植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

セイタカアワダチ草2

2004年09月30日 17時42分58秒 | 自然療法・手当て法(ビワの葉温灸)
セイタカアワダチ草
 鶴見川へ再びセイタカアワダチ草を採りに行く。台風一過の晴天だが強風で風にしなる背の高い草をつかまえるのに一苦労した。今から30年ほど前、帰化植物として大量発生して大騒ぎになったが、自家中毒を起こして種の独占とはならなかったようだ。

 ちょうど黄色い花が咲き出した時期で、酵素分が多いと言われる花穂がたくさん付いていて収穫だった。先端から30cmくらいで切り取るのだが、注意しないと時々蜂が先客として花穂に掴まっているので要注意。充分収穫した後は乾かすのに好都合な晴天がしばらく続くことを願うばかりである。
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菜食は守護霊と結ぶ補助的手段

2004年09月26日 17時40分54秒 | 食養生、マクロビ、玄米菜食、スローフード
 病気を治したいために意念の統制をしよう、菜食をしようでは、病気は一度治っても、またいつか起こる。心の奥まで自然療法にもっていくことが肝心。心には、うわべの心と奥の心がある。病気を治すためにこうしよう、と思うのは上べの心である。奥の心から、これこそ人間の道だからと確信して、意念の統制をする、菜食をする。自然の道こそ正しい道であり、これこそ守護霊へ心が通じる道である。
 
 病気は、心の持ち方、食物、薬の弊害、身体の使いすぎから起こる。しかも、これら四つの誤った使用へ本人を向けるものは、その人に働く悪背後霊である。その霊を呼んだのは、本人の奥の心から発する波長である。

 従って、奥の心を正しく、自然の道へ、すなわち守護霊と感応道交する方向へ向けておかねばならぬ。この場合、菜食を守って、体質をアルカリ性体質にしておくことは、守護霊が感応しやすい体質にしておくという意味で、補助的手段と理解すべきである。(『スピリチュアルな生き方原典』脇長生講述、桑原啓善筆録、でくのぼう出版)

 自然療法をただ病気治しのために採用する、ということでは病を根本からは治すことにはならない、という厳しい指摘である。「玄米菜食をすれば治る」と考えるスタイルから入る治療では根治には至らない、という指摘である。

 東城百合子先生が「病は己の間違った心に気付くきっかけ」と口を酸っぱくしてまで言われることには、ちゃんと霊的視点から見ても合理的な正当性があったのだ、と知る。
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スピリチュアルな生き方

2004年09月24日 17時37分54秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 午前の患者さんと昼休みに訪れた先日知り合った方の二人から「元気を頂いた」と言われ嬉しかった。ささやかだけど霊的知識を伝えることで人の役に立てたことを守護霊さま他の導きに感謝申し上げます。

 『スピリチュアルな生き方原典』(脇長生講述、桑原啓善筆録、でくのぼう出版)読了。わかりやすくて良い。
 『神霊主義』(浅野和三郎著、でくのぼう出版)読み始める。
 『セイクレッド・スター 理論編』(高岸和也編著、Toth Books)読み始める。
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セイタカアワダチ草

2004年09月23日 17時35分22秒 | 自然療法・手当て法(ビワの葉温灸)
 セイタカアワダチ草を摘みに行く。野原や荒地に群生し、ちょうどこれから黄色い花を咲かせる帰化植物である。これがアトピー、腎臓病にも良いというので東横線綱島駅から歩いて鶴見川河川敷で採ってきた。

 花を咲かせる直前のつぼみ中には酵素が多くこれが毒出しの効果があるようである。とりあえず娘さんがアトピーで悩んでいる方に乾燥途中の束を差し上げた。あとは自宅でもう少し干して後、切り刻んで布の袋に入れて風呂に入れ、水から沸かすだけである。一日入ったお湯は捨てず3日くらい沸かし直して入浴すると良いらしい。

 癌を始め慢性病の方はまずは体からの排毒をお勧めする。玄米菜食など体に良いと言われるものを摂取することは大切なことだけれども、それと同時に、いやそれよりも先ず先に断食、洗腸、砂浴などといった体内毒素の外部への放出もお考え頂きたいと思う。
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心霊治療の精神統一

2004年09月15日 17時33分17秒 | レイキ・ヒーリング・遠隔、霊的な治療
 心霊治療を行う際の精神統一は,先ず心を敬虔な気持ちに置き、神前に座す心となり、中継霊(なかつぎれい)側におわすと一礼し、次に神の智慧が内に流れ入るのを感じ、次第に光が我が身を包み、智慧と法悦が霊界に居られる祖霊にまでも漲り渡ると観じる事であります。

