓神事に行ってきた。大祓とはこの半年の間に我が身に積もった罪穢れを文字通り払って頂く儀式である。私にとっては初めての経験だった。

 昨日、神社社務所で形代を頂いてきたので身を清めた後に形代に必要なことをして持参した。午後7時頃からと聞いて6時半過ぎに神社に着いたのだが私のほかには神事を受ける方がいなかった。

 この氷川神社様は質素、素朴である。けれども今日思ったのだが私はこの神社、そして祭られている神々様が好きになってきたようである。何度もお参りしているうちにそうなってきた。今日、定刻まで神前の所定の場所に座って心を落ち着けて神事の始まることをお待ち申し上げている間、社殿内を改めて拝見していてそう思った。ご縁を深く頂ければ嬉しい。何といってもガン治療の神様であるので。

 しばらくして時間になったようで比較的若い神主様が出ていらして、神事の執り行いを始められた。大祓詞(おおはらえのことば)も今何をどのようなことを奏上しているかが理解できて心が入るようで良かった。そのあと恐れ多くも御幣の前まで罷り出でて拝礼することをお許し頂いたので、ありがたく拝礼申し上げた。

 神事の最中にたくさんの薮蚊に刺されたのには参った。神様の御前であり殺生はできないし、まして神事中に蚊を追う訳にもいかず、結局15分ほどの間、蚊に喰われるままになっていた。いつもの自分ならできない我慢だったと思うが、体のかゆみより身魂(みたま)の穢れを払うことの方が大事で、これも神様から試されているのかもしれないと思い、耐えられたのかもしれない。もっともそのあと家に帰りつくやいなや全身をかきむしっていたのだけれども。
 
 なんにせよ大祓を受けてきてすっきりしたことは確かで、これであと半年頑張ろうという気持ちになってクチナシ香る夕暮れの道を気持ちよく帰ってきた。神様、ありがとうございます。
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ブナ林→砂浴へ

2005年06月27日 20時37分23秒 | 個人的体験・雑感
 ブナの森にお連れする企画を考えていたのだけれども、結局立てられずじまいになっている。ブナの森のある場所が東京からは遠いという点が一番のネックだった。候補に考えていた山形の朝日連峰の麓にある朝日鉱泉ナチュラリストの家に行くには直行の登山パスを使うしかないのだが、そのバスは7月23日の夏山シーズンにならないと営業運転を開始しないので、5月6月の企画は無理だった。やっぱりせっかく行くのであれば良いところにお連れしたかったので。

 そこは季節はずれには人(登山客)が行かないのでバスを運行しないような山間地だけあって、鉱泉のすぐそばまで野生のカモシカが遊びに来るところだ。僕はこの宿を大朝日岳登山のベースに使ったり、日本海側の鶴岡市から入って大鳥池経由で以東岳、寒江山、大朝日岳、小朝日岳と連峰を縦走した時にも使った。朝日鉱泉ナチュラリストの家はいいところである。

 さて、そんなわけでもう週末は7月になってしまい、ブナ林ハイキングにお連れするよりも砂浴によい季節になってしまった。また今年も2~3回くらい砂浴を皆さんとしたいと思う。
 たぶん大磯海岸になると思うのだが梅雨が開ける頃に企画するのでどうぞ奮って参加頂ければと思う。参考までに去年の砂浴の写真を載せました。
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腸造血説で知ったサイト

2005年06月25日 21時47分35秒 | 癌治療・緩和ケア
 たまたまネット上で見つけたサイト。“腸造血説”でgoogleを検索したところヒットした合気道のHPなのだけれども、そこでは武人としての食養生で玄米菜食を薦めていて面白かった。昔のば徒侍(かちざむらい)と呼ばれた武士は甲冑から刀、携行食など併せて30kgを身に纏って戦場で戦うのだが、彼らは穀物食の少食が常であり白米は身が重くなるので食べなかったこと、肉はまったく食べていなかったらしい。それでいて戦場で致命傷を受けるまでは傷もすぐ癒えてまた闘い続けたらしく、その驚異的な能力の原動力は穀物菜食から来ていることを述べている。 

 よく読んでいくと古神道や日月神示、竹内文書、カタカムナなど出てくる一連のキーワードが僕のアンテナにひっかかり、結局サイト全文を読んだのだけれども、どれも僕にはたいへん参考になったサイトだった。

 西郷派大東流合気武術の霊的食養道のガン最前線速報の項目は、他の項目もそうなのだけれどもガン患者さんやその家族の方にも見て頂きたい。また、他の項目例えば「人間に許された食べ物」などでは肉食の禁などを理由を分かりやすく述べている。

