植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

熱田神宮

2010年04月11日 20時20分08秒 | 神道、預言、13の月の暦
 名古屋の熱田神宮を訪れた。腹水の患者さんの往診の帰りに、甘えて熱田神宮まで車で送ってもらった。

 今日の名古屋は暖かかった。昨日までの東京は花曇りというか、うすら寒い日が続いていたので新幹線名古屋駅に降り立ってすぐに感じたのは暖かい、という感覚。

 熱田神宮を訪れた時には3時半を過ぎていたが、気温も穏やかでなんとも気持ちいい心持ちがした。

 手水屋のすぐそばに楠の大木があった。鹿児島神宮を訪れた時にも大きな楠があったけれども神域にはよくある。そういえば東京の明治神宮にも本殿脇に夫婦楠?があったような・・・

 本殿の社を奥に見て、手前にあって金色に光るのは拝殿の鰹木か。美しいので思わず写真に撮る。

 参詣する人の数はあまり多くなくて、その少ない人の多くが日本語でない言語を話している。東南アジアから来ている人が多いようだ。日本は今、不況で沈んでいるけれども文化を売り物にして復活していけると思う。日本人には当たり前の神社、お寺がちゃんと異国の人にとっては興味深い観光資源になっているのだから。美輪明宏氏が日本の美しさ、文化をもっと誇りなさいと言っていたのを思い出す。

 熱田神宮はそんなに大きくなかったので15分ほどで参詣を終えて、患者さんのご家族に教えてもらった南入口近くにある鰻屋に行って名物ひつまぶしを食べようとしたんだけど、あいにく4時半までの準備中だったので、代わりに名鉄神宮前駅そばの店で食べて帰ってきた。「名物に旨いものなし」という諺もあるけれども、ひつまぶしはちゃんと大層おいしかった。
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ジュセリーノ予言集Ⅱ

2008年05月19日 20時30分19秒 | 神道、預言、13の月の暦
『ジュセリーノ予言集Ⅱ 続・未来からの警告』(ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース、サンドラ・マイア共著、韮澤潤一郎監修、山川栄一訳、たま出版)を読んだ。

 ジュセリーノ氏は1960年生まれのブラジルに住む塾の語学教師である。彼は幼い頃から夢による予知能力を発揮し、地震等の天災や大事件を世界各国に手紙で知らせ続けている。

 昨年末には日本で民放系のテレビ番組で特集が組まれて放送されたらしい。

 ちょうど今来日されているようで、この週末の神奈川での講演会に出かける予定にしている。
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熊野行1

2006年10月24日 20時29分24秒 | 神道、預言、13の月の暦
 木曜の夜行バスで熊野へ向かった。昨年5月の伊勢神宮参詣後、今度は熊野に行きたいと年初から思っていたのだが、6月頃にマイミクのヒーラー&ダウザー(芝下先生)がブログで「忍田光(おしだあきら)先生のヒーリングを勝浦で開催する」とブログで案内されていたので、ちょうどいい機会と考え行くことにしたのだ。患者さんのAさんが同行された。

 今回の熊野行では芝下先生に本当にお世話になった。言葉では感謝しきれない。先生は治療院をスタッフに任せまるまる一日観光案内をしてくださったのだ。芝下先生、本当にありがとうございました。

<熊野本宮大社>
 熊野神社は自由が丘の産土の神様であり熊野本宮大社はその総本山だ。お社に着きお参りをした後、許可を得て社殿に向かって右端でマリアを奏でる。戸外でもありマリアの音が気持ちよく広がって行き嬉しい。

<大斎原(おおゆのはら)>
 本宮から10分ほど歩いたところの旧社地だった大斎原を訪れる。巨大な鳥居で有名だ。江原さんの『神紀行 伊勢・熊野・奈良』で鳥居の奥の林は清々しいパワースポットであるとも紹介されていたので、奥まで入り遺っている社地にお参りしてその脇の草地でマリアを奏上する。

