人間は生きているだけでも労力エネルギーを使いますから疲れます。
だから何か余分なことをすれば尚更に疲れます。
また肉体労力を使うだけではなく頭脳や感情や精神を一緒に使えば心身を酷使していることにもなります。
だから余計なことや無駄なことをしたがらない横着なところ・グーたらなところ・面倒くさがりなところ・動きたくないところがあります。
ところが人間には矛盾したところがありますから…
自分が自己満足するためなら精出します・欲張ります・頑張り努力します。
その甲斐あって目的が達成すれば・願いが叶えばそれが自己満足となってそれまでの苦労を苦労と思わないで喜びに変わりますが、しかし喜びで消えたような気がしても体力能力の疲労消耗は身体に蓄積され影響します。
然るに高齢者となり中期高齢者や後期高齢者と進むほどにいろんな心身の自覚症状が現れてきます。
ところで人間関係を大切にする人は来客も多くまた来訪も多くなります。
だから来客用に家屋玄関応接間を綺麗に整え装飾したり部屋を整理整頓掃除しなければなりませんし、家族の身だしなみや接客態度にも注意し気配りしなければなりません。
また来訪となれば出で立ち恰好に細心の気配りが必要になります。
だから散髪やパーマーやエステに行ったり衣装選びに困ったり新着を買うことにもなりそれが家族全員となれば尚更です。
ちなみに財産家資産家の家屋玄関応接間装飾品や料理調理までも素晴らしいのはそれを人に見せたがる・呼び込みたがる虚栄心を持っているからです。
だから貧乏人が外見を気にすれば同じ虚栄心を持っていることになります。
またその虚栄心を満足させたくて欲張っていれば山あり谷ありの人生となることでしょう。
ところが今の私は来客も来訪もなく・電話の会話さえもほとんどなくて・人様と会話することはめったにありませんから…何やら会話を忘れた・唄を忘れたカナリヤが如くになっていて…出だしの言葉がスムーズに出てこない時があります。
正装することはここ20年間一度もなく、だから過疎地の自治会の葬儀や過去の遊び仲間の死や、また妻の兄や義理兄や義理姉の葬儀に参列しませんでした。
ちなみに葬儀法要・先祖供養・親孝行などは順繰りでお互い様でありお蔭様の関係からして特別ではありません。
だから宇宙・神・愛の仕組みから始まった事ではなく…特別大好き人間が良かれと始めたから…それに続く人が増えていって現在となったのです。
ちなみにこんなことを書いても糠に釘となるのも謙虚さが身に付いていないからと思われます。
とにかく私は虚栄心が無くて・洗顔手洗いは必要最小限となっているし、無精ひげがあるし、髪はぼさぼさ頭ですし、破れた下着やゴムひもが緩んだパンツも着用しているし、染みつき汚れた野良着のままに日々を過ごしていますし、
また玄関の中にパソコン棚やダルマストーブや一口ガスコンロや食事テーブル用の小さな棚もあり、玄関が日中の生活の場となっています。
また就眠時間となれば敷居をまたいだ座敷に年中蚊帳を吊った万年床があります。
だから無駄な動きはありません(笑)
また玄関の中が生活の場だけに座敷に掃除機を使うのは一年に2回から3回ほどで、落ちているゴミを拾ったり、脱ぎパなしの着衣をちょっと片付けるくらいです。
また部屋の隅に限らず内外の至る所にクモの巣があり、そのクモの巣が気にならないから軽トラックの外も内もクモの巣が引っ付いています。
そのクモの巣の糸が陽光に照らされると虹色に光ります。
洗濯はパート先の洗濯機を使っていますし風呂は薪ストーブで沸かしています。
とにかく虚栄心が無ければ・見栄世間体自尊心が無ければ…
諸々の省エネとなり・呑気気まま楽ちん生活となり・必然ご縁に限られた人間関係となり…
日々心穏やかな精神安定にして生きていくことになります。
一言付け加えるならば…唄を忘れたカナリヤが如くが精神安定となることは≒沈黙が金なりとなることは≒人間関係の有無がキーポイントのようです。
