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植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

大晦日

2005年12月31日 13時48分35秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 大晦日の今日は『ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと』を読んでいる。近くにあるインディアンジュエリーの店に立てかけてあった本を一瞥して読みたいと思い、アマゾンで買った。

 十数人のエルダーたちが写真と共にその思いを語っている。「ナショナルジオグラフィック誌を中心に活躍するライターと写真家が10年以上の歳月を掛けて、全米各地のインディアンリザベーション(居留地)をたずね、スピリチュアル・エルダー(精神的長老)たちの言葉を記録したものだ。彼らの心の奥、夢、ビジョン、ユーモア、笑い、癒しの方法や黙示的な預言を心に響く言葉で読者と分かち合ってくれる」(表紙カバー裏より)素晴らしい本だ。

 さてこの本を携えてまた自由が丘駅前のスターバックスへ行ってこよう。ゆっくりとした時間を味わいたい。

 今日は大晦日。いろいろあった一年でした。みなさんは如何だったでしょうか?
 良い年をお迎え下さい。来年もよろしく。
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心も魂の道具

2005年12月28日 10時47分39秒 | ヨガ(ヨーガ)、瞑想
 今まで「、考え」が自分だと思ってきたがどうもそうではないらしい。魂が自分の本質なのであって「心、考え」はその道具らしい。心や考えは輪廻転生によって得られたさまざまな経験(サンスカーと呼ばれる)を基礎にしていろいろに活動する。そしてその「心、考え」を評価、判断して決断するものが知力であると。

 例えば通りを歩いていて向こうからやってくる見知らぬ人と目が合ったとする。瞬間的になんか嫌な感じがしたような場合にはこれまでの自分の経験の中にその人と風貌のよく似た仲の悪い知り合いがいてその知り合いを瞬間的に思い出してしまった、ということがあるかもしれない。サンスカーとは「魂の過去の体験と行為のすべての記録」のことであって、この場合「昔仲の悪い知り合いがいた」というサンスカーがあったから「心」がいやだな、と反応したということだ。

 しかしこのとき同時に「あれはあの昔の知り合い本人ではないな」と知力が判断することで、向こうからやってくる相手と気持ちよく会釈しながらすれ違うことができる、と。

 いまはこんなことをラージャヨガ瞑想から学んでいるのだが、心が魂の道具であるという認識が新鮮だ。
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自分を愛することの重要性

2005年12月27日 23時35分33秒 | 癌・病気の意味
 このあいだアルケミストで過去世リーディングを受けてきた人がその録音MDを貸してくれたのでよく注意して聞いてみた。自分の分ではなく人のでも参考になるところが多々あった。その中で高江州先生が「他者のためになるような人生も大事だがそれ以前に自分を愛することができなければいけない。そしてこの時の自分を愛するということは単なる自己愛ではなく『欠点を含めて自分のすべてを認める、許容する』ということ」と説明されていた。そして「世の中にはけっこう自分のことを好きになれない人は多い。でも自分を好きになれない人は他人を好きになる(認める)ことは難しい」とも言われていた。

 引き受け氣功の藤谷先生は自分の容姿や性格など好きになれないところも引き受けることを訴えている。「暗い性格を引き受けます」「三段腹を引き受けます」などと。これも理想と違う自分の現実を引き受ける、認める、許容して寛大に愛する、ということが大事だと言っていると捉えると高江州先生の言われていることと同じだ。人を素直に愛せないことに悩んでいる根底には自分を本当には愛せない(赦せない)自分がいるのではないか。

 シルバーバーチの霊訓やスピリチュアリズムから「私たちは魂の存在であり、この世に生まれてくるのはさまざまな体験をして魂を向上させるためである。輪廻転生をする」と理解し、ラージャヨガ瞑想から「私達の本質は魂である。その魂が使う道具として肉体があり、心がある。さまざまな輪廻転生を繰り返すうちにその道具である“心”が悪しき性質を帯びたりすることがある。未熟な自分と思えるのはそんなマイナスのカルマを持ってしまった“心”の成長過程中の一瞬のことであり、あなたの本質である魂は完璧なものである」という考えを知った。

