植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

購入した本

2005年09月30日 18時23分10秒 | 癌治療・緩和ケア
 『癒しのメッセージ』(リチャード・カールソン他編、上野圭一監訳、春秋社)→てるっちさんに薦められて。

 『セラピューティック・タッチの技法』(D・クリーガー著、上野圭一監訳、加治未央訳、春秋社)→『バイブレーショナル・メディスン』でクリーガー博士のセラピューティック・タッチの試みについて触れられていて興味を持った。そのテクニックを知りたいと思って。

 『ミッション・オブ・ラブ』(ロジャー・コール著、上野圭一監訳、小池美和訳、ビイング・ネット・プレス)→“読まねばならない本”の一つ。終末期のスピリチュアル・ケアについての本。

 書いていて気付いたけどみんな“上野圭一監訳”なんだよねぇ。不思議・・・

 『陰陽師13』(岡野玲子)→(笑 最終巻ですからねぇ、読まない訳には行かない・・・

 『いのちの田圃』ガンの患者学研究所発行の冊子。→今日57号が届く。安保教授と川竹氏の対談が載っているようだ。
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“知る”ということ 『母なる風の教え』から学んだこと2

2005年09月29日 22時00分25秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 デイブ:「わしが教えたヘビの歌を、お前は知っているかね?」
 ベア・ハート:「知るというのがどんなものか、ご存知でしょう。歌うことはできますが、知っているかどうかは自分でもよくわかりません。歌えるというだけで、あの歌の内容を経験したわけではないんですから」
 デイブ:「それが正しい答えだ。お前が知っているかどうかを確かめてみよう」

 この後ベアハートはガラガラヘビの巣窟を“ヘビの歌”を歌いながら歩き回る試練を受ける。この時、彼は恐怖と戦いながらその歌を歌うことでそこで太古からの歌の中に説明のつかない力を感じ、その歌に自分をゆだねることでガラガラヘビの攻撃を受けずにこの試練をやり過ごすことができた。ヘビの歌はただの歌ではなく、それを歌えば古から連綿と続いてきたパワーを授かることを身をもって体験したわけである。

 僕は本から、人の講演から様々な知識を得てきた。しかしそれは自分の体験ではない。“知る”ということについて次のような文もあった。

 「ああ、確かにお前は多くの本を読んだ。だが本に書かれているのは、他人の思想や経験だ。お前が知っているわけではない。お前はそれについて聞いたり読んだりしただけなのだ」

 「児童発達に関する講座をとって、親になる心構えができたと思ったとしても、実際に自分の子供を持つまでは教わったことがなんの意味も持たないのと同じことである。つまり昔から言われているように、自分自身で経験するまでは知っていると言うな、ということだ」

 「学校へ行ったり、本を読むのをやめろと言っているのではない。あらゆる授業をとり、なんでも読みたいと思うものを読んで、自分の可能性を切り開けばいい。だが、他人の経験したことを学んでいる限り知っているとはいえないのである。出かけていって自分でやってみて初めて知っていると言えるのだ」

 ここまで読んできて、この世で学び吸収するものをどこまでの範囲にするかに考え至る。「後から自分が実践できそうなものまでを学ぶ範囲とする」ことが適切だろう、と。例を挙げれば、最近買ったメルキゼデクの『フラワーオブライフ』に示されているような他人のチャネリング等によって知らされた秘教的、霊的知識をいくら貯め込もうとも今の僕にはそれを実践できるわけでもないし、将来もそれは実践できないだろう。ようは自分の身に付かないだろう。

 「自分でやれるものを学ぶ」、この姿勢が霊的なものを学ぶ点でも大事だと思う。レイキ、手かざし療法、遠隔治療など霊的治療も実際に体験することがやはり重要なのだ。

 でもここまで書いてはたと気付く。『シルバーバーチの霊訓』やスピリチュアリズム、他の霊界通信によって知らされた死後の世界も聞いたり読んだりしただけで自分の経験ではない。これを自分で確かめるためには自分で死んでみないとわからない(笑)。しかしそれは難しい。モンロー研に行って体外離脱の経験も必要となってくるか・・・。“知る”ということは難しい。
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お知らせ ブックマーク改編

