孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

神や愛の精神世界の真実の気付き、その<気付き>こそが実践になるのです。

2012年12月25日 | Weblog
人それぞれに役割使命があるだけに、それに適した個性・感性・能力を持って生まれています。
だから様々な職業や医科学・工業・産業や芸術文化や伝統風習やその教育指導やでその適正能力が生かされています。

だから科学者が電気や動力や化学製品や爆薬や核融合を生み出したりすることも出来ました。
また電子工学からしてパソコンや電子映像などを生み出しました。
また医学医術でもって難病を治癒したり臓器移植まで出来るようになりました。

一昔前には夢物語だったのが今や現実となって更に進化発展していますから、まさしく神懸り奇跡になります。

その神懸り奇跡を超能力でもって成している人たちがいますが、それら神懸り奇跡も医科学者が成していることも、自分の適正能力でもって、今あるその形を変化させたり進化させていることは同じです。

だから医者が此れまでになかった神懸り奇跡的な「神の手」を持った術者の医術でもって難病を治癒するのも、また超能力者が「神懸りの手」でもって奇跡的に治癒することになっても、その病気という形を治癒することは同じことなのです。

だから大方の人がその医科学や超能力に(他力に)期待するところがあるのです。

 
ところがしかし、神懸り奇跡の超能力者や医科学などの超学者のいかなる力量能力でもってしても、形の無い人間の心・意識を(神の手の術者が形を変えるが如くに)直接操作してその意識を修正改革変化させることは絶対に出来ません。

だから大昔から神や愛の精神世界を様々な人たちによって様々に説かれているのです。

なのに神懸り奇跡の超能力や超学術者に期待するところのその他力依存やその願望祈願が未だに残っていてなかなか消えません。


そう言う私も最近まで他力に期待するところがありました。
しかし私なりの独自独歩の精神世界の学びからして気付いたのが、
今も過去もその他力によって変わったのは形だけでして、元から持って生まれた人間の意識を根底から変えることは土台無理なことだと(私の見聞した此れまでの経緯からしても)気付き納得確信した次第です。

すなわち自らの意識の修正改革はその自らの力量でもって成すことが人間に課せられた役割使命だとなったわけです。


だから今の形を気にすることなく先ずは(仏門に下った如くの意識と自由な独自独歩でもっての)精神世界を意識した生活でなければ自分の意識を修正改革できるはずもないと確信するに至ったわけです。

そして如何なる神懸り超能力や優れた能力力量を持っている人であっても、
大元の宇宙・神・愛の完全な意識の世界では中途半端で不完全な未熟者だから、皆と共に学び合うその「学びの途中」である事に気付いたのです。


しかも過去の釈迦やイエスを含めた神懸り超能力者や優れた力量能力でもって成した形が不完全なだけに、その不完全な形が受け継がれながらも故意に歪められて進化拡大していき、その時代ごとに尚更おかしな方向に進展していって、今や終末的状況になっているのです。

だから神の愛の精神世界を学ぶにそれら未熟なる不完全意識の者が語り説くことが何かと役立つことがあっても、
しかしその中に薬にも毒にもなる矛盾が含まれているだけに、真実の神の愛を知るには(本物を知るには)自らがその精神世界に身を置いてその学びを日々実践しなければ自覚納得確信の悟りにはいたりません。

その実践を中途半端なままにして、
説教を丸呑み盲信する人や導き指導者を信じて頼ったりする人が多いことからして、その不完全なままが広がりそれが繰り返し続き続けて今日に至っているのです。

そこで本物の精神世界を知るには矛盾も妥協も無い完全なる真理しかありません。
それが山田耕栄さんが説く完全真理なのです。
そして未熟ながらもその真理の実践をし続けるしか他に道が無いのも事実です。


だから完全真理を学び知ることから始まりますが、
とにかく目先の欲に駆られたりせずに、また他力に依存することなく、また説教を丸呑み盲信することなく、また保身することなく、完全真理の実践一筋にして、
自らのその意識の有様に自分の意識・感性・能力・自力を使って自らが真実に気付いていく、その独自独歩の実践しかないのです。

すなわち精神世界を意識して日々を暮らし、その暮らしの中からこの世の矛盾やその人間関係の過ちに気付いていくのが実践になるのです。


ところがどっこい目の前に見える形が気になって(執着して)精神世界を意識した暮らしの実践には至っていないのが大方でしょう。
だから欲を出している事に気付かないままに、それでも真理を実践しているつもりになっているのも大方でしょう。
だから無理もするし余計なことに手出しするし無駄になるとも知らずに頑張ることにもなっているのです。

また神懸り超能力者がこの世の道理や精神世界やその真理が言えるのに、
なんでかしらそれらの人が(自らが)その道理や真理と違う道筋を進んでいる事に気付かないで、結果的には欲張り無理する事になるのです。
しかも(未熟さからして)私は正しいと思っていますから尚更に気付けないのです。

だから謙虚さも素朴さも忘れて(愛を見失って)いつしか自己拡大につながるのです。
しかもそれさえも気付かないのが大方でしょう。

だからどうしようもないのが人間であり、どうすることも出来ないのが我々なのです。
だから先程に書いたように
自らの独自独歩の実践でその矛盾も妥協も無い真実に自らが<気付き>そして更に気付き続けることしか他に道は無いようです。
だからその為にも謙虚さや素朴さの自己縮小が必要になるのです。