植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

仙台へ往診

2010年09月27日 21時00分22秒 | 癌治療・緩和ケア
 久しぶりに北の方角へ往診に行った。仙台へ。
 新幹線「はやて」は早い。東京から1時間40分で仙台へ着いてしまう。

 患者さんは東北大学病院に入院しているのだけれども、まずはご家族に腹水の手当、生姜シップ、里芋パスタのやり方を実演するためご自宅に伺う。

 ご家族の方にモデルになってもらって、手当をひととおりして、里芋パスタをはがすところまでする。

 このあと、大学病院の病室に向かい、竪琴を奏でて帰った。

 本来なら直接患者さんへ手当をしたいのだけれども、主治医が許可しない場合もある。特に大学病院はその傾向が強い。

 何でも以前に鍼治療をしていいか打診したら、「鍼治療は感染の恐れがあるから」と断られたらしい。何たる錯誤だろう!今の鍼治療は完全滅菌のディスポーザブルの鍼を使うので感染の恐れは全くない。アメリカのNIH(National Institute of Health)という公的機関ではがんの疼痛緩和治療に鍼灸を勧めているのに・・・

 そのような事情を知らない医師が偏見によって患者から疼痛緩和などの機会を奪っている。嘆かわしいことだ。この傾向は特に先端の治療をする病院に多い。がん治療ばかりが優先されており、随伴症状として出てくる腹水とかむくみ、痛み、しびれといったものを軽視しているように思える。

 もちろん、これらの代替医療やお手当をさせてくれる病院、主治医もいる。実際に病院で腹水の手当(里芋パスタ)をして、しばらく経って腹水が抜けて来るのでそれを目の当たりにされて驚きをもってこれら手当の有効性を納得してもらえることは多々あるのだ。

 願わくば今後速やかに現代医療を補完する形で民間医療が携われる時代が来ることを望む。そしてそのような方向に進めるよう少しずつ努力している今である。
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名古屋へ往診

2010年09月23日 23時26分30秒 | 癌治療・緩和ケア
朝、治療院を出るとき雨が小降りだったので傘は持たずに出た。きょうはリュック、竪琴、バッグと荷物が三つあったのでこの上傘までもってしまうと手に持てなくなる。自由が丘に帰ってきたら商店街の中を歩けばあとは治療院まで100m足らずだから、たとえ土砂降りでも何のこともない。そう考えて名古屋に向かった。

腹水の治療で名古屋へ往診に行った。名古屋駅から車で20分くらいのところだったか。

びわの葉温灸、生姜灸、生姜湿布、里芋パスタの手当をした。

治療院には7時頃帰ってきて、後片付けをし、明日の手当の材料を買いに強い雨の中をスーパーまで往復する。

東京も寒くなった。この間までの暑さをもう忘れそうだ。餌をあげている野良猫のトラが、いつもなら撫でてやるとすぐご飯をねだるのに今日はいつまでも撫でろと催促する。餌を見せても待合室の敷布の上でお腹を上にして横になって動かない。寒くなったから撫でる僕の手のひらの温かさが気持ちいいのかもしれない。いいよ、いいよ、今日は特別だ、と言ってずっと撫でてやった。
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再び『死んだらおしまい、ではなかった』から

2010年09月19日 22時33分14秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
冒頭の書籍中でまとめとしてあるところ。
→はそれについての私見を述べています。

☆私たちが死ぬということは、この身体と「本人」(俗に魂ともいう)とが分かれる状態をいう。

☆通夜、葬儀になれば、祭壇が設けられて多くの縁者が集まってくる。僧侶が招かれて読経が始まる。これらの様子を「本人」はそばでじっと見ている。
「本人」にはすべて聞こえているし、見えている。

→そう聞いています。だから本人が目の前にいるつもりで語りかけています。長い闘病の方だったら「お疲れさまでした」とか。むこうからの返事は僕にはわからないけれども、こちらからの念は必ず届いていると思っているので。

☆「本人」はじっと見ているが、自分自身が死んだということに気付いていない場合がある。だから、「自分は死んだ」ということに気付かせる必要がある。自分の死に気がつかないと長期間にわたってこの世にとどまり続けることもある。

☆お通夜、お葬式、年忌法要などの儀式は、「本人」に「あなたは亡くなった」ということを、繰り返し繰り返し教えるためにある。

☆僧侶にお経を読んでもらうこと、立派な戒名やお墓をたてることが供養のすべてではない。
 ほんとうの供養とは、故人がこの世にやり残したこと、未練が残っていることを、遺族ができるだけすみやかに取り除いて安心させてあげるところにある。

☆故人のことを思い出す時に、故人もこちらのことを思っている。故人を思い出す時に、故人はともにいる。<思い出す・偲ぶ>ということが故人に対するもっとも大切な供養になる。

☆故人を思い、そのうえで、心の中で「どうぞ成仏してください」「どうぞ安らかに浄土に往生してください」と念ずる。その心は必ず故人に通じる。

→ここはご住職が浄土宗の僧侶だから「浄土に~」となるのだろう。「あなたは亡くなったのですよ。どうぞ光の方に歩んでいってください」とお話ししても良いと思う。

☆大切なのは、「心からの祈り」であって決して形ではない。

☆故人に対して「こうしてあげれば喜んでもらえるんじゃないか、こうしたら安心してもらえるんじゃないか」ということなど、できることをひとつでも実行することが供養になる。