2005年09月29日 20時11分00秒 | 個人的体験・雑感
 当サイトの左欄のブックマークは二週間前後で改編していきます。本日改編しました。 本当はお勧めしたところをすべて残していきたいのですが、どうも数多くは表示できないブログサイトの設計のようで、既存のサイトをブックマークから泣く泣く外して新規のところを紹介している現状でとても残念です。

 そんなわけでどうぞ新規のサイトもまた消えないうちに一度訪れてみて頂けると嬉しいです。
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私の癌の捉え方

2005年09月29日 09時17分31秒 | 癌・病気の意味

私の癌の捉え方

1.癌は治るものと考えています。

 論より証拠。治っている方が多数いらっしゃることを知ってください。一昔前のテレビドラマで象徴的に扱われてきた“不治の病である癌”という間違った呪縛から早く脱却してください。たとえ癌の専門医に「難しい」と言われたとしてもその専門医の知らない癌の治療法で自ら治している方がいることを知ってください。  
具体的に治した方を挙げていきます。 寺山心一翁さん。48歳で右腎臓癌。摘出手術、抗がん剤、放射線治療を受けその後、肺など他部位に転移したもののその後自己治療に目覚め全治。今年69歳で今もお元気です。寺山心一翁HP
 伊藤勇さん。1996年に前立腺癌全身骨転移で末期の告知を受けてから8年がたちました。2004年3月に癌が自然退縮しました。癌を明るく生きるというサイトをお持ちです。
 加藤一郎さん。膵臓癌を徹底した玄米菜食で克服。克明な闘病記は彼のサイト膵臓癌を告知されへ。
 門多悦子さん。胃がんを自然療法の自助努力で克服され今では自然療法の治療師として活躍されています。治療院は養生庵です。
 もっとお知りになりたい方はNPO法人ガンの患者学研究所が監修している『いのちの田圃』という冊子に数多くの実例が載っていますのでご参考下さい。 治し方は一人ひとり異なりますが治った人が山のようにいらっしゃることは事実です。 医師が「もう打つ手がない」「末期です」と言ったとしても治った方はいるのです。“癌は治るもの”です。

2.癌の治し方は一人ひとり異なると考えています。

 私達一人ひとりのこれまで歩んできた人生が異なるように、癌が生じた原因も異なるはずです。誤った食生活や不健康な生活習慣といった単純なものから、人間関係によるストレスなどによるもの、あるいは過去生からの悪想念の解消の機会といった霊的なものまで、さまざまな要因が混ざり合い重なりあって発症するものが癌ではないでしょうか。 「癌を治すにはその人の全体を見て当たる必要があり、当然癌の治し方は一人ひとり異なったものになる」と思うのです。

 原因が異なれば対処が異なるのは当然です。最先端の医学知識で作られた抗がん剤でさえもそれは物質的な側面だけからのアプローチに過ぎず、癌の根治には至らないでしょう。科学的データがあるものだけによる画一的な癌治療は不完全です。患者の体質といった個性を考慮に入れておりません。

 最近ようやく漢方などの西洋医学以外の治療法が脚光を浴びるようになって患者の体質も考慮に入れた癌治療が取り入れられ始めました。しかし漢方といえどもその医学体系は物質としての体を対象としたものであり、心理的、霊的側面のアプローチがありません。

 またサイモントンなどによる心理的アプローチも諸外国では積極的に取り入れられ、一部には瞑想といった霊的側面も見られ始めております。

 ホリスティック医療といった全人的に人を見る医療が叫ばれ始めています。(ようやく人類は体の治療を通して霊的な存在に気付ける段階まで来たということです)  しかし残念ながら今の日本には全人的に私達の癌治療に当たってくれる医療機関は皆無といっていい状況です。ですから私達は自分で自分の癌を治してゆくよりほかないのです。

3.癌を治すのは本人であると考えています。

 私達の体を一番良く知っているのは他人ではなく他ならぬ私達自身です。何を食べてきたか、どういう生活習慣を送ってきたか、どういうストレス、事故、怪我の経験があるか・・・自分のことを一番知っている自分が、自分の主治医にならなくてどうやって自分が作った癌という病気を治せるのでしょうか?