 自分が嫌っていて認められない自分の性格や個性の部分を磨きなおすために、それを解消できる時と場所を選んでいずれ私たちは新たに転生するらしい。であるならば何も今いっしょうけんめいわざわざ自分を嫌う必要もないのではないか?「ま、こんなもんだよ」と未熟で情けない自分を認め愛することが実は想像以上にとても重要なことではないかと思っている。ラージャヨガ瞑想の学びのテキストにも「魂が束縛から自由になるにはまず初めに『すべてを自分の責任として受け入れること』である」と示されていた。
 
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香を焚くこと

2005年12月24日 23時45分18秒 | 波動(意識、想念、感情、医療等)
 『プラント・オブ・パワー』アルフレッド・サヴィネッリ著、藤田美佐代訳から

 「神聖な植物を燃やすと固体が霊的な形、すなわちエキスや香に変わる。これらの植物は美しく咲き、浄化の力を持つ火によって燃え尽くされ、その甘い煙は神々と霊の世界へと消えていく。(中略)植物は人間と超自然界を結ぶ理想的な媒介である。特別な薬効を持つ植物を燃やすと霊の世界に今そのような特性が必要とされているというメッセージを送ることになる。煙に息で祈りを吹き込むと清めの火と動く空気が霊的な意図を実現する助けとなる、と信じることを意味する」

 →“びわの葉療法”の一つである“ビワの葉温灸”はよもぎから作った棒灸を燃やすものだ。よもぎには見えない生命エネルギー(氣)を経絡に輸送する力があると聞いている。上のとおりであるならばビワの葉温灸をする際にただ漫然とするのではなく「どうか○○を治してほしい」と祈り、その際に息でその祈りを灸の煙に吹き込むことがよいのではないか。これまでアミグダリン(ビタミンB17)ががん細胞を壊すから効果があると説明されてきたびわの葉温灸の背後に、肉親が治ってほしいという強い祈りがあったからこそと解釈することもできるかもしれない。検証できることではないけれども。

 「朝には水と甘い薬草を焚いて太陽を迎え、その日が霊と一つになった一日になるように祈る。昇る太陽を迎え、沈む太陽に感謝の意を表すという簡単な行為が霊を強め見えない世界の魔力を私達の生活に迎え入れることになる」

 →明日から日の出を拝む際にはセージのスマッジをしよう。大地と共に生きることをしっかりと習慣づけていく。香を焚くと未浄化霊が寄って来るらしいけれども香には魔物を払う力もあるという。香は未浄化霊を招き向上、浄化させ、邪の氣を持つ魔物が忌み嫌うのだろう。

 「物事に変化をもたらすには、感謝することが一番である。物事をありのままで感謝できるようになるまで変化は起こらない。儀式の煙は保護と魔法を願って使うが何よりもまず感謝の念を表すために使わなければならない」

 →ありがとうと言い始めてから妻との関係が変わった気がする。良いほうに変わっている。癌という病気も“ありがとうございます”の一言で変わっていくのではないか。そして祈りの香は感謝と共に使うことを銘記した。
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本を差し上げます

2005年12月22日 14時42分23秒 | 個人的体験・雑感
 本棚に入りきれないので下記の書籍をお譲りします。第一弾として鍼灸関係の本を。欲しい方はご連絡のうえ取りに来て下さい。すべて無料です。ただし文中に傍線が多くの箇所に引いてある場合が多いことをご容赦ください。
 聡哲鍼灸院 電話03-5701-0771 平日9:00~17:00の間にご連絡下さい。

『鍼灸経絡治療』岡部素道、績文社
『わかりやすい経絡治療』福島弘道、東洋はり医学会
『経絡治療と鍼妙』岡田明祐、たにぐち書店
『図解鍼灸実用経穴学』本間詳白、医道の日本社
『経絡治療鍼灸臨床入門』小野文恵、医道の日本社
『経絡と指圧』増永静人、医道の日本社
『かっぱ随筆 鍼・灸・漢方』間中善雄、医道の日本社
『図説深谷灸法』入江靖二編、緑書房
『陰陽五行説』根本幸夫ほか、薬業時報社
『鍼灸医術の門』柳谷素霊、医道の日本社
『誰にもわかる経絡治療講話』本間詳白、医道の日本社
『霊枢』日本内経医学会
『黄帝内経素問』天宇出版

*お蔭様をもちまして2006年1月14日にすべて上記の本を差し上げることができました。ありがとうございました。またご案内しますのでよろしくお願い申し上げます。
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再生に向かう日

