孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

…ふと気付くことは…大切なことでアリガタイことであって、心身が「守られ」意識力が高まります。

2017年06月01日 | Weblog
私が先駆けてビデオ撮影制作業を始め順調に推移しこの世の春を味わっている最中にふと脳裏に出てきたのが…本当にこれでいいのかな?でした。
そこで先行きを自問自答した結果…これ以上欲張ることに無理があると思い・そこで一旦止まることに決めました、
そして欲張らなければ衰退するのが・置いてきぼりになるのが・この世の常ですから、そのビデオに対する熱も冷めて・どうでもよくなり・1年後には自主撤退しやがて廃業しました。
そして結果的に過疎地暮らしが始まり今日があります。

その過疎地暮らしをしているときにも…雑用で出かけているときに何か忘れていることにふと気付き…その気付きが起きたことに内心でありがとうと感謝し…そして家に後戻りしたときにガスレンジでお湯を沸かしていたことに気付いたり、鍋が黒焦げ寸前になっていたり、財布を忘れていたりする、そんな忘れ物をしていることに気付いたり、めったに鳴らない電話が掛かってきたり、用事があっての来客が来たりしました。

そんなことで出掛けるタイミングがずれたことで・その出先で思わぬ人と久方ぶりに巡り合うことも何度かありました。

と言うことは…ふと気付き後戻りしたことで…電話や来客や火の元のみならず・ひょっとして人身事故や交通事故に遭遇するタイミングがずれてその災難を逃れていたかもしれません。

だから逆に(過去を省みれば)…運転中にふと気付いたことがあるのに…大したことではないからと見逃したことで…スピード違反取り締まりに引っかかったり・出会いがしらの接触事故が起きたのかもしれません。

何はともあれ…ふと気付いたことを実行に移すことができているうちは「守られる」が、実行に移せないのはそれだけ油断していることになり(油断大敵が如くになり)守られる状態ではないということです。

また…せっかく気付いたのに大したことではないからと無視することが多くなるほどに(油断するほど)…些細なことに気付くことが減っていくのは間違いありません。

また野良作業道具を忘れて帰ることも度々ありますが、数日後に忘れていることに気付けば、その作業場所でどんなことをしていたか記憶を戻しながら探せば見つけることができますし、必ずありがとうと感謝します。

その些細なことに気付けるということは…うっかり忘れていたことに気付くことは記憶が戻ることですから…その気付けたことを感謝できるうちは高齢者の認知症予防になると私は思っています。

然るに成り行き任せにして呑気に生きているようでも、その生きていること自体に真面目さ真剣さがあるから、何かと些細なことにも気付くことが多くなるのです。

とにかく…些細なことにふと気付けば、その気付いた自分を褒めるためにもアリガタイことに思い、その気付いたことを後回しにしないですぐさま実行することで、認知症を含めて心身ともに守られ・また気付くことが多くなる意識の進化にもなります。