植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

『愛と美の法則』美輪明宏

2009年04月27日 22時56分21秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 『愛と美の法則』(美輪明宏、PARCO出版)を往診先の練馬駅近くの書店で見つけ、早速買い求めた。

 この本は2005年刊行の「NHK人間講座 人生・愛と美の法則」(日本放送出版協会)を書籍化したものだ。

 僕はこのNHKのテキストを持っていたんだけど患者さんが借りていてもう4年も手元になかった。だから書籍化されたものを改めて買った。

 この本はいいよ~。美というものの価値、色の持つ威力、そしてそれを感得することができる日本人の美意識の高さ、エディット・ピアフのこと、本当の愛とは何かなど、ページを繰るごとに数々の学びが詰まっている。

 今は不況で世の中は閉塞感に溢れているけれども、美輪さんの言うように「この世の中は愛と美さえあれば充分」と思えればそれも突き抜けていけるだろう。

 NHKテキストはモノクロで味気なかったんだけど、この本は総天然色(笑)。 中原淳一の作品「蝶々夫人」の絵などをカバーで使っていたりして流石に美について語っているだけのことはある。美しいものを愛でたい人にはお勧めの一冊だ。
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オーラの泉

2009年03月14日 23時36分08秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 久しぶりに観たな、「オーラの泉」。はるみ愛さん?だったかな。

 なんだか3月いっぱいで終わりとか。ずいぶん長く続いたよね~、いやぁためになりました。今回は初めて母と観た。母は初めて見たそうなんだけど、江原さんのことを「へ~すごいね、なんか気味悪いね」と言っていた.まぁ普通の人はそう思うだろうな。

 今日はスペシャル版だったから始めの一時間は浅草の街の紹介だったけど、美輪さんが「今は大不況でたいへんだなんて言っているけど大震災、第二次大戦の焼け野原の時の方がもっとたいへんだった。あそこから立ち直れたんだから日本人は大丈夫」っていうような趣旨の発言をしていらした.

 それはとても大事なこと.世間では新聞で派遣切りや倒産、減産などの文字を見ない日はないけど、どっこい日本人はしたたか。それでもまだまだ大丈夫ってことを発言することはバランスをとる上でとても大事だと思う.

 日本は経済の分野ではなく文化、思考の面でこれからは国際社会に貢献していくだろう。マンガという表現で世界に浸透しているけれども、バックボーンとして「デザイン」、「意匠」がポイントなんだよね.今日のオーラの泉で美輪さんが言っていたけど日本は世界で最も古いデザインの歴史があるとか。

 これからの日本では洗練された文化度の高い意匠をまとった製品を作っていったり、または昔から連綿と受け継いできたそのような物を再発見して掘り起こして世に問うていくこと、そのような動きがもっと頻繁に表に出てくると思う.文化による興国ということだね。

 
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『美輪明宏 ほほえみの首飾り 南無の会辻説法』

2006年08月12日 22時17分15秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 美輪明宏さんの『ほほえみの首飾り 南無の会辻説法』(水書坊)を読んだ。この本は美輪さんが“南無の会”という仏教各宗派の源流である釈尊の思想を、学問や知識として学ぶのではなく、日常生活そのものとして求める勉強会で講師として話された辻説法7講をまとめたものだ。

 本の最初に美輪さんは「宗派のエゴを廃し、しかも各宗の個性を通して仏教の何たるかを自由に学ぶことのできる南無の会の「辻説法」は、現代人が仏教に出会うまたとない場であると、私自身、運動に共鳴し、見守ってまいりました」と語っている。

 一読したけれど美輪さんが「オーラの泉」の中で語ったことを裏打ちするような内容なので、「オーラの泉の副読本」としてもいいかもしれない^^。

 例えば研ナオコさんがゲストの時、「成仏していない霊を上げてあげるにはお題目を唱えるといいんだけど『南無妙法蓮華経』が一番効くのよ」と仰っていたのだけどこのお題目については次のように書いてある。

 「話を元に戻しますが、たくさんのお経の中でお釈迦様が亡くなる前に説いたお経というのが『法華経』なんですね。後世になって日蓮上人が「南無阿弥陀仏」に匹敵する言葉として「南無妙法蓮華経」という言葉を感得されました。日蓮上人は先輩であるお釈迦様の『法華経』を研究なさってその結果として悟られたのが「南無妙法蓮華経」だったわけです。「南無」というのは「信じきる」ということで、「妙法蓮華経」というのは「妙なる法の蓮華経」ということです。」

 (中略)

「仏法」というのは宇宙の法則です。「妙なる法則」というのもその宇宙の法則なんですが、日蓮上人はそのものを「南無妙法蓮華経」という一言の中にまとめられた。この「南無妙法蓮華経」は宇宙のすべての生命を含んでいますので、宇宙いっぱいにいらっしゃる神仏をすべてその中に含んでいます。

