孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

心が満ちてくるほどに邪心が消えること、然るに欲しがることが無くなっていくのです。

2014年05月11日 | Weblog
巷に「好きこそものの上手なり」の言葉があるように、何かを好きで始めると上手になり、然るにそれを極めることにもなります。

そこで例えば彫刻家の左甚五郎も最初は好きなことから始まったはずです。
然るにその左甚五郎が「天才」だったのか否かは知りませんし、芸術家気取りだったのか否かも知りませんし、立派な屋敷で暮らしていたのか否かもしりませんが、しかしその彫刻が世間一般的に必要としなかったのは事実です。

また「天才」と言われた人が古今東西の何処彼処にいますが、ちなみに過去の釈迦やイエスの類も天才の部類に入ります。

然るに絵画彫刻音楽等の創作芸術分野であれ、また医科学的分野であれ、その天才が(釈迦やイエスを含めた)世の中に大きく注目される必要性が果たして有ったのでしょうか?
然るに私は「百害有って一利無し」としています。

ちなみに素朴な絵画彫刻音楽は必然ですが、私利私欲絡みからしての天才や芸術家なる者やまたそれらを生業職業にしていることには大きな違和感があります。
然るに歌手や芸人も企画演出家や小説家なども同じです。

ちなみにシューベルトがピアノ音楽が好きならば、また左甚五郎が彫刻が好きならば、千利休が茶を点てるのが好きならば、美空ひばりが歌うのが好きならば、その他諸々趣味嗜好娯楽が好きならば、その好きなこと(己が必然とする事)を平然と続けているだけで十分だったはずです。

然るに(王様殿様皇族貴族&支配者権力者に召抱えられたり人前で華やかに披露するなど)私利私欲からして目立つ存在になる必要はなかったのです。

それでは医科学の分野はどうでしょうか、
然るに「良かれ」と思って始まったことが結果的には(裏が出て)悪いことになっています。
然るに史実&現在を見れば歴然としています。

そこで絶対的に必要なのは何でしょうか、
それが食って寝て糞をする為の(素朴な)「衣食住」です。
然るにそれ以上のことを望むのが欲であり価値観であり見栄や世間体のプライドからです。

ところで無料動画ギャオの「ホジュン 宮廷医官への道」の中で、医者の真心でもって患者を治すことが出来て、その患者が喜ぶことで心に満ちてくるものが有ればそれで十分なのが真の医者だとして、然るに己の私利私欲は悪よりも罪になるとして戒めるシーンがありました。

然るに(必然ご縁からして)良かれと思ってすることならば私利私欲を挟むなと言うことです。
そして相手が喜んでくれることが己の喜びになる、そんな愛のキャッチボールが出来る人間関係になることを私は望んでいます。

だから私利私欲からして目立つ生活になったり有名にならなくても、その素直な心のままに動いていればそれで十分納得できる&足るを知る生き方になるわけです。

そして心が満ちてくるほどに邪心が消えること、然るに欲しがることが無くなっていくのです。

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