 癌は私達が体、心、霊といった私たち一人ひとりが携えている器をどう使ってきたかを表す通信簿のようなものではないでしょうか。今回だけの人生ではなく前世から持ち越してきた課題もあるかもしれません。そういう“象徴”として癌を捉えるならば癌を治すのは他人にはできないはずです。私たち自身でしか治せない病のはずです。ですから「癌を治すのは本人である」と考えているのです。

 ただ「自分のことはよく分からない」のが人の常です。ですからこの時、肉体面のみならず心理的、霊的な視点からもアドバイスできる力を持った支援者の助けを借りることが重要になってくることでしょう。

4.自分を癒すことが癌を治すことにつながると考えています。

 あなたがこれまで肉体的に、感情的に、精神的に経験したことの積み重なりが今のあなたの生命エネルギーを形作っています。私たちの体はただの物体ではありません。生命力、エネルギー、気、魂、霊、心といった目に見えないものが私たちの本当の姿=本体であり、この肉体はその生命力が様々な経験をするために使用する体、いわば器です。

 たとえば幼少期に言われた心無い一言によりずっと心に傷を負ってきたことなどは今のあなたの生命エネルギーの場を歪ませたり、弱くしているかもしれません。あるいはずっとしたかったことができずにいることでエネルギーが鬱屈していることもあるでしょう。

 そのような生命エネルギーの場の歪み、欠如が肉体に現れたのが病気であり、その一つが癌だということです。ですから癌を手術で取り除いても、抗がん剤や放射線で叩いても根本の生命エネルギーの場の歪みを直したりエネルギー自体を補充しない限り、また癌が再発してしまうのではないでしょうか。

 自分を癒すと生命エネルギーに満たされます。それまで精神的、物質的に人の支配下に置かれていた人がそこから離れただけで再び生き生きと輝き始めます。幼い頃親の反対にあってできなかったピアノを始める、とか絵を描くといった自己実現も自分を癒すことになりますから大きな治療力になります。

 ただこの場合大事なことはわがままになる、ということではありません。わがままに自分勝手に好き勝手に行動することは単なる自己を甘やかすことであり、これでは低レベルの自分癒しになってしまい生命エネルギーは発動しません。

 大事なことは生命エネルギーを賦活させて歪みをなくすことで癌を不要とすることです。生命エネルギーが満ち溢れれば癌はその存在意味を失って自然消滅、自然退縮していきます。  人は他者に必要とされることで自分に力があると感じることができ、そのことによって生命エネルギーが俄然強くなるものです。子供ができてお父さんがより仕事に頑張るようになるのがその良い例と言えるでしょう。 逆に会社をリタイアしたり伴侶を失った時には免疫力が落ちて病気になりやすいものですが、これはそういう事態に遭って自分の力が失われたと感じることによる生命エネルギーの減少が形になったもの捉えることができると思います。。

 自分の生命エネルギーを損なっているもの(例えばトラウマ、悲しみや憎しみといったマイナスの想念など)を自分自身で探り出し、それを解消していくことで生命エネルギーを生き生きとさせていくこと、このことが自分を癒すことになり癌を自分で治すことになると思うのです。

5.癌を治す過程で魂の成長を遂げることが癌の意味だと考えています。

 そのような自分の生命エネルギーを損なっているものと面と向き合ってそれを克服していく過程では何が起きているのでしょうか?私はそれは霊的成長、魂の成長だと思っています。  私達はこの世にあえて試練を受けるために生まれてきています。それは試練を受けることで魂の成長、霊的成長が為されるからです。私達は生まれる前から次の人生はこれこれこういう試練を自分に課してこれだけ霊的に成長しようと計画してこの世に生まれてきます。癌はそういう試練の一環である場合があります。