 「南無阿弥陀仏」というのは阿弥陀仏お一人をお呼びする言葉ですが、日蓮上人は「南無妙法蓮華経」というのを、宇宙の神々全部を一声で呼び表す言葉として考え出されたわけです。たとえば自分たちが住んでいる土地の神様もいらっしゃるし、天照大神という日本国の守護神もいらっしゃいます。それから自分の背後霊がいて指導霊がいて、守護霊がいて守護神がいる。肉眼では見えないだけのことなんです。とにかく宇宙の神様というのは山ほどいらっしゃるわけですが、そういう神々を一口に呼び表す方法というのが「南無妙法蓮華経」という言葉なのです」と。

 まぁ僕には見えない世界のことは分からないんだけどこれまで学んだことから類推すれば未成仏霊を説得するのにはその霊と同様の低い波動(バイブレーション)にならないと話ができないはずだから、悟りを開いた高級霊では無理であり、我々に近くてまだまだ煩悩を持っていらっしゃる“指導霊”や“守護霊”が担当するのだろう。そのためには超高級霊である阿弥陀仏様のような方がじきじきにお出ましになっちゃう「南無阿弥陀仏」を唱えるよりも、たくさんいらっしゃる神々の中でその未成仏霊を説得するのにふさわしい霊をお呼びできる「南無妙法蓮華経」の方が適切である、というふうにこの本を読んで個人的には解釈した。

 あと、美輪さんは自分が如来や菩薩のように平和な柔らかい心になればそれはそれでいいと思うけど、自分のような人間の喜怒哀楽を歌うことを仕事にしている者は怒りも悲しみも何もないという心の状態で毎日過ごしているとまずいこともある、あまり四海波静かな平穏な悟りの境地に入ってしまうと歌も歌えなくなるし仕事の上で支障をきたすのでもっと自分が煩悩の中で苦しんだり悲しんだりしていないといけないのではないかと思ったりもします、だからこの娑婆で生きていくということは悟りと煩悩との間でバランスを取るということが非常に大事になってくるんですね、と述べている。

 ほかにも「知ることより分かること」、「問題を情念で考えない」などためになる文章がたくさん。一読をお勧めします。(なんかこればっかりだな^^)
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『紫の履歴書』から

2006年08月05日 10時32分47秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 美輪明宏さんの『紫の履歴書』(水書坊)から

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小林先生から、
「丸山さん、あんた誰かを恨んでるんじゃないかい」
御宅へ伺いざま、頭から図星をさされた。
「ええ、でもどうしてわかりますか?」と僕が呆れると、
「私には、何でもちゃんとわかるんだよ。今のあなたは地獄に居るんだよ」
「ええ、まあ地獄と言えば地獄でしょうね」
「何だか、そのわけを話してご覧」
僕が株で騙されたこと、その男が卑怯な奴で僕は七代まで祟ってやろうと思っていることなどを、かいつまんで話した。
「そうかい、それは気の毒なことだったね。でもね、よく考えてご覧、騙されるからには騙される方にもそれだけの油断と慾があるんだよ。万事、人まかせなどにせず、自分の力で身分相応に地道にやっていたとしてご覧。誰からも騙されるに済んだはずだろう。

 たとえ向こうが騙そうかとかかって来ても、“ええ、私はこれで結構です。自分なりに努力してみます”という気持でいたとしてご覧。相手は騙そうたって騙せないじゃないか。相手に人を騙すという罪を犯させたのはあなたの方だよ。気の毒なのは向こうの人なのだよ。あなたは、むしろ、貸しがあっても、向こうの人は、一生あなたに人生の借りを背負って生きていかなければならないんだよ。

 それに比べてあなたは胸を張って大手を振って誰からも指をさされずに生きてゆけるじゃないか。あなたはいい勉強をさせてもらったんだよ。高い月謝だけど、まあいいじゃないか。一度、失敗すれば二度と同じ失敗はしなくなるだろう。

 “すなわち変化(へんげ)の人を遣わして、これがために衛護(えご)となさん”で、きっとその人はお釈迦様を修行させるために悪魔の役を果たした提婆達多(だいばだった)と同じ役目であなたを修行させてくれた菩薩なんだよ。その人に向かって嫌な役目を引き受けてくれて有難うと感謝してもよいくらいじゃないかしらん。あなたが向こうの立場になったとして考えてご覧?向こうの役を演じなくてよかったと思うだろう?その人のことを気の毒だと哀れんでも、決して怨むことは、ないんじゃないかね?」

