植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

美輪明宏著『人生ノート』『正負の法則』

2005年06月08日 21時16分22秒 | 個人的体験・雑感
 表題の2冊の本を読みました。わかりやすくて面白くて、かついろいろな示唆に富む本でした。

 以前読んだ彼の最新の著書『霊ナアンテコワクナイヨー』もご自身の霊的な体験や霊的視点からの考察がふんだんにわかりやすく書かれていて、この世に生きる意味なども明確にされていて為になりました。
 僕などよりはるかに起伏の激しい人生をひたむきに生きてこられた方であり、本当に尊敬する方です。皆さんにも彼の著作を一目お読みになって頂きたいと思います。

 「芸術に触れなさい。美しいものを見なさい。」という彼の言葉に触発されてアールデコの展覧会にも行きましたが、確かにそういうものに直に触れるということは大切なことです。今後、機会を捉えて美術館などにも足を運んでみようと思います。

 霊格の高い人の謦咳に接したり、出来うる限りの美を堪能することはこの世において重要なことだそうです。これからも多くの人に出会い、多くの場所に触れて御魂を磨いていきましょう。

 
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こだわらない

2005年06月07日 20時41分20秒 | 個人的体験・雑感
 こだわらない。淡々と生きる。何がやってきても「あぁ、成長させてくれる」と思える時がある。その時間が少しずつ増えていると内心喜んでいる。

 もちろん、すべてのこだわりを捨てたわけではない。こういう生き方をするというこだわりはあるのだから。しかし執着することで苦しくなることは何度も体験してきて少しは分かってきた。

 親、妻、子供、物、金銭、仕事、生きがい、健康、肉体、社会、地域、思想、考え、体験・・・様々な対象に対する執着が強ければ強いほど自由になれない。人との関係でもこうあるべきと形を自分で決め付けるから苦しくなる。

 あの世がありいつまでも自分の個性は変らず成長していくという風に考えているから、今生での様々なもの、事に対する執着は薄れてきている感じがする。己の肉体生命についても。

 僕にとって宗教は要らないけれども、死んだ後も生きていると考える思想、信仰は例えそれが誤りで妄想であっても、僕の生き方にプラスになっている。

 なぜなら、僕は死んだ後の生があると思うようになってから、
 1.死が怖くなくなった。これにより現実社会で怖いものが少なくなった。

 2.死んだ後も成長できると知って、あれもこれもしたいことがあるのにできないジレンマから解放された。一つ一つその時に出来ることをやっていれば良いと思えるようになったから。ようは長期的展望を持てるようになったので余裕が出来た。

 3.今いる場所の意義を理解できるようになった。
   霊界では似たような波長の者同志の生活により波風が立たない平和な日々だという。しかしそのぶん、魂の成長が遅くなるようで、修行の意味でこの世に生まれてくるそうだ。だからこの世は苦難の連続だという。だから今いる場所(この世)はできるだけ苦難があったほうが魂の成長が促される意味で良いらしい。せいぜい長生きして多くの苦難を受けて成長してみたい。

 4.執着が少なくなった。
 この世のもの、身の回りに起きることすべてが僕の魂を磨く触媒であるだけである、と理解し始めたので執着が少なくなりつつある。とても身軽になってきた。

 
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芒種

2005年06月06日 19時43分48秒 | 神道、預言、13の月の暦
 芒種(ぼうしゅ)二十四節気の一つ。
 「芒(のぎ)ある穀類稼種(かしゅ)する時也」
 芒(のぎ)とは稲や麦の穂のとげのこと。稼種は種まきのことです。麦を刈り田植えをする時期。6月5日~20日の間が芒種です。次は夏至となります。

 都会で暮らしているとまったく土と離れてしまい季節の巡りが肌で感じ取りにくくなっています。ことに最近は春が短くすぐ暑さがやってくるような気がします。台風も以前より規模が強く大きくなっているようですし。災害の程度がこれまでより苛烈になって来るかもしれません。止むを得ないこととそれを受け止め、引き受けていきたいものです。

 火と水に気をつけよ、と日月神示では警告しています。火は休火山の噴火。水は台風や大雨などによる土砂災害でしょうか。いずれの災害に出会っても“我よし”とならないように心の準備をしておきましょう。我先に逃げる、災害援助物質を奪い合いするなどといった獣性を表したり、恐怖にかられてそのまま死んでしまうと低下した魂のレベルの世界にいくことになるようです。しかし今度の場合は御魂が磨けていない魂は転生叶わず灰にされてしまうとのこと。

