植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

クンダリニーの上昇とブロック

2006年12月27日 23時28分17秒 | 癌・病気の意味
『瞑想の実践』の続き

「体内でショートするような感覚を持つ人もいますが、この場合、腺のどこかに浄化されていない部分があるはずです。
 新しく解放された霊力が、これら霊中枢の「門」または「扉」を叩いているのです。

 このショートはいつでも起こり得ます。ちょうど家庭の電気回路がショートした時にパチッという音と火花がおこるように、すべての力の源と接触を確立する実権で、からだも同様な反応を起こすのです。

 その原因は不健康、憎悪、偏見、わがまま、その他なんらかの否定的な感情から生じてきます。事故や手術の傷跡も異次元体験へのドアを開く働きをするこれら中心に圧力をかけすぎます。

 しかしながら瞑想がこれらの中心を安全に開いてくれるのです。例えば霊力が妨害もされずに、松果体と脳下垂体にまで上昇できれば全身が光りに満ち溢れ透明になったような白熱感を体験します」

→内観、内省、瞑想といったものが私達の内部を浄化してくれる。私たちはいつも「幸せになるのに○○が足りない」と自らの外側にモノやコトを求めがちだ。でもすでに私たちは既にそれを内部に持っている、とも聞いている。そして生きるとはたまねぎの皮をむいていくように自分を削って自分の本質、真我を表に表すことだと。そのためにも“浄化”が必要であり、その手段としての内観、内省、瞑想が必要になってくるのではないか。
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雑感

2006年12月26日 23時05分57秒 | 個人的体験・雑感
 精神世界の本を読んでいる、霊の世界を知っているからといって病気にならないわけでもないし、人より学びが多いわけでもない。それらの知識に長じているからといって、あるいは人に見えないものが見えたりすることで人より優越感を持つことはかえって魂の成長の妨げになる。

 発声練習のトレーニングを受けて感じたのは、この大地にしっかりと足を踏みしめる、丹田を決めてから発声するととてつもない力が上から降りてきて自分でも「こんな声を出せたのか」というような声もでるようになること。

 つまり、しっかりこの世での生活をすることでかえって魂の向上が迅速に図られるんだね。スピリチュアルなことに興味を持つのはそれが楽しいから。本来向こうのが本籍地の我々すべての人は上のほうが楽だからどうしてもそっちに行きたがる。現実世界をおろそかにしがちになる。でもそれは間違いなんだね。

 しっかりこの世の学びをしないと落第となって向こうの世界に戻ってもまたこっちに同じことを学びにくるらしい。だから今目の前の現実的問題に立ち向かうことが大事なんだ。

 どんなに精神世界のことを学んでも必要であれば病気や災難はやってくる。病気、災難よけの道具として精神世界や見えない世界のことを学ぶのは本末転倒だ。
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クンダリーニの上昇

2006年12月25日 20時38分22秒 | 癌・病気の意味
 『瞑想の実践』から

「心が神の霊に調和する時に霊の清めが始まります。
 私たちは、神を知ろうとするときに、心の橋を渡ります。魂が、真に霊的な理想を定めるなら、体内の細胞ひつとひとつがそれに気づき、変化し始めます。

 七つの霊の中心は、内在する神との接点になり、人はそれら中心の全域にわたって活動の高まりを経験します。私たちはこのエネルギーを最高の働きに振り向けています。純化の過程、すなわちバイブレーションの上昇が体内で起こり、各中心はエネルギーとホルモンを全身に供給します。

 バイブレーションの上昇は不可欠です。
 それによって私たちはどんな有害な作用を受けることからも守られます。(中略)
 建設的態度から化学変化が起こり、血中ホルモンの分泌が増え、体と心と感情にバランスが取れてきます。

 座って瞑想を開始すると、心は確言に絞られ、霊力が性腺から上昇し始めます。通常この時点で脊椎の末端に脈動を感じます。
 つま先から頭頂へと昇る電気的な振動も現れます。この電気的な振動はときどき大きな波をもって始まり、全身の経絡を巡り両手や頭の「充実感」に終わります。
 血行や神経エネルギーーもここに含まれるかもしれませんが、それは目覚めつつある霊力の物質的な現われに過ぎません」