 私は、ニコニコしながら、ゆっくりと順序よく説かれる先生の言葉の一つ一つが素直に受け止められた。何だか自分が段々と浄(きよ)められていって、尊い仏になったような気持になった。
「どうだい、気持が晴れたろう」
「はい、何か、もやもやしたものが、なくなっていったようです」
「そうかい、それはよかった。それが極楽というものだよ。地獄、極楽はあの世ばかりにあるんじゃない。おのおのの胸三寸にもあるんだよ。スイッチの切りかえ一つで、地獄にでも極楽にでもなるんだよ。それを悟りといって仏になる第一歩なんだよ。つまり即身成仏ということだよ」
「なるほど、よくわかりました。よい勉強になりました。これからも何かにつけてご指導ください」
「いいえ、柔和質直な心で何の抵抗もなく聞いてもらえて、私のほうこそ感謝しますよ。どうもありがとうね」
私は来た時と異(ちが)って、身も心も軽くなり、爽やかな心で家へ急いだ。
>>

 『オーラの泉』では菩薩のように思える美輪さんにも僕たちと同じように恨みや嫉妬などで苦しんでいた時が過去にあったこと、そしてそれを救ってくれた先人たちがいたことをこの本で知った。“すなわち変化(へんげ)の人を遣わして、これがために衛護(えご)となさん”、この言葉が胸に残る。

 きのう引き受け氣功東京講習会があったんだけどそこでも藤谷康充先生が「憎いあの人は鬼の面をかぶって気付かせに来てくれたんですよ」と話された。そう、上の美輪さんの話と同じなんだね。
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『オーラの泉』の影響力

2006年07月17日 18時22分52秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 前々回の『オーラの泉』(たぶん7月5日放映)のゲストだった大相撲の千代大海関。今場所は好調で7勝1敗で全勝の横綱朝青龍、大関栃東を追う位置につけている。そしていま、ここまで全勝の大関栃東を“はたき込み”で破った。思わず“ヨシッ!”と言ってしまったんだけどその直後NHKアナウンサーが向こう上面に座ったゲスト野口五郎さんにコメントを求めた。(野口五郎さんが相撲ファンとは聞いていたがゲストに呼ばれるほどとは知らなんだ)

 すると野口五郎さんは「実はきのう千代大海関とチャンコ鍋をご一緒させて頂いたんです。その時ぼくが『今場所は立ち合いがいいですね』と聞いたら『最近、気持の持ち方を変えるような大きなきっかけがあったんです』と。なんかメンタル面で大きな変化があったようですよ」と話していた。それに対しNHKアナウンサーが「それはどのようなことですか」と聞いたら野口五郎さんは「ぼくの胸に留めておきます」と笑って答えなかった。

 千代大海関がチャンコ鍋を突つきながら野口五郎さんに語った“大きなきっかけになった出来事”が何かは分からない。でもそれはたぶんきっと『オーラの泉』への出演ではなかったか。

 『オーラの泉』ファンであの千代大海関の回の放映を見た人なら多分ほとんどの人が今場所の千代大海関が本気で横綱取りに行っていると見ているだろう。なんせ顔つきが今までの彼とは違う。取り組み前だけでなく取り組み後の顔もほっとしたところがほとんどなく明らかに先場所以前と比べ引き締まっている。彼はあの番組がきっかけでこれまでのだらけた心がピシッと引き締まり横綱取りに対する執念が再び呼び覚まされたのだと思う。

 番組で江原さんから自分は前世も相撲取りだったこと。病気(?)かなんかで横綱にまでは上がれなくて悔しい思いをしたこと、だから今生はリベンジで「もう一度相撲取りとして横綱までなる」と頼み込んで生まれてきたこと、それだけの覚悟で生まれてきて相撲取りになりあと一歩で横綱になれる大関の地位まで来ているのに最近上をねらう意欲が無くなっちゃってこのまま終わっていいんですか、また同じことを繰り返すんですか?と言われて“はっ”と我にかえった表情をされていた。

 生きる意味とか目的を持つと人はいつでも変われるよね。物事の解釈の仕方、ものの見方が変わった瞬間に人は変われる。千代大海関は幸運にも(いや、必然なんだろうけど)『オーラの泉』にゲストとして招かれて、自分の生まれてきた意味を聞かされ自分を取り戻した。自分は横綱になるために生まれてきたんだと。そう、彼は人生を取り戻したんだ。江原さんに「目の前に横綱になる幕が上がっているんですよ」とはっきり言われて。

 千代大海関だけではない。多くの芸能人の方々の変わる瞬間、きっかけにあの『オーラの泉』という番組はなっている。歌手の和田アキコさんは「もう歌うのは止めた!」とマネージャーに言ったその次の日に番組に出て、自分がゴスペルを歌うために生まれてきたことを諭されてやはり千代大海関のように吹っ切れて新しい道に邁進しだしている。他にも数々の救いをもたらしている。船越英一郎さんや相田翔子さんの時には家族との絆をより深めるきっかけにもなっていたし。

 『オーラの泉』はゲストに招かれた有名人だけでなくあの番組を見ている人をも癒しているに違いない。ゲストの話を我が身に置き換えて聞くことで、あの番組を見ている一人ひとりの視聴者のそれぞれ異なる心の傷や葛藤、悩みが軽くなったり解消されていく。『オーラの泉』の影響力恐るべし。そしてその力は美輪明宏氏がいつも言っている“愛”から来ているんだろうね。