 たとえ日月神示の示すような世界終末が訪れることなく時が進んでいっても、日月神示などに表されている心の持ち方、御魂の磨き方を学んでおくことは将来あの世に行っても役に立つこと、今覚えていて損はないことだと思います。

 良い因果の種を蒔き、御魂磨きを怠らないように努めていきましょう。
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引き受け氣功と日月神示

2005年06月04日 21時55分45秒 | レイキ・ヒーリング・遠隔、霊的な治療
 引き受け氣功のポイントは氣功の動作ではなく、その際の精神、想念の持ち方にあると思う。他者の痛み、つらさ、困難を引き受けます、という心が最大のポイントだと思う。

 日月神示にも同様なことが書かれている。
 「他の為に行ぜよ。神は無理申さん。初めは子のためでもよい。親のためでもよい。自分以外の者のために、まず行ぜよ。奉仕せよ。嬉し嬉しの光さしそめるぞ。はじめの世界ひらけるぞ」と。
 「自分に降りかかって来る一切のものは最善と思え。如何なる悪いこともそれは最善のものであるぞ。(中略)世を呪うことは自分を呪うこと。世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。このこと覚れば一切はそこからひらけくるぞ」と。

 日月神示ではこれから物質的なこの世の終わりが来ると書かれていて、それまでに御魂を磨いておけと何度も何度も繰り返し述べられている。
 昨日の日記と重複するところもあるかもしれないけれども、引き受け氣功の素晴らしいところはその御魂磨きの実践となっている、ということだ。

 かつて1980年代頃から始まったニューエイジと言われるチャネリング、アセンション、UFOといったムーブメントに続いて日本では『シルバーバーチの霊訓』なども世に出て、その後一気にスピリチュアルな世界観が日本の日常に出てきた。

 江原啓之氏に代表されるスピリチュアルカウンセラーのような存在により、霊的な生き方(肉体の欲求よりも魂の成長を重視する生き方)も提案される時代になってきた。しかし多くの人は頭の中では知識としてそれらのことを知り始めても、まだ実際の生活にその考え方を取り入れるまでは至っていないように思える。

 そのような時代背景のいま、引き受け氣功は癌などの難病も治すという点で受け入れられ始め、急速に広がりつつあるのだが、それをする際の想念がまさに霊的な生き方の実践になっているのだ。

 引き受け氣功が受け入れられるのはその驚異的な効果もさることながら、今という時代には人々の集合無意識がじゅうぶん霊的に高まって来ていたことも重要なポイントではないか。体を治すためといっても他者の苦難、困難を引き受けるという想念を受け入れること自体がある程度の霊性の高さを求められると思うのだ。

 私見だが引き受け氣功は今から30年前にはたぶん世に出ても受け入れられなかったと思う。ニューエイジ、シルバーバーチの霊訓などによる人々の霊的意識の引き上げがあって、人々の集合無意識の霊的レベルの土壌がじゅうぶん高められていたからいま、受け入れられるのではないか。
 物事には為される正しい時、正しい順番がある、というインディアンの教えが頭に浮かぶ。

 多くの方に引き受け氣功をして頂くことによって、知らないうちに御魂磨き、霊格の格上げをしてほしいと思っている。ベッドに寝ている癌患者さんに「霊格を上げることが癌を治すんですよ」と今まで言ってきても、「ではどうすれば?」と問われた時に「肉食をしないように」ぐらいしか実践方法を示しえなかった僕にとっては、今迄の考えを実践すれば治ることを証明してくれた引き受け氣功。

 しばらくは日月神示を読み、引き受け氣功を行うことを中心にしていこうと考えている。 
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引き受け氣功を学んできた

2005年06月03日 23時06分01秒 | レイキ・ヒーリング・遠隔、霊的な治療
 東京駅駅前の丸ビル地下の喫茶店で開かれた藤谷康充先生の引き受け氣功東京講習会に行ってきた。数多くの気付きを頂いた。この氣功を教えてくれたサラリータさんに深く感謝しないといけない。サラリータさん本当にどうもありがとう。以下、僕の感想です。