☆故人のやり残したことがあれば、代わりにしてあげる、またなにかお供えするにしても、故人が生前好きだったものを供えてあげる。
「安心していただこう」「喜んでいただこう」という心からの気持ちで、なにか気がついたら、ひとつでもいいから実行し続けていくことが、故人の供養につながっていく。

→その通りだと思う。
 ただし、四十九日を過ぎた故人の場合には、この世に執着を持ってもらうと困るので、酒とか嗜好品の類いはお供えしない方がよいと思う。
 酒好きの故人のために墓に酒をかけるとか、ワンカップ酒を墓前に手向けるのは、あの世で酒への執着を断ち切って浄化に努めている故人の努力に水を差すばかりか、足を引っ張ることになるだろうから。
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『死んだらおしまい、ではなかった』

2010年09月18日 21時20分36秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
『死んだらおしまい、ではなかった』ー2000人を葬送したお坊さんの不思議でためになる話(大島祥明著、PHP研究所)

 友人に勧められて読んだ。2000人以上の方の葬儀に関わった住職さんが、ご自身の体験から霊の実在を確信されるようになったのだけれども、そのことを淡々と書かれている。

「霊についてなにか述べようとすると、ほとんどが「思い込み」とか「宗教や信仰」だとか、「特殊な霊能者の世界」のようにとらえられてしまいます。
 しかし、私のつかんだ実感から言えるのは、たしかに霊(本人)は実在するのです。決して思い込みや信仰からではありません。
 そのことを、主観的な表明ではなくて、だれもが納得いく客観的なデータとして残しておきたい。その気持ちから、出会った霊的な体験を、一件一件、記録していったのです。
 客観的な統計データには、最低でも二千件以上のサンプルデータが必要だといいます。だから、最低でも二千件以上のデータがなければ、説得力を持たないと思いました。そういうわけで、私は無理をしてでも二千人以上の葬儀を執り行おうとしたわけです。結果、二千四十六件もの葬儀を経験することになったのです。」

 二千件のデータを得るのに11年の歳月がかかり、そしてそのデータの整理にとりかかってから20年が過ぎようとし、ご自身が60歳を越えられたので本として上梓されたとか。

 ご住職はいつ頃からか故人の霊(本人)がわかるようになり、それを感じながら読経されるのだとか。ご住職の執り行う葬儀は葬儀社からの依頼がほとんどで、菩提寺のない方、あるいは菩提寺が地方にあるために、そこの僧侶に来てもらえない方ばかりなので通夜の日に、初めて故人とご遺族にお会いする。

 だから故人の住所、性別、年齢などはわかるけれどもどんな仕事をしていたとか、どこで亡くなったのかも知らない。どんな暮らしをしていたのか、どんな性格なのか、そのようなことはまったくわからないそうだ。また、ご住職もなるたけ遺族から個人の情報についての話を受けないようにして、何の先入観もなく故人の霊(本人)と接するようにして、より正確に「本人」の状態、ご住職の感じる「なにか」を知ろうとしてこられた。

 そうして感じた「本人」のことをときおり遺族に話をすると、初対面にも関わらず、私が「まるで故人と生前に親しく付き合っていたようだ」とか「そんなことまでご存知なんですか」と驚かれることもあり、なかには、当の遺族も知らなかった話が出てくることもあり、遺族が故人の友人に聞いて初めて知ったという事実もあったとか。

 そうしたご自身の体験からくる話なのでとても面白いし、興味深い。
例えば「死んだ直後、ほとんどの人は自分が死んだことがわかっていない」とか「本人が死を自覚するまでの期間はどれくらいか」とか。

 そして「死んでも変わらないからこそ、いまを大切に生きる」とか「人生において大事なものは、いのちと時間」といった提言をされている。

 輪廻転生までは踏み込んでいないけれども、死後も私たちは存続しているんだなぁということを実感させてくれる本だ。

 そしてこの本を読むと葬儀に出ることが怖くなるかもしれない。だって故人の霊には私たちの感情や思いがまるわかりという状態らしいから、神妙に焼香待ちの列の中で「終わったらラーメン食って帰るかぁ」とか考えてることがバレバレだそうだから・・・あ~コワ、ごめんなさい(笑)
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京都へ往診

2010年09月03日 22時13分22秒 | 癌治療・緩和ケア
 京都向日市まで往診に行った。

 京都も暑かったなぁ。タクシーの運転手さんも「6℃、7℃と続いていますよ。異常気象ですねぇ~」と言っていた。東京よりも雲があった感じなんだけど暑さは変わらないようだ。

 今日は起きたら首の筋を違えてしまったらしく、動かすと痛いので京都往復を考えると悪化しそうなのでハープを持っていくことはやめにした。そうしたら治療が終わった後に、「今日はハープはないんですか?」と問われてしまって申し訳ないことこの上なかった。ごめんなさい

 早く治して担げるようにしますよ
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