 今場所は白鵬と雅山の昇進にファンや関係者の注目が集まっていると思うけど、愛をもって諭されて「中身が変わった」千代大海関に注目したい。
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『オーラの泉』SP5回目 船越英一郎さん、フジコ・ヘミングさん、長谷川理恵さんの回:感想

2006年04月25日 10時50分47秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 船越英一郎さん
 結婚した相手の連れ子が前世で自分の実の子供だったという。そしてその子どもの為にした結婚。「パパ、ここだよ」には参ったね。船越さんでなくても泣きました。
 船越さんの霊視を見ていて思ったのは「魂の結びつきの深さは実際の血縁とは無関係だ」ということだ。今のこの世に出てきている60億を越える魂たちの中で実際に自分とグループになって輪廻転生しているのは約20~30人前後とか。だから必ず自分のソウルフレンド(ぼくの造語です)、ソウルメイトが血縁の家族以外にいるんでしょう。人との出会いを大切にしたいと思った。

 イングリッド・フジコ・ヘミングさん  
 楽しみにしていた。数々の辛酸を経験されてきたからか霊視にも斜に構えられていた(ようにぼくには見えた)けれどもそれでもしっかり美輪さんと江原さんの話を聞いていらしてなんだか可愛かった。でも一日経った今記憶にあるのはフジコさんの最後の「皆たくさんものを持ちすぎる」というコメント。少しの食べ物さえあればいいというのには同感する。彼女のようにシンプルに生きたい。


 長谷川理恵さん
 若侍のようなきりっとした眉、目元だなぁと思ってみていたら前世はヨーロッパのナイトとか。確かに馬上にまたがる容姿端麗、血気盛んな若武者を想像できる。猪突猛進も“義”のために生きるのも頷ける。
 輪廻転生の回数が結構ある→比較的古い魂。今生でつい最近亡くなった彼女の恋人はまだ魂が幼い(輪廻転生の回数が少ない)から死ぬということが理解し難くてこの世に未練、執着があるため“成仏”していない。彼女は彼を看取って霊界のより高みに登らせてあげる役目がある。それは彼女自身の寂しさという感情を乗り越えて、相手の幸せのみを願い霊界の高み、光、天国のほうへと恋人の背中を押すことで彼女の大きな意味での愛情を培う経験となるのだろう。こうした彼女の魂の向上を図ることも恋人の死という辛い経験の裏にある大きな意味の一つかもしれない。

 遺された者がパートナーの遺品の中に埋もれて生活していてはいけないのですね。一旦綺麗に整理する、それから改めて写真を飾るのがいいと美輪さんは言っていた。

 今日は文章が散文的でまとまらない。失礼しました・・・
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癌の意味3 身体の健康とは

2006年03月17日 20時35分35秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 今をときめく霊能力者江原啓之氏はその特殊能力を正しく使うためにイギリスに渡りスピリチュアリズムという心霊科学を学んだことがあったという。霊能現象がなぜ、どういう仕組みで起こるかをイギリスでは長い時間を掛けて研究してきており、自らの持つ霊能を正しく統御する一助にスピリチュアリズムを学ぶために江原氏が渡英されたのは賢明だったと思われる。

 そのイギリスではモーリス・バーバネルという名の新聞編集者の男性に、彼が20歳だった1920年ころから40年間の長きに渡り定期的にシルバーバーチと名乗るあの世の存在(霊)が“憑依”して彼の口を借りてあの世の様子やこの世の様々な苦難の背景を霊的視点から語った記録が残っている。それが『シルバーバーチの霊訓』としてまとめられており、邦訳では近藤千雄訳、潮文社からシリーズで刊行されている。

 私にはシルバーバーチと名乗る存在がどのような素性の者かは知る由もないが、『シルバーバーチの霊訓』に書かれているその存在の語った言葉には深く感銘を受け、大きく影響を受けた。

 以下は“身体の健康”について『シルバーバーチの霊訓』で述べているものを抜粋したものであるけれども、霊的視点から見た私達の体を理解する一助になるのではないかと思う。参考になれば幸いだ。

 ------------以下『シルバーバーチの霊訓』より--------------------------

「人間には一種の機械としての物的身体が与えられています。あなたはその身体を通して自我を表現している一個の霊なのです。あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ、身体は生命力の補給路を失うことになります。補給源とのつながりを絶たれることになります。そのことに気付いて心構えを改めない限り、あなたの身体はその不健康な作用と反作用の法則に従い続けることになります」
 
 「心配の念はあなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。その障害を取り除くまでは生命力が流れ込みません」「心配することに費やしているエネルギーを建設的な思念へ転換すれば、健康上の問題は生じなくなります」

  「身体は一種の機械です。したがってそれなりの手入れがいります。手入れを怠れば故障するに決まっています。すると休息と修理によって機能を回復するほかはありません。あなたはその身体を通して自我を表現しているのです。その身体のすることにも限界があり、それを越えてしまえばバッテリーを補充しなければなりません。それはあなたの責任です。あなたの身体だからです」