 僕が自分のHPで「ガンを自分で治す方法」という項目を作っているのだが、そこに記載していることをよ分かりやすく詳しく説明している。参考にしてみてほしい。
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貧血処置

2005年06月24日 21時53分50秒 | 癌治療・緩和ケア
 がんに対する針灸治療の柱の一つに血液増産、血流改善措置を組み込むようにした。これまでは胃の氣処置や自律神経調整が柱だったけれども、腸造血説などから考えると鍼灸治療として脾胃の働きを良くすることが重要だと思えてくる。

 これまで鍼灸の書物の中からがんに関連するものは押さえてきていたが、新たに貧血などの治療方法も再度調べなおすことにした。

 陰陵泉、三陰交、手三里、内関、膈ユなどを使い始めている。
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今年の夏

2005年06月22日 20時36分37秒 | 地球環境、自然保護、エコロジー、ロハス
 久しぶりにまとまった雨が降ってくれた。しかし都会に降った雨はあっという間に排水溝から流されていってしまう。水を蓄える土が露出している場所はほとんどなく、また夏至の太陽に照り付けられるアスファルトからの反射熱、冷房機から出る廃熱で都会はあっという間にドライなヒートアイランドとなってしまう。

 これまでのところ今年の梅雨は雨量が少ないようだ。このままいくと飲料水の給水制限も出てくるかもしれない。今年も昨夏以上の厳しい暑さになると渇水が怖い。

 冷夏による農作物に打撃を受けた一昨年、大雨による土砂災害の多発した昨年、今年は渇水と酷暑による人的被害がでるのではないか、と危惧している。

 
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千島学説

2005年06月21日 22時50分46秒 | 癌治療・緩和ケア
 今、故千島喜久男氏が著した『血液と健康の知恵』を読んでいる。腸造血説など現代西洋医学と異なる視点の生理学や哲科学を提唱されていて、読んでいて興奮を覚える。

 ガンに関しての記述では「ガン腫の場合は赤血球からリンパ球を経て小型のガン細胞へ成長し、また赤血球のAFD現象によって大型のガン細胞への移行状態も見られる」など、ガンの原因が体内環境の悪化による赤血球の病的変化と捉えられているところが示唆するところが大きい。

 体内環境を穀物菜食や少食によって改善していけばガン細胞も正常赤血球に逆戻りするとも述べていて、とてもつもない可能性を秘めた提言だと思った。
 
 千島学説を学ばねばと思っていたところ、ある鍼灸師の先生が蔵書を処分したいので持っていけ、と言われてもらってきた数冊の本の中に『血液と健康の知恵』が入っていたのだ。これも神様からの学びなさいよとのおしるしだろう。ありがたいことです。
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ライトダウンキャンペーン

2005年06月20日 21時44分22秒 | 地球環境、自然保護、エコロジー、ロハス
 もう多くの方が知っていると思うけれども、今CO2削減・ライトダウンキャンペーンというものが行われている。
 今のこの日記は部屋の照明を落とし、みつろうキャンドルの灯と窓ごしの十四夜の月、篠笛の音をバックに書かれている。
 ちょっと非日常的でいい感じである。

 都会の夜の明かりは多すぎると思う。以前宇宙衛星から見た地球の夜半分の半球の写真を見たがアメリカ大陸と日本の異常な明るさが記憶に残っている。また北朝鮮の部分が真っ黒いシルエットになっていたのも印象的だったが。あの写真を見てこの星の行方を思ったものだ。

 前から夜間の照明はできるだけ落として星空を取り戻したいと思っていた。山の夜の満天の星空は人を厳かにしてくれると感じてきた。だから都市の夜景も好きではなかった。特に真夜中についている企業名のネオンサインは規制して欲しいと思ってきた。

 都心ではビルの屋上に山のように企業名や商品名の描かれたネオンサインが氾濫している。東京駅近辺の丸の内あたりなど夜間には会社員が帰宅し見る人もいないにも拘らず、ビルの屋上に煌々とともる光の看板。

 もし法規制により飲食、宿泊施設以外の夜間10時以降のネオンサイン点灯を禁止したら、都会の空はもっと漆黒に近くなり、またたく星も何倍することだろう。前に東京三鷹の国立天文台の台長か技官の方が新聞に同じ主旨の意見を表明していたことを思い出す。星を観る人たちにとっては都会は明るすぎ、観測も思うままにならないとこぼしていた。