2005年12月21日 21時57分28秒 | 癌・病気の意味
 あと5、6時間で冬至になる。そこから北半球では日が長くなり始める。すべてのものが夏に向かって再生していく一歩が始まる。しかし今回の冬至はもっと深い意味があるのではないか。いつもの冬至と違うのではないか。

 これまで冬至では柚子湯に入るとか南瓜を食すといったことしかしなかったが今年は違う。身を清めて祈りの時間を持とう。瞑想の時間としよう。たぶん多くの同胞がこの星とここに生きる命たちのために祈り始めているだろう。私も加わる。

 暁の前の闇が最も深いという。これからその闇の最深部に向かうだろう。自分は魂であることをいつも思い起こして強く立ち行きたい。共に気付いた多くの仲間たちよ、お互いに今生の役目を全うしたのち、再びまったき世界で会える日を楽しみにしようではないか。
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キョーコさんの“カミングアウト”

2005年12月20日 23時05分54秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 左のブックマークに入れてあった「キョーコのきまぐれ日記」のキョーコさんがブログタイトルをヒーリングソウルに変え、彼女本来のシャーマンの能力をオープンにすることにされた。

 キョーコさんのブログを見てもらうとわかるのだけれどもぼくには彼女はとても理性的な人に思える。ブログのカテゴリに「時事・社会」「歴史・戦争」「近隣諸国・領海」といった大事だけれども正面きって語るには骨が折れるジャンルが並んでいて、またその中身の文章の視点が鋭くて舌を巻いてしまう。さすがに「時代の流れを読め」なんて記事を投稿されているだけある。そんな彼女は最近多くネット上で見かけるヒーラーやチャネラーの方とはちょっと違う感じがしている。

 だからぼくは彼女の今回の“カミングアウト”に敬意を表するし、そんな理性的な彼女がカミングアウトしても大丈夫と読んだであろうこの今の時代の可能性、つまり目に見えない世界のことを普通の場で語っても許容する人が多くなってきている今を本当に大事な時代だと思い始めている。

 「わたしはずっと自分のシャーマンとしての能力がいやだった。
 神々や精霊たちと交わり、かれらの要請を受けて宇宙や大地の龍脈やアセンションのための調整するのがシャーマンの役目。これは人に言ってもなかなか理解してもらえないし、へたに話して奇異の目でみられるのがこわかった。だからごく一部の親しい友人をのぞいて、できるだけこうした話はしないようにしていたんだよね」

 「なにがあんなに怖かったんだろう?
 異端扱いされて、社会から抹殺されることだろうか? それもあるけど、いちばんこわかったのは自分自身の力に気づくことだったのかもしれない。
 古代にクラマの力が封印されたのは当然だった。その時代、人々の意識は保守的で、大きな宇宙の変化の波についてゆくことができないのは目に見えていたからだ。変化についてゆくことができなければ文明は崩壊する。だからこそ当時のシャーマンたちは人々を守るために、その力を人間が使いこなせる時が来るまで、この地に封印したのだろう」

 キョーコさんのような人たちがその特別な能力をもってたとえ奇異な目で見られたとしても重要な役目を果たすということを覚悟し受容して“カミングアウト”してくれることを歓迎したい。そして間違ってもオカルト的なことへの興味からの接触や批判ではない形でそのような人たちと手を携えてこの文明の行く方向やその速度を正していくことをしていきたいと思う。それが彼女の言う「その力を人間が使いこなす」という意味だと思う。


 キョーコさん、引用が多くてゴメンナサイ。著作権の問題とかあるのでしょう。もし差し障りがあるようでしたら訂正しますので言って下さい。
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『精神病が消えていく』

2005年12月19日 17時52分29秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 『精神病が消えていく 続・精神病は病気ではない』萩原玄明著、ハート出版を読んだ。東京八王子の長江寺の萩原住職は霊視という彼独特の方法で精神病を癒している方。「霊障をあなたの家にもたらしていたのは先祖の誰々さんである」などと死者を特定して伝えることはせず、精神病という憑依現象を起こしている悩める先祖霊の特定を相談者の方々自身に探し出させ、供養させて精神病を治癒に持ち込んでいる。

 前に『精神病は病気ではない』『死者は生きている』などの萩原住職の著書を読んでいるのだけれども、今回小学校5年生の息子さんがとつぜん爆発的に怒ってしまうなどで悩んでいる方の相談を受けて、場合によってはと考えた。

