孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

終わり良ければ全て良しとなる、また矛盾の無い価値ある納得人生で終わるには、

2014年08月24日 | Weblog
このブログの書き込みを5月末でもって停止したことで尚更に暇で退屈な時間が多くなり、正に食って寝て糞をしながらにしてタダ生きているだけのような、然るに変化刺激の少ない、然るに自己満足も不平不満も少ない、然るに喜怒哀楽の少ない、然るに素朴で単純な生活が更に深まってきました。

然るに趣味嗜好娯楽、即ち人工的創作や人為的な変化刺激や快感快楽を味わうその必然性も薄れてきましたから、然るに特別が少なく、然るに何だか味気ないような単調な日々が続きます。

だから以前よりも更に自然界と接し触れ合う時間が多くなりました。
然るに目線の高さで見られる朝焼けや夕焼けや月夜を見入る時間や夜空の星を仰ぎ見ることも以前より時間的に長くなりましたし、日没や夜明け前のモノトーンの景観を見入ることも、また漆黒の闇夜さえも意識してその雰囲気を味わうことにもなりました。

また会話の無い孤独からして時おりラジオを聞くときがありますが、しかし身近な自然を意識しているときになれば、その人工的なラジオ音声が雑音騒音にもなりました。
更に変化刺激&過激活劇&華やかさ派手さが売り物の映画ドラマをPCで観ていると時にそれが荒々しくも騒々しくも馬鹿げたことにもなってきました。

然るに人工的に創作された諸々や身近な音楽や&歌謡歌手に魅力を感じたり心が引き付けられたり癒される時があると言うことは、その裏を返せば、その分だけ心精神が荒んでいるのです。
然るに心が静寂であれば聞こえてくる意気揚々たる音楽が騒々しくもなりますが、しかし心が落ち込んでいればそれが快くも感じるのです。
ちなみに桜見物や紅葉狩りやキャンプをしているのにそこでカラオケしたり派手に振舞って大騒ぎをしているのと同等の意識になります。

ところで認知症が増えているようですが、その原因に欲張り見栄張りの執着心が関係しているようです。
然るに表向きは心静かで微笑が出ていてもその裏心内心は不平不満に執着して怒りになっていたりしたはずです。

ちなみにその怒りを隠して溜め込んでいた為に認知症や五体不満足の症状が出て、然るに内臓疾患や腰痛&頭痛&難聴を患うことになったり、また排便もままならない認知症や寝たきり老人のその苦に満ちた&生きた心地がしない老後が死ぬまで続くことにもなります。

と言うことからして若くても年老いても、その心身が健全健康でなければその苦&症状を味わい続けることにもなります。

然るに頑張り欲張らず見栄張らずに気楽にして不平不満&不信不安心配やその怒りが出てこなければ(執着しなければ)、然るにタダ食って寝て糞をしているだけのようなシンプルな生き様ほど(趣味嗜好娯楽&変化刺激に執着しないほど)、その人間として生きている真価価値を心静かにして十分に味わえますから、然るに未練後悔も無い納得人生でもって楽に生きて楽に死ぬことが出来ると私は確信しています。

だから喜怒哀楽&変化刺激&快感快楽&価値観に左右される&山あり谷ありの矛盾人生ではない、然るに心静かな静寂にしてこの世の様々なことを(自然界の醍醐味やこの世の裏表の矛盾もあわせて)味わい深く生きることができれば、
然るに(楽にして生きて楽に死ねれば)その終わりが良ければすべて善しの結果となって、その価値ある納得人生で終えることが出来れば、然るにそれがこの世の精神世界&意識の世界で心身ともに健全で穏やかにして生きてきたことにつながるようです。