植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

誰か雲南百薬をもらって→ありがとうございました

2006年03月31日 12時31分03秒 | 個人的体験・雑感
 知り合いの治療師の方から2年ほど前に頂いた雲南白薬(うんなんひゃくやく)というツル性の植物を庭に植えていたら家壁の樋をつたって二階にまで伸びてしまい、ちょっと見てくれが悪かったらある日母が根本を鋏でちょん切ってしまった。

 かわいそうにもう生きていられないのでなんとか遺してやりたいと、葉の付け根にできる“むかご”(球根のような芋のような部分)だけはたくさんとり残した。いまその一つを水栽培しているのだけれども写真のようにミネラルウォーターだけなんだけどすごい勢いで育っている。もともと中国雲南省という熱い地方に育つ植物らしいから高温多雨の気候にあっていて水さえあればいいのかもしれない。

 しかし母には不評なのでうちの庭土にはもう下ろしてやれそうになく、手元にたくさんのむかごが残っている。誰か興味のある人がいらしたら持って帰って育てて頂けると百薬も喜んでくれると思うのだけれども。

 ちなみに名前からも分かるとおり薬草の一種らしい。ちょっとサラダオイルをひいたフライパンで軽く炒めて食べたけどツルムラサキのようにねばが出て味は薄かった。すごく成長するから自家菜園がある方なら相当収穫できると思う。

 参考サイト:雲南百薬の苗
 
 (注)2007年1月17日現在、むかごはすべてお渡ししまして手元には残っておりません。どうもありがとうございました。
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物質欲から精神的なものへ

2006年03月30日 09時38分31秒 | 癌・病気の意味
 『出アメリカ記』(正木高志著、雲母書房、2003年発行)にこの星の現状をうまく表現している文があった。
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 かつてどこまでも草原の広がるヤギたちの大地があった。ヤギはやわらかい草を腹いっぱい食べてまるまると太り、子どもを産んだ。子孫が増えるにつれて、ヤギの群れは大きくなり、草をもとめて移動するようになった。草を食べながら北へ北へ行くと、ヤギたちはある日青い海を見た。また南へ進んでいくと、そこにも海があった。東にも西にも海があった。そうやってヤギたちは無限に広いと思っていた草原が、ほんとうは有限の島だったことを知る。しかもヤギの頭数はどんどん増え続けた。

 ヤギたちのあいだに危機感が深まり、科学者が研究してみると、増え続けるヤギがこれまでのスピードで草を食べていけば、草は根まで破壊されて再生不能になり、ヤギ社会は存続していけなくなることが明らかになった。レポートは最後に「もしわれわれがこれまでのようにやたらと草を食べ根まで食い尽くしてしまうようなライフスタイルを改めて、草の繁殖につとめ質素に暮らし残された資源をみなで分かち合うならば持続可能な道が開けるだろう」という見解を述べた。
 (聡哲補:ここでいうレポートは『成長の限界』(実業家、政治家、科学者などからなるローマ・クラブが1972年に科学的未来予測として発表されたもの。『成長の限界』(D・H・メドウズ他著、大来佐武郎監訳、ダイヤモンド社)、『西暦2000年の世界』(1980年発行)など)

 (中略)

 増えすぎたヤギたちは、島の草が少なくなったからといって、自分が食べるのを遠慮したりはしない。食べるのを控えて体力が弱まれば、競争に敗れ、テリトリーを追われるかもしれない。だから危機が迫れば迫るほど、ヤギたちは角を立て生き残りをかけて残された草を奪い合うようになる。

 しかしそれでもあるヤギたちはこれからもずっとこの島に生きなければならないのだからと考えて、人生の「価値観と目標を変更し」ようと努力した。彼らは「必要なのは愛だけだ」と考えて『イマジン』をうたったが、他のヤギたちは見向きもしないでせっせと草を食べ続けていた。

 また別のヤギのグループは食べる草の量をみんなで15~20%ほど削減し、産児制限をもうけよう、という実際的提案をした。彼らは何度も会議を開いてグループ間の利害を調整しようと努力したが、大多数のヤギたちは知らん顔をして、以前より痩せてしまった草をつましく食(は)んでいた。

 また肥えて色艶のよいグループがあって、彼らはこんなふうに考えた。「なるほどたしかに草には限りがある。しかしわれわれ白ヤギは神に選ばれたエリートであって、無価値な黒や褐色や黄色のヤギとは違う。われわれはこれまでの豊かなライフスタイルを変更するつもりはない。われわれは成長を続けなければならない。なぜなら成長をとめれば、他のヤギたちとの経済競争に敗れてしまうだろう。そんなことになればわれわれにどんな運命が及ぶか分からない。どんなことがあってもそんなはめに陥ることだけは避けなければならない。危機に乗じて島を支配すればわれわれだけはこれまでどおり豊かな生活を持続することができるはずだ・・・・・

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 もうお分かりだと思うけれども上の“肥えて色艶のよいグループの価値感”を国策として推し進めている中心がアメリカである。正木高志氏はそのような“自分だけ勝ち残る思想・思考”からの脱却という意味で書名となっている「出アメリカ記」という言葉を使っている。アメリカという土地から出てどっかへ行く紀行記かなと私は読む前は思っていたんだがアメリカ的価値観からの脱却という意味だったんだ。

 この“アメリカ的価値観”にどっぷり漬かっているのがこれまでの日本なんだけどその揺り戻しの芽が昨今のこの国で燎原の炎のように広がりつつある“精神世界への探求の旅”なんだと思う。“物から心・魂への興味の移行”はそのまま“物欲から精神的成長への欲求”にシフトしていくことに繋がる。図らずもわたしたちは正木高志氏の勧める「出アメリカ記」への道を着々と歩んでいるのではないだろうか。

 きのうの須藤元気さんゲストの「オーラの泉」の中でも美輪明宏氏が「世の中が物欲から精神的な愛、慈悲への欲求に変わっていっている」と語り、江原啓之氏が「この『オーラの泉』のような番組が成り立つようになったのもこの番組がその流れ(物欲→精神・魂的欲求への変化・進化の流れ)のこま(ゲームの)の一つを演じているから」と述べられていた。まさにそのとおりでしょう。

 きのうの「オーラの泉」は実は大きな転換点だった気がする。もちろん毎回登場するゲストの方にも個人的な転換点として番組が作用していると思うのだけれども視聴者であるわたしたち皆についても大きな転換点だったのではないか?