 →瞑想をすると七つの霊的中心(=内分泌腺=チャクラ)から霊力が生命エネルギーやホルモンとして、人の体内に供給、分配されていくということらしい。

 脊椎をまとって尾骨から頭頂へへびのようにとぐろを巻いて上昇していくエネルギーのことを“クンダリーニ”と聞いたことがある。ここで説明しているのはそのクンダリーニの上昇のことだろう。

 敬愛する寺山心一翁先生はその新著『がんが消えた』(日本教文社)の中でご自身のクンダリーニの上昇について次のように書かれている。

「ある朝だった。有音の呼を続けていき、第一チャクラから頭頂部にある最後の第七チャクラまで、意識を移動させていく過程が素晴らしくうまくいった日があった。日の出の前に唱える雨ニモマケズの一語一句の意味するところが、無性に体の中に響き渡った。

 やがて太陽が東から昇り始めた時に、懐かしい日の出に向かって、両手を胸の前に大きく開いていった時である。突然太陽が光り輝いたかと思うと、その光線が矢のごとく光りのかたまりとなって自分の旨の中に注ぎ込まれるのを覚えた。

 すると突然尾てい骨の部分が唸りを生じて、上部に上がっていくのを感じた。私は大変不安定な意識の状態になったと思った。いつのまにか目には大粒の涙をたたえ、日の出に向かってただ手を合わせて立っていたからだは、持参した座布団の上にいつの間にか座りこんでいた。

 何度も深呼吸をしながら、からだと意識の落ち着くのを待った。二十分ほど不思議な時間が経過しただろうか、われに戻ってはっきりと意識を取り戻し、高く昇った太陽に向かって最敬礼をしてから、二階の我が家に戻った」

→寺山先生ががんを治されたのには一つ一つの“浄化”の過程があったからかもしれない。病気は浄化の時期ですよ、と教えてくれているのかもしれない。
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霊的な中心

2006年12月23日 20時18分54秒 | 癌・病気の意味
 久しく更新を怠っていたがまた新たな気持ちで書き始めたい。
 『瞑想の実践』(エドガー・ケイシー文庫、エルシー・セクリスト著、林陽訳)から「霊的な中心」の章をご紹介する。ケイシーは内分泌線を重要視していたようだ。彼の説明する内分泌線は七つありどうやらそれは今一般に知られている七つのチャクラに該当する。その内分泌腺の状態と健康について言及している。

 これまでの「病気の意味」に付加していきたい。

「心(マインド)の導きの下、内分泌腺の中で霊体の清めが起こります。内分泌腺とホルモンの働きについての研究はまだ始まったばかりです。
 ジョン・A・シンドラー博士は『いかに一年を過ごすか』の中で、私達が意識しなくても、身体は最良のホルモン・バランスの秘密を心得ている、と書いています。

 楽しく愉快な気持ちが、刺激として体に与えられることで、最良のホルモン・バランスを強められるというのです。また、破壊的な感情は害を及ぼすが、建設的な感情は腺に大変よい影響を与えるとも述べています。

 プラスの気持ちが心身をともに癒すホルモンを分泌するという点で、ケイシー・リーディングも同じ見解をみせています。
 シンドラー博士はまた、「プラスの感情が二つの一般的効果を与えることを忘れてはならない。第一に、それはストレスを生む否定的な感情を崩す作用がある。第二に、内分泌機能のバランスを最善に保たせるよう脳下垂体に働きかける作用がある」とも述べています。

 リーディングは一歩進んで内分泌腺は体の霊的な中心であり、そこを通して、体の生命力、霊の力が発現するのだといいます

 中心とは性腺、ライデン腺(ライディッヒ細胞)、副腎、胸腺、甲状腺及び副甲状腺、松果体、脳下垂体です。そのエネルギーを適切に活用することによって各中心は目覚め、「世の光」へ人を変えるというのです。

 心が霊に導かれると理想が生まれます。心は神の霊であれ、悪魔の霊(自我)であれ、私達が日々享受している霊に導かれる「形成者」である、とリーディングは繰り返します。人は思い、食べるとおりの存在になるのです。」