<熊野速玉大社>
 速玉大社は朱塗りのお社であり古風で静謐な感のある本宮大社とはまた趣を異にしていた。お参りののちマリアを奏でたかったが適した場所がない。と、芝下先生が掛け合って下さり本殿での楽の奏上を許可された!これにはびっくり。
 私達三人は中に招き入れられ、まずは御祓いを受けた。そして玉ぐし奉納をしてそれから楽の奏上を促される。ちょっと緊張したけれども誇らしい気持ちになって楽しくマリアを奏でる。きっと神様も喜んでくださっているだろうと想像して。とにかく自分が楽しかったのでいつもよりもマリアの音色に張りがあったと感じた。
 気持ち良く奏上した後、清めの杯を頂く。巫女さんが出てきて杯に酒を汲んでくださる。思わず「三々九度じゃないですよね」と聞くアホな自分・・・。すみません^^
 なんか快く奏上させていただいたのでこの大社が一番のお気に入りである。

<熊野那智大社>
 社殿にてここでも楽を奏上お願いする。当初は「どちら様?」と訝られたが趣旨を説明すると中での奏上を許される。御祓いののち「ではどうぞ奏上下さい」と促されるが試されているようでもあり緊張して途中で間違える。どうも僕は人間を意識しすぎるようだ。神様に奏上していなかったのだな、と反省する。
 しかしマリアでソングNo1を奏でたのちお清めの杯を頂いた時には僕を怪しい者とみていただろう神主さん(?)の顔も和らいでいて「どちらから?」と親しみの笑みを浮かべて尋ねられた。きっとマリアの音で悪しき者ではないことがお分かりいただけたのだろう。ありがたいです。

<那智山青海渡寺>
 那智大社の隣にあったこのお寺でも奏上した。マリアに興味を持った和尚さんに促されて。賽銭箱の隣で参拝客のお祈りの邪魔にならないように控えて奏でていたが途中からは普通に奏でた。あとで参拝客から「なんていう楽器か」とか「竪琴と違うのか」とか聞かれ「素敵な音色でとても良かった」と言われ嬉しい。どうやらマリアはお参りの邪魔にはならないようだ。

<那智の滝(飛龍大神)>
 壮大な滝。なんとも美しい。社務所横からの小道を入り滝の近くに寄る。赤い欄干の展望台の滝の真正面でマリアを奏でるが滝の瀑音に圧倒されている。観光客が多数訪れている場所だったんだがほんの10分ほどまったく人足が途絶え、その絶好の機会にマリアを奏でる。まるでよく聞かせておくれ、と言われているような不思議なひと時。

 結局この日は朝の7時半から夕方ホテルに着くまで芝下先生が車で案内してくださった。芝下先生とはブログを通じて知りあってこの日お会いしたのが初めて。初めての人をここまで歓待してくださるその気持ち、情けがとっても嬉しかった。まさに有ることが稀な“有り難い”ことです。

 今回の参詣ではまさか自分が社殿の中に招き入れられて“楽を奏上”するなんて思っていなかったからとても驚いた。でもそれができてとても嬉しかったし、マリアを持っているだけでこんな幸せを味わえるんだなと知ってますますマリアが大切なものになった。
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とらわれのない生活

2006年10月13日 23時28分18秒 | 神道、預言、13の月の暦
『マリアエネルギー』(池沢美明、たま出版)から。

「さて、混乱し歯車がズレ始めている今、どうしたら良いかと多くの人があせりだしているようですが、もうあまり何かをする必要はありません。ただただ今はもう時を待つしかありません。リラックスし、心を無に近づけて善悪を感じていて欲しいのです。

 もう悪と戦ったりすることはしなくてよいのです。知らず知らずのうちにあなた方の後ろで隣人同士、友人同士の霊体的なせめぎあいが行われています。ですから三次元の肉体を持ったあなた方はもう惑わされることなく、なるべく今は静かにしていてください。

 無理に善悪の区別をする、白黒をつけるという行為そのものがマイナスになっていくでしょう。戦いが戦いを生じさせ、正義のつもりがいつしか魂の低下へと落ちていく現象が起きています。

