植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

カルマの清算としての今の仕事をしている?

2005年10月31日 22時15分18秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 「この地球に一時的に立ち寄り、経験を積んでいく魂は、愛、奉仕、養育といった無私の行動をつうじて、自己のより高い霊的な特性を理解していく」(『バイブレーショナル・メディスン』リチャード・ガーバー、日本教文社)

 このことは別の表現で何度でも目にし理解もしているつもりなんだけれども、実際の行動に移していくことは難しい。自分が体調が悪い時、精神状態が良くない時でも変らずに相手に対して献身的な態度を取ることはほとんど不可能に近い。情けないが今のぼくにとっては。今日もそれで一つ失敗した。

 それでもコツコツやっていくしかないだろう。ぼくは直観だが自分の直近の過去生では殺人などの相当悪いことをやってきた感じがしている。その償いのために今人を癒す仕事についているのではないか。そしてその過去世のカルマが相当重いため来世も治療家などの仕事をして贖罪に務めるのではないかと。来世も今と同じことをする、と霊能者の方に言われたこともそのためかと。

 いつか高江州先生に過去世リーディングをしてもらってその辺を明らかにしていきたい。
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緩和ケア病棟の使い方

2005年10月29日 23時49分09秒 | 癌治療・緩和ケア
 緩和ケア、ホスピスというと“死を看取るところ”というイメージがあるがそれは払拭してもらいたい。確かに手の施しようのない状態の方が入院されている場合もあるけれども“緩和ケア外来”というような積極的治療が困難な症状(例えば腹水など)に対してのケアを行うところもある、疼痛などに対する手法に秀でた医療機関という風に捉えなおしてほしいと思う。

 今日はその緩和ケア科に転院したQさんを往診したのだけれどもこれまでのつらい状態があまりに良く改善されていて驚いたことを述べてみたい。Qさんは原発不明の腹部腫瘍で腹膜播種のため腸閉塞状態になっていて自宅近くの医療センターに入院していた。当初は泌尿器科に入院していたがその後外科に移った。腸閉塞になったため口からの飲食はまったく禁止され経鼻チューブを腸の閉塞部まで挿入されてそこに溜まる消化液を体外に機械で排出していた。想像してみてほしい。鼻から喉を通して腸の奥底まで直径8mmくらいの透明チューブが差し込まれている不快さ、苦しさを。そしてこれはずっと取れないだろうと医師に言われていたという。

 毎日の3リットルに上る量の点滴、降圧剤のためか顔、足、腹部がむくんでいた。おなかもしょっちゅう痛かった。ぼくは往診時には生姜の“へそ灸”をしていたけれども効果は余りあがっていなかったと思う。

 それが今日、転院先の厚生年金病院(飯田橋)緩和ケア科に往診しにいったところ、経鼻チューブが外れているではないか。足やまぶたのむくみもすっきりしている。お腹の痛みもあまりなくなってしまったという。何より本人が以前より明るく元気になっていたのが嬉しい驚きだった。

 聞くところによると前の病院では点滴のし過ぎによるカロリーオーバーだったらしく何でも20代男性に処方するくらいのカロリーが投入されていたとか(ちなみにQさんは60代半ばの女性)。すぐに主治医が処方を変え、今では点滴量が激減し、常時接続でなくなり血圧も下がりむくみお腹の痛みも消えてしまったという。ようは“医原病”だったのだろう。そして経鼻チューブも転院してわずか3日で取ることができ、水分なら経口摂取可能とまでなった。
 
 主治医も「こうします」ではなくて「こういうふうに処方を変えるとこういうふうにかわるからぼくを信じてやってみませんか」というように提案して進めてくれるのでその点も嬉しかったとか。看護婦さんも親切だし今日はお風呂にもいれてもらい「女王様になった気分」を味わえた入浴だったと笑っていた。

 他の患者さんで広尾の日赤医療センターの緩和ケア科に入院していた方も「ここは天国よ~」と言っていたことを思い出す。そこで痛みの処置をしてもらって退院していった人もいる。このように緩和ケア科は優れて使い勝手の良い医療機関なのだ。

 癌という病気は時に現代医学的には治療困難な状態になって痛みなどの体の愁訴に苦しむことがある。そのような時には緩和ケア科を積極的に利用したらどうだろうか。痛みの緩和などに対して普通の外科医や内科医よりスキルが上の専門医が当たっているのだから。