 それはこれまでは主にゲストの個人的カルマ救済の色合いが強い(そこからわたしたちも多くのことを毎回学んでいるのだけれども)のだが特に今回は「物→心」「見えるもの→見えないもの」への価値観転換を促す、という意味で大きかったと捉えている。

 須藤元気氏を初めて見たのは前に深夜番組で彼がトークしていた時なのだが「プロレスラーが精神世界を語っている!」とびっくりした記憶があり(詳細は銀鷲の要塞に。面白い)、それ以降気になっていて今回のオーラの泉のゲストを楽しみにしていた。

 予想通りというより予想をはるかに超えて精神的に深い人だったのだけれども、彼が前にその番組で「人間の身体という物質はE=mc2という魂というエネルギーでできているのですからフィジカルトレーニングだけでは強くなれない。だから自分はいつも魂を強くすることを心がけている」と語っていた。そして今回も「口に出すことでものごとを現実化していく、ありがとうを始終言っていると最初は心でそう思っていなくてもだんだんこころからそう思うようになる」などエネルギーや“気”の大切さを語っていた。

 番組全体としては精神性が深い話が多くて(会話数も格段に多いかも)画面下のテロップがなければ何を言っているかわからないくらい高度な内容だったと思うんだけど(これは「オーラの泉」の内容を記述してくださっている星が生まれて消えるまでのkanonさんが思いやられます・・・)、今回の放映も物質から精神への転換という点で大きな意味があり、多くの方々の潜在意識に刷り込まれていくことだろう。

 アメリカ的価値観で勝ち組、負け組と騒いでいる風潮もあるけれどもその下でしっかり次世代的価値観である“精神性・霊性・魂性優位の価値観”が江原氏が言うようにこれら「オーラの泉」のような番組がジグソーパズルの1ピースのような役割を担うことで育っていると思う。そして自分なりの視点でこのようなブログを書くことでぼくはぼくの役割を担っていると思いたい。
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satoriさんとお会いした

2006年03月29日 20時48分25秒 | 個人的体験・雑感
 今日は寒くて冬に逆戻りしてしまったのでブログ背景も冬に戻しました。というのは冗談で桜のバックは素敵なんだけどレイアウト的に文章が寸づまってしまっていて読み難いと思っていたところやはり患者さんでブログを見てくださっている方から同様な意見を頂いたので、変えたばっかりの背景をまた元に戻しました。朝令暮改で見苦しくて申し訳ない。

 さてきのうはとてもサプライズなことがあった。昼前に電話があって女性の声で「ブログを見ている。遠くから来た。今代々木にいるのでこれからお会いしてお渡ししたいものがある」と言われる。面識のない方のようで訝しく思ったけど診療予定もないので来て頂くことにする。

 一時間ほどしてその方がいらした。「初めまして○○と申します。ブログ『サンタフェより』のsatoriです」と挨拶されて驚いた。あのsatoriさんですか!そういえば最近の「サンタフェより」には里帰りで日本に来られていた様子が書かれていたっけ。驚きかつ嬉しかった。さらに彼女はスイートグラスのバンドル、大束のスマッジ用ホワイトセージバンドル、そして『ローリングサンダー』に出てくるインディアンの貴重な栄養源であるピンニョンツリー(マツ科)入りのコーヒーをお土産としてわざわざアメリカから持ってきてくれたのだ。もう感激してしまった。何より嬉しい。

 たくさん話したくて近くのイタメシレストランにご案内し昼食を摂りながらさまざまな情報交換をする。インターネット、ブログって素晴らしい。こんな出会いも引き起こしてくれるのだから。自分の核心に近い部分で共感できる仲間と世界中でつながれる道具としてなんと素晴らしいものだろうと再確認する。

 御礼にとささやかだけど『シルバーバーチの霊訓』ほか数冊を差し上げ心を込めて“マリア”(ハープ)を奏でる。もちろんスマッジングをして出会いに感謝の祈りを捧げてから。充実したいい一日だった。satoriさん、ありがとう!
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小桜姫物語

2006年03月28日 12時25分50秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 小桜姫物語という優れた読み物がある。一度眼を通されるのも無駄なことではないかもしれない。
 小桜姫物語
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音楽創作の背景にあるもの

2006年03月28日 09時32分40秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 歌うことにはコンプレックスがあってそれは小学校時代のトラウマ(学芸会の合唱リハーサルで、音楽の先生から「遠藤君は本番のときは声を出さなくていいから。口だけパクパクしてなさい」と言われた(笑)。それほど大声で外れていたんだね(笑))からなんだけど、音楽を聴くことは好きだ。それでも十代のころは音楽から遠ざかっていて当時おなじ世代の仲間が夢中になっていたローリングストーンズやキッスといったロックには馴染んでこなかった。

 だから左のブックマークに紹介しているDays of Pieriaさんの日記のように来日したストーンズのライブでノリノリになれる感性は正直うらやましく眩しく見える。 前振りが長くなってしまったのだけれども、今日の朝日新聞朝刊の文化総合面でストーンズ来日の様子を伝えている中に次のコメントがあったのでアップした次第。
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 ただ、キースに音楽を「創造」している感覚はない。
 「おれはアンテナ。座ってギターに触っていると、『これからおれは曲を書くことになるな』ということが分かる。おれが創り出しているんじゃなくて、受け取ったものを中継しているだけなんだよ」 
 でも、その「中継」自体が、なぜあなたにできて、ほかの人にはできない?
 「だって、あんたのしている仕事は、おれにはできないじゃないか。おなじ事だよ」
 (この節、新聞記事より)
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 キースは自分が“中継器”であることを理解しているように思える。そして一人ひとりの役割が違うこと、そしてすべての人が同じ能力を持つ必要もないことを簡潔な答えの中で示している。ぼくは芸術家というのはぼくらの魂の奥に眠って表に向かって表現したくてもうまく出来ないものを簡明に表出してくれる人と捉えているのだけれども、難しい霊的真理を簡潔な言葉で表現できるキースはやはり芸術家なのだなぁと思った。ぼくはストーンズのことをほとんど知らないしロックはやかましいなぁと思う時代遅れの人間の部類かもしれないけれども、キースの言っていることは魂的に深いことではないかと思う。 


 以下は『霊訓』(W・Sモーゼス著、近藤千雄訳、心の道場、平成11年発行)より抜粋。 
 「昨夜の雰囲気は音楽には良くなかった。あなたはまだ良い音楽の出る条件をご存じない。霊界の音楽を聴くまでは音のもつ本当の美しさは分からないであろう。音楽も地上の賢人が考えるより遥かに、われわれがよく口にする霊的条件の影響を受けているものである。