 悪も、善を悟るためには必要だったのです。黒も、白を知るためには必要だったのです。でももう、そうした歴史は終わりに近づいております。今、地球が変わろうとしています。善だ悪だと意識をとらわれることなく生活をしていてください。とらわれのない生活からおのずといろいろな区別がわかってくるものです。」
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MY BOOK OF KIN

2006年07月21日 13時22分30秒 | 神道、預言、13の月の暦
[青い共振の嵐]の年 共振の月 7日(土)
KIN233
赤い水晶の空歩く者
(Red Crystal Skywalker)

【キンの書】
私は探るために捧げる
用心深さを普遍化しながら
空間の出力を封印する
協力の水晶の音で
私は生命力の力に導かれる

【BOOK of KIN】
I dedicate in order to explore
Universalizing wakefullness
I seal the output of space
With the Crystal tone of cooperation
I am guided by the power of life force

 自分なりの解釈
・私は探るために捧げる→合っているかも。まさに“真実”を探っている感じだから。
・用心深さを普遍化しながら→課題でしょう。用心深くないから(笑)
・空間の出力を封印する→意味不明 今は理解できない
・協力の水晶の音で→コンパニオンストーンは赤い水晶とみた。探してみよう^^
・私は生命力の力に導かれる→ビワの葉や艾(もぐさ)などの自然の力のお蔭です。

 
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ハリケーン「リタ」

2005年09月22日 23時29分12秒 | 神道、預言、13の月の暦
 ハリケーン「リタ」が「カトリーナ」に続きアメリカに再び大水害を起こしそうな状況だ。

 キョーコの気まぐれ日記のキョーコさんによれば今年平成17年は“17”という数で弁天様の影響下にある年らしい(キョーコさん、意図しているところを取り違ってたらゴメンナサイ!)。そして弁天様は水のパワーを象徴するもので今年は世界中で水による災害が多くなるという。まさにその通りの世界状況ではないか。

 昨年末のスマトラ沖地震の大津波から始まって日本では台風や豪雨による水害、そしてアメリカではハリケーン「カトリーナ」による大災害である。

 先のキョーコさんの説明にあったのだけれども弁天パワーは水を流せ、循環させろ、一極集中させるな、という意味にとれるらしい。

 今年アメリカがハリケーンに襲われることの霊的意味(神示)として、世界中の富を自国に一極集中させているアメリカに対し、分配しろ、分け合え、世界と連帯しろと弁天様に象徴されるエネルギーが気付かせるためのものとも捉えられるのではないか。

 それは前回のカトリーナの災害によってアメリカの中でも貧しい人々がスポットを当てられて、それを機会に様々な格差の解消がなされていく、つまりお金やサービスが災害地に流れ込んでいくことを通して、エネルギーが分散されることを促しているとも取れるだろう。

 ハリケーン「リタ」は中心気圧が900ヘクトパスカルを割り込んだ猛烈なものに成長してしまったようだ。アメリカにひどい被害がこれ以上に起こらないことを祈る。特に北山耕平さんが彼の今日のブログNative Heartで書いているように忘れ去られていると言われるネイティブアメリカンの人々への影響がほんとにほんとに小さなものになりますように祈らずにはいられない。

 *家の近くにインディアンジュエリーの店San Rafael Aveがあったことに気付いた日。
 
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『ホピ的感覚』

2005年08月01日 22時06分52秒 | 神道、預言、13の月の暦
 『ホピ的感覚』小原田泰久著、KKベストセラーズより

「浄化の日、人によっては破滅の日になってしまうのだが、それはもう既に始まっており、これからさらに大きなうねりとして私達を襲うだろう。しかしその先には素晴らしい楽園が待っていることは既に述べた。

 どうせならその夢のような楽園に大きな災害や戦争無しにたどり着きたいというのは誰しも願うことだろう。そんなことが可能なのかというと、預言では十分に可能だといわれている。預言と言うとすべてが決まっていると思いがちなのだが、浄化の日については来ることは間違いないが内容は不確定であるといった性格のものらしい。

