人間は(概ね)行動する前に思い考え想像します。
だから四六時中頭で考えています。
ちなみに行為行動表現する前に…前もって思い考えることは大事ですが…
思い考えても行動実践にならない…どうしようもない…ことまであれこれ考えて試行錯誤・思考分析しているときもあります。
その例に一番相応しいのが「ニワトリと卵」の関係です。
ニワトリが先なのか・卵が先なのかと・幾ら考えても決着がつきません。
何故そうなるかと言えば「ニワトリ」と「卵」を分離したからですね。
分離すれば差が生まれ、どっちが先か、どっちが優れているか、どっちが得か、という風に比較して思考分析を繰り返すことになるのです。
そして屁理屈をこね回してどうしても決着・白黒を付けたがる人ほど「執着心」が強いのです。
だから「そのまま」にしておけばいいものを余計な口出しをしたり、時には反発したり拒否したりしなければ気が治まらない「頑固な人」もいます。
「そのまま、このまま、あるがまま」にしておけばいいものを、何でそこまで頑固執着しているのか、何でそこまでして下らない事を思考分析するのか…
たぶん自分の優れた能力を見せ付けたいのですね、知識の豊富さや分析能力を見せびらかしたのですね、
そして勝ち負けで競い合いたいのですね、そして主人公・ヒーローになりたいのですね。
また考えるだけで終わり実践行為行動に入っていけない事をいつまでも考えまくるの?
矛盾や妥協から生まれた中途半端な事柄知識を頭にいっぱい溜め込んで何が嬉しいの?自己満足でしょう…
そんな知識を競い合い比べ合うだけの無駄な時間が長くても・言うだけで、それらを生かした実践行為行動が出来ないでしょう?
思い思惑理想目的などの想像の世界や実現できない非実在を実在にすることは出来ないでしょう?
となれば…ニワトリと卵のことを考えるよりも、そのニワトリと卵を直接触れ合い味わう実践をしている方が嬉しいでしょう!楽しいでしょう!美味しいでしょう!
自然界のお蔭様を味わえるでしょう! 感謝・愛・神を知る事が出来るでしょう!
何でそうしないの?…確かに変だと気付きません?…
ちなみに素人の私達が米栽培を色々と考えて想像するだけでは米粒一つ作れません…
となれば自分の思い通りにならなくて悩むことになっても満足することにはなりません。
しかしそれでも…お米を炊いて…ご飯を味わえば満足することになるでしょう!
それと同じで…餅のことは…餅屋に任せとけばいいのです。
…プロになるほど極めなくてもいいのです…
…ファッションだレシピだと追及し極めなくてもいいのです…
すなわち素人の私達が頑張り欲張り見栄張り無理して専門家の物真似したり極めないで…必然ならば…必然にして世に出てきた物に直接触れ合い味わい喜び楽しめばいいのです。
お蔭様を味わい知るために多様性と個性のある色んな世界が用意されているのです。
一生涯どころか、何度生まれ変わってきても味わいきれないだけのものが用意されているのです。
そして進化したものや新たなものもどんどん生まれているのです。
だからありがたく感謝して触れ合っていればそれでいいのです。
とにかく非実在を思い浮かべ想像したり、また善悪優劣損得で比較競争差別しないで…この世に実在するあるがままの事実に接し触れ合うのが人間の方向性ではないでしょうか…
然るに生きている価値があるのです。
ところが欲張るとあるがままの価値ではなくなり…差のある価値観に変化して…依存したり拘り執着することになるのです。
(2008・02・09)リメイク版
だから四六時中頭で考えています。
ちなみに行為行動表現する前に…前もって思い考えることは大事ですが…
思い考えても行動実践にならない…どうしようもない…ことまであれこれ考えて試行錯誤・思考分析しているときもあります。
その例に一番相応しいのが「ニワトリと卵」の関係です。
ニワトリが先なのか・卵が先なのかと・幾ら考えても決着がつきません。
何故そうなるかと言えば「ニワトリ」と「卵」を分離したからですね。
分離すれば差が生まれ、どっちが先か、どっちが優れているか、どっちが得か、という風に比較して思考分析を繰り返すことになるのです。
そして屁理屈をこね回してどうしても決着・白黒を付けたがる人ほど「執着心」が強いのです。
だから「そのまま」にしておけばいいものを余計な口出しをしたり、時には反発したり拒否したりしなければ気が治まらない「頑固な人」もいます。
「そのまま、このまま、あるがまま」にしておけばいいものを、何でそこまで頑固執着しているのか、何でそこまでして下らない事を思考分析するのか…
たぶん自分の優れた能力を見せ付けたいのですね、知識の豊富さや分析能力を見せびらかしたのですね、
そして勝ち負けで競い合いたいのですね、そして主人公・ヒーローになりたいのですね。
また考えるだけで終わり実践行為行動に入っていけない事をいつまでも考えまくるの?
矛盾や妥協から生まれた中途半端な事柄知識を頭にいっぱい溜め込んで何が嬉しいの?自己満足でしょう…
そんな知識を競い合い比べ合うだけの無駄な時間が長くても・言うだけで、それらを生かした実践行為行動が出来ないでしょう?
思い思惑理想目的などの想像の世界や実現できない非実在を実在にすることは出来ないでしょう?
となれば…ニワトリと卵のことを考えるよりも、そのニワトリと卵を直接触れ合い味わう実践をしている方が嬉しいでしょう!楽しいでしょう!美味しいでしょう!
自然界のお蔭様を味わえるでしょう! 感謝・愛・神を知る事が出来るでしょう!
何でそうしないの?…確かに変だと気付きません?…
ちなみに素人の私達が米栽培を色々と考えて想像するだけでは米粒一つ作れません…
となれば自分の思い通りにならなくて悩むことになっても満足することにはなりません。
しかしそれでも…お米を炊いて…ご飯を味わえば満足することになるでしょう!
それと同じで…餅のことは…餅屋に任せとけばいいのです。
…プロになるほど極めなくてもいいのです…
…ファッションだレシピだと追及し極めなくてもいいのです…
すなわち素人の私達が頑張り欲張り見栄張り無理して専門家の物真似したり極めないで…必然ならば…必然にして世に出てきた物に直接触れ合い味わい喜び楽しめばいいのです。
お蔭様を味わい知るために多様性と個性のある色んな世界が用意されているのです。
一生涯どころか、何度生まれ変わってきても味わいきれないだけのものが用意されているのです。
そして進化したものや新たなものもどんどん生まれているのです。
だからありがたく感謝して触れ合っていればそれでいいのです。
とにかく非実在を思い浮かべ想像したり、また善悪優劣損得で比較競争差別しないで…この世に実在するあるがままの事実に接し触れ合うのが人間の方向性ではないでしょうか…
然るに生きている価値があるのです。
ところが欲張るとあるがままの価値ではなくなり…差のある価値観に変化して…依存したり拘り執着することになるのです。
(2008・02・09)リメイク版