 病気、災難、苦労・・・こういったものを私達は避けようとします。「大過なく過ごしたい」のが人生です。でもそれでは私達は成長しません。私達は困難に遭ったとき発奮してそれを乗り越えてこそ成長します。癌を治すために自分と向き合い、これまでの自分を厳しく問い直しそしてこれから先の自分を修正していくことは大変困難なことであり、痛みを伴うことです。しかしこの試練こそが私達を向上させていくのだと思います。魂の成長、霊的成長、これこそが“癌の意味”ではないでしょうか。

6.私の役目はその魂の成長の支援をすることだと考えています。

 私はこの間に霊的視点からの物事の見方を少し学びました。そしてこれまでは肉体面、心理的面からのみの視点で癌治療を行っていたことにようやく気付きました。  人間や他の全ての生命が霊的存在であると捉えることができた今の私の願いは、患者さんが癌を治す努力をする過程で多くのことを学び、単に体を治す以上にもっと大切なこと、例えば人間は霊的存在であることなどに気づかれて、本当の意味での魂の成長を遂げられることです。そしてその支援をすることが私の今の役割だと考えています。

 (この文章は私のHP(http://home.att.ne.jp/banana/soutetsu/information/understanding.html)記載のものです)

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イベント情報:引き受け気功 東京講習会のご案内

2005年09月28日 22時00分40秒 | レイキ・ヒーリング・遠隔、霊的な治療
 藤谷康充先生『引き受け氣功』10月東京講習会のご案内

 平成17年10月7日(金)
  会場:ロハスキッチン&バー『ソトコト』
     *東京駅・丸の内地下中央改札口より直結、丸ビル地下1階
  時間:第一回 10:00~
     第二回 13:30~
     第三回 16:00~
  費用:3000円

  *私は第三回に行きます。講習終了後、その場所で宴を持つ予定です。よろしければご一緒しましょう。なお講習会参加は要予約ですのでご自分で予約してください。注)この次の8日、9日にも銀座で講習会はあるようです。

 予約先:ワンダーライフ研究会・関東事務局
 TEL:090-7581-5062(平日:10時~18時)
 FAX:0297-83-4415

 FAXにて申し込みのこと。なお先着順なのでいっぱいの場合は悪しからずご了承下さい、とのことでした。
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イベント情報: All My Relations 写真展

2005年09月28日 18時50分27秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
「All My Relations -私たちは全てのものとつながっている-」
山田周生 写真展

2005年10月1日(土)~10日(月・祝日)
11:00AM-7:00PM

ギャラリーピアザ
東京都渋谷区神宮前4-26-18 原宿ピアザビルM2F

入場料 無料

オープニングレセプション:10月4日(午後7時から)
※デニス・バンクス氏(インディアン復興運動の中心人物のひとり)ら、
 インディアン代表団一行が来日


同時展示
Mother Earth Tour 2005「インディアンと母なる大地の旅」紹介パネル

以上、じゃんく☆ぼっくすのはんぞーさんのBBSで知ったのでご紹介まで。僕はオープニングレセプションに行ってまたデニス・バンクス氏に会ってみたい。
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自殺した魂が、死後経験すること

2005年09月28日 15時38分49秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 エドガーケイシー学園というサイトの「ジョゼフ・ルーロフの部屋」というところに、「自殺した魂が死後経験すること」と題した小文がある。霊界通信の一つだけれども、自殺しても悲惨な運命が待っていることを教えてくれている。

 他にも興味深い題目が続編として挙げられているのだけれども光田さんかフォンテイン上村知代さんが忙しいようで以降はUPはされていないようだ。続編を期待している。
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『母なる風の教え』から学んでいること1