 つまり大きくもなれば小さくもなるというわけだ。それなら浄化の日の内容は何によって確定されるのか。その鍵になるのが現在の人間の「意識」ということになる。物質を神様とし、自分さえよければという意識が強ければ、浄化の力はより強力になるだろうし、すべてに感謝でき、他人や地球のことまで思いやれる高い意識の人が多くなれば、城下は小さなものですんでしまうのである。(中略)

 浄化の日は進行中である。これがどんな形で進んでいくかは、私達人類の意識にかかっているのである。では私達はどう生きていけばいいのだろうか。これから私見を述べたい。」

 「神様の存在を前提にした生き方をする」「神を信じてゆだねる」
 いるいないの議論をするよりも、いると信じて行動する。死後の世界、魂、霊というものをいると信じて生きていく。
 神などいない、誰も見ていないと思うので悪事や社会への裏切り行為が行われる。輪廻転生、因果応報ということを理解した上で意思決定や行動をしていく。

 「魂が永遠の命を持っていること、人間は何を目的として生きているかをもっと正確に知る」

 「魂が自分の役割を果たし、それを修行として成長するための道具が実は肉体なのである。人間は肉体を持っているばかりにつまらない欲望に振り回される。肉体的な欲望に打ち勝つことこそ、魂の修行なのだ。肉体を大事にするあまり、魂が成長するどころか、退化してしまったというのでは、私達がこの世に生を享けた意味はなくなってしまうのである」

 「自分の生き方の間違いを精霊は病気を通して教えてくれている。病気はありがたいものなんだと、ホピの人たちは精霊に、感謝の気持ちで接する。そして自分の間違いに気づいたときに病気は治っていく。ホピの人たちは精霊に病気が治ったことを感謝するのではなく、間違いに気づかせてもらったことに感謝する。それが、病気は神様からのメッセージだと捉えている人たちの病気との付き合い方である。」

 「災害も病気と同じ。視点を変えてこれも人間の意識の変革の必要性を訴えている現象だと考える。そして災害を忌み嫌うだけのものではないと理解する。災害が大きければ大きいほど私達は生き方、意識の持ち方、考え方をもう一度見つめなおし、間違いに一刻も早く気づいて、生き方を正しく修正する必要があるだろう」

  「一日一日を神様の意思に沿った正しい道を模索しながら生きていこう。自分の選択した道が正しいかどうかはやがて結果が出る。それはすべての人に示されるだろう」

 「霊的な道を信じなさい。祈りを捧げなさい。そうすればスピリットが夜に夢の中やその他の方法で教えてくれる」



 何のことはない、僕と同じ考えをしている人はやはりいたのだ。それも10年以上前に上記の本を上梓している。ありがたいことと感じている。
 ガン治療の帯津先生が気功師の中川雅仁氏と共にホピを訪れた際に会った長老の話が興味深い。一読をお勧めする。


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ホピの生き残るための智慧

2005年07月29日 21時47分33秒 | 神道、預言、13の月の暦
 ローリングサンダーのヴィジョン、ホピの預言は絵空事とは思えない。かといって僕は恐怖を周囲に撒き散らすことを望んでいるわけではない。警告が既に為されていることをお伝えしたいのだ。

 参考までにホピの長老が伝えてくれた大事なメッセージが公開されている。次のサイト、ホピの預言・警告、その中でもホピの生き残るための智慧のページををぜひ参照して欲しい。

 あなたが何かを感じて行動を起こしてくれれば嬉しい。たとえ滅びが将来に待っていても、魂の永遠性を信じていても、生ある限り生きぬくことが命の意味だとも思う。『風の谷のナウシカ』のナウシカの言葉みたいではあるけれども(笑)。
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浄化の日