 「健康を増進するのは医学でも医薬でも劇薬でもありません。不自然なものを体内に注ぎ込むことによって健康にすることはできません。それは言わば医学的愚行です。正しい生き方さえしていれば、つまり思念によこしまなところがなく、霊と精神と身体とが調和していれば健康でいられるのです。日常生活のストレスと心労、あるいは利己心や邪心や強欲が生み出す不自然な緊張、こうしたものは物的存在のすべての息の根を止める毒薬です」(以上『シルバーバーチの霊訓9』潮文社より)

 「中庸こそ身体機能を自由に働かしめ、一方精神的能力を曇りなくかつ激することなく自在に発揮させる。我らが求めるのは明晰にして元気はつらつとし、それでいて興奮することなき精神と、活力に溢れ、その活力を使い過ぎもせず欠乏もせぬ身体である」  

 「身体の健康管理は魂の成長にとりて不可欠の要件である。魂が地上という物質の生活の場において自己を表現していくために肉体に宿るかぎりは、その肉体によりて魂が悪影響を受けぬよう、これを正しく管理していくことが必須である」

 今の地上に見られる人工的傾向、健康に悪影響を及ぼすものについての無知、ほぼ地上全域に見られる暴飲暴食の傾向、こうしたものはすべて真の霊的生活にとりては障害であり妨害となる」(以上『霊訓・下』心の道場より)

 健康とは全体が整っていること、調和が取れていること、リズムがあること、協調体制が整っていることです。あなたという存在は三位一体、すなわち霊または魂と精神、それに物的身体の三つから成り立っています。その三つの主要な構成要素の間に調和がとれていれば、あなたは健康です。その三者の間で相互作用が絶え間なく行われているのです。

 「霊が正常であれば精神も正常であり、身体も正常です。身体に生命を賦与しているのは霊です。霊はすなわち生命であり、生命はすなわち霊です。霊とは大霊であり、大霊がすなわち生命ということです。物的身体は霊が自我を表現するための道具であり、精神はそのためのコントロールルームと思えばよろしい」

 残念ながら現代の忙しい生活機構が緊張とストレスと過労を生んでおります。それが調和を乱すのです。霊が病み、精神が病み、それが肉体に病的症状を生み出します。心身症という病名がありますが、これは精神と霊に起因する病気のことです」

 「ですからかりに心配が原因で潰瘍が生じた場合には、その潰瘍部分を切除しても何にもなりません。心配をするという精神の病がある限りはまた潰瘍が生じます。心配をしないように精神を修養するしかありません。そうすれば潰瘍も消えます」 

 「そこに現代社会が病んでいると申し上げる原因があります。考え方、物の見方、大切なものとそうでないものの判断力、焦点の置きどころ、視野の持ち方、こうしたものが狂っているのです。大切なものとどうでもよいものとの区別ができるようになり、基本的な霊的真理の大切さが分かるようになれば、人間を構成する三つの要素が調和して、健康になります」(以上『シルバーバーチ最後の啓示』ハート出版より)

 
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『オーラの泉』現行どおりのまま・・残念です<お詫び>

2006年03月08日 21時54分03秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 『オーラの泉』現行どおりのまま・・残念です<お詫び> 

 2月1日の日記でお知らせした「4月から『オーラの泉』が月曜夜7時のゴールデンタイムに移行する」という情報ですが、今日関係者の方に教えて頂いたところ最終的には4月以降も現行どおりとなったようです。いろいろ紆余曲折があったようですが結果的には現状維持のままで4月から半年間は放映が確定している模様。

 何はともあれ今回は結果的に正しくない情報を皆様にお知らせしたことになってしまい、多くの方々にご迷惑をお掛けしたと思います。この場を借りてお詫びさせて頂きます。誠に申し訳ございませんでした。

 『オーラの泉』はこの間の三谷幸喜さんがゲストの時は10%を超える11時台としては驚異的な視聴率を取ったとか。そんな高視聴率を稼げる番組だからこそ今回の番組改編時に局の方でゴールデンタイムに持っていってより視聴率を稼ごうという動きがあったのでしょう。いずれにしてもいい番組は長く続いて欲しいと思います。


 
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『私の遺言』読了

2006年02月22日 16時31分18秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 『私の遺言』(佐藤愛子、新潮文庫、2005年)を読んだ。 
『プレアデス 銀河の夜明け』を読み終えてないがこの本のことを他のブログで紹介していたのですぐ本屋へ急行して買ってきた。半年ほど前から読みたいと思っていたから。3時間くらいでガーっと読み終えてしまった。

 佐藤愛子氏が30年に及んで悩まされた霊的現象とその解決のために出会った美輪明宏氏、江原啓之氏、日本心霊科学協会の寺坂多枝子氏、大西弘泰氏、榎本幸七霊媒そして故相曽誠治氏、中川昌蔵氏たち。そして彼女が学ばれた霊的教訓の数々。