2005年09月27日 17時00分18秒 | レイキ・ヒーリング・遠隔、霊的な治療
 『母なる風の教え』(ベア・ハート著、講談社発行)読書中。

 ネイティブアメリカンムスコギ・クリーク族長老でメディスンマン(まじない師)として永年人々の肉体と精神の癒しの業に携わってきたベア・ハートが、その処女著作の中で彼のメディスンマンの師の一人であるデイブ・ルイスから教えられたことを次のように述べている。ヒーリングに携わる者がこの文章から学ぶことは多い。

 「患者の治療をするときには、患者が作っている心の壁や猜疑心を和らげ、その人を人間としてありのままの姿で見られるようにしなければならない。そのためには、ユーモアをもって患者に接するのが一番なのだとデイブは言っていた。

 彼は人々の求めるものにとても敏感で、どんなに深刻な事態にあっても、我々はまじない師であることと人間であることのバランスを保っていかなければならないと私に言った。そうすれば患者に感情移入するのもうまくいく。

 「私が偉大なまじない師だから、彼らが会いに来たのだ。だから最高の仕事をしなければならない」などという態度をとってはだめなのである。

 デイブはこう言っていた。「そんな態度で薬を作ってはならない。患者を診るときには正直な気持ちで、自分の真剣な面だけでなく、ユーモラスな面も見せるようにすることだ。

 両方の面がうまく作用しあって、患者を笑わせることができれば、患者は少しの間でも悩みを忘れられる。そうなったところでこれからどういう治療をするのか、病気はどんな状態か、薬がどのように症状を和らげることができるかを説明することができる。

 薬を作る前に患者にすべてを説明しなさい。そうすれば患者のお前に対する信頼が増し、それだけでも癒しにつながるのだから」
(太字は私注)

 私にとっては少し耳が痛い。今日は千葉の国立医療センターまで往診に行ってきてその帰りの車中で読んだところに上記の文章があったのだけれども、振り返ってみると今日の往診での治療中に患者さんを笑わすことはできなかったと思う。

 ハープを弾き、治った方のお話をして希望をもってもらい、手当てをすることでつかの間の癒しはできたかもしれない。でももっと笑わせてあげれば良かったと思う。真面目に熱心に話をする点ではいいかもしれないがあまりクソ真面目過ぎるのは疲れたかもしれないなぁ。反省する。

 かといって僕には歌って踊る気功師、気功師会の“綾小路公麿”と言われる引き受け気功の藤谷康充先生のようにはとてもなれそうもないし、僕のキャラではなさそうなので遠慮したいところではあるけれども、ユーモアをもって患者さんに接することはこれまで以上に努力しようと思った。
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『人はなぜ生まれ いかに生きるのか』

2005年09月26日 20時57分58秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 『人はなぜ生まれ いかに生きるのか』江原啓之、ハート出版)読了。
 シルバーバーチの霊訓ほかスピリチュアリズムに関する書籍はずいぶん読んできたが江原啓之さんの著書は読んでいなかった。

 霊媒体質の彼が幼少時代からずいぶん霊障に悩まされたことや悩みながら真摯に考え抜いて成長されてきた、そしてそこで『シルバーバーチの霊訓』が彼にとって非常に救いになったのだなぁということがわかった。

 前に私が参加していた某スピリチュアリズムサークルの主催者他が江原氏をあまり評価していなかったのでそのバイアスを受けて私も彼の著作からは遠ざかっていたのだけれども、この本を読む限り「シルバーバーチの霊訓で述べられている霊的真理というものを、初めての人にも分かりやすく解説している点では大変良い本である」という印象だ。

 人にはそれぞれ役割がある。レベルとかの問題ではないと思う。『シルバーバーチの霊訓』によって広められたスピリチュアリズムという信仰の道を、厳しく行く人もいれば参考程度に受け止めて歩む人もいる。

 スピリチュアリズムを広めたいという人もいれば自分がその道を歩めれば十分、という人もいるだろう。それぞれがそれぞれの役割を果たせば良いのではないか。

 シルバーバーチの霊訓によりスピリチュアリズムを日本に広く紹介したのが近藤千雄先生ならば、そのスピリチュアリズムをより分かりやすく受け入れやすく広めたのが江原啓之氏だ。