1.引き受け氣功は僕の懸案だったこの星の治療と人の治療に“橋を架ける”方法だと気付いたこと
 僕のライフワークは地球環境を緑豊かなものに戻し、生き物が活き活きと活動する大地に戻すことと、癌の治療を通しての魂の気付きを人々にもたらすことの二つである。しかしいっぺんに二つはできずにいた。

 ところが藤谷先生は引き受け氣功をする時に「この方の病気、それを引き起こしている病原菌などのすべての原因、憎む心、悲しむ心などの心の闇もすべて私が引き受けます。この場所に連なるすべての重い氣、暗い氣、悪い氣すべてを引き受けます。この方の先祖で憎しみや苦しみ、悲しみに苦しんでいる方があるならばそのすべての氣を引き受けます。大気汚染などすべての環境の汚れ、乱れを引き受けます」という言葉を仰った。この言葉は僕に人の治療と同じやり方でこの星の治療も出来ることに気付かせてくれた。

 引き受け氣功で肉体の癌が治るのは、想念で癌に対し理解、愛情を示すからだ。作った責任を自分で負うと潔く認めるからだ。
「癌ちゃんごめんね。僕が作った癌なのに邪魔者扱いして切ったり、焼いたりしてきて。今ようやく貴方を作ったのは自分の行いや考え方が間違っていたからだと理解できたよ。だから貴方の存在を引き受けるからもう暴れないでね。もう気付いたから大丈夫だよ。気付かせてくれてありがとう。」

 こういう思いを癌に向ければ癌が「ようやくわかってくれた!」となって自然に消えていく・・・。藤谷先生の教え方はわかりやすくてうまいと思う。

 私達は今、地球環境が悪化して苦しんでいる。それはすべて私達が引き起こしたものだ。しかし今の私たちにはその責任を取ろうという想念がまだ弱いのだ。なんとかやりすごせないか、先に延ばせないか。うすうす気付いているのに責任を取ることを躊躇、先延ばししている。それが悪化の原因だろう。

 私たち人間は地球という大きな生命体にとっての“創造性の塊”だそうだ。地球は何億年もかかってようやく人類という地球の創造性を表現する存在として人類を作ってきたという。人類は“創造性=想念”の塊なのだ。

 その想念の塊である私たち人間が“我よし”という自分だけが良ければ良いという悪い考えに支配され続けてきたためにその結果として地球という物質に環境問題という癌と同様な慢性病が起きたのである。

 であるから、この星の環境を守るには私たちが引き受ければよいのである。そのすべての責任を今すぐ。具体的にはそういう言挙げをすればよいのだ。それが藤谷先生が引き受け氣功をする際に仰っていた「すべての環境の汚れを引き受けます」という言葉だ。

 具体的にはこれから僕は治療の際に、ベッドに横たわる患者さんの前で心の中で藤谷先生が言われていたようなことを僕なりの言葉で言っていくだろう。それがこれから大きな意味のあることになると確信している。

 2.引き受け氣功は癌を治すのみならず魂を治す“御魂(みたま)磨き”の方法だと思う。
 日月神示(ひふみしんじ)やホピの預言などの終末預言にはそれを迎えるにあたって「魂を磨く」ことが重要だとされている。しかしそのような預言に触れたことがない人やまったく無宗教の人には御魂を磨くことなど思いもつかないことだと思う。

 その、普通の人が我知らずのうちにその人の御魂を磨く機会を与えてくれるのがこの引き受け氣功ではないだろうか。なんとなれば引き受け氣功をする際の「すべての災いや悪、病を引き受けます」と誓うことは至上の愛なのだから。神の属性である愛がその祈りの根源なのだから。

 神性を引き出すことに古来より多くの人間は修行をしてきた。しかし自分や家族の癌を治すために「引き受けます」と言挙げして祈ることはそれら修行よりも遥かに簡便に、それ以上の効果をもたらすのではないか。

 気付かせて頂いたことはまだまだあるけれども今日はこれくらいにしてまた書こうと思う。
今日、あの場にいられたことに感謝しています。私に連なるすべての方に“ありがとうございました”
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『表の体育 裏の体育』から食養生について