 地上なりに最高の音楽を出すためにも霊的要素がうまく調和しないといけない。調和した時にはじめてインスピレーションが閃く。スピーア少年が師匠の指導を受けていた部屋は雰囲気が乱れていた。それで成果は良くなかったと言ったのである。

 音楽家も演説家と同じである。演説家の口から音楽が出るに先立って聴衆との霊的調和が出来ていないといけない。それは演説家は直感的に感じ取るのであるが、往々にしてその繋がりが出来ていなくてインスピレーションが演説家と聴衆との間の磁気的連鎖網を伝わらないために言葉が死んでしまって、まるで訴える力を持っていないことに気付いていない。最高の成果が得られるのは音楽家なり演説家なりが背後霊団に囲まれて、本人の思念または本人に送られてくる思念がその影響で純化され、調和し、霊性を賦与された時である。」

 この霊的通信(自動書記:自分の腕が自分の意思とはまったく別に勝手に文字を書き出していく。“お筆先”とも呼ばれる)には二人の世界的作曲家ベートーベンとメンデルスゾーンの生前そのままのサインがされている。つまりこの文章はあの世にいるベートーベンとメンデルスゾーンからのものであるということ。

 
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犬には見えたり感じたりするのだろうか

2006年03月27日 21時26分07秒 | 天音、玉音、ハープ
 腸閉塞の患者さんの往診に行く。張ったお腹全体に生姜灸を施す。前回の治療後はとてもお腹が温まったとのことでその後ご主人がなさった生姜灸が功を奏したか四日後には足のむくみがきれいに取れたとのことで良かった。

 きょうはもう少し効果を上げたいので前回同様のお腹への生姜灸のあとに、横向きになってもらって腰骨の部分(仙骨)近辺にも生姜灸を施した。身体が横向きになっているので腰の部分は地面に対してほぼ垂直になるのだけれども、その腰の皮膚の上に2~3ミリに輪切りにした生姜を貼っつけその上にもぐさをのせる。一見はらはらするような体勢であり手当には十分気をつけなければいけない。ベッドの上には万が一火のついたもぐさが落ちてもいいように大きめの古いバスタオルを敷いておく。

 六点ほど施灸する。お腹の生姜灸ではけっこう早い段階で「もう熱いです」と言われていたのが腰の生姜灸は「とても温まる、気持ちいい」らしくもぐさ全体に火がまわるまでの比較的長い時間、皮膚の上に生姜を置いておけた。これなら骨にも熱が浸透して気持ちのよさが持続するだろう。

 癌の闘病中に「気持ちいい」経験をすることはリラックスすることで副交感神経優位な状態となり、リンパ球が活性化され癌への抵抗力が増すことになるだろう。できれば現代医学の治療がこの生姜灸のように気持ちいいといいのだけれども・・・
(自律神経やリンパ球などの免疫システムを新潟大学の安保先生が理論的に最近解説されているけれども、それを左のブックマークでも紹介しているヒーリングソウルを書いているヒーラーのキョーコさんが分かりやすく解説している。ご参考まで)

 さて一通りの治療が終わった後、ハープによる祈り(レイキ)を行う。「大霊さま、マリア観音様、○○さんの守護霊様、(途中略)○○さんの治療をお祈りします・・・」、祝詞を挙げていたらケージの中にいたナナちゃんという犬が急に鳴き出す。でも別に怯えているとか不審に思ったわけではないらしくおだやかな声だった。

 ちょうど皆で祈りを挙げ始めた直後だったからもしかしたら見えない方々が降りてきていらしていたのだろうか。その姿を犬の彼は見たり感じたりしたのだろうか・・・。そんなことを思いながら祝詞を終えてハープを奏でる。初診の前回の時にはハープを弾き終わったら「なんか知らないけど涙がでる。なんでだろう・・・」と仰っていたけれども今回も心なしか眼が潤んでいらしたように見える。

 肉体に対する癌治療について私の為しえていることは微々たるもののような気がする。けれども見えない身体、心、魂に向かっての癒しというものも大事だと思う。
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テンプレート改訂

2006年03月24日 22時28分07秒 | 個人的体験・雑感
 まだ肌寒いけれど春らしくバックを桜へ変えてみた。
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宗教と霊性の違い

2006年03月23日 11時04分11秒 | 癌・病気の意味
 「宗教と霊性の違いもはっきりさせておこう。山がある。山には道がいくつもある。ジグザグの道、まっすぐに登るタフな道、眺めの良い尾根の道、沢沿いの森の道、ロッククライミングルート・・・など。
 宗教とはそのさまざまな道のことだ。そして霊性とは山に登ること、あるいは登った高さのことである。
 
 ところが、多くの人は入り口の門のところにたむろして、「この道だけは頂上に通じるが、他の道は邪道であってみな地獄に通じる」などと言い争っているばかりで、なかなか山へ登ろうとはしない。宗教的になることはたやすいことである。手に数珠をかけ、首に十字架をさげればだれでもすぐに宗教的になれる。数珠や十字架は門のところでいくらでも売っている。

 だが霊的であるためには人は山に分け入らなければならない。群集を離れて、ひとり、自分の足で、山道を登らなければならない。霊性とは登った高さであり、そこから見る世界の認識なのだ。

 よく本末を転倒して、宗教が目的であるかのように考えられることがある。だが、宗教は手段であって目的ではない。目的は霊性にある。山に登ることだ。道は自分の傾向や縁によって選ばれるだろう。しかしどの道を選ぶかはさして重要な問題ではない。大切なのは登ること。登らなければ道なんて意味はない。

 だから人は宗教によって成長したり救われたりすることはないといえる。心は霊性によってのみ清められ、高められる。山に登りさえすれば、美しい霊性の森を楽しむこともできる。そして頂上にたどりつけば、すべての道がおなじところに通じていることがわかるだろう」 『出アメリカ記』(正木高志、雲母書房、2003年)より

 →美輪明宏氏がオーラの泉の中で「宗教は問屋さん。この道がいいでっせ、こんなグッズも取り揃えてまっせ、と勧誘している」と表現しているのと言っていることはおなじように思う。