 私の役割は「普通の人が紆余曲折、迷いながらもスピリチュアリズムを少しずつ実践していく一例を示すこと」なのかもしれないと思っている。

 
 
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ネイティブ・アメリカンは風と話す

2005年09月24日 22時36分53秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 「ネイティブ・アメリカンは風と話す」朝日カルチャーセンター公開講座(新宿)に行った。
 午後6時から講演は始まるのだが生憎5時からの患者さんがいて最初からはいけそうもなかった。結局約45分遅れて満員の教室会場へ滑り込んだ。

 7時半までだから45分しか話が聞けないなぁ、45分で3250円はもったいないなあなどという私のケチな考えを北山耕平さんは9時過ぎまで話を延長してくれてぶっ飛ばしてくれた。ありがとうございます。朝カルの担当者の女性はやきもきしていたようだったけど(笑)。

 北山さんの話はこれまでにまだ3回ほどしか聞いていない。彼の体験に基づいた話は本当に面白いし尽きることが無いから、たった3回くらいではまったく足りなく思う。これからも機会があるごとに彼の話は聞いてみたい。

 講演が終わった後も興味のある人が20人前後残っていて質問に丁寧に彼は答えていた。ローリングサンダーというインタートライバルなメディスンマンとじかに接してきた彼は「ローリングサンダーの生き方、思想を伝えるのが僕の役目」と言っていた。その言が嬉しい。

 会場からは「インディアン文化はアニミズムとどう違うのか」「風と話すという今回の題だが「風の音を聞く」ではないのか」「プロトアメリカンと呼ぶことはどう思うか」「輪廻転生のこと」などについての質問が出ていた。それぞれについて北山さんがユニークに回答していたのだが彼の引用するところや話のポイントを私がきちんと掴めなくてどう答えたかをこの場に正確に表現できなくて残念だ。

 帰りは“服部はんぞ~”さんと知人のSさんとの3人で近くのホテルのバーで軽く飲食し、久しぶりに酒を飲んで深夜の帰宅となった。
 
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ハリケーン「リタ」

2005年09月22日 23時29分12秒 | 神道、預言、13の月の暦
 ハリケーン「リタ」が「カトリーナ」に続きアメリカに再び大水害を起こしそうな状況だ。

 キョーコの気まぐれ日記のキョーコさんによれば今年平成17年は“17”という数で弁天様の影響下にある年らしい(キョーコさん、意図しているところを取り違ってたらゴメンナサイ!)。そして弁天様は水のパワーを象徴するもので今年は世界中で水による災害が多くなるという。まさにその通りの世界状況ではないか。

 昨年末のスマトラ沖地震の大津波から始まって日本では台風や豪雨による水害、そしてアメリカではハリケーン「カトリーナ」による大災害である。

 先のキョーコさんの説明にあったのだけれども弁天パワーは水を流せ、循環させろ、一極集中させるな、という意味にとれるらしい。

 今年アメリカがハリケーンに襲われることの霊的意味(神示)として、世界中の富を自国に一極集中させているアメリカに対し、分配しろ、分け合え、世界と連帯しろと弁天様に象徴されるエネルギーが気付かせるためのものとも捉えられるのではないか。

 それは前回のカトリーナの災害によってアメリカの中でも貧しい人々がスポットを当てられて、それを機会に様々な格差の解消がなされていく、つまりお金やサービスが災害地に流れ込んでいくことを通して、エネルギーが分散されることを促しているとも取れるだろう。

 ハリケーン「リタ」は中心気圧が900ヘクトパスカルを割り込んだ猛烈なものに成長してしまったようだ。アメリカにひどい被害がこれ以上に起こらないことを祈る。特に北山耕平さんが彼の今日のブログNative Heartで書いているように忘れ去られていると言われるネイティブアメリカンの人々への影響がほんとにほんとに小さなものになりますように祈らずにはいられない。