 治療の終わったあとは緩和ケア科のある階に併設された病院の屋上庭園片隅の東屋でQさんとご家族の前でハープを奏でた。風にのって天音が空に広がってゆく。Qさんにとっては久しぶりの外気浴であり紅茶付き野外コンサート。楽しんでもらえたようでぼくも心軽々と帰ってこれた。
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『霊ナァンテコワクナイヨー』美輪明宏著、PARCO出版

2005年10月27日 21時07分38秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 昨日テレビで美輪明宏さんを見たのでつい本棚にある表題の本に手が伸びて読み始めてしまった。前に1度読んですぐ友達に貸してしまったので内容をうろ覚えだったんだけれども、読み返してみて「なんてわかりやすい本なんだろう。霊的なことを実生活に活かす実用書だったんだ」ということに気付いた。

 お祈りの仕方とか、黒やグレーの服を着ないとか、気学は学んどいたほうがいいとか様々なことが霊的視点から分かりやすく説いてある。

 学んだことはたくさんあるんだけれどもその一つに「成長した魂は試練の人生をあえて過ごす」ということがある。美輪さんによれば魂が成長すればするほど受ける試練も大きくなるから、この世で大きな試練に遭う人は相当経験をつんだ魂と言えるらしい。それを考えると例えば癌になった人の魂はすでに相当成長されている魂ではないのか?そういう見方もできるのではないか。もちろん一概には言えないのだろうけれども。

 克服できるからこそ自分の一生のうちに癌という病を用意しているのではないか・・・。実際癌を克服した寺山心一翁さんという方も前世で“自分は癌になってそれを克服する”と誓っていたという話だし。そういう視点から「癌は克服できるはず」と捉えることも大事だと思った。
 
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浄化

2005年10月26日 23時59分59秒 | 天音、玉音、ハープ
 今、オーラの泉を見終わった。週に一回の夜更かしの日だ。

 番組最後に渋谷パルコでの美輪明宏さんの公演で、江原啓之さんが会場全体からスモークが立ち上がってゆくのを見てあとからそれがエクトプラズムが体外から出て行く様子だったと理解した、美輪さんの歌で皆さんの魂が浄化されていく様子だったと述懐していた。悲しくないのに出る涙もそのためと言っていた。

 ぼくがハープを弾く際にも「悲しくないのに涙が出る」と言われた人は数多くこれまでにもいた。ぼくは自分がそう感じるから癒されているんだなと思っていたが、魂が浄化されていたのだなと今、理解した。

 すごいことだと思う。自分のことではない。小さなハープの力のことだ。今更ながらにマリア(ハープの名)に出会えた事を有り難く思う。彼女をこれからも出会った人のお役に立てていかなければと思う。ハープの先生であるDavidの残していったハープのための十戒中の「汝 ハープを通常の楽器とみなして、これを殺すべからず ハープの聖なる音色の力を過小評価するべからず 」が身に沁みる。

 「天音(あまね)玉音(たまね)が 和納出る(かなでる)宇太(うた)は 神霊(みたま)の光り地にはやし 霊清浄(たまあらひ) 魂(たま)みがき 花の天命(いのち) 祖(そ)の生命(いのち) 」

 この歌はぼくが今年2月に霊能者の方に見てもらったときに頂いたものなんだけど番組終了時に思い出して取り出してみると、やはりこの中にも“霊清浄(たまあらひ) 魂(たま)みがき ”の詞が入っていた。さもありなん・・・。“マリア”を今以上に活かさないとと改めて思う。 
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お不動さま

2005年10月25日 22時07分52秒 | 天音、玉音、ハープ
 いつも往診にはハープを持っていくのだが今日は患者さんのため以外に持参した初めての機会だったかもしれない。
 神奈川県K区の駅から歩いて10分ほどの高台のマンションにWさんは住んでいて、今日は往診2回目だった。実は前回帰りがけにそのマンションから見ると裏手にある階段を降りて駅に向かう途中で寒気に襲われた。往きにそこに小さな赤い社があることは見かけていたのだけれども、どうもあまりいい感じがしなかった。

 患者さんのマンションはちょうどお不動さまの裏手の山を全部開発した形で建っているようだった。たぶんそのあたりはお不動さんの神域だったと思う。だって結構な樹齢と思われる木が何本も残っているから。そこを開墾してしまったようなのだ。