2005年06月02日 21時33分45秒 | 食養生、マクロビ、玄米菜食、スローフード
 甲野善紀著、PHP文庫を読んだ。いつもの僕の読書ジャンルからは外れるのだが、前から「巨人の桑田投手が身体観や鍛錬法を師事していた武術家」ということで甲野氏は知っていたし、患者さんからもこの人の書いた本が面白いと言われていたので、伊勢市駅前の本屋でバスを待つ時間で買った。

 “表”を科学的、西洋的、論理的であり、“裏”は非科学的、東洋的、非論理的と捉えて頂いていいと思う。甲野氏は武術による体の鍛錬はウエイトトレーニング等による筋肉のパワーアップなどに代表される科学的な表の体育ではなく、丹田といった非科学的な存在を体感してそれを活用する点を持つ裏の体育と表現している。

 医療の世界で見てみれば西洋医学は表の医学であり、各種民間療法、健康法、鍛錬法は裏の医学と言える。

 甲野氏は書く。「裏の体育である民間健康法と表の体育である医学との大きな相違は、裏の体育では精神心理作用を最大限に活かして使おうとするのに対し、表のほうではこうした精神心理作用はあまり積極的に研究しようとはしていないように見受けられるということである」

 また裏の体育のルーツとして「霊術」という言葉を出している。この言葉は今でこそ聞かれないが戦前、特に大正時代と昭和初期には今のヨガや太極拳ほどに知れ渡っていた言葉らしい。
 霊術と呼ばれたものには加持祈祷、催眠療法、気合術、自律調整法、静座法、座禅、呼吸法、暗示、テレパシー、鎮魂帰神法、手かざしなどが含まれるようだ。
 僕のしている治療法はまさにここでいう裏の体育、医学というわけだ。

 本はまた、肥田春充がつくった肥田式強健術と肥田の思想といういわば表と裏の体育の間をつないだ身体観・鍛錬法を詳しく解説しておりそれも興味深かった。また地球環境のことや私達の便利な生活への批判、自然保護の重要性、ブナ林の重要性なども説いており、武術家だから自分とはまったく関わりがないだろうと思っていた甲野氏の思想がほとんど僕と似ているところに驚きもした。

 癌の食養生の姿勢に参考になる文を挙げてみる。
 「裏の体育の本質は技芸、芸術の領域にはいっており、その人の生きるセンスの日常化、生活化とでもいうことに本領があるのであって決して単なる表面的、物理的健康を追求しているのではないということを頭に入れておく必要がある」

 「したがってたとえば食物の場合、頭の知識で体に良いか悪いかを判断して、まずいのを我慢して食べているようではあまり意味が無いのであって、体にとって有益なものが食べたくて食べるようになるのでなければ、本来の体育の意味は無い」

 体を治すために玄米菜食をするというだけは治りきらない、玄米菜食というスローフード、自然に、環境に、霊的に負担の軽い食事スタイルを積極的に、嬉しがって選択しない限り本来の治療に結びつかない、と言っていると捉えたい。
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恐れず自分を表現することは相手を豊かにすることにつながる

2005年06月01日 23時13分35秒 | 癌・病気の意味
 私達がこの世に生まれてきたのは自分の霊性、魂を高めるためだと理解している。そして自分の考えていることや思いを相手に伝えることは相手の成長につながるものだと思っている。

 「相手の気分を害したくないから」「人間関係を壊したくないから」と自分を表現しないでいると様々なことが起きると思う。自分にとっては言いたい事を言えないために霊的エネルギーが自由自在に動けなくなりストレスとなり、それが肉体に現れて肉体の病になる。相手の人にとっては苦言などを呈されることによる気付きの機会が失われることで魂の成長の機会が奪われる。

 今まで言えなかったことを表に出すことは自分の鬱積した負のエネルギーを解放して病を治すことにもつながるし、相手の成長にも寄与することになるのですよ、と患者さんに伝えている。

 『日月神示』にも「(人から)悪く言われるとメグリを取ってもらえるぞ、悪く言うとメグリをつくるのだ」とあった。この場合のメグリとはカルマや業のことだ。相手のことを思って、たとえ相手から悪く言われたり思われたりしても言いたい事を伝えることはその人の運命をよくするのだ、と伝えているように僕には思う。(曲解しているようだったらどうぞ指摘して欲しい)

 恐れずに自分を表現していきたいと思う。
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