 自分自身の拙い経験を述べると癌治療を通して人の生死というものを考え『シルバーバーチの霊訓』という書籍に出あってこの世に生きる意味などを考えるようになり、人は霊的存在でこの世に学びに来るという“スピリチュアリズム”という考えが人生、死生観のベースになってきた。しかしその後『シルバーバーチの霊訓』以外の書籍からの学びで今ではスピリチュアリズムだけを至上のものとは思わなくなっている。

 前にスピリチュアリズムのサークルに入っていたとき、初めて読書会に訪れた方が「シルバーバーチも確かに素晴らしいことを言っているが彼自身が言うように『自分も間違うことがある』わけだから、霊訓に述べられていることが正しい唯一の真理と考えずに批判的に見ることも大切だと思う」と感想を述べられた。

 そのときは私は苦笑して「こんな素晴らしいものの価値がわからないなんて」と思った(今考えれば“シルバーバーチ教”信者だったんだね(笑))のだが、当時の私はそれこそ正木氏の言われる“宗教的”だったのだろう。

 今はとにかくどんどん経験すること。それがこの世の意味かなぁと思っている段階だ。
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サトルエネルギー学会 春の大会

2006年03月19日 23時12分53秒 | 波動(意識、想念、感情、医療等)
 サトルエネルギー学会の春の大会に19日(日)新宿は工学院大学新宿キャンパスに行った。私は会員ではないけれどもお世話になっている寺山心一翁先生が大会実行委員長をされているし、引き受け氣功の藤谷康充先生や他の興味深い方々の講演もあるようなので楽しみだった。以下各講演の感想など。

 <からだはすべてを知っている>いのちの学校理事長 谷口順子先生
 当初は元気のいい方が出てきたなぁという感じだったけれどもファシリテーションボールメソッドというメディスンボール(という名前でリハビリの世界では知られている)を使ったリハビリをずっと長年されてきたことやご自身が困難な体験を克服されてきたことなどを聞いていると、とても大変な方なのだと思った。

 <密教のヒーリング>真言宗観蔵院住職 和田仙心先生 
 加持祈祷による遠隔治療の話が興味深かった。「真言を唱え印を結び正しい想念を持って祈祷すれば光によりどんな遠隔地の方でも病気平癒ができる」と言われる。同意する。要は他者に対する愛情の気持ちがポイントだということだと思う。

 「抗がん剤などの薬漬けになっていなければ4ヶ月病者加持をすれば癌も癒されていく」とのこと。想念により魂や心が浄化されてその結果として体が治っていくと話されており同様のことを学んできたので実際にそれをされている方を知って嬉しい。病平癒の祈りの効果があるかないかはただただ“その想いの真剣さ”に尽きるのではないか。もちろん祈りを行うにあたってのテクニック(思考の流れ、導き方など)はあるだろうけれども。

 四日市のお寺とのことなので、いつか新宮の芝下先生の元をお訪ねした際にお寄りしたい。

 <神霊ヤマトの徳育実践法>(有)アースエネルギー研究所取締役 岡田多母先生
 講演の始めは岡田さんの話すものごとの解釈の仕方、内容にあまりついていけなかったのだがそれは会場も同様のようだった。しかしだんだんお話が腑に落ちるようになってきて最後には独特の解釈に会場からも拍手が出ていた。

 「ひとりひとり皆さんが自分を完全に表に出すことが大事。そのためにここに生まれてきたんですよ」と繰り返し説得されていた。その通りだと思う。表現の仕方は違うかもしれないが私も同じことを言っている。今はそれぞれの人が違う方法で同じことを言い出している時代なのだろうと彼女を見ていて思った。

 <驚異の引き受け氣功>ワンダーライフ研究会代表 藤谷康充先生
 いつも講習会では2時間半で話す内容を1時間に短縮しての講演だったので藤谷先生も大変だったご様子。でも土曜日の講演の中で一番笑いが多かった。藤谷先生の話を聞くのは初めての方も多かったと思うけれども贔屓目で見ても最もインパクトのあった講演だったと思う。隣の隣のご夫人は机をバンバン手で叩いて笑い転げていたし(特に三段腹を嫌うとすぐ四段腹になる、と話されたところ。その婦人は体格のよい方だった)。最後の“体重問答”で隣の方が絶句していたのが楽しかった

 <通じて楽々・波動健康法の実演と検証>波動の会会長 大木佐々子先生
 資料には“ホツマツタエ”や“アワ”という言葉が出てきて驚いた。言霊(ことだま)により人の力が強くなることや痛み、病気の回復ができることを短い時間で実証してくれた。椅子に座った大木先生を音霊を言う前と言った後にスタッフに持ち上げ比べて見せたところは前の藤谷先生の体重問答とまったく同じでありここでも“みな同様のことを掴んでいる”と感じた。

 いまの時代というのは「この道、この先生、このやり方、この思想、この宗教が一番正しくて他はだめなんだ」という考え方ではなくて「ベストを探し求めるのも大事だがその時点で自分に合ったものを取り入れて自分が学んでいけばいい、他の人のやり方を否定する必要はない」というのがいいんでしょうね。

 <臨終の現場から>内科医(中国医学・救急・心理療法) 齋藤結理先生
 臨終のプロセスの多様性から学ばれた事柄を話された。病気は魂の気付きのためのこともあるなど考え方が私の学んできたものととても近かった。懇親会でお話したらやはり齋藤先生もシルバーバーチの影響からとのこと。

 
 <ヒーリングダンスの実際と効能>大村クリニック院長 大村雄一先生
 先生の略歴に「薬草に興味を持ち実際に自然の中で試食して歩く」とあったので今回の講演で最も興味があったのだが、実際にはダンスのみとなってしまってその辺の話はなく残念だった。なむごんべいというペンネームでの著書『踊って病気をぶっ飛ばせ! あなたが神様』を会場ブースで買った。

 <懇親会>
 懇親会では和田和尚の密教ヒーリングの後ろで妙なる横笛を奏でていた福井幹(ふくいつよき)さんとお話させていただいた。新宮市にお住まいだというので芝下先生が引き受け氣功の藤谷先生の講習会を新宮でも開いている旨をお話したら喜んでいらした。

 「サトルエネルギー学会は変わった人が多い」とは帯津良一先生の懇親会開会の挨拶だったけれども確かにその通りだった。一言で言えばみな“自分をそのまま生きている”のだろう。岡田多母さんが言われるように「地球始まって以来の人類の春」なのだろう。皆が種から芽を出して自分という素敵な命を咲かせていきたいと思う。
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癌の意味3 身体の健康とは