 八甲田神社の創立者であり宮司であった小笠原壽久氏の『神考記』や『見知らぬ世界』(いずれも八甲田神社発行)を縁あって読むことができ、そこから昔の社や塚、池、井戸などを無造作に開墾したり埋めたりすることでいかに様々な災厄が近隣の人々に降り懸かるかを学んでいたから、どうもWさんの病気も関連するのでは、という考えは頭の中にあった。

 なので土地の神さまを軽んじて挨拶なしでその上の神域と思しきところに建ててしまったマンションに住む患者さんを治療に行っても、うまくいかないんじゃないかと考え、今日はお不動さまに挨拶もするためにハープを往診に持参した。

 車道の脇にいきなり不動尊と書かれた鳥居が立っていてそこからお不動さまの参道と思しき舗装された小道が続いている。そこからお不動さまの背後の山に立っているマンションが見える。そしてさらに今日気付いたのだがちょうど祠のあるあたりの上を高圧架線まで架かっている。これはまずいだろう、ご立腹されてもしょうがないのではないか・・・。

 参道の入り口で史跡調査をしているような風体の方がいたので彼に奇異に思われるかもしれないなぁとも考えたが今日の目的はお不動さまにご挨拶してご機嫌を直して頂いて患者さんの治療の許しを得ることだからしかたがない、彼の真横で帽子を脱いで参道の奥のお不動さんに向かって合掌と礼をした。「知らぬこととはいえあなた様の大事な地に人の住居を立ててしまったことについてお詫び申し上げます。今日はその地に住む人を治療させていただきたく存じます。これから微力ながらお腹立ちを慰撫させて頂きたく楽の音を奏上したいと存じます。どうぞお許し下さい」と。

 治療約束の時間に遅れそうなのでそう祈ってから急いで参道に入っていくと後からその初老の人が「あの・・・お急ぎの所を引き止めてすみませんが、あなた今挨拶されていましたよね、でもお不動さんはそこにはないのですが・・・」とのたまう。

 うーん、確かに物としてのお不動さまはないかもしれないけれどぼくにはあきらかになにものかがおわす感じがするので、「いや、たぶんいらっしゃいますよ」と言って彼を無視してそのまま奥へ急ぎ足で向かった。何しろ患者さん宅へ行く前にハープの楽の音を奏上しないといけないから時間的余裕がない。

 すると彼はぼくの後を追ってきてぼくが奥のちいさい祠にお賽銭を差し上げて祈っているのを後で見届けていてこれからハープを弾こうとする時に声を掛けてくる。流れを止められてしまうと困るので「ちょっと待って!」と制してからハープを弾く。

 しばらくして無事弾き終ってから彼の方に振り向き先ほどの制止の無礼を詫びてからやむを得ず少し説明する。ぼくが治療師であり患者さんの治療の前に土地の神様に許しを得るために楽の音を奏上したことを。するとようやく納得したようで去っていった。その後急いでWさん宅へ向かった。

 Wさんの治療の際には娘さんが同席していた。きょうは足のむくみを取るオイルマッサージを見て覚えて頂く予定だった。治療に入る前に場を清める方がいい感じがしたのでハープを弾くことにする。「場を清めますから」とぼくが言うと娘さんが「やっぱりここは場が悪いんですか?」と聞いてくる。言うべきか言わぬべきか・・・2~3秒迷ったが意を決して「えぇ、もしかしたらそうかもしれないです」
と言うと「実は前にも占い師の方からここはそういうところだから気をつけた方がいいと言われたことがあります」と。

 実はWさんのうちは今年になってからひどい運続きで、まずWさん本人の症状が急に進展してしまったこと、長女の摂食障害、うつ病の発症、そして極め付けが先月、まだ20歳代の三女を急性くも膜下出血で突然亡くすという不運にも見舞われてしまったのだ。そしてここへ越してきたのが3年前とのことだった。

 それを知っていたのでお不動さまに関わる存在たとえば眷属などによる災いがあるのではないかと考えたのだった。さらに驚いたことについ先ほどぼくがハープを弾く際に腰掛けていた祠横にある建物の土台と思しきコンクリブロックは、最近不審火で消失したお堂の跡だったという・・・。社を焼失してしまったのでお不動さんは移築されたのか。それで往きに袖擦り合った男性の「そこにお不動さんはないですよ」という話が繋がっていく。

