今日は霊的なことについて。『霊訓』モーゼス著、近藤千雄訳、心の道場発行より。
背後霊
地上に生を受けた霊(人間)の使命達成と罪障消滅を目的として陰から守護・指導・援助する霊を指す総合的な用語。
本人の魂の親である守護霊(ガーディアン。類魂(るいこん)の一人)を中心として複数の指導霊(ガイド)と支配霊(コントロール)が含まれる。
背後霊は必ずしも指導する目的で付くのではない。そういう場合が一番多いのであるが、時には背後霊自身にとっての必要性から付くこともある。が、その場合でも人間を教え導くという傾向は自然に出てくる。
また時には特殊な使命を帯びた霊が付くこともある。性格に欠けたものがあって、それを補ってやるために、その欠けたものを豊富に有する霊が選ばれることもある。反対に霊の側に欠けたものがあり、それを身に付けるために適当なる人物を選ぶという場合もある。これは高級なる霊が好む手段である。
己の霊的向上の為に敢えて指導が困難で不愉快な思いをさせられる人間に付くことを自ら希望する霊もいる。その人間と苦労を共にしつつ向上していくのである。何ら特殊な使命を帯びていない人間の背後霊は、魂が向上するに従い背後霊が入れ替わることがしばしばある。
与えられた宿命に甘んじ、己の成長と同胞の福祉の為に精を出し、神を崇め、神に奉仕し、背後霊の指導に素直に従う者こそ、地上生活を最大限に活用した者と言えよう。
守護霊 Guardian,Guardian angel
地上に生を受けた霊(人間)と同じ霊系に属する類魂の一人で、誕生時あるいはそれ以前から付き添い、他界した後にも、事実上永遠に切っても切れない絆で結ばれている。
本来の使命は本人の地上での使命の達成と罪障消滅すなわち因果律を成就させることであって、それを挫折させまたは阻止せんとする勢力から守ってくれることはあっても、ぜひとも体験せざるを得ない不幸や病気などの“魂の試練”まで免除してくれることはしない。
英語でGuardianという守る、という言葉から、人間を災いから守ってくれる存在であると誤って捉えられていることが多いがそうではない。本人の成長の為に敢えて救いの手を出さず涙を流して見守っていることも多いと言われている。
注:ウィリアム・ステイトン・モーゼスは1839年にイギリスに生まれた。オックスフォード大学を卒業後、国教会の牧師の職についた後、小学校で教鞭もとっていた。1871年から1882年までの10年間にわたり、いわゆる“自動書記現象”(=突然右手が動き出し猛烈な勢いで字を書き出してしまう)が起こる。本人の意識とはまったく別に、本人が違うことを考えても手は勝手に意味のある文章をつづっていくというものでいわゆる神懸りである。
この際に出てきた霊は相当な高級霊に率いられた霊団であり、何人もの違う筆跡で自動書記は書かれ、時にメンデルスゾーン、ベートーベンも出てきている。
モーゼス自身は頑固なキリスト教の国教会の牧師であったのだが、霊団からのメッセージはキリスト教の誤りを徹底的に指摘するものであったので、牧師であるモーゼスは当初非常に反発していた。
しかしモーゼスがキリスト教の根本教理にのっとって論駁するもすべてにおいてかんで含めるように説得され、かつその時の雰囲気がいかにも高次な霊が降りてきている心地よい厳粛さを感じさせるものであったことなどから、得心するまでには10年の歳月がかかったもののスピリチュアリズムと呼ばれる考え方にモーゼスは傾倒していった。
上の背後霊、守護霊はそのモーゼスに懸かったインペレーターと名乗る霊(のちに紀元前5世紀のユダヤの預言者で旧約聖書の“マラキ書”編纂者であるマラキと身元が判明した)が説明したものであり、霊界の人間からの説明であることを理解されたい。
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