不平不満を持たなければいつも心は穏やかですから・・・(私の場合)特別な趣味嗜好娯楽や刺激が無くても日々の生活に何ら支障はありません。
だから逆に言えば・・・珍品名物や希少価値のあるものや美味しい物を次々と欲しがる、自分に無いものを欲しがる、何か特別なもの・形を持ちたがる、快適便利を追求する、観光娯楽施設に行きたがる、刺激や快楽を求める・・・ すなわち今のままでは不満足なのは・・・今の自分の生き様に納得していない(不満を抱え込んでいる)ばかりか、不信感や孤独感に覆われていたり、自分の思惑と違っていることなどから・・・それらに対する不服・苛立ちや先々の不安心配・恐れから一時的にでも忘れていたい思い(逃避)を持っている場合が多いようです。
・・・だから不平不満が多いほど・・・多くの金銭・物質が必要になり・・・その結果思い悩み苦悩することにもなっているのです。
しかも・・・その多くの金銭・物質が得られないと・・・更にその不平不満・苦悩が高まることになり・・・ そうなりながらも繰り返され続けて金銭物質の時代が進化拡大し・・・今や末期現象が見えてきている現状が既に実在しているのです。
ところが・・・金銭的に貧しくても、物質的に貧しくても、快適便利でなくても・・・今の自分の生き様に納得確信・自信があれば・・・居場所・生活環境に関係なく、快い居心地のいい生活になることは間違いありません。
・・・すなわち・・・不平不満を持たなくてすむのです。
私の場合(世間的な不平不満や将来の不安心配・病気や死に対しての不安や恐れをあまり持っていないことから)・・・月5万円の年金過疎地暮らしでも十分居心地のいいものです。
・・・しかも今では・・・(半年前に頼まれて)肉牛の餌やりのバイト(午前8時と午後5時の二回=実働時間約3時間)を雇用主と二日交代制で月15日間従事し約5万円の収入に恵まれています。
だから(必要以上の収入を得る事になって)以前よりも生きるための金銭的な余裕が出たことから・・・更なる生活の安定・天下泰平の気分を味わえているのです。
・・・それも・・・縁もゆかりも無いよそ者・他県人で縁者の無い私が・・・そのバイト先を捜し求めたわけではないのに・・・まったくの成り行き任せで・・・(数少ない)一つのご縁が次のご縁に続いて・・・今のご縁につながっただけです。
すなわち・・・(これまでの幾多のご縁・必然に恵まれた過去と同様に)・・・自らが先立って欲し・急ぎ慌てないままにして・・・与えられるチャンスに気付けるように(常に意識力を高めておいて)・・・余裕のある平常心のままに「その時」が来るまで・・・与えられるまで「待つ」という・・・その真理の実践から生まれ出た必然のご縁・結果なのです。
しかも・・・私の暇で退屈な時間がその分だけ減り・・・しかも・・・それが結果的に余分な収入を得ることになり・・・
しかも・・・年中無休で毎日働いていた雇用主・夫妻が休暇を取れる事になって喜ばれ感謝されているのですから・・・
しかも・・・毎日が暇で退屈していた私に・・・役割仕事の時間と自由勝手な時間を交互に味わえる事になりましたから・・・
関わる誰にも不服の無い・・・すべて良しの(裏の無い)結果・形になっています。
このことに対して違和感・不信感を持つ人もいるでしょうし・・・ 私の言葉を素直にとらえる人もいるかも知れませんが・・・ それは読まれた方の自分の「思い」であって真実は知りませんから・・・それが確かな事実・実在・本物とはなりません。
だから・・・嘘か真かの本当のこと(事実・本物)を知るには・・・自分が実際に実践する方法しかありません。
だから・・・不完全なこの世の仕組みの中でその不完全なことを成し遂げて自己満足したり自惚れることよりも・・・
(己の意識が不完全で未熟であっても)矛盾や妥協の無い完全真理を実践している生き様のほうが人間として実に成る実在の生き方になるのです。
(注)・・・「与えられるまで待つ」中にも・・・その選択・決心・決断が含まれるときがあります。
その選択が中途半端になったり、その選択が間違いになるのも・・・先走った思惑や私欲に惑わされているからです。
だから思惑や欲が無ければ・・・思いがけないご縁・必然に恵まれながら・・・成る様になって行きますが・・・ 何らかの欲があれば成るのもが成らなくなったり、方向性・選択を間違ってその不完全な欲に従う(深みに入る)結果にもなり、迷い混乱・思考錯誤する不完全な生き様の方向に突き進むことにもなります。
