孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

無知な人、無視する人、無理する人、無駄に生きる人

2018年10月25日 | Weblog
学歴教養は形ある人間で生きていく為の糧にはなっていますが人間に大切な愛意識の糧にはなっていません。 

すなわち…見えない完全な神や愛を自覚する為の学びではなくて…見える姿形のある人間の飾り、人の目を引くための見せ掛けの装飾にしか過ぎないのです。

その見せ掛けの地位や肩書きのために学習教育を積み重ね、その学識学歴教養で地位を得て立派になったと自己満足し自慢し自己主張し自己顕示したがっているのです。

すなわち実在する神や愛を学び知ることよりも、非実在の名誉名声肩書き権威権力を欲しがっている欲の深い人間であっても…完全な神や愛を知らない無知な人になるのです。

<無知>だから・・・
自己満足・自己主張・自己顕示して生きることを選択するのですね。 
言い訳正当化して「私は正しい」と主張できる訳ですね。 
守ることが攻めることになる矛盾を知らないし気付かないのですね。

<無知>だから・・・
自分の事で精一杯で心意識精神に余裕がないのですね。 
人の目が気になるのですね。

<無知>だから・・・
権力による多数決の妥協や権力者の主義主張に従って生きることに疑問がないのですね。

<無知>だから・・・
あらゆる形に束縛制限支配されていることに気づかないのですね。

<無知>だから・・・
比較評価し合い、競い合い、奪い合っていることに気づかないのですね。

<無知>だから・・・
比較競争で差を付けて、他との違いを見せつけて偉そうにして生きたいのですね。

<無知>だから・・・
喜怒哀楽の感情に支配され、生老病死で不安恐怖を持つのですね。

<無知>だから・・・
不安恐れから逃避する趣味嗜好娯楽・変化刺激を求め続けるのですね。

<無知>だから・・・
人を裏切り自分も裏切ることになる思惑期待や目的理想を持つのですね。

<無知>だから・・・
いつも裏切り関係にあるから、不信感を持ち続け更に強めるのですね。

<無知>だから・・・
過去(頭の中の記憶)に執着し、後悔や未練を引きづるのですね。

<無知>だから・・・
先の事(非実在)を思い考え想像する・想像の世界・白昼夢の生き方に気づかないのですね。

<無知>だから・・・
善悪・優劣・損得勘定で良くも悪くもなる矛盾と裏表の差で生きるのですね。

<無知>だから・・・
不平不満、不安恐怖、怒り、仕返し復讐、嫉妬を持つのですね。

<無知>だから・・・
実在する「見えない」世界を信じられないのですね。

<無知>だから・・・
「完全真理」を知ることが出来ないのですね。

<無知>だから・・・
自分が知らない事を否定反発したり、無視するのが平気なのですね。

<無知だから>見せ掛けの姿形で如何にも「生きている」ように見えるが、しかし、見えないところの実在する愛・意識の世界では「生きていない」のです。 

それをガラスコップに例えれば…コップが結果でガラスが原因となります。
ちなみに「ガラス」が無ければ「コップ」は(作れないから)実在できません。

何はともあれ・・・何が愛で・・・何が無知なのか・・・それを知っていなければ・・・世の中の役に立つどころか知らないまに多くの人に迷惑を掛けていることになります。

ちなみに贅沢が出来なくても喜び感謝の心で楽しく生きている人、南海の孤島やジャングルの奥地でそれが当たり前のように生活している人、この世の文明文化に汚染されていない僻地で当たり前のように生活している人、これらの人のほうが現代人の無知な人より遙かに自然を愛し人間を愛しています・・・

ちなみに知らなければならないことを知ろうとはしない「無視する人」と「無知な人」がいます。

また知らなくてもいいことを知りたがっている人が「無理をする人」になり「無駄に生きている人」になります。

その「無知」となる原因は・・・我神なり、我愛なりを自覚することが人間の役割使命だと知らないことからして…
それ以外の無駄骨になることを如何にも大事なことに勘違いして…
今まで一生懸命に取り組んできたからです。

やらなければならないことをやらずに、やらなくてもいいようなことに(苦労を買ってでもしなさいと)頑張り続けて他と差をつけて、

さらに喜怒哀楽や波乱万丈の悩み苦しみ迷い混乱を抱えて生き残るほうが人間として意味ある「優れた」生き方と思われ、

だから平坦な道を平凡に(普通に)生きる事が能無し人間の「劣る」生き方に思われ…皆から軽蔑され敬遠されるようになったのです。

あたり前の事を「あるがまま」にして心安らかにゆっくりと時間をかけて少しずつ進化発展していくのでは事足りずにして…結果を急ぎ慌て求める欲を出したことが原因にあるようです。

だから「結果」ばかり求める意識からしてその結果の積み重ねで更に大きな結果を出したかったのです。 

然るにそれが自己拡大ですが、その反対の自己縮小をすることで「良い悪い」で分離判断して差をつけていることから卒業出来て…人間本来の「あるがまま」の愛意識…我神なり・我愛なり…を自覚認識できるようになります。

(2008-12-15 投稿・リメイク)

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。