2005年07月27日 21時19分35秒 | 神道、預言、13の月の暦
 『Rolling Thunder Speaks』を読んでいる。特に浄化の日(既に始まっているらしいのだが)の記述がリアルであり、それに対し我々がどうすれば変るのかが示してあり、対処方法が書かれている点で預言の書として貴重だと思う。

 「災害はその地域に適した適切な方法で大霊に感謝を捧げる儀式を行うことで避けることができるのだ。もしスピリチュアルな人々が集い、物事をそれらの適切な状態に戻すならば預言は変えることができるだろう」

 「もし我々がこの星を癒さないならば大霊はこの星を我々から取り上げ浄化するだろう。人々が古の教えから調和して生きること、再び祈り方を学ばないならば大きな地殻変動がやってくるだろう」

 「我々の預言では、ほんの少しの者しか生き残れないほどひどい大地、空気、水の汚染の40年間という期間が予告されている。我々はこれを浄化の日と呼び、白人は最後の審判の日と呼んでいる」

 「それは同じものであり破壊と自然の大災害と社会崩壊の40年サイクルは既に始まっている。それは我々が現代文明と呼んでいる物の終焉となるだろう」

 「先史時代の生物、例えばディノザウルス、サンダーバード、大銀狼などが戻ってくると言われている」
 (サンダーバード、銀狼は最近発見されたという。ディノザウルスはちょうど東京に来ている骨格標本“スー”を意味しているとも取れる。いずれも実現したといえる)

 「白いバッファローの子牛の誕生は我々に白人の暴力と貪欲さの道から力を奪い、霊的な道に戻させることへの徴だ」
 (白いバッファローの子牛も最近生まれている。詳細は北山耕平さんのサイトへ)

 「古の預言は次の世界大戦勃発直前には、満月が昇るころ空の三分の一が血のように赤く染まり明るくなるだろうと預言している」

 このほか電車、車、飛行機が止まり、都市のライフラインも途絶、都会の悲惨さなどが描写されている。西海岸でいくつの火山が噴火するとか東海岸の都市で空前の大降雪が起こるなど預言は具体的だ。

 しかし私たちがこれまでの利便性を手放し、快楽を手放し、大地とつながり、大地を敬い、大地と共に生きることを始め、感謝の祈りを捧げるセレモニーをすることで大災害はその程度が変っていくとのことなのだ。

 ローリングサンダーのヴィジョンから私達は真摯にこれからの未来を学ばないといけない。既に浄化の日は始まっている。日月神示にもホピの預言の書にも書かれていることと示し合わせると、これからの40年で人口は0.5%以下にまで減少する。そして転生できるのはすでに現在心の中がインディアンのようにこの星と調和して生きていくことを選択した人のみとなるらしい。

 現在のその人の所属する民族、人種、住んでいる地域、宗教観は問わず、我欲の少ない、周囲のすべての生き物と尊敬し、協調して生きていける自然の一員であることを自覚した人のみらしい。

 この星で学ばないといけないことが僕にはまだたくさんある。精進して転生したいと思っている。


 本日患者さんからお借りした本
 『生命の始まりから浄化の日まで』ランドアンドライフ編集・製作
 『ベロボディアの輪 シベリア・シャーマンの智慧』オルガ・ケリティディ著、角川文庫)以上2冊。
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ローリングサンダーのヴィジョン

2005年07月23日 10時02分56秒 | 神道、預言、13の月の暦
 二十四節気では今日は大暑だが、東京は曇り空でとても凌ぎやすい陽気。最高気温も25度前後との予報なのでまったく体に助かる。暑いのは苦手だし猛暑はクーラーによる都市のヒートアイランド現象を加速するので本当にありがたい。雲の神様や東北から吹いて来てくれる風の神様にも感謝の祈りを捧げよう。

 『Rolling Thunder Speaks』第三章Things To Comeを再読し始めた。ローリングサンダーが見た未来のヴィジョンについて語られている。リアルだ。様々なことが語られている。

 「この星を愛せ。この星をやさしく扱うことだ。そうすれば報いがある。浄化の期間中(約40年と言われる)に自然と密接にシンプルに生きることを選ぶことは生き残りへの始まりとなる」

