私たち人間は誰も皆が公平にして個人意識を持って生まれています。
だから自分さえ良ければと個人意識丸出しでもって生きていくことは間違っていません。
だから罪でも恥でもありませんから私は正直に丸出しでもって生きています。
ちなみに皆さんも同様に個人意識丸出しでもって生きているのは事実です。
ところが己の欲と見栄でもって欲張っているところがあればそれが問題となって困ったことにもなっているのです。
ちなみに巷の趣味嗜好娯楽の類を単に楽しむだけなら大きな問題にはなりませんが…同じ仲間が集まれば比較競争して差をつけたがるところがあります。
然るにそれが欲であり見栄なのです。
だから頑張り欲張り見栄張りしてそれなりの成果を出したものがその道の先輩達人先生となり師匠巨匠とも言われる立場になっています。
ちなみに私はふと気付いたことからして・世間体・見栄・自尊心を捨てて・妻や家族と離れて過疎地で単身暮らしをしていますが…
その前には…妻に一緒に住まないかと誘ったのですが、その妻が言うには…そんな田舎臭い暮らしはイヤですと断られています。
ちなみにその妻は華道の師範資格でもって数少ない生徒を抱えていましたし、その妻を指導した先生とも友好的な関係が長く続いていたから、その生徒や先生と離れたくなかったようです。
となると…子供も独立していることからして妻と一緒に田舎でもって共に静かに暮らしたと思っていた私の目論見が外れたことになります。
それどころか…ビデオ撮影制作業を自主廃業にして用無しとなった・街中の路面に面した駐車可能な店舗やその母屋や隣接する小さな貸しビルを含めて・全てを人に貸して・その家賃収入でもって悠々と暮らすつもりだったのに…その妻が居残るとなると家賃収入にはなりません。
しかしそれでも何となるだろうと…月5万円の国民年金だよりの過疎地暮らしが始まったのです。
ちなみにそれが2000年問題で騒がれた17年前のことです。
何はともあれ私も妻も自分さへ良ければの個人意識丸出しの同類なのです。
なのに妻側の親戚兄弟を含めて…主人たる私が妻を裏切ったことになっています。
ちなみに私側からすれば…主人に従わなかった妻が裏切ったことになりますが…今の状況環境に満足していれば…そんなことはどうでもいいことになるのです。
ところがもしもその結果が思わしくなければ…あれもこれもと妻に文句を言うことにもなるのです。
と言うように…個人意識の欠点に…自分さえ良ければの自己を正当化したがる・私は正しいとしたがるところがあることです。
然るにそれが欲張りであり見栄張りなのです。
だから個人意識丸出しでもって正直に生きるも…欲張り見栄張りすれば…その苦労とその満足を味わう苦楽・喜怒哀楽となるのです。
然るに心穏やかな精神安定にして生きていくことにはなりません。
そして何よりも…不完全で矛盾偽善がある個人意識の人間関係の中で生きているからには…その個人の自由・孤独の自由が無ければ…心穏やかな精神安定でもって生きていくことは絶対的に無理なのです。
然るに恋愛関係の苦楽や家族関係での苦楽やセックス関係などの喜怒哀楽や変化刺激快感快楽を味わっているからには絶対的に無理なのです。
ちなみに一時の満足や気休めで終わるのです。
またそれゆえに尚更…孤独の自由にして心穏やかな精神安定でもって生きていくことの「価値」があるのです。
然るに己の人間人生で初めて…数に限りがある有限の世界で…己が欲張らずに生きていくことからして…それが精神安定となることを学び知り自覚納得できるようになるのです。
然るに…それだけの価値があるのです。
だからそれを事実にして味わって人生を終えることができれば…三次元意識の人間を卒業して…どうやら五次元以上の意識生命体となるようです。
だから自分さえ良ければと個人意識丸出しでもって生きていくことは間違っていません。
だから罪でも恥でもありませんから私は正直に丸出しでもって生きています。
ちなみに皆さんも同様に個人意識丸出しでもって生きているのは事実です。
ところが己の欲と見栄でもって欲張っているところがあればそれが問題となって困ったことにもなっているのです。
ちなみに巷の趣味嗜好娯楽の類を単に楽しむだけなら大きな問題にはなりませんが…同じ仲間が集まれば比較競争して差をつけたがるところがあります。
然るにそれが欲であり見栄なのです。
だから頑張り欲張り見栄張りしてそれなりの成果を出したものがその道の先輩達人先生となり師匠巨匠とも言われる立場になっています。
ちなみに私はふと気付いたことからして・世間体・見栄・自尊心を捨てて・妻や家族と離れて過疎地で単身暮らしをしていますが…
その前には…妻に一緒に住まないかと誘ったのですが、その妻が言うには…そんな田舎臭い暮らしはイヤですと断られています。
ちなみにその妻は華道の師範資格でもって数少ない生徒を抱えていましたし、その妻を指導した先生とも友好的な関係が長く続いていたから、その生徒や先生と離れたくなかったようです。
となると…子供も独立していることからして妻と一緒に田舎でもって共に静かに暮らしたと思っていた私の目論見が外れたことになります。
それどころか…ビデオ撮影制作業を自主廃業にして用無しとなった・街中の路面に面した駐車可能な店舗やその母屋や隣接する小さな貸しビルを含めて・全てを人に貸して・その家賃収入でもって悠々と暮らすつもりだったのに…その妻が居残るとなると家賃収入にはなりません。
しかしそれでも何となるだろうと…月5万円の国民年金だよりの過疎地暮らしが始まったのです。
ちなみにそれが2000年問題で騒がれた17年前のことです。
何はともあれ私も妻も自分さへ良ければの個人意識丸出しの同類なのです。
なのに妻側の親戚兄弟を含めて…主人たる私が妻を裏切ったことになっています。
ちなみに私側からすれば…主人に従わなかった妻が裏切ったことになりますが…今の状況環境に満足していれば…そんなことはどうでもいいことになるのです。
ところがもしもその結果が思わしくなければ…あれもこれもと妻に文句を言うことにもなるのです。
と言うように…個人意識の欠点に…自分さえ良ければの自己を正当化したがる・私は正しいとしたがるところがあることです。
然るにそれが欲張りであり見栄張りなのです。
だから個人意識丸出しでもって正直に生きるも…欲張り見栄張りすれば…その苦労とその満足を味わう苦楽・喜怒哀楽となるのです。
然るに心穏やかな精神安定にして生きていくことにはなりません。
そして何よりも…不完全で矛盾偽善がある個人意識の人間関係の中で生きているからには…その個人の自由・孤独の自由が無ければ…心穏やかな精神安定でもって生きていくことは絶対的に無理なのです。
然るに恋愛関係の苦楽や家族関係での苦楽やセックス関係などの喜怒哀楽や変化刺激快感快楽を味わっているからには絶対的に無理なのです。
ちなみに一時の満足や気休めで終わるのです。
またそれゆえに尚更…孤独の自由にして心穏やかな精神安定でもって生きていくことの「価値」があるのです。
然るに己の人間人生で初めて…数に限りがある有限の世界で…己が欲張らずに生きていくことからして…それが精神安定となることを学び知り自覚納得できるようになるのです。
然るに…それだけの価値があるのです。
だからそれを事実にして味わって人生を終えることができれば…三次元意識の人間を卒業して…どうやら五次元以上の意識生命体となるようです。