孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

田舎と町中の当たり前の生活の違い

2008年05月13日 | Weblog
過疎地で田舎暮らしをしていて気楽なのは、衣食住・生活環境に派手さがあまり無くて地味な生活が当たり前に出来ることです。
私の場合は質素倹約・エコ生活をするために田舎で暮らしていると皆に言っていますから、リサイクル品や使い古したものでも平然と使い切っています。
リサイクル品では・・・動作しなくなった排水弁を針金で引張って排水している二層式洗濯機を自慢して見せているし、フィルタ式掃除機なんか相当古いものですから珍しがられるし、ガスレンジやオープントースターも焼け焦げやサビや腐食している箇所が目立ちますが、ちゃんと役目を果たしてくれています。 小汚い小型冷蔵庫も機能的に役立っています。 めったに使わないがモーターカバーの壊れた扇風機もあります。
廃屋だったから部屋・窓・畳や壁も調度品も古く、すべてがオンボロですから汚れが気になりません、だから精出し綺麗に見せるものはいっさいありません。オンボロが当たり前だからです。
シミがついている下着でも着心地が悪くなるまで着用しているし、バスタオルも生地の端が磨り減ってボロボロになっていますが、新しい方のバスタオルより肌にやさしく馴染んでいるし、吸水性がよくて重宝しています。
それに寝る時の母屋と風呂以外はすべて靴を履いたままで生活が出来るようにしていますから、日々の清掃や整理整頓は殆どしないで来客があるときに掃除するだけで十分です。
このような生活を「みじめ」と思う人がいても当然ですが、私はそんな自分を好きになったし、そんな生活を大いに楽しみ喜んでいます。

妻が居残っている家の中も親戚兄弟の家の中も、山田耕栄さんの真理を実践している3児を持つ娘もですが、大型液晶テレビに大型冷蔵庫や自動洗濯機や真新しい乗用車や調度品や衣類に溢れ、室内やダイニングキッチンや風呂場の手入れが行き届いて清潔感に溢れていますし、玄関や庭などの外観も整っています。 
だから快適便利で豊かな衣食住の為の金銭的出費に比例して大型ゴミなどのゴミを出す量も多く、水洗便所の下水使用料金で水道代が倍になっているし、ガスや電気のエネルギーも私の10倍は使っているし、優れた食材も豊かだし、日々の衛生を保つための清掃整頓にも力を入れているから、それだけに公的エネルギーも私的エネルギーも相当に使っているようです。 そして仕事・収入もその分だけ頑張りますから、労的エネルギーも精神的エネルギーもそれだけ必要となりますから、それが過ぎたものとなっている今日では、あらゆる「エネルギー」の使いすぎはもはや当たり前ではなくなっているのです、公私共に深刻な(意識・エネルギー)問題なのです。

いつも玄関や部屋をきれいにし、台所や風呂場をいつも清潔にしたいのも当然です。
収入に余裕があれば新品に換えたいのもわかるし、何処までが必要か非かは人それぞれが決めることです。
でもお金があるから必要以上に贅沢するのは意識に問題があります。 また潔癖症の過ぎた綺麗好きや過ぎた衛生観念には問題があります。 そして人様に綺麗に見せよう、良く見せよう、良く見てもらおうと思ってやっているのも意識に問題があります。 他の人と優劣で比較するのも意識に問題があります。 それらは自己満足・自己主張・自己顕示したがる個人意識であり差別意識・特別意識の偽善になるからです。
良い悪い(善悪優劣損得)で分離判断せずに、当たり前・当然の事として普通にやっているのであれば不平不満も比較差別競争も無いから問題にはなりません。でも無理かも。

山にはゴキブリは居ないがクモやアリが多く時にはヘビやネズミやムカデも、夜にはガや虫が光に飛んでくる、一日であちこちにクモの巣が出来る、そのように汚れることが当たり前の田舎であれば掃除もおろそかになるし、(ご近所の衣食住も含め)贅沢は無くてオンボロで古臭いものばかり、野良仕事が主だからつぎはぎの衣服もしみや汚れが残る着衣も当たり前。 そんな風に古臭くても当たり前、汚れていても当たり前、暗い部屋や照明でも当たり前。 大金が無くても当たり前、不便でうす汚い生活が当たり前、しかし一歩外へ出れば自然の恵みの中にいるのが当たり前になる、それだから田舎暮らしなのかも知れません。