 僕は思う。もし都会の道路街灯もすべて下向きに傘をつけることを義務付け、照明の光をすべて地表と水平以下に向かわせることができたら、空に向かって放たれる無駄な光がなくなり空は漆黒、足元はより明るくなって省エネになると思うのだけれども。

 とりあえずまずは足元から。
 しずかにみつろうキャンドルが炎を揺らめかせている。吸い込まれるような灯りは何も考えない時間に誘ってくれる。あなたも今宵、良い夢を見られんことを・・・
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表と裏の距離(現代医学と自然療法との乖離)

2005年06月18日 22時27分52秒 | 癌治療・緩和ケア
 治療は難しい。ある治療師の方から聞いた話。

 乳癌の方を1年近く診ているそうな。その患者さんは転移もあって現代医学では治せないという状況だったらしい。しかし自然療法のその治療師の方に出会って食事療法なども指導され、また定期的にも治療を受けていたという。

 ところが食べ物については厳格な食事療法が守れずよく脱線して邪食をしてしまう方だそうで、マクロビオティックの先生からは3ヶ月で治るはずといわれていたのが長引いていたらしい。そして子供の頭くらいにまで癌が大きくなってしまったのだが、生姜湿布などの手当てを続けているうちに崩れるように癌巣が小さくなったという。

 特に一番効果があったのは1週間ほど痛みで何も食べれなかったことだったそうでその間じゅうにどんどん崩壊して小さくなってしまったそうだ。足のむくみなども絶食の期間中にまったく元通りになってしまったらしく、やはり癌の原因はその人の普段の大食からくるものだったのだろうと治療師の方は言っていた。

 そしてもう少しで癌も全部崩れ落ちて無くなるという寸前まで行った時、気が緩んだのかいきなり豆腐一丁、まんじゅう8個を食べたらしく、そうしたら途端に今まで崩れ落ちていった癌からの出血が止まって、またむくむくと巨大になってしまい、同時に足も首肩もパンパンにむくんでしまったという。体から外に排泄する力が失われてしまったわけである。

 治療師の方もそのような状態では自然療法が間に合わないので急遽入院を薦めて入院したところ、医師から血液検査の結果貧血状態である、特にアルブミンという蛋白成分が足りないと説明されたらしく、それを聞いてこれまで癌が小さくなったにもかかわらず、治療師の方に「信じられない」と言いだしてしまって関係が悪くなってしまったとの事。

 玄米菜食などの食事療法で癌が小さくなっている時に、なんらかの症状が出て西洋医学的診断を受け貧血と診断されると、患者も心配になって栄養剤の点滴を受け入れることになり、そのためかえって癌がまた増大し始めることがある。

 これは私たち非西洋医学的治療者の説明不足、力量不足、信頼獲得不足でもあるとは思うのだがいつも思うとても残念なことだ。西洋医学的検査の診断結果を十分参考にしながらも、それのみで判断せず自信を持って患者さんが取り組める非西洋医学的治療を模索していきたいと思う。

 それが表の医学と裏の医学の間の距離を縮め、将来の統合医学につながっていくことなのだと思う。
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日々思うこと

2005年06月17日 22時13分33秒 | 個人的体験・雑感
 今日の患者さんは前立腺癌の方が二人、胃癌、肝臓癌、子宮癌の方がそれぞれ一人ずつだった。肉体の治療に専念した人もいれば霊的な治療がメインな人もいた。いくらかでも役に立っているといいのだけれども、いつも一日が終わってみればあれで良かったのか・・・と思うことばかりだ。

 技術、思考、霊性は遅々として進歩せず、ただ徒に日々が過ぎていくようにも思える。でも嫌いな仕事、我慢をしなければいけない仕事をしていないことには十分感謝しており、このままゆっくり歩みたい。
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『「いのち」からの贈り物』宮迫千鶴

2005年06月15日 21時08分06秒 | 個人的体験・雑感
 表題の本を読んだ。以前から本棚に置いてあったのだがまだ読んでいなかった。
 
 肺ガンで亡くなった彼女の父親の死を通して彼女が体験していく内面の世界、医療のこと、そしてスピリチュアルなことが時系列に語られていて、そのどれもが僕と接点があるようで親近感を覚えた。

 加藤式粉ミルク療法・・・父親の治療として彼女が気にはなっていたが採用はできなかった療法。その療法の背景は腸造血理論の「千島学説」であり、ちょうど今僕がマクロビを学ぶ一環で読み始めているところ。