2006年03月17日 20時35分35秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 今をときめく霊能力者江原啓之氏はその特殊能力を正しく使うためにイギリスに渡りスピリチュアリズムという心霊科学を学んだことがあったという。霊能現象がなぜ、どういう仕組みで起こるかをイギリスでは長い時間を掛けて研究してきており、自らの持つ霊能を正しく統御する一助にスピリチュアリズムを学ぶために江原氏が渡英されたのは賢明だったと思われる。

 そのイギリスではモーリス・バーバネルという名の新聞編集者の男性に、彼が20歳だった1920年ころから40年間の長きに渡り定期的にシルバーバーチと名乗るあの世の存在(霊)が“憑依”して彼の口を借りてあの世の様子やこの世の様々な苦難の背景を霊的視点から語った記録が残っている。それが『シルバーバーチの霊訓』としてまとめられており、邦訳では近藤千雄訳、潮文社からシリーズで刊行されている。

 私にはシルバーバーチと名乗る存在がどのような素性の者かは知る由もないが、『シルバーバーチの霊訓』に書かれているその存在の語った言葉には深く感銘を受け、大きく影響を受けた。

 以下は“身体の健康”について『シルバーバーチの霊訓』で述べているものを抜粋したものであるけれども、霊的視点から見た私達の体を理解する一助になるのではないかと思う。参考になれば幸いだ。

 ------------以下『シルバーバーチの霊訓』より--------------------------

「人間には一種の機械としての物的身体が与えられています。あなたはその身体を通して自我を表現している一個の霊なのです。あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ、身体は生命力の補給路を失うことになります。補給源とのつながりを絶たれることになります。そのことに気付いて心構えを改めない限り、あなたの身体はその不健康な作用と反作用の法則に従い続けることになります」
 
 「心配の念はあなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。その障害を取り除くまでは生命力が流れ込みません」「心配することに費やしているエネルギーを建設的な思念へ転換すれば、健康上の問題は生じなくなります」

  「身体は一種の機械です。したがってそれなりの手入れがいります。手入れを怠れば故障するに決まっています。すると休息と修理によって機能を回復するほかはありません。あなたはその身体を通して自我を表現しているのです。その身体のすることにも限界があり、それを越えてしまえばバッテリーを補充しなければなりません。それはあなたの責任です。あなたの身体だからです」

 「健康を増進するのは医学でも医薬でも劇薬でもありません。不自然なものを体内に注ぎ込むことによって健康にすることはできません。それは言わば医学的愚行です。正しい生き方さえしていれば、つまり思念によこしまなところがなく、霊と精神と身体とが調和していれば健康でいられるのです。日常生活のストレスと心労、あるいは利己心や邪心や強欲が生み出す不自然な緊張、こうしたものは物的存在のすべての息の根を止める毒薬です」(以上『シルバーバーチの霊訓9』潮文社より)

 「中庸こそ身体機能を自由に働かしめ、一方精神的能力を曇りなくかつ激することなく自在に発揮させる。我らが求めるのは明晰にして元気はつらつとし、それでいて興奮することなき精神と、活力に溢れ、その活力を使い過ぎもせず欠乏もせぬ身体である」  

 「身体の健康管理は魂の成長にとりて不可欠の要件である。魂が地上という物質の生活の場において自己を表現していくために肉体に宿るかぎりは、その肉体によりて魂が悪影響を受けぬよう、これを正しく管理していくことが必須である」

 今の地上に見られる人工的傾向、健康に悪影響を及ぼすものについての無知、ほぼ地上全域に見られる暴飲暴食の傾向、こうしたものはすべて真の霊的生活にとりては障害であり妨害となる」(以上『霊訓・下』心の道場より)

 健康とは全体が整っていること、調和が取れていること、リズムがあること、協調体制が整っていることです。あなたという存在は三位一体、すなわち霊または魂と精神、それに物的身体の三つから成り立っています。その三つの主要な構成要素の間に調和がとれていれば、あなたは健康です。その三者の間で相互作用が絶え間なく行われているのです。

 「霊が正常であれば精神も正常であり、身体も正常です。身体に生命を賦与しているのは霊です。霊はすなわち生命であり、生命はすなわち霊です。霊とは大霊であり、大霊がすなわち生命ということです。物的身体は霊が自我を表現するための道具であり、精神はそのためのコントロールルームと思えばよろしい」

 残念ながら現代の忙しい生活機構が緊張とストレスと過労を生んでおります。それが調和を乱すのです。霊が病み、精神が病み、それが肉体に病的症状を生み出します。心身症という病名がありますが、これは精神と霊に起因する病気のことです」

 「ですからかりに心配が原因で潰瘍が生じた場合には、その潰瘍部分を切除しても何にもなりません。心配をするという精神の病がある限りはまた潰瘍が生じます。心配をしないように精神を修養するしかありません。そうすれば潰瘍も消えます」 

 「そこに現代社会が病んでいると申し上げる原因があります。考え方、物の見方、大切なものとそうでないものの判断力、焦点の置きどころ、視野の持ち方、こうしたものが狂っているのです。大切なものとどうでもよいものとの区別ができるようになり、基本的な霊的真理の大切さが分かるようになれば、人間を構成する三つの要素が調和して、健康になります」(以上『シルバーバーチ最後の啓示』ハート出版より)

 
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癌の意味2 この世に生きる目的

2006年03月15日 21時11分16秒 | 癌・病気の意味
 癌、病気には意味があるのだろうか。これまで渉猟した文献から抜粋してみる。もちろんこれが正解というものではない。長文なので悪しからずご了承願いたい。

『シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A』より
 Q1.そもそも地上生活の目的とは何でしょうか?
 A1.そもそもの目的は、本来の自分を理解することです。そのためには、物的身体の機能と霊としての資質を存分に発揮することが必要です。物的なことに偏って、霊的存在としての義務をおろそかにするのもいけませんが、霊的なことに偏って物的存在としての義務をおろそかにするのも間違いです。両者のバランスをとり、この世にありながら、この世的人間に堕することのないようにすべきです。

 肉体は神の分身である霊の神殿ですから、十分な手入れが必要です。そして成長と進化の過程にある霊は、その肉体を通して、成長と進化のための機会を与えられる必要があります。この世に生きる目的は、地上を去った霊が次の界層での生活になじめるように、さまざまな体験を積むことです。 そこで、まず地球へやってくるのです。地球はトレーニングセンターです。肉体に宿った霊が、次の次元への装備を提供してくれる教訓を学ぶための学校のようなものです。