 次には志す病人を燦然と輝く霊気に包み、協会の治療霊団治し給う光景を見つめる事であります。これを続けるならば如何なる病も治って行くものであります。 病気治しに当たる人は、よく人の病を引き受けるなどと言う人がありますが、これは迷信でありまして、自分が治すのだと思い上がるからでありましょう。

 病気治しはその人の幽体から治さなければ本物ではありません。病に冒されている箇所は、幽体が黒ずんだり薄くなっているからであります。それでその病んでいる箇所に治療霊が、人には見えぬ幽質のものを注入されるのであります。(『吉田綾霊談集・上』p73)
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死刑執行の誤り

2004年09月14日 17時28分38秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 本日、大阪池田小事件の犯人宅間死刑囚の死刑が執行された。人権団体の非難表明が出ているが霊界からは死刑執行の誤りを次のように述べてきている通信がある。

 「霊にとりて、その宿れる肉体より無理やりに離され、怒りと復讐心に燃えたまま霊界へ送られることほど危険なるものはない。いかなる霊にとりても、急激にそして不自然に肉体より切り離されることは感心せぬ。われらが死刑を愚かにして野蛮なる行為であるとする理由もそこにある。死後の存続と進化についての無知が未開人のそれに等しいが故に野蛮であり、未熟なる霊を怨念に燃えさせたまま肉体より離れさせさらに大きな悪行に駆り立てる結果となっているが故に愚かというのである。

 そなたらはみずから定めた道徳的並びに社会的法律に違反せる者の取り扱いにおいてあまりに盲目的であり無知である。幼稚にして低俗なる魂が道徳を犯す。あるいは律法を犯す。するとそなたらはすぐにその悪行の道を封じる手段に出る。本来ならばその者を悪の力の影響から切り離し、罪悪との交わりを断ち切らせ、聖純なる霊力の影響下に置くことによって徐々に徳育を施すべきところを、人間はすぐに彼らを牢獄に閉じ込める。そこには彼と同じ違反者が群がり、陰湿なる邪念に燃えている。それのみか、霊界の未熟なる邪霊までもそこにたむろし、双方の邪念と怨恨とによって、まさに巣窟と化している。(中略)

 凶悪人から身体的生命を奪う。復讐的刑罰を与える。厚顔にも法の名の下に流血の権利を勝手に正当化している。断じて間違いである。しかも、かくして傷つけられし霊が霊界より復讐に出ることをそなたらは知らぬ。」(中略)
 「然り。友よ、そなたらが設けたる牢獄、法的殺人、その他、罪人の扱い方の全てにおいて、その趣旨がことごとく誤りと無知の上に成り立っている。

 戦争および大量虐殺に至っては尚のこと恐ろしきことである。本来同胞として手を繋ぎ合うべき霊たち、その霊たちの利害の対立をそなたらは戦闘的手段によりて処理せんとする。血に飢えし霊たちは怨念と憤怒を抱きつつ肉体より引き裂かれ、霊界へと送り込まれる。肉体なき霊たちは燃えさかる激情にさらに油を注がれたる如き激しさをもって地上界を席巻し、残虐と肉欲と罪悪に狂う人間の心を一層駆り立てる。然るにその拠って来るそもそもの原因は単なる野心の満足、一時の気まぐれ、あるいは王たる資格に欠ける王子の愚かなる野望に類するものであったりする。

 ああ、友よ、人間は何も知らぬ。まだまだ知らねばならぬことばかりである。しかもそれを、これまで犯せる過ちを償うため、苦くかつ辛き体験を通じて知らねばならぬ。人間は何よりも先ず、愛と慈悲こそ報復的処罰に勝る叡智なることを知らねばならぬ。」(『霊訓<完訳・上>』、W・S・モーゼス著、近藤千雄訳、心の道場
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霊的真理から見た健康

2004年09月13日 17時25分05秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
「健康とは全体が整っていること、調和が取れているということ、リズムがあること、協調体制が整っていることです。あなたという存在は三位一体、すなわち霊または魂と精神、それに物的身体の三つから成り立っています。その三つの主要な構成要素の間に調和が取れていれば、あなたは健康です。その三者の間で相互作用が絶え間なく行われているのです。

 霊が正常であれば精神も正常であり、身体も正常です。身体に生命を付与しているのは霊です。霊はすなわち生命であり、生命はすなわち霊です。霊とは大霊であり、大霊がすなわち生命ということです。物的身体は霊が自我を表現するための道具であり、精神はそのためのコントロールルームと思えばよろしい。