 前に読んだ2冊は鍼灸師の先生にお貸しして未だ返って来てないので手元にないからその方にお貸しできないので、新たに表題の本と『心を盗まれた子供たち』『あなたも自殺しますか』の萩原住職の書籍をアマゾンの中古市場でオーダーした。

 「家族の中に精神病が発生したら、それは悔やんで悔やんでもがき苦しんでいる死者たちが必ずいるということであり、更にあなたも今きっとそれと同じ過ちをしているのに自分でさっぱり気がつかずにいるということなのです」

 「治すためにしなければいけないから、供養というものをしなくてはならない、だから供養をする、というのでは治るという結果は決していただけません」

 「死者の教えとは何か。一口で言うならば、それは生きている今を正しく暮らせということです。自分の生命の根源である先祖や縁者に対して常に感謝の気持ちを持つという、このこと一つができるかどうかそれだけでもいいのです。自分ばかりいつも真ん中に置いて、人の痛みをまったく考えないような自分中心の暮らしを深く反省するということだけでもいいのです。人間の一番大事なものはお金でもなんでもなくて心なんだということを、死者の今の苦しみから学べばいいのです。それが正しい暮らしというもので難しい理屈は一切無用です」

 萩原住職の供養をごくごく簡単に説明するならば霊視によって特定することができた死者に対し、「あなたの肉体は既に消滅して今は魂として生きていることを自覚し、地上へはもう意識を送ることなく魂の故郷へお帰り下さい」という意味のことを一心に説く彼独特の方法だとか。

 ここで言われている“供養”とはお金を掛けて墓を作ったり僧侶による回向などをすることとはまったく違っていて「浮かばれていない先祖霊の方々が待ち望んでいた『あなたの心の優しい応答』」だそうだ。だから精神病を起こすまでして自分の存在、思いを知らせたかった先祖の方をきちんと特定し、その人が伝えたかったことをしかと心に受け止めてわたしたちが生き方を改めていくことで病気が治っていく。決して精神病にかかっている本人への治療、祈祷などではない。

 もしかしたら癌も同じ意味があるのかもしれない。直観だけどそう感じる。真実かどうかを探り当てていきたい。
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今年を振り返って

2005年12月18日 23時16分17秒 | 個人的体験・雑感
 寒い日だった。東横線多摩川鉄橋の上から富士山が見えたが雪煙で輪郭がぼやけていた。烈風が吹き荒れていることだろう。
 風はあったが天気がいいので正午ごろ娘と妻とで公園で鬼ごっこをしたりして遊んだ。手袋をしているのでブランコや鉄棒から落ちないかと冷や冷やする。
 帰りにスターバックスによってクリスマスブレンドを頼む。いつもは特注で5分くらい待たされるのに“今日のコーヒー”になっていてすぐサービスされる。やはりこのブレンドはおいしい。

 夜は鍼の恩師である山下健先生の鍼和会の忘年会に出る。毎月の難経の勉強会にはまったく行っていなかったので1年ぶりの皆さんに会った。会う人から小さくなった、痩せた、と言われる。そうかもしれない。72kgから66kgへと1年間で体重は6kg減っているから。主食を玄米に切り替えて少食になったからだろう。食事の嗜好や体調はこれといって変わらないので体内で悪性腫瘍が育っているとは思えないけれども。

 忘年会の帰りに今年を振り返ると引き受け氣功、波動整体療法、過去世リーディング、そしてラージャヨーガ瞑想に出会った年だったと言える。来年はどんな年になるかこれも楽しみだ。
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時の輪講座2回目

2005年12月17日 14時57分48秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 昨日は参宮橋のオリンピックセンターで行われた北山耕平さんのストーリーテリング“時の輪”講座2回目に行った。参加者30人前後。借りた教室の机を四隅に畳んで椅子を円陣に配して中央にデザイン灯りを置いて3時間ほどの語りに声を傾けた。

 『ネイティブ・タイム』という北山さんの著作の初めの方を読んでくるのが“宿題”で、その宿題からぼくはこの列島に住む人たちが繰り返してきた争いは中国や朝鮮半島の強い政治集団の植民地(日本列島のこと)における代理戦争だったのだ、というふうに掴めてきた。

 そして昔、歴史の教科書で「鉄器が入ってきた」とか「○○が伝わってきた」と学ばされたことが実は決して鉄器や○○だけが入ってきたのではなくて、そこに激しい戦いがあったりその結果それを使う人たちに征服されたりしてそれらが伝え及んだのだと理解するほうが妥当だとも思い至るようになった。