 そういう理由から、私は改めて申し上げます。あなた方が嫌な体験と思っているものが、最高の薬になっていることがあるのです。本当の自分を見出すのは日向の生活の中ではなく、嵐のような生活の中なのです。雷鳴が鳴り響き、稲光がひらめいている時です。

 人間は厳しく磨かれ、清められ、純化されなければなりません。絶頂もどん底も体験しなければなりません。地上生活だからこそ体験できるものを、体験しなくてはいけません。そうした体験によって霊性が強化され、補強され、死の向こうに待ち受ける生活への準備が整うのです。

 この世に生きる目的は、霊性を活気づけることです。そのために、地上界の出来事は二面性と二極性を鮮烈に体験するようになっており、そこに地上生活の地上生活たるゆえんがあるのです。たとえば善と善でないものとが同居しています。これは私達の世界にはないことです。高次元の世界には、対照的なものが存在しないのです。

 地上生活の目的は、魂がその霊的資質を発揮できるように、様々な体験をするチャンスを与えて、霊性を一段と強化することです。そのために悪もあれば罪もあり、暴力も存在するのです。

 地上の全生命の存在目的は、人類をはじめ動物、その他の全生命に宿る神性に火がともされて火種となり、灯火となり、火焔となって燃えさかるように、刺激的体験を得ることです。霊的意識が目覚め、地上にありながら、生命の現象的側面にとどまらず、もっと大切な内的側面をも理解して、その恵みを享受するようになります。

 『シルバーバーチの霊訓』より
 「あなた方もお一人お一人がミニチュアの大霊すなわち神なのです。その霊はあなた方の努力次第で生長と発達と拡大を続け、成熟して開花する可能性を秘めているのです。どこまで発揮できるかを決定付けるのはあなた自身です。他の誰もあなたに代わってあげることはできません。それが地上生活の目的なのです。あなたも大霊であることを自覚することです。そうすれば神の王国があなた自身の中にあることに理解がいくはずです。霊力は絶対に裏切りません。」(『シルバーバーチの霊訓9』潮文社)

 「地上生活の目的はいたって単純です。本来のあなたである霊的本性を開発、強化して死後に待ち構える次の生活の身支度をすることです。となると、ありとあらゆる人生体験、楽しいことも苦しいことも光も蔭も、有利なことも不利なことも、愛も憎しみも、健康も病気も、その一つ一つがあなたの霊的生長にとって何らかのプラスになるということです。」(『シルバーバーチの霊訓9』潮文社)
 
「地上への誕生のそもそもの目的は魂が目を覚ますことにあります。もしも魂が目覚めないまま終われば、その一生は無駄に終わったことになります。地上生活が提供してくれる教育の機会が生かされなかったことになります。」

 「地上生活の究極の目的は、人間が霊的成長のある段階において、物的現象の世界の裏側に存在する実在に気付くようになり、さまざまな体験を提供することです。」(以上『シルバーバーチの霊訓8』潮文社)

 「改めて申し上げるまでもなく、地上へ誕生してくる目的は各自の魂の成長と開発と発達を促進するような体験を積み、肉体の死後に待ち受ける次の段階の生活にふさわしい進化を遂げることです。」

 Q.「たとえ生活水準が今より向上したところで不老不死ということは有り得ないのは言うまでもないのですが、もしも完全な生活水準が整ったら150歳までは生きられるのではないかと思うのですが・・・」
 A.「肉体的年齢と霊的成熟度とを混同してはいけません。大切なのは年齢の数ではなく、肉体を通して一時的に顕現している霊の成長、発展、開発の程度です。」

 「肉体が地上で永らえる年数を長引かせることは神の計画の中にはありません。リンゴが熟すると木から落ちるように、霊に備えができると肉体が滅びるということでよいのです。ですから寿命というものは忘れることです。長生きをすること自体は大切ではありません

 「地上生活のいちばん肝心な目的は、霊が地上を去った後の霊界生活をスタートする上で役に立つ生活、教育、体験を積むことです。もし必要な体験を積んでいなければ、それはちょうど学校へ通いながら何の教育も身に付けずに卒業して、その後の大人の生活に対応できないのと同じです。」(以上『シルバーバーチの霊訓10』潮文社)

 『大霊界7 神と医』(隈本確、弘文出版)より
 霊界においては、浄化の段階の違う神霊同士は決して交流できず、したがって、霊界での霊の向上は、たった一人の孤独な闘いの歳月であるということを、思い出していただきたい。しかも、数多の階層のある霊界で、霊界人たちがそのたった一段階を登るためには、数百年、数千年という歳月を要するのである。 

 ところが、肉体を持った人間の中に住んでいる魂(生き霊)は、どうであろうか。これらの魂は、人間の肉体というものを媒体として、あらゆる神霊との交流が可能なのである。 魂は、いかなる高級神霊とでも、また、いかなる低級霊とでも、自分(魂)を包んでいる肉体を仲立ちとすれば、自在に交流ができるのだ。それが霊界入り以前、すなわち発生当初の魂のみに与えられた特権である。 

 さきほど、「人間は、百年足らずの持ち時間の間に、いったい何をすればいいのだろうか」という疑問を提示したのであるが、ここで、その答えを明かそう。 それは、人間が自己の肉体をフルに活用して、でき得る限り高級神霊との交流を持つように努力し、魂を磨くことに他ならない。 人は生前においてさえ神になることができるのである。自己の内に鎮まる魂の存在を、高き神の位にまで磨くことができれば、私達は生前に肉体を持ちながら、高き神霊の持つ位と力とを得ることができるのだ。 それが人間としてこの世に生まれてきたことの意味である。

 <私見>
 この世に生まれてくる意味は何か?霊界がどういうところかを知ることにより理解できるかもしれない。

 <霊界では言葉を必要とせず想念が相手にそのまま伝わるらしい>
 私達人間は肉体が使えなくなっても(死んでも)霊として存在する。生きている間経験したことや知識、感情などすべてを携えて向こうでの生活を始める。その際には肉体ではなく幽体という自己を表現する身体を使う。こちらと同じく社会生活を営み他人とコミュニケーションを取る、と言われている。

 ただその際にこの世と異なるのはコミュニケーションの媒体が言語ではないらしい。霊界は思ったことが相手にそのまま伝わる世界であり、そのため言葉が必要なくて、地上にいる際には私達は他国語を話す人とはコミュニケーションが取りにくいが、霊界ではそのようなことはなく誰とでも意思、想念のやり取りができるそうだ。 これは自分の思ったことがすべて外部に放射されて他者に知られてしまう、隠し事ができない場所ということであろう。

