植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

おくりびと

2008年11月13日 22時44分47秒 | 癌・病気の意味
映画『おくりびと』を観た。2度目。

死は門。ということは頭ではわかっている。

でも心では理解できないんだよね。

心を封印して生きていってはいけないんだよ。

それは生きていないのとおんなじかもしれない。


ノボタンの苗を植えた。根付いて育ってほしい。そして毎年今頃、花を咲かせてね、頼んだよ。
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身近な人との死別

2008年11月09日 21時53分52秒 | 癌・病気の意味
『スピリチュアルメッセージⅡ 死することの真理』(江原啓之著、飛鳥新社)より

問い
 親しかった人、身近な人であるほど死別は辛いものです。

答え
 追いすがるは間違いである。
 追いすがるよりも、感謝することじゃ。

 何に感謝するか。
 その者が、ぬしとともに経験を積むなかで、いかにぬしに教えを与えてくれ、学びあうことができたかじゃ。
 そして、その者の死により、ぬしにみずからの死をも見つめさせてくれたことに、感謝をするべきなのじゃ。

 人の生き死にを見るということ、または見なければならないということは、みずからのたましいの学びとして必要ということじゃ。
 みずからの目に映る一切は、みずからへの助言であるとしてとらえるべし。

 人は、必要なきことを目にすることはない。
 なぜならば、すべてが必然であるからじゃ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 まったくその通りだ。身をもってそう思える。
 人を介護すること、死を看取ることはとてつもない経験を、魂の感動(感情が動くこと)を与えてくれる。一人の人間の死はその周りの人間を成長させることがある。いや周りの人間はその死から“魂の学び”をしないといけない。

 その人の死から周りの人間が何かを学ぶときに、その人の死が少しでも意味のあるものになるのだろう。ほんとうに一人の人間が生きているということは、多くの影響を回りに与えているのだ。それを深く感じている。
コメント (2)
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