 残念ながら現代の忙しい生活機構が緊張とストレスと過労を生んでおります。それが調和を乱すのです。霊が病み、精神が病み、それが肉体に病的症状を生み出します。

 心身症という病名がありますが、これは精神と霊に起因する病気のことです。ですから、かりに心配が原因で潰瘍が生じた場合は、その潰瘍部分を切除しても何にもなりません。心配をするという精神の病がある限りは、また潰瘍が生じます。心配をしないように精神を修養するしかありません。そうすれば潰瘍も消えます。

 そこに現代社会が病んでいると申し上げる原因があります。考え方、物の見方、大切なものとそうでないものの判断力、焦点のおきどころ、視野の持ち方、こうしたものが狂っているのです。

 大切なものとどうでもよいものとの区別ができるようになり、基本的な霊的真理の大切さが分かるようになれば、人間を構成する三つの要素が調和して、健康になります。」

 (『古代霊シルバーバーチ最後の啓示』、ハート出版)
 
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病気と守護霊

2004年09月11日 17時21分11秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 「希望は実現の母でありまして、希望をもってその希望に向かって心明るく、前に進んで行く者は遂にその希望を実現する事ができます。何故ならばその人の希望は、常にその人の背後霊が良くも悪くもかなえさせようと思うものなのであります。 

 若しここに二人の同じ進行程度の病人がいたとして、「一人は守護霊が見守って下さるから必ず治る」と希望を持ち、心豊かに明るく快活にしているとし、他の一人は、「もう自分は駄目だ」と考え、希望を失い悲観し暗い心を抱いて居るとしますならば、前者は恐らく治る率が多く、後者は全く治らないかまたは同じ治るにしても、結果に於いて他の余病が出たりして、そこに大変な差が出てまいります。

 守護してくださるよき背後霊があると常に感謝する心は、努力もいらなければ力みもいらない、唯守護の慈悲に包まれて自分が無くなり気楽に暮らせましょう。」(『吉田綾霊談集・上』p115)
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植物のヒーリングエネルギー

2004年09月09日 17時15分54秒 | 自然療法・手当て法(ビワの葉温灸)
重陽の節句
 風仮さんには沢山のことを教えて頂きました。著作権のこともありそのままは記載できませんが、炭酢(木酢液)、たんぽぽエキス、山葡萄液、梅、アロエ、スギナ、よもぎ、ブタナ、びわ葉などの手作り野草酒、エキスには生命の波動があり、私たちの生体を浄化し有害なエネルギーから守ってくれる働きがあるそうです。

 東城百合子先生が勧めている自然療法の有効性を、見えない世界のことが分かる方が実証してくださっている訳で、とても嬉しいことです。私たちは自分の感性を信じて、自分の体調に合った植物エネルギーを摂取していきましょう。
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地球を癒す者

2004年09月08日 17時13分40秒 | 個人的体験・雑感
 風仮さんから送られてきた彼女の著書『あおみどり』『おもいオコセ』『Grace』を読んだ。ここにも一人、己の持てる力の限りで今生の課題に真摯に取り組んでいる仲間、彼女の言葉で言えば群霊の友がいた。その友は遥か先を私たちを導いてくれるように歩んでいる。

 彼女の言霊を貴方にお伝えします。
「最後の日まで『あるがままで地球を癒す者』を目指して 生きて参りましょう」
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病気は悩める心から

2004年09月02日 17時11分15秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 下落合の財団法人日本心霊科学協会に行き、『吉田綾霊談集』ほか数冊購入する。吉田綾という霊能者が聴いた向こうの世界からの言葉である。

 ふつう人は「霊」と言われると幽霊、悪霊などを想像してしまい勝ちであるが、この吉田綾氏が霊聴力で聴いた言葉は高級霊からのものであり全文を通してたいへん気高く、人間に対する慈愛が満ちている感じがする。
 その中から皆様の参考になりそうな通信を一つご紹介します。

 「●病気は悩める心から
 病気している肉体とは、悩んでいる心そのものの結晶したものであります。だから悩んでいる心を悩まない心に転じますと、病まない肉体が現れてまいります。この病気はこれ以上悪くなるのではないか、と悩む心が、安心の心、即ち背後霊任せの心になれば、更にもう一歩突っ込んで感謝する心に変われば、病は段々に影をひそめてまいります。(中略)

 古い肉体が悩んでおりましょうと、常に新しいものが交代しつつある人間の肉体であれば、病む事何ぞ恐るるに足らん、といえましょう。」
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