 *家の近くにインディアンジュエリーの店San Rafael Aveがあったことに気付いた日。
 
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自律神経免疫療法

2005年09月21日 23時11分57秒 | 癌治療・緩和ケア
 今日、患者さんから自律神経免疫療法で治療して欲しいと依頼された。

 その方は近くのS大病院に入院されている方でこれまで病室に6回ほど往診しに行った。肺癌で食道リンパ、気管支リンパに転移していて手術は不可能な状態。胸水があり間質性肺炎を起こし微熱のため抗生剤も投与されている。経鼻的に酸素供給がなされ、胃ろうも開設して栄養供給されており既に4ヶ月ほど口から物を食べていない。導尿もしていて体中パイプに繋がれている状態だ。幸い痛みはないが痰が切れず、ゼロゼロと苦しげな呼吸をされている。

 これまで足の三里、陰陵泉、尺沢、曲池、中府などの経穴に物理的には接触するくらいの鍼、想念では3センチくらいの鍼を刺入し、異界の先生方に治療依頼しつつ自分は愛情を注ぐというような治療をしてきた。合わせて同経穴に灸をしてきた。そして治療後毎回持参したハープを奏上してきた。

 きつい積極的治療は困難と判断し体に負担の少ない柔らかな治療をしていた。ところが今日は治療後に本人から筆談で「自律神経免疫療法をしないのか」と問われたのである。

 この方の場合は奥様から治療依頼があった。巷で話題の自律神経免疫療法をしているH市のSクリニックに奥様が問い合わせたところ、そこでは診れないから私を紹介する、とのことで電話がきたのだ。そのクリニックの先生とは安保徹教授の講演会で知り合い時々患者さんをこれまで紹介して頂いていた。

 しかし現在では私は自律神経免疫療法は治療に取り入れてはいない。そのためその旨を奥様に申し上げたのだがそれでもいいので治療に来て欲しいとのことで往診を始めたのであった。だから冒頭の依頼をされた時にようやく私は奥様から本人にはそういう話は伝わっていなかったのだなと理解できた。

 自律神経免疫療法は私見では積極的、攻撃的治療法と考えており今のこの方にはきつすぎるのではないかと判断していた。その旨申し上げたが是非にとのこと。困っているところに奥様が病室に戻られたので二人で病室を出て奥様に体に負担が多い恐れがあると忌憚なく述べた。

 すると「本人はとにかく積極的になんでもやりたい、どんな辛くても治療を受けたい、頑張りたいというタイプで、何もしてないことに耐えられないのです。治療でかえって悪くなってもよいからして欲しい」と仰る。

 私の治療は私のHPの私の目指すものにも述べているように肉体の治療という手段を通して魂の気付きのきっかけになれれば幸いだと考えている。そのためこの方の場合にも初診の際にはこれまで自分で癌を治してきた方の多くに気づきがあったことや魂のこともお話させて頂いた。そっと足元に置くという感じで。

 しかしこの方はとにかく病と闘う、死と闘うというスタンスであった。なのでこれから私はその線で治療をしていく。次回からは自律神経免疫療法を使うことになるだろう。

 現実界においては現実的対応をしていかねばならないこと、顧客のニーズに合わせられることがプロの条件と考えれば当然のことではあるし、自分の価値観は押し付けるものではない。まして命を懸けた切実な願いであるのだから。

 今ようやく気付く。抗がん剤治療のみしか手持ちのカードがない医師が患者からきつくてもいいから治療をしてくれと懇願されれば副作用がきつくても採用せざるを得ない場合もあるのだろうことを。そしてその時の医師の苦衷の胸の内を。

 治療は難しい。いや、どんな仕事だってそうなのだろうけれども・・・。今回も大きな学びとなるだろう。

 
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人をヒーリングするために

2005年09月20日 22時23分53秒 | レイキ・ヒーリング・遠隔、霊的な治療
 『フラワーオブライフ』の中に「人をヒーリングするために」という一節があった。

