先日、「人生フルーツ」という映画を渋谷のアップリンクに観にいった。
リタイアされた老夫婦が自家菜園で暮らす映画だと思っていたが違った。たいへん良かった。
さっそく帰りしなにロビーで『ききがたり ときをためる暮らし』(つばた英子・つばたしゅういち著、自然食通信社、2012年発行)という映画のお二人の著書を買った。
「ドイツのフランクフルトのような大きな都市でも、みんながクラインガルテン(市民農園)を持っています。そもそもドイツでは、産業革命期に失業対策事業を兼ねて市民の手で開墾させた農園から始まったもので、二度の対戦の際には食料自給難の克服のために、そして第二次大戦後は戦災で住宅を失った市民に、400平方mを超える一区画が再分配された。
ですから街がごちゃごちゃに混み合っているような所であっても、みんな自分の土地を持って暮らしているんです。ロシアだって「ダーチャ(自家菜園)に学ぶスローな暮らし」と言って、政治の変革や、戦後の変革があっても、庶民がダーチャを持ち、一人一人の暮らしを安定させていたから、なんとか激動の時代を切り抜けてこられたわけで。
ヨーロッパは耕す庭が欲しいといえば、年金・福祉に続く第三番目の社会保障制度として、その庭を提供してくれることが約束されているんですね。つまり「庭のない住宅は、住まいとは言えない」という庶民の考え方が、ヨーロッパ社会を安全に支えている、と言ってもいいと思います。与えられる福祉に頼らず、自立するシルバーを育てるための社会的工夫でもあって」(p61-62)
→ヨーロッパではそんな制度があるんだ!と驚いた。社会保障制度として庭を提供してくれる、という。素晴らしい。
日本でもそうすべきだ。今はとくに人口減少ステージに我が国はなっていて、空き家率が都市、地方でもどんどん増加している。であれば、政府がその空き家の建物、土地を積極的に買い取って、「ダーチャ」に変えていくような夢のような手はないのか?
土と共に暮らす方向に持っていきたい。自分の食べるものをはじめはもちろん少しでいいから自給していきたい。ちょっとでも市場経済から離れている部分を増やしたほうがより自由に生きられるから。
自由が丘のこの治療院の狭い庭に、これまで捨ててきた枯れたびわの葉を木の根元に積み重ねて堆肥化を図っている。湿った環境にあるのでよく見てみるとダンゴムシが山のように葉っぱにたかって一生懸命食べているのがわかる。すごいすごい、ちゃんと分解してくれているんだとわかる。この数年、毎年6月に成るびわの実が数は多く味は良くなっているのはこの堆肥のおかげだろう。
土はちょっとした人の手入れで格段に変わるんだね。そのように面白い「土」の上で自分の好きなように植物を育てることはとても楽しい。この楽しみを日本のどこででも楽しめるような社会に変えていきたいと思う。