皆さんは此れまで信じる必要があったことが何度かありましたか…
ちなみに私は普段の生活の中で…信じる…必要なんて無いのが普通だと思っています。
だから学校の先生や親を信じる必要はなかったし、まして信仰宗教や冠婚葬祭には違和感がありましたから…それを信じる必要もありませんでした。
また何でも知りたがるやりたがる性格にして好奇心が旺盛だったのは間違いありませんが、それでも信じるか否かのある異次元の世界や奇跡とか超能力なんかはインチキ臭いと思っていましたし、先祖供養とか天国だの地獄だの死後の世界などの謎は謎のままにしてあまり関心がありませんでした。
それだけにお盆や年末年始の習わしとか、諸々のお祝い事や病気見舞いや記念日を祝う習わしとか、また親孝行ということにも違和感があったし、また事実にして親孝行することもなく両親が他界しました。
そんな中で葬儀法要や仏壇お墓詣りや先祖供養などは最も苦手でした。
そんな私ですから…過疎地暮らしを始めてからは…そんな伝統風習からいっさい離れていますし、孫たちにお祝い事やお小遣いプレゼントしたことはありません。
それゆえに…居残る妻や我が子に対して…伝統風習に拘ることなく・私のことはすべてほっといて大丈夫だからと明確に宣言しています。
然るに…この先で私がどうなるかはさて置いて…私が死にかけていても見舞いは不要とし、その死に様を看取ることなくほっといておいて、検体登録しているから遺灰となるだけだから、葬儀法要もお墓仏壇に祀ることなく散骨するだけにして、それ以後のことは一切不要として伝えております。
となれば…私が死ぬ前の面倒も死後の後始末もないから…残る家族に諸々の負担を掛けないから…残る家族も日常生活に何ら支障なく・私の事を忘れて平然と暮らしていけます。
ちなみに…現在までの17年間がその通りになっています。
何はともあれ…私には何の拘り未練も執着のない「思い残し」のない死に様となり・死ぬのが当然が如くになり、
また残る家族にも…私の生前も死後も…私に対する思い残しもなく・何ら煩わすことなく・私のことを気にせずに・日々平然と暮らしていけます。
と言うことは…孤独にして生まれ育ち生きて孤独にして死することになります。
となれば…己の自力にして生きながらへ、他の人に迷惑が及ばない生き様になり、己の意識が原因のその結果を己が味わいながら人間を終えることになります。
要するに自行自得の自己責任・自己結果でもって責任を果たしながら人生を終えることになります。
と言うことは…不完全で矛盾偽善のある・どうしようもない・この世人間界の中で・己がその被害者に成れども、他の人に悪さをする加害者的な生き様・欲張ることから離れて、その孤独の自由にして・独自独歩に生きて・拘り未練執着のない・思い残しのない・己一人の孤独にして死ぬこととなります。
然るに…孤独にして生まれ孤独にして死に行く・この世人間界に何も残さずにして死に行く、その宇宙・神・愛の仕組みに素直に従ったことになります。
ちなみに私は普段の生活の中で…信じる…必要なんて無いのが普通だと思っています。
だから学校の先生や親を信じる必要はなかったし、まして信仰宗教や冠婚葬祭には違和感がありましたから…それを信じる必要もありませんでした。
また何でも知りたがるやりたがる性格にして好奇心が旺盛だったのは間違いありませんが、それでも信じるか否かのある異次元の世界や奇跡とか超能力なんかはインチキ臭いと思っていましたし、先祖供養とか天国だの地獄だの死後の世界などの謎は謎のままにしてあまり関心がありませんでした。
それだけにお盆や年末年始の習わしとか、諸々のお祝い事や病気見舞いや記念日を祝う習わしとか、また親孝行ということにも違和感があったし、また事実にして親孝行することもなく両親が他界しました。
そんな中で葬儀法要や仏壇お墓詣りや先祖供養などは最も苦手でした。
そんな私ですから…過疎地暮らしを始めてからは…そんな伝統風習からいっさい離れていますし、孫たちにお祝い事やお小遣いプレゼントしたことはありません。
それゆえに…居残る妻や我が子に対して…伝統風習に拘ることなく・私のことはすべてほっといて大丈夫だからと明確に宣言しています。
然るに…この先で私がどうなるかはさて置いて…私が死にかけていても見舞いは不要とし、その死に様を看取ることなくほっといておいて、検体登録しているから遺灰となるだけだから、葬儀法要もお墓仏壇に祀ることなく散骨するだけにして、それ以後のことは一切不要として伝えております。
となれば…私が死ぬ前の面倒も死後の後始末もないから…残る家族に諸々の負担を掛けないから…残る家族も日常生活に何ら支障なく・私の事を忘れて平然と暮らしていけます。
ちなみに…現在までの17年間がその通りになっています。
何はともあれ…私には何の拘り未練も執着のない「思い残し」のない死に様となり・死ぬのが当然が如くになり、
また残る家族にも…私の生前も死後も…私に対する思い残しもなく・何ら煩わすことなく・私のことを気にせずに・日々平然と暮らしていけます。
と言うことは…孤独にして生まれ育ち生きて孤独にして死することになります。
となれば…己の自力にして生きながらへ、他の人に迷惑が及ばない生き様になり、己の意識が原因のその結果を己が味わいながら人間を終えることになります。
要するに自行自得の自己責任・自己結果でもって責任を果たしながら人生を終えることになります。
と言うことは…不完全で矛盾偽善のある・どうしようもない・この世人間界の中で・己がその被害者に成れども、他の人に悪さをする加害者的な生き様・欲張ることから離れて、その孤独の自由にして・独自独歩に生きて・拘り未練執着のない・思い残しのない・己一人の孤独にして死ぬこととなります。
然るに…孤独にして生まれ孤独にして死に行く・この世人間界に何も残さずにして死に行く、その宇宙・神・愛の仕組みに素直に従ったことになります。