人間は生まれながらにして善なる心&神意識と悪なる心&サタン意識の表裏矛盾を持って生まれていると言われています。
だから良いや悪いや好きや嫌いの善悪優劣損得の矛盾でもって選り好みし比較競争し差別することにもなっているが、なのに私は正しいとばかりに主張したがる偽善をも持っています。
また此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして事を成して、その不満と満足の苦と楽の矛盾の喜怒哀楽を味わいながら生きています。
だから良いや悪いや好きや嫌いの善悪優劣損得の矛盾でもって選り好みし比較競争し差別することにもなっているが、なのに私は正しいとばかりに主張したがる偽善をも持っています。
また此れではダメだの不満と何とかしなければの欲からして事を成して、その不満と満足の苦と楽の矛盾の喜怒哀楽を味わいながら生きています。
然るに人間は不満と欲と矛盾とその差別とその偽善で生きている事実を自覚認識し納得とならなければ~そんな精神未熟のままに人生が終わります。
なのに金儲けして楽しく生きることに精出していればその喜怒哀楽も多くなりそのしわ寄せが人生の集大成である老後に降りかかってきます。
しかも見栄や世間体やプライドを気にして生きていればその人間関係も当然ながら偽善に満ちてお粗末ですから、その老後となればその人間関係の虚しさや孤独感も大きくなります。
また己の優れた能力技術からして人集め金集めしてお山の大将やお局が如くに振舞っていても、年老い老後となればそのプライドからして世間に出ずらくなり、しかも老体からして思うようには動けないから、そんな不満を抱えたままに引きこもる哀れな独居老人のままに死に至ることにもなります。
ちなみに私より12歳上の93歳の姉は世間に目立った働きをしてきただけに世間に通用する名誉名声肩書や金銭面でも十分すぎるほど持っていますから~私や兄やの家族親戚に頼らないで高額な特別老人ホームの特別室でもって優雅に過ごすと豪語していましたが~
実際に入居すれば「籠の鳥」となることに気付き、現在は他にいい方法はないか思案中です。
ちなみに老後を金の力&他力依存で生きるよりも素朴謙虚にして自力で生きていくほうが生きているその価値を味わえます。
また他力依存にはその裏の不満が出てきますから~その不満と満足の喜怒哀楽になるのです。
だから高齢者となり自力で生活するのが面倒になり~その他力依存からして要介護施設に入院する安易な考はやめた方がいいです。
ちなみに身近な事例を紹介しますが~
私のご近所に90歳代の下半身まひの女性独居老人がいましたが、その下半身まひながらも介護施設から逃げ出して家屋の中のみならず庭先で不自由な体を引きずりながらも生きていくための雑多を元気にしていましたが、その雑多も出来なくなったことで介護施設に入院するも足早に死にました。
また私がパートに行っている牛舎のオーナーの姉さんも90歳を過ぎた老人ですが、その姉さんも牛を飼育していた関係からして高齢者ながらも牛糞堆肥を袋詰めにして販売していますが、その堆肥の袋詰めをすべて手作業で丁寧に仕上げることが日々の生き甲斐になってそれが元気の源ともなっています。
また私が勤めている牛舎へ行く道筋で息子と同居ながらも暇つぶしに電動車いすで移動しながら周囲の畑の見回り整地や草刈り作業をしている老人男性がいました。
然るに人間は他力依存で生きるよりも己に出来る自力でもって何か事を成しながら日々を生きていくほうが生甲斐にもなり生きている価値をしっかり味わえます。
だから私が下半身まひになっても上半身が動いて使える限り車いす生活でもって日々を生きていくその自力と自信の精神覚悟があります。
だから付き添いがいなくても車椅子で町中に出かけて何某の買い物をしてくる自信があります。
ところで~この冬場に山の水ホースが凍結して困りましたが、しかしバケツ二杯の水で乗り切ったその創意工夫の経験も車いす生活に活かせることでしょう~