だから逆に言えば・・・珍品名物や希少価値のあるものや美味しい物を次々と欲しがる、自分に無いものを欲しがる、何か特別なもの・形を持ちたがる、快適便利を追求する、観光娯楽施設に行きたがる、刺激や快楽を求める・・・ すなわち今のままでは不満足なのは・・・今の自分の生き様に納得していない(不満を抱え込んでいる)ばかりか、不信感や孤独感に覆われていたり、自分の思惑と違っていることなどから・・・それらに対する不服・苛立ちや先々の不安心配・恐れから一時的にでも忘れていたい思い(逃避)を持っている場合が多いようです。
・・・だから不平不満が多いほど・・・多くの金銭・物質が必要になり・・・その結果思い悩み苦悩することにもなっているのです。
しかも・・・その多くの金銭・物質が得られないと・・・更にその不平不満・苦悩が高まることになり・・・ そうなりながらも繰り返され続けて金銭物質の時代が進化拡大し・・・今や末期現象が見えてきている現状が既に実在しているのです。
ところが・・・金銭的に貧しくても、物質的に貧しくても、快適便利でなくても・・・今の自分の生き様に納得確信・自信があれば・・・居場所・生活環境に関係なく、快い居心地のいい生活になることは間違いありません。
・・・すなわち・・・不平不満を持たなくてすむのです。
私の場合(世間的な不平不満や将来の不安心配・病気や死に対しての不安や恐れをあまり持っていないことから)・・・月5万円の年金過疎地暮らしでも十分居心地のいいものです。
・・・しかも今では・・・(半年前に頼まれて)肉牛の餌やりのバイト(午前8時と午後5時の二回=実働時間約3時間)を雇用主と二日交代制で月15日間従事し約5万円の収入に恵まれています。
だから(必要以上の収入を得る事になって)以前よりも生きるための金銭的な余裕が出たことから・・・更なる生活の安定・天下泰平の気分を味わえているのです。
・・・それも・・・縁もゆかりも無いよそ者・他県人で縁者の無い私が・・・そのバイト先を捜し求めたわけではないのに・・・まったくの成り行き任せで・・・(数少ない)一つのご縁が次のご縁に続いて・・・今のご縁につながっただけです。
すなわち・・・(これまでの幾多のご縁・必然に恵まれた過去と同様に)・・・自らが先立って欲し・急ぎ慌てないままにして・・・与えられるチャンスに気付けるように(常に意識力を高めておいて)・・・余裕のある平常心のままに「その時」が来るまで・・・与えられるまで「待つ」という・・・その真理の実践から生まれ出た必然のご縁・結果なのです。
しかも・・・私の暇で退屈な時間がその分だけ減り・・・しかも・・・それが結果的に余分な収入を得ることになり・・・
しかも・・・年中無休で毎日働いていた雇用主・夫妻が休暇を取れる事になって喜ばれ感謝されているのですから・・・
しかも・・・毎日が暇で退屈していた私に・・・役割仕事の時間と自由勝手な時間を交互に味わえる事になりましたから・・・
関わる誰にも不服の無い・・・すべて良しの(裏の無い)結果・形になっています。
このことに対して違和感・不信感を持つ人もいるでしょうし・・・ 私の言葉を素直にとらえる人もいるかも知れませんが・・・ それは読まれた方の自分の「思い」であって真実は知りませんから・・・それが確かな事実・実在・本物とはなりません。
だから・・・嘘か真かの本当のこと(事実・本物)を知るには・・・自分が実際に実践する方法しかありません。
だから・・・不完全なこの世の仕組みの中でその不完全なことを成し遂げて自己満足したり自惚れることよりも・・・
(己の意識が不完全で未熟であっても)矛盾や妥協の無い完全真理を実践している生き様のほうが人間として実に成る実在の生き方になるのです。
(注)・・・「与えられるまで待つ」中にも・・・その選択・決心・決断が含まれるときがあります。
その選択が中途半端になったり、その選択が間違いになるのも・・・先走った思惑や私欲に惑わされているからです。
だから思惑や欲が無ければ・・・思いがけないご縁・必然に恵まれながら・・・成る様になって行きますが・・・ 何らかの欲があれば成るのもが成らなくなったり、方向性・選択を間違ってその不完全な欲に従う(深みに入る)結果にもなり、迷い混乱・思考錯誤する不完全な生き様の方向に突き進むことにもなります。