 →楽しく愉快な気持ちが心身を共に癒すホルモンを分泌する、そしてそのホルモンを分泌する器官として内分泌腺が大事であり、それが“人の体の霊的中心”となっていると述べている。

 よくガンを治すのにポジティブシンキングとして「絶対にガンに勝つ」とか「病に負けない」などと闘争的な気持ちを持ち続けることが大事だと言われているようだけれども、この文章と『マリアエネルギー』などの他文献から考えるとそれは違うと僕は思っている。

 闘争的意識は楽しく愉快な気持ちとは異なるはずだ。闘争的意識では心の微細エネルギーは荒く大きな強い破壊的波動となっているはずであり、これは心身の癒しにつながらないと考える。身体を癒すのは喜びや楽しさなどの繊細で細かくもろい性質を持つといわれるポジティブなエネルギーのはずだ。

 そしてネガティブな精神エネルギーは合わさっても加算されるだけなのだが、ポジティブなそれは乗算されるらしい。だから本人の「もうだめだ」と思うエネルギーを100とすれば二人の家族もそう考えると3人で300となる。これに対し本人の「かならずよくなる」と考えるエネルギーがたった10であったとしても二人の家族が同様に「かならずよくなる」と思えば10の3乗で1000となる、これが宇宙エネルギーの法則らしいのだ。

 だから大事なことは闘争的でなく前向きで柔和な態度を持つ患者同士が集って語り合い、ハグしあい、お互いのエネルギーを向上させていくことだと思う。この点で川竹文夫さんの“ガンの患者学研究所”が開いてきた“千百人集会”とか“世界一元気 ガンの患者学ワールド”といった集会がそれを実現してくれるという点で大事なイベントとなっていると思う。

 寺山心一翁先生は新著『がんが消えた』(日本教文社)でも「ガンに愛を送った」と書かれている。彼は治った。ここからも大事なことは闘うことではなくて愛情を送ることなのだと学べるだろう。

 目に見えない世界があることに気付いて、闘う意識を取り払って、病気についてもう一度その意味を考えてみませんか?
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免許更新のビデオ

2006年12月22日 22時33分32秒 | 個人的体験・雑感
運転免許証更新手続きをするよう通知葉書が来ていたので所定の警察署に手続きをしにいった。

 今は車を持っていないので運転は2ヶ月に1回くらいレンタカーを借りる時くらいで事故のリスクも低いため免許の待遇(?)は“優”だった。だから近場の警察署でよくまた講習時間も30分と短かかった。

 この5年間で変更があった交通法規の説明(駐車禁止罰則強化など)を聞いてからビデオを見る。また面白くもないもんだろうと思ったらこれが違った。なんと“死後の世界”が出てくるんだよね。

 ストーリー仕立てになっていて結構考えさせる。あのビデオを企画、制作した人はけっこうイケてると思う。

 ストーリーは休日の朝、5歳の一人娘の「パパ、起きて」の声に起こされたパパが時計を見ると10時10分。「いけない!大事な草野球の試合に寝坊だ!」と慌てて車で家を飛び出すところから始まる。

 娘と妻はたまには遊園地に連れて行って欲しいといつも言っているのに野球ばかりでまったく構ってあげていない。ごめんね、と詫びながらも急いで家を出るパパ。

 まず車庫を出る際の急発進で横から来た自転車にぶつかりそうになり、商店街の道で知人に挨拶されて脇見運転し横断中の老人をはねそうになる、赤信号で急停車、青信号でゼロヨン(400mダッシュ競争)よろしく急発進、左カーブで横断歩道を飛び出してきた小学生低学年の男児二人を巻き込みそうになり・・・とあわやの事故寸前を繰り返しながら携帯に着信したのでそれに受け答えの片手運転をしていて一時停止の標識を見過ごしついに左からきたライトバンと激突してあの世へ。