何はともあれ~単なる思いで終わらないように~その段取りを始めています。
とにかく他力依存で生きていればその喜怒哀楽の繰り返しになりますが、己の自力と自信からして無理なくできることをやりながら日々を生きていれば不満や欲も出てこなくなるのは事実で既に経験していますから~この先で車いす生活が仕組まれても難なく乗り切りしっかり生きていけるはずです。
なのに金儲けして楽しく生きることに精出していればその喜怒哀楽も多くなりそのしわ寄せが人生の集大成である老後に降りかかってきます。
しかも見栄や世間体やプライドを気にして生きていればその人間関係も当然ながら偽善に満ちてお粗末ですから、その老後となればその人間関係の虚しさや孤独感も大きくなります。
また己の優れた能力技術からして人集め金集めしてお山の大将やお局が如くに振舞っていても、年老い老後となればそのプライドからして世間に出ずらくなり、しかも老体からして思うようには動けないから、そんな不満を抱えたままに引きこもる哀れな独居老人のままに死に至ることにもなります。
ちなみに私より12歳上の93歳の姉は世間に目立った働きをしてきただけに世間に通用する名誉名声肩書や金銭面でも十分すぎるほど持っていますから~私や兄やの家族親戚に頼らないで高額な特別老人ホームの特別室でもって優雅に過ごすと豪語していましたが~
実際に入居すれば「籠の鳥」となることに気付き、現在は他にいい方法はないか思案中です。
ちなみに老後を金の力&他力依存で生きるよりも素朴謙虚にして自力で生きていくほうが生きているその価値を味わえます。
また他力依存にはその裏の不満が出てきますから~その不満と満足の喜怒哀楽になるのです。
だから高齢者となり自力で生活するのが面倒になり~その他力依存からして要介護施設に入院する安易な考はやめた方がいいです。
ちなみに身近な事例を紹介しますが~
私のご近所に90歳代の下半身まひの女性独居老人がいましたが、その下半身まひながらも介護施設から逃げ出して家屋の中のみならず庭先で不自由な体を引きずりながらも生きていくための雑多を元気にしていましたが、その雑多も出来なくなったことで介護施設に入院するも足早に死にました。
また私がパートに行っている牛舎のオーナーの姉さんも90歳を過ぎた老人ですが、その姉さんも牛を飼育していた関係からして高齢者ながらも牛糞堆肥を袋詰めにして販売していますが、その堆肥の袋詰めをすべて手作業で丁寧に仕上げることが日々の生き甲斐になってそれが元気の源ともなっています。
また私が勤めている牛舎へ行く道筋で息子と同居ながらも暇つぶしに電動車いすで移動しながら周囲の畑の見回り整地や草刈り作業をしている老人男性がいました。
然るに人間は他力依存で生きるよりも己に出来る自力でもって何か事を成しながら日々を生きていくほうが生甲斐にもなり生きている価値をしっかり味わえます。
だから私が下半身まひになっても上半身が動いて使える限り車いす生活でもって日々を生きていくその自力と自信の精神覚悟があります。
だから付き添いがいなくても車椅子で町中に出かけて何某の買い物をしてくる自信があります。
ところで~この冬場に山の水ホースが凍結して困りましたが、しかしバケツ二杯の水で乗り切ったその創意工夫の経験も車いす生活に活かせることでしょう~
何はともあれ~単なる思いで終わらないように~その段取りを始めています。
とにかく他力依存で生きていればその喜怒哀楽の繰り返しになりますが、己の自力と自信からして無理なくできることをやりながら日々を生きていれば不満や欲も出てこなくなるのは事実で既に経験していますから~この先で車いす生活が仕組まれても難なく乗り切りしっかり生きていけるはずです。
貴方様がいつも楽しみにして読まれていたことに私は喜びがありますし、自己縮小の本質をご理解して頂いことが更に嬉しいです。
だからブログを読む人が増え、内容が理解できる人も増えることを願って書いていますから~これからも応援してください。