 美輪、江原両氏が20年以上も前から彼らの霊的能力を人助けのために使ってきていたことがわかるし、一時私も会員になって精神統一に座ったことのある財団法人日本心霊科学協会の会館の会場で著者が招霊実験をしてもらう様子を読むととても親近感が湧いてくる。

 霊障に悩んで悩んで苦しんで苦しんでも真っ向から立ち向かった佐藤氏はやはりこの本を書くことが使命だったのだろう。普通の人なら耐えられない状態でも彼女自身が言っている“強い自分”がいたからこそ乗り越えることができた。彼女が強くてその強烈な霊現象体験を受け止める力があったからこそ、そしてそれを正確に表現できる能力のある文筆家であったからこそ、そして表題どおり「遺言としてなら話せる内容」と考えるほど著者が79歳という年齢に達していたからこそ、世に出せたたいへん貴重な本だと思う。示唆するところは多い。この本も読んでほしい。特に自分の人生に価値を見出せないで苦しんでいる多くの人に。

 「すべては『はからい』だったのだと私は思う。私の過去のもろもろの苦労は、私のカルマであると同時に私に与えた使命を成し遂げさせるための訓練だったのだ。今、私はをそう思う。苦しみから逃げなくてよかったと思う。人間は苦しむことが必要なのだ。苦しむことで浄化への道を進むのだ」

 「与えられた苦しみ、やって来た困苦を不条理だと反発してもしょうがない。どんな不条理でも受け入れるしかない。それを受けれ容れて苦しむことが必要なのだ。それがこの世を生きる意味であるらしい・・・」

 「波動をあげることが大切、そのためには毎日朝日を拝む。そしてなんにでも「ありがとう」という」

 「目に見えて下って行くこの国の波動。それを高めるためには太陽を仰いで祈ることだと相曽氏はいわれた。我々の胃の後のほうに太陽神経叢があり、そこで自律神経を調整する。朝の大気が清浄な時間に太陽を仰いで息を吸い込むと五感が沈静化され、雑念妄念が遮断されて正しい霊感や直感の世界に入ることが出来るようになる。一人ひとりがそれを行うことが日本の国の浄化につながるのだと氏は言われた」

*日拝鎮魂法:太陽を仰いで太陽神の分魂(わけみたま)をいただき、毎朝、魂を更新すること。不祥事や霊障は心の乱れや身の不浄があるために魔がつけ込んで生じる。それゆえ常に心すべきことは嘆いたり悲しんだりしないことで、悲嘆する前に慎み畏んで(かしこんで)神にお詫びをし、魂を入れ替えることが必要である。すなわち太陽の分魂を体内に取り入れて新しいものに変えて頂く、これをいう。方法は朝の大気の清浄な時間にまず太陽を仰いで息を吸い込み、「アマテラスオホミカミ」と唱える。この時「アマテラス」の「ス」のところで「スーッ」と息を吸い込みそれから「オホミカミ」とつづけ、最後の「ミ」をいい切ると、息を継がずに「アマテラス」に戻る。息を吸うのは「ス」の音一か所だけである。

 →なんかだんだん集約されてきたような気がする。野坂礼子氏の『人生を変える言葉 ありがとう』『人生を変える笑顔のつくり方』(PHP)の価値が深まる。朝日の大切さを再認識する。朝日を拝むことは自分の霊力を高めるという利己的なことではなくこの国の浄化にまでつながる利他的な行為とも言えるのか・・・。

 気付き多い一冊。

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教養

2006年02月11日 19時56分55秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 「ここで皆様に申し上げたいのは、人として生まれてきた以上、この世の中には知らねばならぬこと、知りたいことが山のようにあるはずです。とにかく人間は一歩一歩、毎日毎日、一秒一秒、死んでいるわけですから、完全に息が止まるまでの時間、一つでも多くのことを知り、知るだけではなくそれを生活に活かしていく」

 「知識と教養は違うということです。知識とはものごとを知ることですが、その知識を実際に自分の体の中に入れて、咀嚼し、そしてそれを暮らしの中に活かす。それが教養です。つまり、自分自身の細胞として、知を暮らしの中に活かしていく。対人関係でも何でもそう。知識を活かして、人格的なものを磨いて、その生活の中に投影させる。それが教養だと思うのです」
 『NHK人間講座2005年2~3月期 美輪明宏 人生・愛と美の法則』(日本放送出版協会)より抜粋

 その教養を元に愛情をもって相手に接せられれば相手をより豊かにできるのだろう。そういうものにわたしはなりたい。
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『オーラの泉』祝!ゴールデンタイム移行

2006年02月01日 20時49分55秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 「『オーラの泉』が今度の4月から月曜7時のゴールデンタイムに移行しますよ」と今日TV関係の仕事をしている方から聞いた。番組編成に関連する仕事をされている方だから情報源としては確かだと思うけれどももし実現するならとても嬉しいことだ。

