孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

守り意識に自由平等平和はない

2008年06月18日 | Weblog
皆が自己中心の個人意識の偽善者ですから、国家社会や宗教であれ、職場や世間であれ、夫婦や親子であっても、自分の都合次第でいつでも裏切ることができる偽善者集団が今の私たちですから、その不信感・不安が最高に達しているのが現在です。

その私達が良い悪いで分離判断しなくなれば、善悪優劣損得で判断して不平不満を持つ原因も無くなり、原因が無ければ結果も無くなりますから、善悪優劣損得で腹を立てて怒ったり、善悪優劣損得で不安になることありません。 そして不安(不信感・恐れ)が無ければ「守る」ことも必要なくなり、自由平等平和な生活になっていくのです。

不安があって守ろうとするから自由平等平和にならないのです。
守ろうとするから、戦うのです。
守ろうとするから、束縛制限・規制が必要になるのです。
守ろうとするから、分け隔てる差別が必要になるのです。

その不安があるから不信感を持つのです。
その不安・不信感を持っているから心安らかになれないのです。
だから不安から一時的に逃れるために趣味嗜好娯楽・刺激や満足感が必要になるのです。
ところがその趣味嗜好娯楽・刺激が原因で更に不平不満や怒り不安が拡大して欲求不満になり、更にそれ以上の刺激や満足感を追い求めすぎて自己拡大していくことになります。
だからあれもこれもと欲張ってやっている人ほど刺激や満足を欲しがっているのかもしれません。

不安が少ないほど満足が多いから必要以上に求めません。
不安が多いほど満足が少ないから欲求不満になります。
その欲求不満を自己満足で補うことになり、その自分が主人公になることで自己満足し自己主張・自己顕示することにもなります。 すなわち頭の中にある不安から逃避するためには、その頭の中に何か別な意識(趣味嗜好娯楽・刺激・問題意識)を抱え込んで頭の中の恐怖・不安を覆い隠す必要があり、さもなければ不安恐怖で生きた心地がしないのです。
だから恐怖・不安を打ち消してくれそうな形に生き甲斐を「求めて」いるのです。

いま与えられているものに満足していれば不平不満・不安恐怖・怒り嫉妬を持たなくて済むのです。 心安らかになれるのです。
自分に出来ることなら苦労もしないが、大した事をするほど苦労がついて回ります。 俗に言う波乱万丈も修行も「己の欲」が原因の結果です。 原因と結果は離れていません。
だから苦労して得たものは欲の儀善だから本物ではありません。 本物は元々から持っているものです。その持っている本物に気付き、ただそれを自然に出せばいいのです。 それが個性です。
良い悪いで判断しないで、持っている個性で生きることが神・愛であり、人間という三次元の形を持った意識体に課せられた役割使命です。