 「私が考える人々が学ぶべき主要なことは自分達の健康を自分達で維持することと、どんな方法でもいいから出来る限りの食糧を備えておくということだ。人々は野生の植物について学びそれらから食べ物を作れるように学んでおくことだ。」

 「生き残るには植物や治療法も学ぶ必要がある。人々は霊的生活に戻らなければならない」

 「足を強くしておけ」・・・他にもいろいろある。彼によれば大災害とそれに続く浄化の40年間が待っているそうだ。私達はそれに備えなければならない。

 僕自身はこれまでの学びから魂は永遠だと信じていること、そして今生きている私達はそれぞれの魂の家族(霊系)から選ばれてこの時代に生まれてきた代表選手であること、そしてだからこそこれから苦難の道、贖罪の道を歩む試練を負わされるのだ、そしてご先祖達すべてのすべての借金(カルマ)の払拭、一括現金払いを今生でする期待を担っている・・・などと解釈している。

 大災害に遭っても自分だけ助かろうとするとその我欲が魂の波動を下げ、死んでから低い場所にいってしまうとも聞いている。終末にも思える場所、時間の中でも他者(人、動物、植物、鉱物ほか命あるものすべて)を尊重し、他者を自分の一部と見做し行動することが求められるという。

 ローリングサンダーがヴィジョンで見た厳しい光景の中を、代表選手としての自覚をもって生き抜けるか自信はないが、それに備えるため行動は開始した。とりあえずはスクワットを10回(笑)。
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大祓

2005年06月28日 20時54分34秒 | 神道、預言、13の月の暦
 私の崇敬神社である目黒八雲の氷川神社で行われた大祓神事に行ってきた。大祓とはこの半年の間に我が身に積もった罪穢れを文字通り払って頂く儀式である。私にとっては初めての経験だった。

 昨日、神社社務所で形代を頂いてきたので身を清めた後に形代に必要なことをして持参した。午後7時頃からと聞いて6時半過ぎに神社に着いたのだが私のほかには神事を受ける方がいなかった。

 この氷川神社様は質素、素朴である。けれども今日思ったのだが私はこの神社、そして祭られている神々様が好きになってきたようである。何度もお参りしているうちにそうなってきた。今日、定刻まで神前の所定の場所に座って心を落ち着けて神事の始まることをお待ち申し上げている間、社殿内を改めて拝見していてそう思った。ご縁を深く頂ければ嬉しい。何といってもガン治療の神様であるので。

 しばらくして時間になったようで比較的若い神主様が出ていらして、神事の執り行いを始められた。大祓詞(おおはらえのことば)も今何をどのようなことを奏上しているかが理解できて心が入るようで良かった。そのあと恐れ多くも御幣の前まで罷り出でて拝礼することをお許し頂いたので、ありがたく拝礼申し上げた。

 神事の最中にたくさんの薮蚊に刺されたのには参った。神様の御前であり殺生はできないし、まして神事中に蚊を追う訳にもいかず、結局15分ほどの間、蚊に喰われるままになっていた。いつもの自分ならできない我慢だったと思うが、体のかゆみより身魂(みたま)の穢れを払うことの方が大事で、これも神様から試されているのかもしれないと思い、耐えられたのかもしれない。もっともそのあと家に帰りつくやいなや全身をかきむしっていたのだけれども。
 
 なんにせよ大祓を受けてきてすっきりしたことは確かで、これであと半年頑張ろうという気持ちになってクチナシ香る夕暮れの道を気持ちよく帰ってきた。神様、ありがとうございます。
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芒種

2005年06月06日 19時43分48秒 | 神道、預言、13の月の暦
 芒種(ぼうしゅ)二十四節気の一つ。
 「芒(のぎ)ある穀類稼種(かしゅ)する時也」
 芒(のぎ)とは稲や麦の穂のとげのこと。稼種は種まきのことです。麦を刈り田植えをする時期。6月5日~20日の間が芒種です。次は夏至となります。