 しかし神域は開発され、祠は省みられず、社は焼失ではそこにおわす方はお怒りになるのもごもっとも、という状態ではないだろうか?もちろんぼくには霊感がないからもしかしたら神様は引越しされてまったくそこにはいらっしゃらず怒ってもいないかもしれない。でも流れからするとここは詫びの一つも入れるべきところだと思ったのだ。

 幸いWさんの次女の娘さんはこういう話を理解してくれて帰りにはぼくの見落としていた祠脇にあるこれも裡捨てられているお地蔵様のような像とその下から湧き出している竜神を象った吐水口までわざわざ案内してくれた。そこで再度ハープを奏上した。併せて彼女に清酒を買ってきて竜神様に奉げると良いと思うと伝えておいた。

 もしかしたら霊能力者の人からみたらまったくとんちんかんなことをしているかもしれない。しかしそれでも自分の中ではこれまで霊的に学んできたこと、知りえた事から類推して取れるべき対策、すべきことはしてけじめを通せたのではないかと思っており、多少は心が落ち着いて往診から帰ってきたのだった。 
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イベント情報:引き受け氣功 東京講習会のご案内

2005年10月25日 09時23分07秒 | レイキ・ヒーリング・遠隔、霊的な治療
 藤谷康充先生『引き受け氣功』11月東京講習会のご案内

 平成17年11月4日(金)
  会場:ロハスキッチン&バー『ソトコト』
     *東京駅・丸の内地下中央改札口より直結、丸ビル地下1階
  時間:第一回 10:00~
     第二回 13:30~
     第三回 16:00~
  費用:3000円

  *私は第三回に行きます。講習終了後、その場所で宴を持つ予定です。よろしければご一緒しましょう。なお講習会参加は要予約ですのでご自分で予約してください。注)この5日、6日にもクリニック銀座で講習会はあります。

 予約先:ワンダーライフ研究会・関東事務局
 TEL:090-7581-5062(平日:10時~18時)
 FAX:0297-83-4415

 FAXにて申し込みのこと。なお先着順なのでいっぱいの場合は悪しからずご了承下さい、とのことでした。

 横浜方面の方に朗報!

 *横浜講習会
 平成17年11月2日(水)18:15~20:30
 かながわ県民活動サポートセンターにて
 申し込み先:
 健康館たんぽぽ TEL/FAX045-827-1424
 関口携帯 090-8846-2264
 または上記ワンダーライフ研究会関東事務局まで
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紺碧の海

2005年10月24日 22時07分19秒 | 個人的体験・雑感
 昨日の写真だけど綺麗だったのでご紹介したい。
 神奈川県のN島から見た景色。見る人が見ればどこかわかると思う。

 今日も晴れていたけれど昨日の天気は「この天気で外に遊びに行かなくてどうする!」というようなアウトドア派の人間にとっては絶好の日和だった。

 N島にはダイビングスーツを着てジェットサーフィンとバーベキューを楽しんでいる人たちが大勢で繰り出していた。焼肉とビールで盛り上がっていたようで順番に水上スクーター(笑:というのか?)に乗って海に繰り出しているのだけれどもあれは飲酒運転と違うか?(笑)

 ぼくら家族はお弁当を食べたのち砂の温かさを楽しんだり釣り人の釣った成果を覗き込ませてもらったり草原を追っかけっこをしたりして楽しんだ。日永一日良い天気に恵まれて気持ちよかったなぁ。
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過去世(前世)リーディングに関連して

2005年10月22日 22時19分18秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 昨日の高江州先生の講義の余韻が深い。
 「初めて会った瞬間『嫌なやつ』と思うような相手とはたいてい過去生でその相手となんかやっているはずです」

 「みなさん、これまでの過去生でやったりやられたりの関係なんですよ。たいていのひとは被害者の時のことは良く覚えていると仰るが、自分が加害者の時のことは『それは私のことじゃないと思います』といいますねぇ(笑)」

 「交通事故で自分を跳ねた運転手の人に、実は過去生で自分がその4倍も5倍もひどいことをしていたことなんかもある。だからそのあとに補償金なんかでもめるとよけいカルマが増えていくこともある。被害を受けても相手を責めないことで憎しみ合いの連鎖が途切れ、レッスンを終了させることができるのです」

 「愛してるんだけど主人の寝ている顔を見ていると思わず濡れたハンカチを顔に掛けたくなる(窒息死させたくなる)のは、過去生で自分が兄からやられて死んだ仕返しをしたい弟の過去世体験から来るもの(過去生で今の夫が自分の兄だった)」