以下、あの世(の場面)
気を失って(か)倒れているユニフォーム姿のパパが気づいて起き上がる。以下パパ=パ、天の声=天
パ「ここはどこだ」
天「気づかれましたか。貴方は○○さんで間違いないですね?」
パ「ええ」
天「貴方は○○年○○月○○日に○○において交通事故で死亡。享年25歳。間違いないですか?」
パ「ええ!?僕は死んでしまったのですか?」
天「そうです。そしてあちらに見える上に上がるのが天国への階段、下に見える灼熱地獄に降りるのが地獄への階段で貴方の行いによって行く先が変わるのです」
パ「そうなんだ。それなら僕は大丈夫だな。交通違反で掴まるようなことはなかったし大事故もしてなかったから」
天「そうでしょうか?これはどうでしょう?」

 車庫から急発進で自転車をはねそうになる場面を見せられて
パ「あーこの自転車不注意ですよね」
 商店街の道路で横断歩道上のお年寄りをはねそうな場面
パ「まったく年寄りはのろのろ歩くんだから・・・」
 住宅街を制限速度20kmオーバーで加速運転中の場面
パ「どう?いい加速でしょ?」
天「地獄行き決定!」

 実際にはこのあといろいろ続いて結局はパパの夢だった、パパは改心して野球の試合に行くのを取り止めて妻と娘と3人で慎重運転で遊園地に行って楽しい時間を過ごすというハッピーエンドで終わるんだけど、たくさんの教訓をちりばめていた。

 たとえばヒヤリハットという言葉。これは事故には繋がらなくても間一髪、ひやりとしたりハッとしたりしたことを言う。
 そしてハインリッヒの法則というものがあるらしく、ヒヤリハットと命に関わる大事故、通常の事故とは数字上、次のような相関だとか。
大事故:小事故:ヒヤリハット=1:29:300

 つまりヒヤリハットを300回も経験していると命に関わる大事故を起こしてもおかしくないらしい。だからこれまでヒヤリハットで切り抜けてきたから自分は大丈夫、運が強いなどと思わずヒヤリハットもしない安全運転をしなさい、との内容だった。

 死後の世界が舞台だったんだけどまったくスピリチュアルではなかったし、死ぬ原因となった行動だけで天国に行くか地獄に行くかが決まるという点や、死ぬと天国か地獄に行くという前提で作られている点も困ったもんだ、と普通の人はつっこまない点で大いに減点だったんだけど(笑)、交通事故を減らす意識を高めるビデオとしては秀逸だったかも、と思った。

 もしかしてもしかしたらこんなところにも“死後の世界は当たり前”と捉えている価値観が広がっているのだろうか。でもちょっと間違っている気もするのは気のせいか?(笑)


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引き受け氣功東京講習会2007年1月のご案内

2006年12月22日 22時21分15秒 | レイキ・ヒーリング・遠隔、霊的な治療
藤谷康充先生『引き受け氣功』2007年1月東京講習会のご案内
  
 平成19年1月13日(土)
  会場:新宿・東京海上日動ビル・地下1階会議室 (1階はヤマハ)
     *東京都渋谷区代々木2-11-15 
      JR新宿駅 南口より徒歩 約5分
    京王新線・都営新宿線・都営大江戸線 新宿駅6番出口から徒歩1分  
  時間:第一回 10:00~12:30(要予約)
     第二回 14:00~16:30(要予約)
     
 平成19年1月14日(日)
  会場:同上
  時間:第一回 10:00~12:30(要予約)
     第二回 14:00~16:30(要予約)
    
  費用:いずれも3000円。ワンダーライフ研究会会員は2000円。会員証か領収証を提示。
  予約:すべての回に予約が必要です。下記宛にFAXにて第一希望、第二希望日時を明記のうえお申し込みください。なお先着順なのでいっぱいの場合は悪しからずご了承下さい、とのことでした。
  
 予約先:ワンダーライフ研究会・関東事務局
  FAX:04-7183-3004 
 *ワンダーライフ研究会のほうから連絡しない場合は第一希望が受理されているそうで、FAX返信(受理通知)はしないことを了承くださいとのことです。
 TEL:090-7581-5062(平日:10時~18時)
  キャンセル:当日キャンセルはご遠慮ください。
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最後のソトコト引き受け氣功講習会

2006年12月10日 12時06分22秒 | レイキ・ヒーリング・遠隔、霊的な治療
 金曜日はソトコトでの最後の引き受け氣功の講習会だった。去年の6月くらいから毎月通ったから20回近くになっただろうか。