だから何か余分なことをすれば尚更に疲れます。
また肉体労力を使うだけではなく頭脳や感情や精神を一緒に使えば心身を酷使していることにもなります。
だから余計なことや無駄なことをしたがらない横着なところ・グーたらなところ・面倒くさがりなところ・動きたくないところがあります。
ところが人間には矛盾したところがありますから…
自分が自己満足するためなら精出します・欲張ります・頑張り努力します。
その甲斐あって目的が達成すれば・願いが叶えばそれが自己満足となってそれまでの苦労を苦労と思わないで喜びに変わりますが、しかし喜びで消えたような気がしても体力能力の疲労消耗は身体に蓄積され影響します。
然るに高齢者となり中期高齢者や後期高齢者と進むほどにいろんな心身の自覚症状が現れてきます。
ところで人間関係を大切にする人は来客も多くまた来訪も多くなります。
だから来客用に家屋玄関応接間を綺麗に整え装飾したり部屋を整理整頓掃除しなければなりませんし、家族の身だしなみや接客態度にも注意し気配りしなければなりません。
また来訪となれば出で立ち恰好に細心の気配りが必要になります。
だから散髪やパーマーやエステに行ったり衣装選びに困ったり新着を買うことにもなりそれが家族全員となれば尚更です。
ちなみに財産家資産家の家屋玄関応接間装飾品や料理調理までも素晴らしいのはそれを人に見せたがる・呼び込みたがる虚栄心を持っているからです。
だから貧乏人が外見を気にすれば同じ虚栄心を持っていることになります。
またその虚栄心を満足させたくて欲張っていれば山あり谷ありの人生となることでしょう。
ところが今の私は来客も来訪もなく・電話の会話さえもほとんどなくて・人様と会話することはめったにありませんから…何やら会話を忘れた・唄を忘れたカナリヤが如くになっていて…出だしの言葉がスムーズに出てこない時があります。
正装することはここ20年間一度もなく、だから過疎地の自治会の葬儀や過去の遊び仲間の死や、また妻の兄や義理兄や義理姉の葬儀に参列しませんでした。
ちなみに葬儀法要・先祖供養・親孝行などは順繰りでお互い様でありお蔭様の関係からして特別ではありません。
だから宇宙・神・愛の仕組みから始まった事ではなく…特別大好き人間が良かれと始めたから…それに続く人が増えていって現在となったのです。
ちなみにこんなことを書いても糠に釘となるのも謙虚さが身に付いていないからと思われます。
とにかく私は虚栄心が無くて・洗顔手洗いは必要最小限となっているし、無精ひげがあるし、髪はぼさぼさ頭ですし、破れた下着やゴムひもが緩んだパンツも着用しているし、染みつき汚れた野良着のままに日々を過ごしていますし、
また玄関の中にパソコン棚やダルマストーブや一口ガスコンロや食事テーブル用の小さな棚もあり、玄関が日中の生活の場となっています。
また就眠時間となれば敷居をまたいだ座敷に年中蚊帳を吊った万年床があります。
だから無駄な動きはありません(笑)
また玄関の中が生活の場だけに座敷に掃除機を使うのは一年に2回から3回ほどで、落ちているゴミを拾ったり、脱ぎパなしの着衣をちょっと片付けるくらいです。
また部屋の隅に限らず内外の至る所にクモの巣があり、そのクモの巣が気にならないから軽トラックの外も内もクモの巣が引っ付いています。
そのクモの巣の糸が陽光に照らされると虹色に光ります。
洗濯はパート先の洗濯機を使っていますし風呂は薪ストーブで沸かしています。
とにかく虚栄心が無ければ・見栄世間体自尊心が無ければ…
諸々の省エネとなり・呑気気まま楽ちん生活となり・必然ご縁に限られた人間関係となり…
日々心穏やかな精神安定にして生きていくことになります。
一言付け加えるならば…唄を忘れたカナリヤが如くが精神安定となることは≒沈黙が金なりとなることは≒人間関係の有無がキーポイントのようです。