 であるから日本には激しい征服物語がなかった、というのも変だし昔から日本民族というものがいたというのもおかしなことになるだろう。この列島のネイティブの人々は今のアメリカインディアンの人々と同じようにあとからやってきた者たちに武力によって制圧されたり辺境に落ち延びていったのだと思う。かつて新羅、百済、高句麗といった国が朝鮮半島にあったころ、百済が新羅に滅ぼされた時に多くの百済人が難民となってこの列島に渡ってきたとのこと。そして土着化していったと。そういうことを知るとこの列島の人々は実は一つの民族ではない寄り合い所帯だということが理解できてくる。

 いまこの国の人は“日本人”という単一の国民がいるように錯覚をしているように思える。それはまことにもって教育の賜物だ。ぼく自身台湾人と日本人のハーフなのだけれどもアイデンティティは日本人になりきってしまっている。しかしよくよく学んでいくとこの列島に住む人を一つの“日本人”と見做すのはむりがあるように思える。だから違いを認め合うということが大切になってくるのだろう。

 個人的な体験にもとづいた個人的見解だけれども人間はさまざまな時代、国、民族、性別、容姿、知性で生まれ変わる、生まれなおす存在だと思っている。だからそこから得た学びは「どこで生まれてもいつ生まれても“人”という存在で学ぶことはたいがい同じ。もうそろそろ民族、国家などといった人を分断する、ほかとの違いを際立たせるような考え、比較概念からはもう卒業しよう」ということだ。

 ボーダーレスの時代を生きるには“ただの地球に生きる人”でいいと思うのでそのように生きていきたい。
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サトルエネルギー学会の春の大会

2005年12月17日 11時42分03秒 | 波動(意識、想念、感情、医療等)
 サトルエネルギー学会という集まりがある。寺山心一翁先生も関わってらっしゃる。そこの春の会合についてお知らせします。
 サトルエネルギー学会春の大会

 寺山先生、引き受け氣功の藤谷康充先生の講演の他にWSで知り合った土井麻里さんも講演をするようだ。「心の浄化と霊性の進化段階とは無関係」と言われている竹下雅敏氏の講演も気になる。内容が面白そうな大会だ。
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マインドをてなづける

2005年12月15日 23時59分37秒 | ヨガ(ヨーガ)、瞑想
 ラージャヨガ瞑想を学びに午前中は沼袋のブラーマクマリスへ。きょうはカゼさんが教えてくれた。瞑想中に沸いてくるさまざまな考えをきちんと誘導、コントロール、てなづける、それが大事とのこと。彼女の場合には例えば瞬間的に怒ってしまったとしてもすぐ魂が考えに対して子供に接するように「だいじょうぶ、だいじょうぶ。そんなに怒らなくてもいいのよ。あなたは平和なのです」と声に出して自分の心・考えに対して話しかけたらしい。するとその自分の声が自分の耳から入って心が穏やかになれたという。いろいろな方法があるのだろうけれどもきょうはマインド・心のてなづけかたを学んだ。

 あと、ドリシティ(?)といってお互いの眼を見つめあっての瞑想もした。初めてのことでもあり初めは気恥ずかしさもあって気がうわついてしまったけれど7分くらいの時間のうちほんの20秒ほど、「眼は開いていて相手の額を見ているけれども相手の視線を気にせず自分の世界に入っていて平和な感覚」を持つことができた。たぶんこの感覚の延長線上に求める世界が広がっているのだろう。

 眼を開けたまま日常生活の喧騒の中にいても自分の心は平安を保ち、他者の思惑や悪想念に左右されない強靭な力強さを保っていける、そのようなマインド・心を養うことがラージャヨガの目的の一つなのだろう。今日は満月だし瞑想にはいい頃合いだ。
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肉食について

2005年12月13日 21時38分53秒 | 波動(意識、想念、感情、医療等)
 以前は「肉食をすべきではありません」と人に強調してきた。でも今は人を変えようとは思わなくなったので自分が極力食べないようにしているだけだ。

 ただ「人を変えよう」とは思わないけれども「こういう見方もありますよ」という自分の考え、あるいは自分の考えと同じものを提示することは相手の方の選択肢を増やすことになり相手を豊かにすることだと思うので、自分の意見はこれからもはっきり伝えるだろう。今回は肉食について『からだの声をききなさい』から抜粋した。