 ソトコトは年内いっぱいで閉店になる。だから東京講習会の金曜日がなくなる。ぼくは土曜は治療があるのでいけないし日曜はプライベートを外せない。だから藤谷先生の講演を聞くのはこれが最後と思って時間を過ごした。

 思えば多くの患者さんをお連れした。常連になられた方もいらしたけどほとんどの方が一回限りの参加だったようだ。深く感銘を受けて思考が変わった人も少しはいらしたがほとんどは狐につままれたようで疑心暗鬼に終わってしまったかもしれない。

 物事はやってみないとわからない。自分で経験してみないとわからない。引き受け氣功を紹介して、毎月講習会に継続して出られて、そして毎日引き受け氣功をされていた肝臓ガンの患者さんは先日の検査結果で正常に戻ったと言われた。

 僕が引き受け氣功を紹介した患者さんでそのあと必ず毎月通われていた方はその方一人だけなんだけど、その方はガンが治った。もちろん引き受け氣功だけで治ったわけではないかもしれない。けれどもぼくは素直に喜びたい。紹介した甲斐があったと。

 これでぼくは引き受け氣功講習会からは“卒業”する。現実問題として出席するのは困難になるのでこれからはタイミングが合ったらふらりと寄ってみたい。これからもこの講習会から何か大事なことを掴む方が続いて現れることを願っている。藤谷先生、長い間ありがとうございます。今後も末永く皆さんへの気付きのキッカケとしてお働き続け下さることを願っています。
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病気の意味3

2006年12月05日 22時17分49秒 | 癌・病気の意味
7.多くの場合、病気は「代弁者」であり、その人が心にしまって言えずにいることを外界に向かって表現しています。メッセージが明確でなく、身体に起きた故障を完全に癒すことが難しい場合もあり、そういう人は必要以上に重い負荷を背負うはめになります。

 以上述べた七つの要点は、魂のレベルから贈られる「病気がもたらす主要な恩恵」ということができます。次に述べることはパーソナリティと関係し、魂の成長を促すという本来の恩恵が、パーソナリティが要求する二次的な利得に転換されてしまうケースです。

8.痛みや苦しみを味わいながらも、パーソナリティの欲望を満足させるために、次々と病気を発症する人がいます。治療の過程で何らかの満足感を得ても、魂だけでなくパーソナリティのレベルにおいても、時間がたつとその効力は消え去ってしまいます。最終的に本当の恩恵ではなかったと気付くまでは、最高のヘルスケアを受けても完全な調和を達成することはできません。

 多くの患者を診てきていえるのは、病気がもたらす二次的な利得は、より深いレベルで起きている問題を覆い隠してしまうので、この仮面をはいで直接対決する必要があります。そのときやっとパーソナリティは、握りしめていた運命の糸を喜んで手放すことができるのです。

 病気は弱さを示しているのではなく、前へ進むための道しるべです。以上八つが健康と病気の概念です。

 以上『チャクラ 癒しへの道』クリスティン・ペイジ著、サンマーク出版より

ペイジ先生は幼少の頃からオーラが見えていた方で、そのような人が長じてから現代医学を学び医者になられた。彼女はこう語っている。

「しかし、西洋医学による救急治療が終わったら、心と魂の活動を視野に入れて真の治癒が行われなければなりません。なぜなら肉体は魂と霊の乗り物にすぎないからです」と。

「最後に言いたいのは何の病気か、どんなタイプのパーソナリティか、どの星座の生まれか、どんな医療機関の世話になるかといったことは、たいして重要ではないということです。すべての人にとって重要なのはその時の状況にどう対処するかということ、そして、その経験を生かして魂の意識を豊かに広げていけるかどうかということです
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イマキュレー・イリバギザさん講演会

2006年12月04日 23時20分33秒 | 癌・病気の意味
先日思い立ってイリバギザさんの来日記念特別講演会http://www.php.co.jp/event/ikasarete/に行くことにした。

