植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

小田まゆみさんのお話会に行って来た

2012年03月27日 22時51分13秒 | 地球環境、自然保護、エコロジー、ロハス

昼に3人の方を治療して、夜本駒込に小田まゆみさんのお話会に行って来た。小田さんとは6年前の夏至の日に富士山山中湖で開かれたWPPDのイベントで初めてお会いした。きさらみえさんがハワイでタロイモで僕と同じように芋パスタをしたりしてヒーリングリトリートセンターをされている小田さんを紹介してくださったんだね。

その集まりが終わって山中湖から新宿に帰る高速バスの車中で隣りに座らせて頂いていろいろ小田さんに手当のこととかヒーリングのことをお聞きした。治療院に飾ってある白い多羅仏母の版画は小田さんの原画を元に刷ったものだ。

高速バスを新宿で降り、その足で代々木?で開かれていた小田さんの個展会場にも立ち寄らせて頂いてくだんの版画を購入し、お礼に竪琴マリアを奏でた。今日の会合には僕は遅れていってしまったのだけれども、途中で小田さんに挨拶をして「あの時竪琴を弾きました」とお話をしたら思い出してくださった。

小田さんの今回のお話の肝腎な始めの一時間を聞けなかったのは残念。話の中で田中優さんの話が会ったので、あとでお知り合いか尋ねたところ昔からの同志だとのこと。う~ん、いろんなところでみんな繋がっているね。嬉しくなった。

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雀が消えていないか?

2012年03月06日 23時36分19秒 | 

今日、近所の方と家の前で立ち話をした際に、最近カラスも雀もいない、見かけなくなったと聞いた。確かに言われてみればあのカラスのカ~カ~という声があまりしない。雀に至っては最後に見たのがいつだったか記憶にない。 

そして今、今日の東京新聞の夕刊コラム欄の「紙つぶて」を読んでみたら、動物達の被曝について書いてあった。セシウムを樹木が吸い上げ、ミミズはセシウム入りの土壌を食物にし、モグラやイノシシはミミズを食する。そうやって食物連鎖によって野生動物の体内被曝はいかばかりになっているだろうか、と。 

確かに福島第一原発から出た放射性物質セシウムはいま環境中にくまなく広がっていることだろう。そしてまずは葉っぱなどに付着したり土壌に覆い被さる。植物を食べ、地上に落ちたものを食べる雀たちはこの1年間、食べ続けているはずだ。 

雀はあんな小さい体で食べるものはセシウム入りのものであるのなら、その影響はすぐに命の長さに影響しているのではないか? 

ぼくら人間は放射能汚染がされていない地域のものを選択して食べ物とすることができる。その地域から離れることも可能だ。でも野生動物にはこの二つのことはできない。環境と一体だから。 

野生動物がたくさんいる世界が好きな僕には今の状況は堪え難い。人は人にだけ責任を持つのではなく、共に生きている野生の仲間達にも責任を持つはずだ。それが神の庭園であるこの星をまかされた管理者としての人、人類の努めだろう。私たちは野生動物とともに生きていくべきである。 

あなたの周りから雀は消えていないか? 

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台湾旅行

2012年03月05日 17時36分22秒 | 個人的体験・雑感

2月17日~20日の3泊4日で台湾に行ってきました。隣町奥沢で古い民家を借りてびわの葉温灸などのお手当の講習会をときどきやるんですが、そのために僕はその古民家の運営スタッフの一人になっています。そのスタッフさんの一人が連れてきて紹介してくださったのが地元在住の平野久美子さんという旅行作家さんで、今回はその平野先生の引率で「台湾スタディーツアー」なるものに参加してきた、というわけです。平野先生は台湾にとても造詣が深い方です。著作も『トオサンの桜・散りゆく台湾の中の日本』(2007年1月発行 小学館)、『水の奇跡を呼んだ男』(2009年5月 産経新聞出版刊)、『台湾好吃大全』(2005年11月発行 新潮社)、『中国茶と茶館の旅』(2004年7月発行 新潮社)など多数著わされています。今回はたくさんのことを先生から学びました。

平野久美子先生のサイト

 

今回のツアーは僕以外はみな女性で、参加目的も美味しいものが食べたい方、夜市、マッサージ、温泉に行きたい方などそれぞれおありだったようですが、僕にとっては30年ぶりの台湾であり、かつ38年前に55歳で亡くなった父が生きていれば同世代の台湾の方の話も聞けるというので参加してみました。

 

僕は父が台湾人で母が日本人です。父は戦前に台湾から日本に留学しに来て、東京医科歯科大学を出て今の治療院のある自由が丘で産婦人科を開業していました。父は家の中ではまったく台湾語を話さず日本語だけで生活していました。父は僕に台湾語を教えることは一切しなかったので僕は今でもまったく台湾語を話せません。ですので今回父の故郷である台湾に行きましたが地元の人とは台湾語では会話を交わせずちょっとさびしい思いもしました。

 

今回のスタディーツアーでは故宮博物館、二二八記念館、高砂義勇隊慰霊碑などといったところを平野先生に案内され訪れました。故宮博物館では平野先生のコネでVIPも案内するという方に故宮博物館を丁寧に案内していただきました。まったくありがたい話です。

 

続く

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