孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人間として<楽しく>生きていきたいものですが、不平不満で生きているという事実があります。

2012年07月07日 | Weblog
人間として生きている限りは<楽しく>生きていきたいものです。
だから富んでいても貧していても、健康であれ病人であれ、また死に目に遭っている時でさえも「楽しく」生きていくことが出来ます。
何故なら私達人間は「意識で生きている」ことからして、その意識の思い方しだいでどうにでも変るからです。

ところが過去や現在や未来にわたることまで執着しすぎて、その不平不満やその心配不安や怒り恐れを抱え持ち込みすぎて、楽しいどころか死んだも同然の人がいるのも事実にあります。

また自己満足は直ぐに忘れて消えますが、不平不満はいつまでも長く続くこと(執着)があります。
となると、楽しかったはずの自己満足を忘れてしまって、その反対の不平不満ばかりがいつまでも残りやすいということです。
また楽しく生きていきたいが為に(欲するが為に)それが原因からして不平不満にもなっているその事実があります。

となると人間として生きていくためには(絶対的に)不平不満が無ければ生きている気にもなれないというような逆にも思えます。
だから不平不満になる事を自らが捜し求めているという形・かっこうになりますが、それもどうやら事実のようです。

例えば夫や妻の不満を何とかして解消すればその不満が一時消えますが、その不満が消えると(何となく寂しいのか)(生きている気がしないのか)(他に考えることがないからか)今度は身近な子供たち孫たちを気にしだしてそれが不満や心配になりますが、それも何とかして解消すれば今度は両親や親戚の事を気にしてそれが不満になり、その不満を解消しても心もとないのかショッピングや食べ歩きや趣味嗜好娯楽をしたがることにもなり、またそれが原因で新たな不満が増えてきたりしていますし、それが自分で解消できなくなると八つ当たり的に身近な家族やにその不満・愚痴小言をいうことにもなります。

だからまさしく不平不満で生きているという事実になります。
しかもその不平不満で生きているのも同然なのに、その不満に執着しすぎてその度が越すと(不平不満で生きていたのも同然なのに)何故か生きている気がしなくなり、死んだも同然の思いで生きることにもなります。

そんな矛盾だらけの人間関係だけに尚更のことのように生きていることに疲れるのです。
だから(過去では当たり前のように思えていたことですが)身近な家族の不平不満が影を落とす中で一緒に暮らすよりも、単身・自力でもっての自己責任・自己結果だけを味わって静かにしているほうが感情的にも精神的にもその負担が少ないことに実感でもってはじめて知ったのです。

不平不満を自分で(自力で)解消できる人であればその不平不満になることが少ないという事実がありますが、その不平不満を自分で解消できない自力不足の人が他人他力を使って解消したがることになっているのです。
だからその他力に依存したがる人ほどにその不平不満が多く出ることにもなっているのです。

その他力依存が自分さえ良ければの「良いとこ取り」でもあり、その他力依存によって人間関係が成り立っているのですが、それが義理人情・友情愛情の「しがらみ」にもなって縛られ自由が損なわれているのですが、その「しがらみ」から離れることからして自力を多く使うようにもなり、その自力を多く使うことからして(良いとこ取りではない)(良いことも悪いことも丸ごと味わうことで)生きている実感を味わえ、しかも「しがらみ」から離れた自由と自力の生き方が「最高の贅沢」にも思えるようになったのです。

その(精神的な)最高の贅沢を味わっているからこそ(満足しているから)必然ご縁以外の他を求めることが無くなりますから、当然ながら自己満足や不平不満になる原因も出てきません。
しかも必然ご縁のままに生きることになれば余計なこと無理なこと無駄になることから「無縁」になりますから、尚更に不平不満や自己満足にもなるはずもありません。

だから「良い悪い」で判断するその不完全意識から抜け出すことが無理でも、その不平不満や自己満足の少ない生き方なら実践出来ています。
とは言っても不平不満が完全に消えたわけではありませんから、パチンコの自己満足と後悔の繰り返しや身近な犬猫や牛に不満も腹も立ちますし、蚊やダニに刺されて痒い思いをしていますからその敵対心・守り意識もあります。
だからそれがいつ対人関係・人間関係に出てきても不思議はありません。

それでも自分の中の事だけに自分でに解消できますしその自信も十分にあります。
ところが人様の意識・思いだけはどうしようもないことからして、その人様の良いとこ取り意識の他力依存心・我欲エゴに巻き込まれたくない思いは十分に持っていますから、やはり自由と孤独の独自独歩の生き方(最高の贅沢)が死する時まで続くような気がしています。