 <自分と同じ考え、価値観の者同士が集まって生活するらしい>
 そのようなところでは人々は自然と自分とまったく同じ考え、価値観、嗜好、感情の人たち=霊格が同等の者どうしが集まり生活することになるらしい。なぜなら自分の考えと合わない人といても自分の心が隠し立てができないから、その場をとりつくろうとか丸く治めようということができずまっさらの自分しかだせないところであり、合わない者とは同居ができなくなり、おのずと価値観を共有する者が集まることになると。

 霊界は霊格が同等の者どうしがつくる界層(「階層=上下に積み重なっている」ではない。「境界のある」という意)社会であり、その界層が無限の数だけあると言われている。私達すべての霊という存在はバイブレーション=波動の存在であり同じ波動、波長の者同志は共鳴しあってまったく同じ界層を築いて生活するらしい。

 であるから地上で夫婦、親子であったとしても意見が合わなかったり反目していたりした者どうしは霊界では決して一緒に暮らすことはない、できない。霊界で共に暮らせるのは愛情に結ばれた者同士、同じ価値観を共有するものどうしと言われている。 この環境はまったくの平和ではないか。自分とまったく同じ感性の人間だけが住んでいる世界。とても快適に違いない。これが争いのない世界、人々の理想とするいわゆる“天国”という場所なのだろう。

 <退屈してより魂の向上を求めたくなる>
 このような平和な世界には本人が居ようと思えばいくらでも居ることができるだろう。霊界には時間はないというし。魂によっては何百年、何千年と同じ境遇に居る者もいるようだ。しかしたいていの霊はその環境に飽きてくる。平和であるということは魂を鼓舞するような刺激が少ないということだ。私達はすべて霊であるがその存在目的は“魂の向上”だそうだ。そして平和な環境に浸かっているということは魂が向上しないのだ。

 魂を向上させるためには自分より優れた者と交わって学んだり、自分より劣った人たちを助けるなどといった行為が望ましい。同じ界層の相手では平和であり魂の鼓舞が難しい。人は困難にあってこそ始めて魂が鼓舞されるのだ。だから自分の界層には同じ霊格の者しか居ないので、それを求めて霊格の高い霊たちがいる界層や、低い霊たちのいる界層に行きたくなる。しかし行くには行けるがそこでは活動ができない、魂の向上が図れないのだ。

 <他の界層でも魂の向上は困難である>
 例えば自分より崇高な霊の界層へ行ったとしよう。まわりは自分よりはるかに気高い人たちばかりである。自分から見ればとんでもない善人ばかりの世界にいると思って欲しい。そこで人がすごい自己犠牲を払っているのを見て「そこまですることはないんじゃない?自己満足じゃないの?」とあなたが思ったとしよう。するとそのあなたの想念がそのまま、その自己犠牲を払っている人に伝わる。先ほど述べたように霊界ではあなたの心に思ったこと=想念は隠すことができずそのまま全世界に放射されていくからだ。

 その崇高な界層ではあなたの霊格が発する、その界層ではまだ未熟とされる想念が相手に届く。相手は当然困惑するだろうし、その相手からの好ましからざる想念があなたに返されて来るだろう。当然良い関係は築けない。あなたの霊格との差が大きければ大きいほどあなたはその霊界の界層社会で生活を営むのは困難となる。

 その逆もまた真である。あなたより霊格の劣った人たちを指導しようとそのような界層社会にいったとしよう。あなたからみるとひどい感情を持っていたり乱暴をする者達の中に入っていった時、あなたが「なんてひどい連中なんだ」などと思えばそれが即、相手に伝わってしまう。そこではあなたは爪弾きにされるのではないだろうか?このように霊界では上に行くことも下を訪れることも困難だとされている。それが前述の『大霊界7 神と医』で述べられている最初のパラグラフ「霊界においては、浄化の段階の違う神霊同士は決して交流できず、したがって、霊界での霊の向上は、たった一人の孤独な闘いの歳月であるということを、思い出していただきたい。しかも、数多の階層のある霊界で、霊界人たちがそのたった一段階を登るためには、数百年、数千年という歳月を要するのである」となるのだ。

 <魂の向上を図るため“この世”に戻りたくなる>
 こうして霊界にいると自分の魂の向上を図るには“この世”に行って“修行”することが最も効果的と痛切に理解できるようになる。この世では霊格の高い者も低い者もたくさんいる。出会うことで学ぶことができる。あの世では決して体験のできない困難、病気、災難、などが体験できる。

 この世の真の意味、霊的視点から見たこの世の本当の価値、「霊界では得ることができない、魂の向上が図れるまたとない修行の場」ということが理解できるようになる。そのため多くの魂がこの世に戻ることを切望して生まれる順番を待っているのだ。あなたはそうして何度もこちらに生まれてきている存在なのだ。この世に生まれる前から存在し、この世を離れた後も存在する永遠の魂なのだ。

 霊は自分の魂を向上させてくれる最も良い時、環境を選んでこの世に生まれてくる。国を、地域を、両親を選んで生まれてくる。この両親ならば私をこのように育ててくれる、反面教師となってくれそうだとか、19世紀初頭のアメリカに今、生まれれば奴隷解放運動に殉じる姿を見せることで何が重要かを人々に知らせることができる(リンカーン)というように。 この世に生まれて来るのはそういう理由なのだ。決して「親が勝手に生んだから」などと言ってはいけない。「ばちが当たる」とかのレベルの問題ではない。もったいないのだ。真の意味を知れば。ただ飲んで食べて仕事して寝て・・・。そして死んでいく。それではもったいない・・・。

 肉体を離れて霊界へ戻ってから自分の守護霊と共に自分の今回の生をゆっくりビデオを見るように回想するという。そして「あぁ、あの場面ではああすれば良かった。あれが今回の生まれてきた課題だったのに。失敗したなぁ」などと。無限に進化の階梯が続く霊界から見ればこの世の地上生活は小学校の過程でしかないと言われている。小学校の課題は「人間とは様々な困難に遭う事で霊性を高め、自分が霊的存在ということに気付いて次の(霊界での)生活に備えること」だそうだ。