 「みなさん二百数十回の過去生がある。今の人生舞台を二百数十人の自分が客席から見ている。どんなに失敗したって客席からブーイングは来ない。失敗しても『がんばれ!がんばれ!』と応援こそすれブーイングは来ません。だから最後まで歩み続けてほしい。それが過去に二百数十回生きてきた自分に対しての責任の取りかただと思うのです。懸命に今生を生きる、そして幸せになることが我々の義務なのです。だから人と比較することは無意味です。自分の道を行く権利があるのです」

 「同じ親から生まれても過去生が違うから人生で為しえることが異なるのはあたりまえなのです」

 「裕福な家庭に生まれ健康、家族愛に恵まれ順風満帆な人生を送る人と、貧しい家庭に障害を持って生まれ悲惨な人生を歩む人がいます。今生だけで考えれば『神も仏もあるものか』と思える不公平です。しかしそれはそれぞれの過去生が違い、今生で学ぶ課題が異なるからです。裕福な家庭の人は前世で貧しい生活を忍び、貧しい家庭に生まれた人は前世で飽食を繰り返したぜいたく人生を送っていたということがおうおうにしてあります。ですから“人と比較しない”ことが重要です。」

 余韻が深かったせいか、往診途中の品川駅構内のベッカーズカフェでココアを飲んでいる時、目の前を通り過ぎる人々が無性に愛して止まない人々に一瞬なっていった。最近こういう感覚が時々起こってくるのだけれども、ぼくの人に対する愛情が拡がりつつあるのかなぁ。昨日の講演は間違いなくそんな最近のぼくの感情傾向を後押ししている気がする。
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高江州薫先生のトータルヒーリング講座

2005年10月21日 23時38分36秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 「過去世を知り自らの希望の未来へと向かう」講演に行ってきた。

 強烈でインパクトのある講演だった。ぼくの中では今まで「何十とあるだろう過去世(前世)のうちの一つ二つ分かってもあまり意味がないだろう」とか心の道場のニューズレターに影響されてか「過去世にこだわるのは自分がかつて立派だったことを知ってこの世での恵まれないあるいは報われない現在の不満の代償を得るような行為だ」と考えていた。

 しかし高江州先生の話から、直近の3回分の自分の過去世(前世)を連続的に知ることは現世で起きているつらい事柄(病気や災難、人間関係等)の意味を理解し、解釈を変えることに繋がっていき、物事を肯定的に捉えられるようになり幸せに繋がっていくと理解できた。

 特に印象に残ったのは病気には過去世に原本があるものがほとんどである、という言葉だった。ということは癌の直接な原因は今生にあるのではなく、過去世にあるということを意味する。

 寺山心一翁先生のお話になるが今日の講演では高江州先生に見てもらった寺山先生の過去世の記録を開陳されていた。それによると寺山先生の一つ前の過去世で、先生はそのときの父親と大好きな兄を腹部腫瘍の病気で失い、それを祈りで治せなかった悲痛な体験から「よし、今度は自分がその病気になって絶対自分で治してやる」と誓ったらしく、それが今生で現実となって腎臓癌になり、それを独力で治すことになったのだと説明されていた。

 うーん、病気の原因が過去世にもあるということ、これは深いことを知ってしまった。というのが正直な感想だ。「体の手当てだけでなく魂を癒すことが重要ですよ」と言ってきたことは正しかったのだと嬉しいのだけれども、癌の根本が過去世にあるとなると治療のためにはやはりその原本が何かを探る必要も出てこざるを得ない。

 そうなるとやはり高江州先生のような人に患者さんを診てもらう必要があるだろう。今後はお力を貸して頂けたらと強く思った。講演の後に高江州先生と話す機会が持ててそういう話ができたので、いずれはまず自分の過去世リーディングをしてもらってからその後患者さんへの導きも検討していこう。

 今日の講演を教えてくれたLさんと背中を押してくださった寺山先生、そして快く治療日時の変更に応じてくださったIさんに深く感謝している。今日も良い日になった。ありがとうございます。

 なお高江州先生のサイトは左のBookMarkに入れてある。
 「ヒーリングセンター アルケミスト」をご参照あれ
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高江州薫先生の講演を聴く予定

2005年10月20日 21時13分07秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 寺山心一翁先生から『今週金曜日の21日に、とても面白い講座があります。詳細は下記の通りです。時間がありましたらいらっしゃいませんか?
愛    心
■10月21日 IMAトータルヒーリング講座で、高江州 薫先生と討論をします』とのメールが入ったので明日聴きに行く予定にしている。