 現在『オーラの泉』は遅い放映時間なので見れない方も多くいるだろう。午後7時からというゴールデンタイムに放映されることでより多くの人が見れるようになるだろう。癒される人もたくさん出てくるだろうし霊的なことを学べる機会が増すことで人々の魂や意識の変化も出てくるでしょう。ありがたいことだ。

 ゲストに愛情をもって接し「決して恥をかかせないことを旨としている」美輪さんと江原さんのお二人の霊能者、そして素直でユーモアのある国分さん。この三人ならば大丈夫と思っている。決して怪しげな番組などと思われることはないだろう。

 時代の趨勢を感じる。12月8日の日記「オーラの泉」で書いたことが現実化した。“想いは急速に具現化する”という今年のエネルギーの流れを身近で感じた気がする。嬉しいような恐いような、である。

 *その後3月8日の日記で書いたように放映時間は現行どおりのままになりました。謹んでお騒がせしたことをお詫び申し上げます。
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生きることを活かす→生活

2006年01月31日 19時49分38秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 『美輪明宏 天声美語』(美輪明宏、講談社、2000年)より

 「生活というのは「生きることを活かす」と書くでしょう。では「生きることを活かす」とはどういうことかといえば、素晴らしい本を読んで、美しい音楽を聴いて、質の良い美術品に接し、小説や映画の主人公のように毎日を生き生きと生きていくことなのです」

 「音楽というのは、生活においてとても大切な役割を担っているでしょう。それと等しく、美しい言葉もいまや、生活必需品。青い空も自然の緑もすべて灰色になってしまった今だからこそ、ささくれだった人の心を癒し、豊かにしてくれるのは、形のない美しきものたちなのです」

 人里遠くはなれて山を往けば美しい自然が待っている。モルゲンロートの静謐な時間、深山幽谷の鮮烈さ、誰もいない空間の恐ろしいまでの静けさ、そのような中に浸れることは幸せだ。美しい光景はその中に佇んでいる。しばらく美しい自然と遠ざかってしまったな。またフラリと“生活”のために大自然の中に入っていきたい。
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美意識を高めるために

2006年01月26日 23時59分57秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 美しいものに触れることで魂が磨かれると思うので、美輪明宏氏が『美輪明宏 天声美語』(講談社、2000年)で挙げているさまざまなジャンルの“美のリスト”をノートに記していて折に触れて見に行く努力をしている。美輪リストのジャンルは“美女”“観ておくべき洋画”“日本映画の美女”“観ておくべき日本映画”“読むべき本”“名画”“観るべき美術館・博物館・建物”“音楽”古典芸能”など多岐に渡り、これまでまったくそういうものに触れてこなかったぼくには確かにいい刺激になっている。

 きのうたまたま古い新聞を見ていたら目黒にある松岡美術館というところでちょうど今、美人画展をやっているというではないか。そしてそこには美輪リストに観ておくべき日本画として紹介されている上村松園(うえむらしょうえん)、鏑木清方(かぶらききよかた)、池田蕉園(いけだしょうえん)の作が出ているというのでさっそく今日の午前中に見に行ってきた。目黒は自由が丘から片道150円、30分で行けるのでありがたい。

 池田蕉園の「桜舟(さくらぶね)」、上村松園の「春宵(しゅんしょう)」ともにほのかな桜色が素敵だった。ぼくはピンクという色が好きで今日はサーモンピンクのセーターを着て鑑賞しにいったのだけれども画中の桜色の方がはるかに艶やかで訴えるものがあった。つくづく女性はさまざまなパステルカラーの色を着れてうらやましい。池田蕉園は短命であったがために寡作なので他にはあまりないらしくあの素敵な色使いの日本画をほかに見れないのはとても残念だ。

 松岡美術館には今回の美人画展のほかに常設展として古代オリエント美術やインド・ガンダーラ彫刻などもあったのだがなんか仏像たちの部屋に入ろうとしたら寒気がしてしまってあまりいい気持ちがしなかった。

 松岡美術館で入館の際にぐるっとパスというものを2000円で買ったので今日から2ヶ月のうちに都内の約45の美術館・博物館が入場料無料あるいは割引になる。というので近隣の東京都庭園美術館にも立ち寄る。きょうは残念ながら美術館には入れず庭園だけだったが人の少ない庭園の中で冬の快晴の日差しを受けてひなたぼっこをして少しいねむりなぞもしてしまった。

 1時間くらいお昼過ぎの太陽を浴びてもう帰ろうと立ち上がったとき目黒にはいつか『オーラの泉』で紹介していた素晴らしい百段階段のある目黒雅叙園があるではないかと思い出し雅叙園に寄ることにする。目黒駅を背にしてホリプロ本社を横に見ながら行人坂(ぎょうにんざか)を下り目黒雅叙園に着く。