 これらのことを霊界からの通信は教えてくれる。荒唐無稽の物語と思われるのが普通だろう。私も最初に読んだときにはそうだった。しかし、そこに宗教色がないこと(「うちの宗教に入れ、この信仰を信じないと地獄に堕ちるぞ、ほかはすべて邪教だ」など)、思想を強制しないこと、平和を築く礎になる思想であること、何よりも私の大事な大好きな自然、命の価値を認める言葉、そして語る言葉に謙虚さが滲み出ていることなどから私は全面的に受け入れた。

 私もこういうことに気付いたのはこの3年間のことだった。まったく気づくのが遅い。今生でのミッションをやり切れるかとも思う。しかしこれが私のコースだった、これ以外のコースは選べなかった、回り道のようであってもこれが私の向上の最短コースだったことを私は思っている。
 半分入ったコップの水を見て「もう半分しかない」と思うか「あと半分も残っている」と思うかは自分次第だ。私にもまだまだやれることはあるだろう。
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引き受け気功 東京講習会4月のご案内

2006年03月14日 20時18分37秒 | レイキ・ヒーリング・遠隔、霊的な治療
藤谷康充先生『引き受け氣功』2006年4月東京講習会のご案内

 平成18年4月7日(金)
  会場:ロハスキッチン&バー『ソトコト』
     *東京駅・丸の内地下中央改札口より直結、丸ビル地下1階
  時間:第一回 10:00~12:30
     第二回 13:30~16:00
     第三回 16:00~18:30
  
 平成18年4月8日(土)
  会場:新宿・東京海上日動ビル
     *東京都渋谷区代々木2-11-15 東京海上日動ビル地下1階
      JR新宿駅 南口より徒歩5分
      京王新線・都営新宿線・都営大江戸線 新宿駅出口6から徒歩1分
  時間:第一回 10:00~12:30
     第二回 14:00~16:30
     
 平成18年4月9日(日)
  会場:東京海上日動ビル(上記)

  時間:第一回 10:00~12:30
     第二回 14:00~16:30
     
  費用:いずれも3000円。会員は2000円。会員証か領収証を提示。
  予約:すべての回に予約が必要です

 *私は4月7日(金)16:00からの第三回に行きます。講習終了後、その場所で宴を持つ予定です。よろしければご一緒しましょう。

 なお講習会参加は要予約ですのでご自分で予約してください。下記宛にFAXにて第一希望、第二希望日時を明記のうえお申し込みください。なお先着順なのでいっぱいの場合は悪しからずご了承下さい、とのことでした。

 予約先:ワンダーライフ研究会・関東事務局
 TEL:090-7581-5062(平日:10時~18時)
 FAX:0297-83-4415
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エドガーケーシーリーディングより

2006年03月13日 09時46分23秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 「大切なのは、どれだけ知っているかではなく、自分の知っていることをどれだけ適用するかである」(323-1)
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アラスカ石油流出事故

2006年03月11日 22時25分39秒 | 地球環境、自然保護、エコロジー、ロハス
 アラスカで石油パイプライン漏れによる原油流失事故が起きている。
 Alaska hit by 'massive' oil spill是非サイトを覗いてほしい。

 1989年にはエクソンのバルディーズ号という石油タンカーがアラスカ湾で座礁して過去最大の環境汚染が引き起こされたけれども、今回の原油流出による汚染規模はそれを凌ぐという。今回はアラスカ湾と反対側の北極海に臨む丘陵地帯を走る石油輸送パイプラインの管内腐食による穴からの流出と見られているが確かな原因は不明であり、なおかついつから漏れ出していたかも不明なようだ。100万リットル以上という想像することも難しい量の原油が永久凍土の土壌上を覆っているという。環境保護団体が伝えているようにこれはもう回復不能な“破局的環境破壊”となってしまった。温暖化が進む地球環境の悪化をさらに加速させる一撃だ。娘の育つこの星がさらに住みにくくなっていってしまう・・・。辛くて悲しい。

 このアラスカを走る石油パイプラインは今回のような事故を想定して環境保護団体からは強く建設反対をされていたのだが、開発推進派から中東石油危機に備えての国家安全保障上の理由から合衆国でブッシュの時代に開発が進められたのだ。もし環境保護派のゴアがブッシュに大統領選挙で勝っていれば多少は事態は変わっていたと思うがもう後の祭りである。

 この事件の根底には資源を利用することが当たり前であり、自分に続く子孫七世代分の平和と安寧を考慮する生き方が欠如していることが横たわっている。アメリカは知ってのとおり世界最大の消費社会だ。次の動画にあるようにもし世界が100人の村だったとしたらその中のたった6人のアメリカ人が村全体の富の59%の占有していると言われている。
 世界が100人の村だったら

 翻って今の日本はアメリカ流の生活をいつまで続けていけるのか?昨今は経済的に立ち直りつつあることを歓迎しているようだがまたバブルのような浪費生活を再現することは地球全体のことを考えるともうもたないだろう。今日テレビを見ていたら確か環境省のアンケートだったと思うがエコロジー的生活をすることで生活水準が下がるなら反対と答えた人の割合が66%くらいいるとのことだったが生活様式を改めない限り破局はより確かに足を速めてやってくるに違いない。

 私は大地にのっとった生き方に戻りたいと思っている。この間ネイティブ・アメリカンの人たちの“生き方の道”を学んだことで道にのっとって生きていくことを心に決めた。そうやって“静かな生活”を選択することがひいてはアラスカ石油パイプラインを不要のものにしていくことに繋がっていくと思っている。

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『オーラの泉』現行どおりのまま・・残念です<お詫び>

2006年03月08日 21時54分03秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 『オーラの泉』現行どおりのまま・・残念です<お詫び> 

 2月1日の日記でお知らせした「4月から『オーラの泉』が月曜夜7時のゴールデンタイムに移行する」という情報ですが、今日関係者の方に教えて頂いたところ最終的には4月以降も現行どおりとなったようです。いろいろ紆余曲折があったようですが結果的には現状維持のままで4月から半年間は放映が確定している模様。

 何はともあれ今回は結果的に正しくない情報を皆様にお知らせしたことになってしまい、多くの方々にご迷惑をお掛けしたと思います。この場を借りてお詫びさせて頂きます。誠に申し訳ございませんでした。

 『オーラの泉』はこの間の三谷幸喜さんがゲストの時は10%を超える11時台としては驚異的な視聴率を取ったとか。そんな高視聴率を稼げる番組だからこそ今回の番組改編時に局の方でゴールデンタイムに持っていってより視聴率を稼ごうという動きがあったのでしょう。いずれにしてもいい番組は長く続いて欲しいと思います。


 
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