 「ところであなたが食べている肉は、草食動物の体の一部であることは知っているでしょう。つまり肉を食べるということは動物の<死体>を食べるということなのです。

 動物たちは殺される前に恐怖を感じています。場に連れて行かれれば血のにおいがするために彼らは恐怖を感じるわけですが、この恐怖によってアドレナリンが大量に分泌されます。

 このアドレナリンは数ヶ月ものあいだ動物の死体の内にとどまり、それを食べる人間にとって毒素として作用します。またあなたは殺された動物の恐怖、怒り、攻撃性も一緒に食べていることになります。肉を多量に消費する人々がきわめて攻撃的なのは、ここに理由があるからです。

 ですからどんなものを口に入れるとしても食べる前に体に対してそれが本当に必要なものかどうかをきちんと尋ねるようにしてください。もちろんただちにベジタリアンになれと言っているのではありません。もっと意識的になってもらいたいからなのです。少しずつでいいですから前に進みましょう。あなたが心を浄化して自分をもっと愛するようになればごく自然に肉の摂取量が減り、やがてまったく欲しなくなるでしょう」

 
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緩和ケア

2005年12月11日 18時32分51秒 | 癌治療・緩和ケア
 今日は東京都大塚の日本鍼灸師会館で開かれた学術講習会にいってきた。
 演題および講師は、
 1.がんの痛みを緩和する
   --モルヒネやほかのオピオイドlを中心として--
   日本赤十字社医療センター 緩和ケア科 部長 秋山修先生
 2.Palliative期の患者に対する鍼灸
   --症例から学ぶ現状と問題点--
   東海大学医学部付属大磯病院 鍼灸治療室 高士将典先生
 だった。

 日赤の秋山先生のお話からはホスピスで使われる一般的な疼痛鎮痛薬の働きや特徴、最近のデュロテップなどの新薬の話などもあって参考になった。秋山先生には何度も面識があり日赤医療センター緩和ケア病棟に入院している患者さんのところへ往診に行ってぼくが貼った皮内鍼を後日先生ご自身で張り替えてくださったり、と代替医療に理解を示してくださっていらしてとても有り難く思っている。今日の講演に対する会場からの質問への答えの中にあったのだけれども、緩和ケアの現場における医療人に鍼灸への期待や理解が薄いのでどうしても鍼灸師がチーム医療に入るのが難しいとのこと。「国立ガンセンターでは鍼灸師がチームに入っていてうらやましい」と仰っていたのでぜひ秋山先生には日赤医療センターの上司を説得して頂きたいと思う。

 高士先生の講演は初めて聞いた。コメディカル(医師を頂点とした医療チームの中の一員)として大学病院内で鍼灸治療を行ってきて、実際にペインスケール(痛みの程度を数値で表現したもの)の一つであるVAS(Visual Analog Scale:拷問のような耐え難い痛みを10としまったく痛みのない状態を0として患者に現在の痛みを10段階のうちでどれくらいか自己申告してもらうことで、治療前治療後の痛みの変化を知る)を使ったりして統計を取ってこられてきた。

 その結果、例えば電子温灸器の導入により痛みの緩和が図られたことで医師や看護師といったまわりの医療スタッフに「鍼灸は効くらしい」と認識してもらう一助になったこと、その後医療スタッフが鍼灸治療室に積極的に患者を回してくれるようになったことなどを紹介していた。

 また慢性疼痛には皮内鍼が予想以上に効果があることなどぼくも納得できる報告をされていた。さらに刺絡というわりと刺激量の多い刺鍼方法も採用したことがあるなど興味深い報告もしてくださった。
 
 高士先生とは講演の後に個人的の話をしたかったのだけれどもすぐお帰りになってしまわれたようでちょっと残念だった。ぼくのように自分のしたい治療方法で患者さんにあたれる環境よりも制約の多い医療現場でされている高士先生のことは尊敬するし、これからもいろいろ教えて頂きたかったから。まぁ、いずれまたご縁があればお会いするだろう。

 良く学べた休日だった。
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ブログ背景の猫は・・・

2005年12月10日 23時03分16秒 | 個人的体験・雑感
 ご存じの方も多いと思いますが約45秒ごとにある表情をします。可愛いです。
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