 ルワンダの大虐殺を生き延びた人が、自分の家族を殺した相手を赦した、というところに強く惹かれた。ぼくは一つ前の過去世で自分の両親、弟を強盗に殺害されているらしいのだがその犯人を後年そうと知らず愛してしまい、後日知るのだがそれでもその相手を赦しその息子を育てたとか。もちろん僕の場合はそれが事実かどうかわからないしイリバギザさんと比較することはできないのだが、仇敵までも赦せるほどになったのは何が彼女をそこまで高めたかを知りたかった。

 久しぶりに三田のキャンパスに立つ。会場は満員だった。ルワンダ大使が遅れて来場されたためそのぶんメインゲストのイリバギザさんの話が短くなったのは残念だった。しかし僕の知りたかったことはわかった。

 彼女は虐殺される側のツチ族出身で、100日間で100万人が虐殺されたという1994年に起きたルワンダの悲劇を生き延びた人だ。まだ若い。

 あるとき隣人であったフツ族の人々が、ツチ族の人を皆殺しにするよう促すラジオを聞いて急に次々とツチ族の者なら老若男女を問わず襲い掛かるようになったとか。

 "Finish those cockroaches!"とまで言っていたらしい・・・
 人を人と思わない所業をごく普通の人がある日突然始めるのはとても恐ろしいことだ。

 彼女は自宅前の教会の牧師(フツ族)にかくまわれた。しかしそこは3フィート×4フィートの広さしかないトイレで他にツチ族女性7人が押し込められていた。

 彼女達8人は畳1畳のスペースに3ヶ月間いた。音が漏れる恐れがあるのでトイレの水は流せない。食料もなく3ヵ月後に外に出たときには体重は20kgしかなかったとか。

 始めはみな怒っていたとか。なんでこんなことになるのか?なんで人々は殺しあうのか?と。しかし彼女は牧師に差し入れられた聖書を読み込み、そして日々何度も何度も祈ったという。

 そしてキリストが処刑される時、彼は「この者たちを赦してください。彼らは自分たちがしていることが分かっていないのです」と自分を責める相手のことを赦すよう父なる神に希ったのだけれども、そのことを彼女は自分で身を持って理解したと言っていた。

 そう、彼女は絶望の3ヶ月を乗り越えて、狭いトイレから出てきた時にはまさに霊的に覚醒されていたのだと思う。体重はわずか20kgになっていたとしてもその魂はこれまでよりもはるかに肥え豊かになられたのだろう。

 講演中彼女が唯一そっと涙を拭ったのはトイレから出たときに誰もいなかったことを語ったときだった。すべてが変わり果てていたことを目の当たりにした時だった。

 彼女が最後に強調したのは「とにかく愛情がすべて」であると。持っていたものは一瞬にして消えた。物質的なものは宝ではない。豊かさではない。本当に大切なのは愛情とその記憶だと。

 そして希望。たとえどんな状況に追い込まれても絶対に希望だけは捨ててはいけない。

 これを伝えるのが私があの大虐殺を生き延びた意味、私の生きる意味だと思うと語っていた。 

 講演が終わったあと短いビデオが流され、彼女が自分の両親兄弟を殺害した犯人の兄弟の人をハグし、写真に一緒に写る場面があった。そして西欧人と思われる人が「信じられない」とコメントをしていた。

 しかしもう僕らはそれを突き抜けなければいけない時に来ていると思う。民族、国家を越えて愛を持って生き始める時が来ている。これまでの殺し合いの人類の歴史に終止符を打つ時が今だ。彼女はその運動というか流れを加速させる一つの駒だと思う。これに僕たちが続きたい。

 隣人を憎むのをやめよう。英国人ジョン・ダンの詩を紹介したい。

「なんびとも自ら充ち足りた島にはあらじ。
 人は皆 大陸の一部、人類の部分なり。
 よそ人の死ありて 我も価値を減ず。
 そは人類の部分ゆえに。
 それゆえに尋ねるなかれ
 誰が為に弔いの鐘は鳴ると。
 そは汝がために鳴る」

(映画『誰が為に鐘は鳴る』の題名はこの詩から来ている)


 短い1時間に満たない講演会で質疑応答にも僕は診療があったので出られなかったがとても濃い時間を過ごした。
 
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