 『奇蹟的治癒とはなにか 外科医が学んだ生還者達の難病克服の秘訣』(バーニー・シーゲル著、日本教文社)『死ぬ瞬間』『新・死ぬ瞬間』(キューブラー・ロス著)からの洞察。

 恐山のイタコによる霊的ヒーリングを受ける、カタカムナに出会っている、潜象を知り、オーリングテストに出会い、樹医の山野忠彦さんと植物さんの三上晃さんの本も読んでいる、インディアンの本に触れ、シャーマニズムにも興味を持ち、その後導かれるようにこの国のネイティブピープルであるアイヌの人たちに触れるツアーにも参加している。佐藤愛子さんの著作紹介で美輪明宏さんがでてくる、僕が学んでいる自然医学にも触れ、天河神社にも訪れ、「私の今回の人生の目的は何か」を探しはじめ・・・と、とても僕の精神世界の学びと近しい歩みをされているように思えた。

 彼女の住んでいる伊豆高原は僕の母方の田舎である伊東市にあり、伊東は墓参りで年に1~2回は必ず訪れるところだ。ご縁があればいつかはお会いしてお話してみたいと思っている。

 
 
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横笛を習おうかと・・・

2005年06月14日 21時45分13秒 | 天音、玉音、ハープ
 
 最近知ったことだが、この国には多くの古戦場が残されておりその跡地近辺の家では今でも不思議な病や災いが起こることが多いそうだ。そしてその近辺にある祠や神社を近郷の人が祭るとしばらくはそれらの災厄がおとなしくなるそうである。しかし災いが起こらなくなったり祠や社が朽ちてくるとまた災いが起こるそうな。

 霊視ができる人が見ると何百年前の合戦後では今も毎晩肉体を失った人たちが合戦を続けているらしい。哀れとしかいいようがない。

 僕は治療を学ぶことを通して人の死後にも霊としての存在があるのではないかと思うようになった。そして霊界の下層つまり幽界では人々が己の悪想念に囚われて苦しんでいることも学んだ。そういう苦しんでいる人々を癒してより高い霊界に進んで頂く手助けをこの世の私たちが出来ることも知った。

 だから今も苦しんでいる人々をお慰めするために楽の音を奏上したいと思うようになった。今は手元にアイリッシュハープがありこの世の人々にはそれなりのお慰めの道具になっているのだけれども日本全国に持ち運ぶにはちょっと大きいことと、古い時代の普通の人々の心に訴えるにはやはり篠笛などの古来から日本にあった簡素なものが良いのではないかと思ったのだ。

 そういえば昔勤めていた病院の鍼灸師の同僚は篠笛を吹いていた。それをしてみたいと思っている。今は能管、篠笛、篳篥の区別もつかないのだが鎮魂のための音を吹けるものが適当だ。ハープもそうだが初めだけ少し吹き方を習ってあとは独学でいくだろう。
 
 邦楽家になるわけではないし、この世の人に聞かせるためのものでもない。演奏技術を高めるほうに向かうのではなく、目の前の空間にいるはずの方達に心を届けられればよい。静かな野辺に立って古の時代に無念の思いで他界された方々を思い起こし笛を奏でる。できればその方達に僕の笛の音で光に変わっていって頂けるきっかけをお届けできればと思うのだ。

 私たちはこの世だけで良くなっていくのではないそうだ。霊界の事を良く学び、想念の威力を知っている人々があの世に向けて愛情を注ぐことで霊界の下層である幽界に留まっている人々を助け得るのだそうだ。

 だから微力ながらできるところから始めようと思い、横笛の類を学ぼうと思っている。また聞くところによるとあの世ではこの世で学んだ技術をそのまま継承していくそうだ。だから笛も良いかもしれない。幸い僕は来世も治療家らしいので来世では笛を吹いて感情、魂を癒しているのかもしれない。
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頑固と信念の堅さ

2005年06月13日 20時26分00秒 | 癌・病気の意味
 『言霊・八峯録』小笠原壽久著、八甲田神社刊より

  頑固と信念の堅さとは 似て非なるものである。
  一つは 他の良いところも 取入れることをこばみ
  一つは 他の良きものを どしどし取入れて
  己れの信念を固めてゆくのである。
 
 
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背後霊・守護霊

2005年06月11日 20時52分14秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット

 今日は霊的なことについて。『霊訓』モーゼス著、近藤千雄訳、心の道場発行より。

背後霊 
 地上に生を受けた霊(人間)の使命達成と罪障消滅を目的として陰から守護・指導・援助する霊を指す総合的な用語。
 本人の魂の親である守護霊(ガーディアン。類魂(るいこん)の一人)を中心として複数の指導霊(ガイド)と支配霊(コントロール)が含まれる。
 
