孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「困った」と思わなければ(判断しなければ)困ったことにはならないのが「意識の世界」です。

2012年02月23日 | Weblog
過疎地で暮らすようになってからは私の家族を含めた身近な人たちに対して概ね無関心でしたから、それぞれ皆が大した問題もなく生活しているものと思っていましたが、最近になってその身近な人達の実情を聴くことが多くなったことから、それぞれに何らかの(困った)問題を抱え込んでいることを知ることになりました。
例えば浪費癖の息子、不登校の子供を持っている、認知症の親を持っている、寝たきり要介護の老人を持っている、また過労が原因で一家の柱が突然死したり糖尿病で若死にしたり、また近所の一家の主がレジャーボートで衝突死したこと、また離婚調停になっている人とそれに巻き込まれているその子供たちや親戚、また離婚状態の夫婦も身近にいますし、またシングルマザーの家庭がご近所に多いことなどがあります。

しかもこれ等が特別ではなくて普通にさえなっているのが現在です。
だから今はそうでは無くてもこの先で何らかの問題に直面したり巻き込まれたりする可能性は十分にあります。
しかも(自分が健康であっても)厄介な重病人や寝たきり介護や痴呆症老人を抱え込む可能性が誰にもあります。
しかも(健康診断を受けていても)成人病や癌や脳梗塞の心配は消えません。

また成人病や整形外科やの病院通いが当たり前になる人も多いでしょう。
そして死ぬまで何種類もの薬を飲み続けることになる人も多いでしょう。
すなわち医者漬けクスリ漬けが当たり前の老人社会になる可能性が大きいです。
また若年者も安心しておれない過去の添加剤・栄養剤や嗜好の強い食生活の副作用・弊害が出ています。
それ以外に地球環境問題やエネルギーや食糧問題や国際紛争や国内問題が山積みですから、まさしく闇の中です。

だから今が幼少・少年期であれ青年期であれ熟年期であれ老齢・高齢期であれ、今より良くなるのに見栄や世間体の自己満足や自惚れがあっても、それ以外のことであれば概ね誰もが今よりも悪くなる一方であることは間違いないようです。
その原因が「良い悪い」で判断して、自分に都合が良いことばかり取って、その都合が悪いことは否定反発排除しているその意識にあるのですが、更に拘り執着しているその意識が原因で困った事になっているのです。

また心身ともに健康であれば生きているだけでも十分なのですが、それでは不足な人たちの特別を欲しがる自己拡大によって自らが闇の中を生きていくことにもなっているのです。
だからこの世の形やその人間関係に原因があるものの、元を言えば己の意識が招いた自己責任の結果なのですから、この世の形やその人間関係に関係なく(他はどうであれ)自らの意識を改革・改善していくしか他に手立てはありません。

そこで「良い悪い」で判断することがあってもそれに執着しないことが肝要になります。
そこで私は自己縮小の実践をしているわけですが、そのお蔭もあって余計な事も無理な事もどうしようもないことに手出しせずに、ただ食って寝て糞をするだけのような生活を十分に味わっているだけですから、自他共に不平不満・不安心配を持つことには先ずありませんし、その不満心配が出てもそれに執着することにはなりません。

だから如何なる有事が起きてもそれに執着することにはなりません。
また己の意識が原因で起こるのがその結果ですから、うつ症状が出る事になったり痴呆症になるほどに執着していませんから多分大丈夫でしょうし、他力依存が少ないだけに重症・重病が仕組まれることもないと思っているし、特に高度な治療手術・臓器移植・癌腫瘍治療・延命治療を望まないだけにあっさりと死ねると思いますし、また何かと自力を使っているだけに老齢要介護で面倒をかけることも少ないと思っていますし、また献体登録済みで葬儀法要は無用としていますから死後の面倒を掛けることも少ないはずです。

だから同じくして妻や我が子に有事があっても成り行きに任せて執着しません。
そして当事者の意識が原因で有事が起きた事として、他力をあてにしないで自力で問題解決するように促しているのは事実です。
それは(世間体の良い妻や親孝行の息子であることを私が願っているわけではありませんから)何らかの有事をきっかけにして精神世界・生きる価値・完全真理に目覚める事を私は願っているからです。

しかしその私の思い(アドバイス)を否定反発するようであれば、困っているのは当人ですから(私の成す術もありませんから)、そのどうしようもない事はやはり精神世界に目覚めるまでほっといています。
それが当人の「意識・命」の精神修行修養や気付き悟りになる可能性がありますから、(中途半端に手助け手出しするよりも)それが私の親切心・優しさ思いやり・愛だと思っていますから、その逆に私が大きな有事に遭遇しても(他力に頼らずに)自力と精神力で解決する自信・自覚・覚悟があります。

要するに「困った」と思わなければ(判断しなければ)困ったことにはならないのが「意識の世界」です。
だから「執着」しないことや「自力」を多く使う素朴さを味わうことで「今を生きている」ことが実感で味わえるとも書いているのです。

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