ローリング・サンダーはネイティブ・アメリカンのメディスンマンであり、彼の思想や物事の解釈の仕方を学ぶことは私にとって非常に参考になることだった。
「すべてのものには正しい時間と場所があり、そのことを理解するためには、人はそれを生きなくてはならない」と語るとき、彼は人がその「正しい時」と「正しい場所」の一部になるということについて語っている。
人はまず原理があることを確認し、その後にそれを実際やってみる。何度も何度も繰り返しているうちに、しだいにその人はその原理を全身で理解するようになるだろう。つまりそうすることでその原理とひとつになるのだ。そしてその人が原理と一つになる頃、原理そのものがその人の意思に反応するようになっている。(以上著者)
今、霊的治療の原理を学んでいて、その原理があることを理解し、それを実践している。何度も繰り返しているが、次第にその最中には手が熱くなってきている。また、折に触れ読んでいる関連書物や人との対話からヒントを得て、思い付きで行ったことの結果が良いことが往々にしてある。それらの体験を通してからも上の言葉は頷けるものだ。
「ローリング・サンダーは毎日、一つ一つの動作ごとに、そして太陽や、地球や、雲、蚊たち、植物たち、動物たち、そして人々と彼との一切の相互関係の中に、彼はすべてのものには正しい時と正しい場所があるという理解を実践している。
だからこそ彼は、日没後は薬草集めをすることもないし、摘む時は必要なだけの量を摘む。そして摘む時はその前に必ず、何か供え物を捧げる。しかも引き抜いた植物を、彼は絶対に投げ捨てるような真似もしない。楽しみの為に生命を奪うようなことも絶対にありえない。彼は理由のないことは決してしないし、目的があってしていることを、途中で放り出したりもしないのである。」
私はまだまだメディスンマンには程遠い。夜の患者の為に日没後にも近所にビワの葉を急いで取りに行ったりするし、温灸後に数枚のビワの葉を残してしまうこともある。まして供え物を捧げたことがない。丁寧に祈ることは最近始めたけれども。さらに今日は庭木の移し換えをしたのだが雑草と判断して何本か引っこ抜いたものを土の上に投げ捨ててしまった。このように命の大切さを頭で理解してはいてもまだまだ一挙手一投足すべてに生命への配慮が為されていない。
40歳を過ぎてようやく自分の使命というか、胸の奥底から湧き上がる自分がしないといけないと思うことがわかった者と、12歳前後でヴィジョン・クエストによりきちんと自分のアイデンティティを確認した者とでは為しえる結果において大きな差がでるのは当然と思う。
しかしこれが私の道である。「それでもあなたの道を行け」。この言葉を背に歩いていくしかないと思っている。
「すべてのものには正しい時間と場所があり、そのことを理解するためには、人はそれを生きなくてはならない」と語るとき、彼は人がその「正しい時」と「正しい場所」の一部になるということについて語っている。
人はまず原理があることを確認し、その後にそれを実際やってみる。何度も何度も繰り返しているうちに、しだいにその人はその原理を全身で理解するようになるだろう。つまりそうすることでその原理とひとつになるのだ。そしてその人が原理と一つになる頃、原理そのものがその人の意思に反応するようになっている。(以上著者)
今、霊的治療の原理を学んでいて、その原理があることを理解し、それを実践している。何度も繰り返しているが、次第にその最中には手が熱くなってきている。また、折に触れ読んでいる関連書物や人との対話からヒントを得て、思い付きで行ったことの結果が良いことが往々にしてある。それらの体験を通してからも上の言葉は頷けるものだ。
「ローリング・サンダーは毎日、一つ一つの動作ごとに、そして太陽や、地球や、雲、蚊たち、植物たち、動物たち、そして人々と彼との一切の相互関係の中に、彼はすべてのものには正しい時と正しい場所があるという理解を実践している。
だからこそ彼は、日没後は薬草集めをすることもないし、摘む時は必要なだけの量を摘む。そして摘む時はその前に必ず、何か供え物を捧げる。しかも引き抜いた植物を、彼は絶対に投げ捨てるような真似もしない。楽しみの為に生命を奪うようなことも絶対にありえない。彼は理由のないことは決してしないし、目的があってしていることを、途中で放り出したりもしないのである。」
私はまだまだメディスンマンには程遠い。夜の患者の為に日没後にも近所にビワの葉を急いで取りに行ったりするし、温灸後に数枚のビワの葉を残してしまうこともある。まして供え物を捧げたことがない。丁寧に祈ることは最近始めたけれども。さらに今日は庭木の移し換えをしたのだが雑草と判断して何本か引っこ抜いたものを土の上に投げ捨ててしまった。このように命の大切さを頭で理解してはいてもまだまだ一挙手一投足すべてに生命への配慮が為されていない。
40歳を過ぎてようやく自分の使命というか、胸の奥底から湧き上がる自分がしないといけないと思うことがわかった者と、12歳前後でヴィジョン・クエストによりきちんと自分のアイデンティティを確認した者とでは為しえる結果において大きな差がでるのは当然と思う。
しかしこれが私の道である。「それでもあなたの道を行け」。この言葉を背に歩いていくしかないと思っている。