昨日5月4日(日)、渋谷区代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターにて開催された日本エドガー・ケイシーセンター設立20周年記念講演会に行ってきました。僕はまだケイシーセンターの会員ではないのですが、ケイシー療法でがん治療をしていますのでケイシーのお話しが伺えると思い参加させて頂きました。
会場は300人近い人が参加されていまして、開演10分前に入った私は席を探すのが大変でした。でも盛況なことはとっても喜ばしいことでした。
始めにケイシーセンターの光田秀会長が挨拶され、その後韮澤潤一郎たま出版社長、江原啓之さん、光田秀会長とお三方がそれぞれ1時間半ずつほど講演をされました。午後2時に始まって終わったのが7時過ぎという5時間を超える長丁場の講演会でしたがとても学べました。ありがとうございます。
韮澤さんのお話しもたいへん面白かったです。光田さん解説によるケイシーの写真やセンターのこれまでの活動の写真もたいへん興味深かったです。夢解析が霊的探求には絶対外せないとのことなので、さっそく本日アマゾンで関連書籍を頼んでしまいました。また、私たちはここに「時間」「空間」「忍耐」を学びに来たというケイシーの話しもなるほどと思った次第です。
以下は印象深かった江原さんの講演のメモです。
・「イエスは霊的再臨する」というのは肉体を持ってこの世に再び生まれてくる、ということではない。私たち一人一人がそれぞれイエスのように救世主として生きていくことを意味しています。人間とはこの世に肉体を持って生まれて来て、ここで魂を向上させるために生きていく存在、ということを理解して生きている人々のことをイエスの霊的再臨という。
・一人一宗教。一人一人違うけれども、あなたはあなた自身の宗教を生きていく。そのためには“自律=自分を律する”ということが大事です。どういう人生を生きるかということを体現していくこと。こんど『あなたは死に方を決めている』という本を出しますので読んで下さい(笑)。
・今の世の中、宗教は力を弱め替わりに一人一人が力を付けてきています。人はそれぞれの価値観を大事に生きていく、という点でイエスの再臨は既に始まっているのです。私自身も2000年を境に世に出ました。
・私はエドガー・ケイシーもイエスの霊団の中で役目があった人だろうと見ています。
・「死=悲しい」という価値観から「死=寂しい」という風に世の中の死に対する捉え方が変わって来ています。
・スピリチュアルなことの理解の広め方は時代によって違っていました。
・始めは「物理的心霊現象」の時代
この時代は客観的心霊現象が多く現れた時代です。ラップ音やポルターガイスト現象、アポーツ(物質の瞬間引き寄せ術)、フィリピンやブラジルでの心霊手術などの実際に目で見え耳で聞こえる現象を現して、現代科学で説明できないことがあることを理解させる方法が取られていました。
・次に「精神的心霊現象」の時代
「ヒーリングの時代」
・「死とは肉体を脱ぎ捨て幽体・霊体になること」であり、「第二の死とは幽体をも脱ぎ捨て霊体=魂だけになること」
・病には3つある。「肉体の病=過労や不摂生など」、「幽体の病=感情、思い癖によるもの」、「霊体の病=宿命の病」です。
・病のメカニズムとして一番多い病は「幽体の病」つまり感情、思い癖が原因の病であり、これが肉体に悪影響を及ぼしていく。そしてついには寿命にまで影響を与えてしまう。
・イギリスのハリー・エドワーズによるスピリチュアル・ヒーリング(ハリー・エドワーズの超能力で患者を治すのではなく、ハリーは単なるパイプとなることで霊界からの圧倒的なパワーによって瞬時に患者を癒してしまうヒーリング)は、霊体を始めに癒すことで幽体、肉体を次ぎに癒していく。(ハリー・エドワーズの方法では患者に依存心を育ててしまうという側面もあった。ハリーの存在は人々にああいうものもあると気付かせるためのものだったのでしょう)
・エドガー・ケイシーのフィジカル・リーディングによる治療は、まず肉体を始めに癒しそのあと幽体、霊体を癒していく。不思議な情報源からの治療によって実際に病気が治ることを体験してもらうことで人々に我々の存在は単なる肉体だけではない、と気付きのきっかけを与えていたものと言えるでしょう。ケイシーは肉体だけでなく魂の成長が大事だと人々に気付かせていったのです。
「霊訓の時代」
・ホワイト・イーグル、シルバーバーチ、モーゼスほか様々な霊訓が各地に降ろされ、人々に伝えられていきました。
「実践の時代」
・そして今が実践の時代です。一人一人が自分が人間とはどういう存在なのかということを理解し、それぞれが救世主になっていく時代。周りのいろんな人を見て、学んで、そして自分で実践していく時代。
最後に江原さんは「伝えること」「人に寄り添うこと」をしていく、自律し、生きる意味を人に伝え、人をサポートし皆を支えていくこと。これが世の中に必要とされていることと言われていました。考えてみればそれはすべて“愛=神性”の発露なんでしょうね。
一人一人が自分の立ち位置で、自分なりの様々な方法で愛を発露していくこと、それが私たちに求められていることなのでしょう。