 雅叙園の中で百段階段見学と食事がセットのツアー「美と匠の祭典」のパンフレットを貰ってくる。最低でも6300円!高い!でも観てみたいなぁとため息をついて帰ってきた。

 でも帰ってきて今思うのは一度見た美しいものは脳裏に焼き付いて自分の養分に確実になるなぁということ。あの“桜舟”の女性たちの半襟の色と薄桜色の着物地の色彩コンビネーションには参った。頂きますという感じ。

 オーラの泉SPで仮屋敷省吾の美の世界と題して雅叙園で行われた氏の個展を見た際に雅叙園の天上、欄間を見上げて国分太一が「ぼく、こういうのを知らないで過ごしてきてすごく損して生きてきた」というような意味の言葉を言っていたことを想い出し深く同意する。美しい本物を人生の早い時期に見ておくことはとても益だということに。遅ればせながらぼくも触れ始めたところでこの先が楽しみである。
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スピリチュアルTV

2006年01月25日 20時55分57秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 左のブックマークの最下段あたりに入れているスピリチュアルTVをぜひ訪れてみてほしい。多くのサイトを動画で見ることができる。文章を読むよりも実際の映像の力は偉大だ。「呼吸を変えれば人生が変わる」原久子さん など多くの出し物がある。 きょうはその画面の中にある「第4回 テディの部屋 「陰陽の法則・無双原理」 上北啓盛さん」をちょっと見てみた。

 桜沢如一(さくらざわゆきかず)、石塚左玄、無双原理といったマクロビオティックの思想背景にある陰陽論に始まってさまざまなことについて理髪師の上北啓盛さんという方が解説されている。まだ見ていないのだけれども後段には宇宙原理を生活に応用して魂の改善の方法まで述べておられるようで興味深い。

 ウインドウズメディアプレーヤーがあれば見ることができる。もしこのソフトを持っていない方はスピリチュアルTVの右上にダウンロードサイトへ飛ぶボタンがあるのでそこから無料でダウンロードできる。

 スピリチュアルTVの最初にある「イルカくん いるかちゃんのスピリチュアルメッセージ」も面白かった。「Channeling」タブの上から5番目ではアセンションを優しく説明もしている。奥さんの彩子さんがチャネリングしていてまったく声としゃべり方が変わってしまっているのが不思議だ。彩子さんご自身が意識してされているのかそれとも別のパーソナリティが入ってきて(憑依して・チャネリングして)話しているのかは判別できないが、会話の内容は興味深く示唆に富んでいるので一度見てみることをお勧めする。

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『いのちが危ない』から

2006年01月12日 22時34分33秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 『いのちが危ない』江原啓之著、集英社)を読んでいる。
 「価値があるから生きる」のではなく「生きることに価値がある」のです、と自殺を踏みとどまるよう説得している。

 そのとおりだ。いまのぼくの理解では人の命=魂というものは消えるものではなく、たとえ肉体の寿命が尽きても見えない存在として“生きている”。そしていわゆる“輪廻転生”というものを繰り返しさまざまな舞台、さまざまな環境でさまざまな舞台衣装を着て役柄をこなしていく存在であると捉えている。そして本質は穢れのない光の玉、魂であると。その魂がさまざまな感動、経験を積むためにこの世に生まれてくるのだと。

 だから経済的に豊かな人生を送る役を演じている舞台の一幕の時もあればその逆もある、肉体が健康な人生を送る役を演じている時もあれば病人の役をしているときもある・・・。そうして数百回の輪廻転生を繰り返して「愛」を学ぶのだと思う。

 すべては「愛」を学ぶためにこの世に生まれてくる。古代ギリシャに生まれても中世に生まれても現代に生まれても近未来都市に生まれても物質的舞台は変わるけれども人間の営みは変わらないだろう。生老病死。

 ここに生まれてきたのはあの世では達成しがたい“大いなる魂の飛躍”をするためだ。だからここ(この世)にいることが重要なのであって、この世で果たすべき役割や使命があるわけではない。

 じつはぼくのこのブログや治療院のホームページには「あなたは使命があってこの世にやってきた」という主旨でこれまでいろいろ書いてきた。でも今はそうではないのではないか、と思っている。一定の為すべき使命があるのではなくてとにかくこの世と言う現場に踏みとどまってさまざまな経験をすればいい、という風に思えてきた。

 だから経験をするために舞台の上に上がったのに途中で勝手に舞台から降りてしまう自殺という行為はとてももったいない、と思えるのだ。舞台の上で演じるある役割に特別な価値があるのではなく、舞台の上に上がって自分なりの役を演じていればいい、ということだ。

 そして「長生きこそ大事」というものでもないとぼくは思っている。ようは密度だと。魂が震えるほどの感動や体験ができる人生、そういう密度の濃い人生が大事だと。だから困難や障害があればあるほどそれを乗り越える渦中において苦しむ渦中においてこそ密度が高い人生を送ることができる、それが人生の価値、生きることの価値ではないかと考えている。 
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