 要約すると、たとえ完璧にヒーリングができたとしても私達には癒したい人を誰でも癒していいという権利はないらしい。ルール違反になってしまう。この星は私達の学ぶ場所で人の体験はすべて皆その本人のものであり必要があってその病や苦しみを体験しているのだ、だから単にヒーラーがそうしたいから、あるいはクライアントがそれを求めたり望んだりしたからというだけでヒーリングを行うことはできない、まず許可を得る必要がある、と述べている。

 参考までにメルキゼデクは自分は次のような段取りでヒーリングしていると述べている。
 まずこれから取り組もうとするヒーリングが神聖な秩序にかなうものかどうかを自分のハイアーセルフに問合せ、許可を求める。
 次に許可が降りたら相手にヒーリングを受けたいか口頭で確認する。
 応えがイエスだったらその人のハイアーセルフを呼び出してこのヒーリングが神聖な秩序にかなっているか照会する。そして次の段階に進んでいくと。

 前にレイキを学んだ時、自分とクライアントのハイアーセルフにこれからヒーリング(レイキ)を行うことの許しを請うことを真っ先にするよう教えられた。それに通じるもののようだ。

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『フラワーオブライフ』購入

2005年09月20日 22時06分11秒 | レイキ・ヒーリング・遠隔、霊的な治療
 『フラワーオブライフ第2巻』(ドランヴァロ・メルキゼデク著、ナチュラルスピリット発行)を三軒茶屋の地球雑貨 ふろむ・あーすで買ってきた。

 秘教学の大著だ。第1巻を持っていないにもかかわらず第2巻を選んだのはその目次に「チャクラの本当の位置」「マカバ瞑想」「人をヒーリングするために」「ヒーリングを妨げるものの存在」「次元のシフト」など、今ちょっと気になっていることが列挙されていたためだった。

 “古代神聖幾何学の秘密”がサブタイトル。ページをめくっているとどこかで見た覚えのある“ダヴィンチの人体図”やピラミッドの断面図などが興味深く考察されている。まるで岡野玲子の描く『陰陽師』で安倍晴明が真葛や我が子にとくとくと説いているようなもので僕にはまったく分かりかねているところ。

 とりあえず気になったところからいつもの拾い読みを始めている。『バイブレーショナル・メディスン』、どうしよう・・・
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One Thousand & One Day's Storytelling 感想3

2005年09月19日 21時44分10秒 | 個人的体験・雑感
 テンバ・タナさん
 「民族音楽家。南アフリカ・ケープタウンに生まれる。伝統アフリカ音楽家の一人。大学でアフリカ民族音楽を学び、南部アフリカの民族音楽や楽器の採集のためにジンバブエ、モザンビーク、マラウイなどを広く旅行する。現在カナダを拠点として音楽活動をしている」

 この人で驚いたのは口笛で鳥の鳴き声を真似すること。とても信じられないほどの種類、音量、そしてうまさでまさに鳥が囀っているように聞こえてしまう。私も鳥好きのはしくれなので多少は鳥の鳴き声を真似できるけれどレベルがとんでもなく違う。

 ライブが終わった後の交流会も最後の頃に彼と直接話す機会があったのだけれども、その際に「口笛を吹いていて鳥が寄ってこないですか?」と聞いたら「ある。こんなこともあった。一度カナダで鳥かごの中にいる鳥達の前で口笛を吹いたら、鳥がクルクル鳥かごの中で(ハツカネズミのように)回ってしまい、周りの連中が驚いていた」と話してくれた。

 いやぁ、あれほどうまく真似ができたらさぞ楽しいだろうな。一度皆さんにお聞かせしたい。デジカメのビデオモードで彼が口笛を吹いているところを撮った映像があるのだがブログに載せてお見せできないのが本当に残念だ。

 今日はいろいろな人が交流会で平場で語り合っていて良かったと思う。ライブでは聴衆の私達も全員で即興のセッションに加わって歌を歌い手を叩き、手をつないでテアドルくんの太鼓と歌に合わせてサークルダンスもした。天外氏の社会進化の表ではないが「成熟社会」の特徴である「皆リラックスしていて装わず、多様性が許容されていた」時間だった。それが嬉しかった。
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