 都会で暮らしているとまったく土と離れてしまい季節の巡りが肌で感じ取りにくくなっています。ことに最近は春が短くすぐ暑さがやってくるような気がします。台風も以前より規模が強く大きくなっているようですし。災害の程度がこれまでより苛烈になって来るかもしれません。止むを得ないこととそれを受け止め、引き受けていきたいものです。

 火と水に気をつけよ、と日月神示では警告しています。火は休火山の噴火。水は台風や大雨などによる土砂災害でしょうか。いずれの災害に出会っても“我よし”とならないように心の準備をしておきましょう。我先に逃げる、災害援助物質を奪い合いするなどといった獣性を表したり、恐怖にかられてそのまま死んでしまうと低下した魂のレベルの世界にいくことになるようです。しかし今度の場合は御魂が磨けていない魂は転生叶わず灰にされてしまうとのこと。

 たとえ日月神示の示すような世界終末が訪れることなく時が進んでいっても、日月神示などに表されている心の持ち方、御魂の磨き方を学んでおくことは将来あの世に行っても役に立つこと、今覚えていて損はないことだと思います。

 良い因果の種を蒔き、御魂磨きを怠らないように努めていきましょう。
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伊勢神宮

2005年05月31日 22時01分54秒 | 神道、預言、13の月の暦
 三日間、伊勢神宮をお参りした。土日の喧騒の中では味わえなかった身の引き締まる感覚は月曜の早暁の参詣で体験できた。特に内宮の御正殿には礼ののち20分くらい衛士に怪しまれながらもそこに佇んで清冽な空気を堪能してきた。

 御正殿は千古の杉の巨木に囲まれ、早朝の凛とした空気の中に千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)が朝日を受けて輝いていた。森が呼吸をして豊かに吐き出す清い精がそこには溢れていた。その香りは6年ほど前に訪れたアメリカのヨセミテバレイでの早朝に味わった針葉樹のフィトンチッド溢れる空気と同じだった。

 深い森が大好きな僕にはいつまでも居たい空間だった。聖なる場所であり光の柱が天中までそびえ立っているのではないかと思った。見える人が見ればそう見えるのではないかと思う。

 導かれるままに伊勢まで行き、そして自分を活かすよう誓うお祈りを捧げてきたが、最後の最後に心の底から別のお祈りをすることができた。それをすることが今回の僕の課題だったのだろう。遅々とした歩みだと自分でも思うけれども、手順を踏んで自分なりの正しい道を進んでいる気がしている。いつかこの肉体を離れた時に今回の伊勢参詣の意味を理解できることが楽しみだ。

(上の写真は人ひとりとしていない早暁の内宮神楽殿の前。写真をクリックするとその気配を感じられるでしょう)

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伊勢神宮へ行ってきます

2005年05月27日 21時52分14秒 | 神道、預言、13の月の暦
 突然ですが3日ほど日記を休みます。伊勢神宮へお参りに行ってきます。今を逃したら行く機会が無いような気がしましたので。帰ってきたらまたそのお話を書きます。それでは、また。
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神棚

2005年05月23日 22時23分43秒 | 神道、預言、13の月の暦
 神棚を注文した。治療院に備えるために。今まで祈りや瞑想のために祭壇のような特別なスペースを設けたかったができなかった。今回、本を読んでいてきちんと神様を祀る場所の必要性を感じた。

 毎日の祈りの対象という点でも、飲食をまず神様に捧げて感謝の意を示すという行為をするにも形としての神様を表す物の存在が必要になった。

 インディアンのように毎日の生活が祈りや信仰である生活をしたいと思い始めた。直接治療あるいは遠隔治療の際に祈りは欠かせないけれども、今ではそれ以外のときにも祈ることが多くなってきた。

 言葉の力を認識するにつれ、人に怪訝に思われない程度に声を出してお祈りをすることもある。神示を声に出して読むこともしている。ちょっと怪しい人になりつつあるのかもしれない^^。
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