かぜさんの日記を読んでいて、参考になると思ったので、UPしました。
心はエネルギーだから、家族の心配や不安、自己否定の気持ちが患者さんの痛みに繋がっており、また、患者さん本人が自分に痛みや症状があっても、家族への思いやりをもつことで、自分の身体が楽になるとか。
家族の方、患者さん本人に参考になるのではないでしょうか?
以下、かぜさんの日記です。
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昨日も、すーべるぴっぽさん夫妻から電話したい
深夜1時半、電話に出ると胸が苦しく呼吸も困難で、身体は肋骨周辺が酷い激痛に襲われます。
この激痛は、彼が抱えている心の問題を教えるチカラなのですから、
最初はうめき声意外には、話す言葉の欠片を出すことも不可能です。
その状態から、どんな心がこの激しい痛みの原因、胸の痞えの原因なのかを探していくわけです。
この探すという行為は、ただ感覚で受け取るのみなのです。
人間には知覚というものがある訳ですから、それをフルに活かすといった感じです。
さっき、書き上げた記事が消えたので、部分的にアップしつつ書いていきますね。
胸の苦しさは
「『わからない、わからない、どうしたらいいのか分からない』そういう心があるようですよ」
伝えると
「妻が今日は一日、そうだったみたいです」
そうなんですね、妻が持っている心も夫の苦しさの原因になる訳です。
こんな子とは、ほぼ誰の知識にも無いと思います。
夫自身は、自分の身体の苦しさを持って、妻の心の痛みを知る。
「そんなに痛まなくてもいいよ」と言ってあげられればいいのですが
つい、自分を病人にしたままだと、病気の症状の所為だと錯覚してしまいますから、相手の心を解きほぐすことなど忘れてしまうのですね。
このことから考察すると
患者さん自身も、自分を患者にしたままにしないこと
自分の心の痛みにばかりはまらないことが大切ですね。家族も自分がどうすればいいか分からない心の痛みを持っていることを知り、支える心も必要になってくるわけですね。
決して 自分一人を悲劇の主人公にしてしまわないことが大切なんですね。
家族の心に安心を与えようとする、思いやりの心は自分の身体を楽にもするわけです。
心はエネルギーであり、人と人の間に、心は行き交っているわけですから
相手の心を軽くする思いやりの行動が出来ることで、自ずと自分の身体が楽になるわけです。
様々なことを午前三時近くまで、電話しているうちに、彼は楽になられました。
でもでも、今日のこにたんさんの日記を読むと、また朝ご主人はきつかったそうです。
実は そうなることは判っていました。
何故かと言うと、最後は充電器に繋がっているのに、電話はイキナリ通話不能になりました。
楽になる言葉を言って差し上げてから 電話を切ろうとしたのですが
その言葉を言う前に、電話は通話不能になりました。
なぜ通話が不能になったのか
何度も、電源を入れようとしても入らない
そんなままに通話が終わったので、なにかしら心に残る物がある
自分で充分な報恩の心になっていなかったことを、自分を最低だと思われた。
それでは、身体はきつくなってしまいます。
もしも、自分のダメな所を気付いたとして
ダメな所に気づけたことを、良かったこととして、ありがとうの心に出来ることが大切です。
自分のダメな所を見る、気付く時
心をムダに落ち込ませたままではいけません、決して身体によくはないのです。
気付かないままより 気付けたことが良かったことなのです。
気付くことで、変わって行き易くなるのです。
自分をダメだと落ち込んだままの心も、実は自己中な心なのですよ。
(以上、かぜさんのミクシー日記(2009/10/4)より)
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