本日、大阪池田小事件の犯人宅間死刑囚の死刑が執行された。人権団体の非難表明が出ているが霊界からは死刑執行の誤りを次のように述べてきている通信がある。
「霊にとりて、その宿れる肉体より無理やりに離され、怒りと復讐心に燃えたまま霊界へ送られることほど危険なるものはない。いかなる霊にとりても、急激にそして不自然に肉体より切り離されることは感心せぬ。われらが死刑を愚かにして野蛮なる行為であるとする理由もそこにある。死後の存続と進化についての無知が未開人のそれに等しいが故に野蛮であり、未熟なる霊を怨念に燃えさせたまま肉体より離れさせさらに大きな悪行に駆り立てる結果となっているが故に愚かというのである。
そなたらはみずから定めた道徳的並びに社会的法律に違反せる者の取り扱いにおいてあまりに盲目的であり無知である。幼稚にして低俗なる魂が道徳を犯す。あるいは律法を犯す。するとそなたらはすぐにその悪行の道を封じる手段に出る。本来ならばその者を悪の力の影響から切り離し、罪悪との交わりを断ち切らせ、聖純なる霊力の影響下に置くことによって徐々に徳育を施すべきところを、人間はすぐに彼らを牢獄に閉じ込める。そこには彼と同じ違反者が群がり、陰湿なる邪念に燃えている。それのみか、霊界の未熟なる邪霊までもそこにたむろし、双方の邪念と怨恨とによって、まさに巣窟と化している。(中略)
凶悪人から身体的生命を奪う。復讐的刑罰を与える。厚顔にも法の名の下に流血の権利を勝手に正当化している。断じて間違いである。しかも、かくして傷つけられし霊が霊界より復讐に出ることをそなたらは知らぬ。」(中略)
「然り。友よ、そなたらが設けたる牢獄、法的殺人、その他、罪人の扱い方の全てにおいて、その趣旨がことごとく誤りと無知の上に成り立っている。
戦争および大量虐殺に至っては尚のこと恐ろしきことである。本来同胞として手を繋ぎ合うべき霊たち、その霊たちの利害の対立をそなたらは戦闘的手段によりて処理せんとする。血に飢えし霊たちは怨念と憤怒を抱きつつ肉体より引き裂かれ、霊界へと送り込まれる。肉体なき霊たちは燃えさかる激情にさらに油を注がれたる如き激しさをもって地上界を席巻し、残虐と肉欲と罪悪に狂う人間の心を一層駆り立てる。然るにその拠って来るそもそもの原因は単なる野心の満足、一時の気まぐれ、あるいは王たる資格に欠ける王子の愚かなる野望に類するものであったりする。
ああ、友よ、人間は何も知らぬ。まだまだ知らねばならぬことばかりである。しかもそれを、これまで犯せる過ちを償うため、苦くかつ辛き体験を通じて知らねばならぬ。人間は何よりも先ず、愛と慈悲こそ報復的処罰に勝る叡智なることを知らねばならぬ。」(『霊訓<完訳・上>』、W・S・モーゼス著、近藤千雄訳、
心の道場)