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江原啓之氏の本

2005年10月20日 21時03分40秒 | オーラの泉、美輪明宏、江原啓之
 きのう、オーラの泉で江原啓之氏を見ていた。そのためか往診帰りの本屋で彼の『こどもが危ない』『いのちが危ない』『江原啓之 神紀行1 伊勢・熊野・奈良』を衝買いしてしまった。

 まぁ神紀行は今年ぼくが行ったばかりの伊勢神宮のことが彼なりの視点で書かれていたので衝動買いではないのだけれども。

 美輪明宏氏の『おしゃれ大図鑑』も再度中身を確認してから買おうと思っていたのだけれども何故かこの本だけビニールカバーがしてあって内容が読めなくなっていた。前は“ビニ本”になっていなかったのにどうしてかな?結局そのため買わなかった。残念。R指定のような内容じゃないはず・・・???わからん。
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シンクロニシティ

2005年10月20日 20時54分20秒 | 波動(意識、想念、感情、医療等)
 隣町に住むMさんのことを数ヶ月ぶりに思い出したらその1時間後に彼女から久しぶりに「元気ですか?」と電話が入って驚いた。

 ちょうど正午だったので自由が丘へランチに来てもらうことにした。近くのレストランで食事をしながらこの半年間の近況報告をしあう。この2月に快気祝いをした彼女の体は順調にきているようで安心した。ぼくはこの半年で知った“引き受け氣功”“波動整体療法”などの話もした。

 彼女からは信仰というものを教えてもらったし、ハープに出会わせてももらった。たくさんのことをぼくは彼女に感謝している。

 彼女は感性の鍼を打ってきた人であるけれども最近理論付けされた鍼灸治療法を学ぶ段階に入り始めており、ぼくは逆にこれまで理屈で鍼を打ってきて最近感性の鍼を打ち始めている。相補完する点もあって有り難い。

 「再び鍼の勉強として長野潔先生の長野式鍼灸処置法を学び始めている」とのことだったので、うちに40巻近くあるビデオを好きなだけもっていってもらうことにした。不真面目な僕はあまり勉強してなくて“積読”状態で埃をかぶっていたので彼女が活用してくれれば惜しくはない。

 手元の価値あるものを分かってくれる人に渡せたことが今日は良かった。シンクロは大事にしないといけない。 
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山上でハープを弾く

2005年10月19日 22時34分34秒 | 天音、玉音、ハープ
 山に行ってきた。北八ヶ岳のシラビソの森に浸ってきたと言ったほうが正しいかな。森林浴で充足しお返しにハープの調べを返してきた。

 山の頂に着くまでは濃いガスに囲まれていたのに目的の場所でハープを取り出した途端、視界が急に開け南の八ヶ岳連峰が眼に飛び込んでくる。15分くらい天上の楽園から心を広げる。終わると同時にまたガスが帳を下ろす・・・。自然の妙なるタイミングには驚かざるを得ない。

 森林のへりで緑に浸り緑を楽の音で寿ぐ。幸福な休日。天気は決して良くはなかったがそれなりに充実した日々だった。
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臨時休診

2005年10月15日 22時19分03秒 | 個人的体験・雑感
 3日ほど東京を離れますので日記も休みます。
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シイの実みっけ!

2005年10月13日 23時11分42秒 | 個人的体験・雑感
 きのう奥沢神社の傍の歩道を歩いていて足元にシイの実が落ちているのを見つけた。シイの実って知っているかな?どんぐりの仲間だけど食べられるんだよね。(口調がキョーコさんっぽくなってきてる・・・)

 写真のように長さは15ミリくらいで濃いこげ茶色をした先がとんがっているやつだ。これがフライパンなどで炒って食べるとほのかな栗に似た甘さがあっていいんですよ。

 これはたくさん落ちているだろうと今日の午前中の空いた時間で近くの熊野神社の境内に行って拾ってきた。50個前後採れたんだけどいつもの年より数が少ないのと、いいやつが少ない、それと今まで見た事がなかったんだけどいびつな形のできそこないが見られたことに驚いた。これまで40年近くシイの実を見てきたんだけどいびつなやつなんて見た事がなかった。

 シイ(椎)の木が疲れてきたのか気候変動(温暖化)の影響か定かではないが身近な自然に異変が起きていたことが気にかかる。

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