 背後霊は必ずしも指導する目的で付くのではない。そういう場合が一番多いのであるが、時には背後霊自身にとっての必要性から付くこともある。が、その場合でも人間を教え導くという傾向は自然に出てくる。

 また時には特殊な使命を帯びた霊が付くこともある。性格に欠けたものがあって、それを補ってやるために、その欠けたものを豊富に有する霊が選ばれることもある。反対に霊の側に欠けたものがあり、それを身に付けるために適当なる人物を選ぶという場合もある。これは高級なる霊が好む手段である。

 己の霊的向上の為に敢えて指導が困難で不愉快な思いをさせられる人間に付くことを自ら希望する霊もいる。その人間と苦労を共にしつつ向上していくのである。何ら特殊な使命を帯びていない人間の背後霊は、魂が向上するに従い背後霊が入れ替わることがしばしばある。  

 与えられた宿命に甘んじ、己の成長と同胞の福祉の為に精を出し、神を崇め、神に奉仕し、背後霊の指導に素直に従う者こそ、地上生活を最大限に活用した者と言えよう。

 守護霊 Guardian,Guardian angel
  地上に生を受けた霊(人間)と同じ霊系に属する類魂の一人で、誕生時あるいはそれ以前から付き添い、他界した後にも、事実上永遠に切っても切れない絆で結ばれている。

  本来の使命は本人の地上での使命の達成と罪障消滅すなわち因果律を成就させることであって、それを挫折させまたは阻止せんとする勢力から守ってくれることはあっても、ぜひとも体験せざるを得ない不幸や病気などの“魂の試練”まで免除してくれることはしない。

 英語でGuardianという守る、という言葉から、人間を災いから守ってくれる存在であると誤って捉えられていることが多いがそうではない。本人の成長の為に敢えて救いの手を出さず涙を流して見守っていることも多いと言われている。

 注:ウィリアム・ステイトン・モーゼスは1839年にイギリスに生まれた。オックスフォード大学を卒業後、国教会の牧師の職についた後、小学校で教鞭もとっていた。1871年から1882年までの10年間にわたり、いわゆる“自動書記現象”(=突然右手が動き出し猛烈な勢いで字を書き出してしまう)が起こる。本人の意識とはまったく別に、本人が違うことを考えても手は勝手に意味のある文章をつづっていくというものでいわゆる神懸りである。

 この際に出てきた霊は相当な高級霊に率いられた霊団であり、何人もの違う筆跡で自動書記は書かれ、時にメンデルスゾーン、ベートーベンも出てきている。

 モーゼス自身は頑固なキリスト教の国教会の牧師であったのだが、霊団からのメッセージはキリスト教の誤りを徹底的に指摘するものであったので、牧師であるモーゼスは当初非常に反発していた。

 しかしモーゼスがキリスト教の根本教理にのっとって論駁するもすべてにおいてかんで含めるように説得され、かつその時の雰囲気がいかにも高次な霊が降りてきている心地よい厳粛さを感じさせるものであったことなどから、得心するまでには10年の歳月がかかったもののスピリチュアリズムと呼ばれる考え方にモーゼスは傾倒していった。

 上の背後霊、守護霊はそのモーゼスに懸かったインペレーターと名乗る霊(のちに紀元前5世紀のユダヤの預言者で旧約聖書の“マラキ書”編纂者であるマラキと身元が判明した)が説明したものであり、霊界の人間からの説明であることを理解されたい。

 

 

 

 

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感情に対するアプローチ

2005年06月10日 20時20分31秒 | 波動(意識、想念、感情、医療等)
 今日教えてもらったこと。

 がんを治す肉体的アプローチと霊的アプローチは学んでいたけれども感情的アプローチについてはあまり学んでいなかった、ということ。その方は感情的問題への対処の一つとしてバッチのフラワーレメディを学んでいるとのことだった。

 フラワーレメディについてはマウントフジヤマやフィンドホーン、オーストラリアンブッシュなど数多くの方法があるようだけれどもいずれも僕は感情的アプローチというよりも植物という物質として見ていたと思う。感情に働きかけるものとしての本質的理解がなされていなかったのかもしれない。

 この世においては肉体、感情、霊の三者のバランスが重要であると言われている事を考えれば感情へのアプローチをおろそかにはできない。これらについても学びの時が来たようである。
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