不完全な人間が思い考え成した形&人為人工的な諸々に惑わされているところが大いにあります。
となれば…自分で自分の首を絞めていることにもなります。
しかし多くの人は気づいていません。
ちなみに私は冠婚葬祭や儀礼儀式が苦手で今も逃げています。
だから今の過疎地に移住して20年になり・年齢は80歳近いのに…その過疎地暮らしの中での人間関係からして冠婚葬祭や伝統風習やの儀礼儀式に関わったことは一切ありません。
ちなみにご祝儀やお悔やみをしたこともありません…だから挨拶代わりにおめでとうは言えても深刻な感じのお悔やみとなれば苦手で難儀します。
しかしご縁のある方々にその旨を前もってハッキリと伝えていますから概ね理解してくれています。
…牛舎のオーナーもその一人です…
また妻や子供にも伝えていますから、最近に起きた妻の兄の突然の死であっても、妻や妻の身内にお悔やみを言っていませんし葬儀にも参加していません。
またそれだけに(私にも同じく接して欲しいと)家族やご縁がある人に前もって伝えているのが(検体登録しているから)(入院見舞いを含め)葬儀法要・仏壇お墓などは一切不要としています。
何はともあれ…自然界に元からしてなかった人為人工的な諸々には精神世界・宗教やスピ系を含めて絶対的に矛盾や偽善が隠れているのです。
それが欲絡みの義理人情愛情や見栄や世間体やプライドなどの偽善です。
だからそれら人為人工的な諸々が無い方がその分だけ問題にならないで済むのです。
とにかく私が人為人工的な諸々から離れ卒業したことで多くが解放されています。
ちなみに趣味嗜好娯楽などに拘り執着していませんし最近では大人のお伽噺となる映画ドラマを見なくなったし只今禁煙中ですが、若い時からの娯楽であるパチンコだけは暇で退屈したときに行っています。
そんなことからして最近気付いたのですが…
人為人工的な諸々から離れたことで心身が解放されるのですが…
それを言い換えると…いつの間にやらそれらに「惑わされ」束縛制限支配され牛耳られていたことにもなるのです。
だから諸々から解放されることで何やら体が軽くなった気分が味わえているし、拘り執着が消えて精神的にも気楽で何の未練もなく、
然るに何ら「思い残す」ことのない老後を味わっているところです。
またそれだけに自然界を見直すことにもなり、また触れ合うことが多くなり、
そして自然界と深く関わることで持ち前の何でも知りたがるやりたがる性格にも似合ってきたのです。
然るにご縁あって関わる人から人間的な事柄を聞くことよりも、自然界に関わる諸々を聞いてそれが大いに役立っているのです。
前回に書いた…森林の中で歩いていて見つけた…20年前の自転車の空気入れポンプが太い木の2mくらい上でぶら下がっているなんて珍事やまた地球外生命体が11年連続で庭先に現れていることなんか書いているブログは世界初になるのでは…と思っています。
ちなみに人為人工的な諸々に関わっている偉く賢い人とは違って「自然界の諸々」を自覚認識し応用するお利口さんになったと思っています。
何はともあれ…不満と欲と矛盾に満ちている人為人工的な形に惑わされている事実を自覚認識してから離れることで自らの心身が救われ身軽になるのです。
となれば「幸せの青い鳥」を探すのは…街中よりも豊かな自然界の中がいいようです。
となれば…自分で自分の首を絞めていることにもなります。
しかし多くの人は気づいていません。
ちなみに私は冠婚葬祭や儀礼儀式が苦手で今も逃げています。
だから今の過疎地に移住して20年になり・年齢は80歳近いのに…その過疎地暮らしの中での人間関係からして冠婚葬祭や伝統風習やの儀礼儀式に関わったことは一切ありません。
ちなみにご祝儀やお悔やみをしたこともありません…だから挨拶代わりにおめでとうは言えても深刻な感じのお悔やみとなれば苦手で難儀します。
しかしご縁のある方々にその旨を前もってハッキリと伝えていますから概ね理解してくれています。
…牛舎のオーナーもその一人です…
また妻や子供にも伝えていますから、最近に起きた妻の兄の突然の死であっても、妻や妻の身内にお悔やみを言っていませんし葬儀にも参加していません。
またそれだけに(私にも同じく接して欲しいと)家族やご縁がある人に前もって伝えているのが(検体登録しているから)(入院見舞いを含め)葬儀法要・仏壇お墓などは一切不要としています。
何はともあれ…自然界に元からしてなかった人為人工的な諸々には精神世界・宗教やスピ系を含めて絶対的に矛盾や偽善が隠れているのです。
それが欲絡みの義理人情愛情や見栄や世間体やプライドなどの偽善です。
だからそれら人為人工的な諸々が無い方がその分だけ問題にならないで済むのです。
とにかく私が人為人工的な諸々から離れ卒業したことで多くが解放されています。
ちなみに趣味嗜好娯楽などに拘り執着していませんし最近では大人のお伽噺となる映画ドラマを見なくなったし只今禁煙中ですが、若い時からの娯楽であるパチンコだけは暇で退屈したときに行っています。
そんなことからして最近気付いたのですが…
人為人工的な諸々から離れたことで心身が解放されるのですが…
それを言い換えると…いつの間にやらそれらに「惑わされ」束縛制限支配され牛耳られていたことにもなるのです。
だから諸々から解放されることで何やら体が軽くなった気分が味わえているし、拘り執着が消えて精神的にも気楽で何の未練もなく、
然るに何ら「思い残す」ことのない老後を味わっているところです。
またそれだけに自然界を見直すことにもなり、また触れ合うことが多くなり、
そして自然界と深く関わることで持ち前の何でも知りたがるやりたがる性格にも似合ってきたのです。
然るにご縁あって関わる人から人間的な事柄を聞くことよりも、自然界に関わる諸々を聞いてそれが大いに役立っているのです。
前回に書いた…森林の中で歩いていて見つけた…20年前の自転車の空気入れポンプが太い木の2mくらい上でぶら下がっているなんて珍事やまた地球外生命体が11年連続で庭先に現れていることなんか書いているブログは世界初になるのでは…と思っています。
ちなみに人為人工的な諸々に関わっている偉く賢い人とは違って「自然界の諸々」を自覚認識し応用するお利口さんになったと思っています。
何はともあれ…不満と欲と矛盾に満ちている人為人工的な形に惑わされている事実を自覚認識してから離れることで自らの心身が救われ身軽になるのです。
となれば「幸せの青い鳥」を探すのは…街中よりも豊かな自然界の中がいいようです。