ふくろたか

札幌と福岡に思いを馳せるジム一家の東京暮らし

リメンバー2000

2020年01月27日 | コンサドーレ
きのう26日から、いよいよ「デジっち」が放映開始。
前兄も奈良も元気そうで何より。憲剛はまさかの原点回帰か・・・
札幌回を楽しみに待つが、「川又劇場」が見られないことが少し寂しい。

さて本日は、今季のアウエー浦和戦の駒場開催を受けて、
ワタシが「出島」から生観戦した00年9月28日の一戦、
J2第35節の激闘を振り返る。試合記録はこちら
浦和は竜二やシンジがスタメン。札幌はエメや山瀬がスタメン。
後に対戦相手に移籍して活躍するこの顔ぶれに、20年の歳月を感じる。
札幌の社長J3鳥取のGMもいるし。

ところで、「出島」のチケット争奪戦は想像を絶する、と以前に記した。
それでは、当時のワタシはいかにしてチケットを入手したのか?

答:ホームの安い席のチケットを買って当日に「出島」の警備に頼み込んだ

良くも悪くも「ゆる~い時代」だったなあwww

こんな「裏技」を使ったにもかかわらず、当日は仕事の都合で
試合開始には間に合わず、前半30分前後からの観戦となった。
よって、前半5分のエメのCKからの先制ヘッドは見ていない。
「出島」に着いたワタシは1点リードの状況にひと安心しながらも
「このままでは終わるまい」という思いも抱いていた。
理由は当時の札幌の左ウイングを担っていた伊藤優津樹の不在
代役の山瀬は逸材ではあったが、当時は一介の高卒新人。
この大敵相手はさすがに荷が重いとみていた。

この悪い予感は、後半10分の田渕の負傷交代でますますふくらむ。
左右の両翼をもがれる緊急事態に、岡田監督は3バックに古川を投入。
名塚をボランチに、ビジュを右ウイングに置く苦渋の布陣を敷いた。
しかし、この苦境に耐え切れず、後半26分にアジエルのCKから
クビツァに同点ヘッドを許してしまった。

しかし、その後の30分余りの攻防で、この試合は忘れ難い一戦になる。
まず印象深かったのが、札幌の選手たちの粘り
特に前線でかき回す野人・岡野を激しく追い回す健作が目立っていた。
次に印象深かったのが、伝説の愚将「カズヲ・サイトー」こと
斉藤和夫・浦和監督のダメ采配
クビツァの同点ヘッドの直前に、左SB城定→FW永井の交代。
てっきり前線の枚数を増やして札幌を押し込む構えと思いきや、
永井はそのまんま左SBに入り、その不用意な攻め上がりで、
札幌の前線、特にエメへの美味しいスペースをお膳立てしてくれたwww
決勝Vゴールは延長前半8分のビジュの一撃だが、起点になったのは
このスペースに斬り込んだエメからのクロス。エメ・アウミール・ビジュの
当時の札幌が誇るブラジル人トリオが全員絡んだ波状攻撃が実を結んだ。

「出島」の目の前のVゴールに沸き上がるひと握りの札幌サポ。
札幌に4戦勝てず、首位と勝ち点10差という現実に押し黙る満場の浦和サポ。
以前にも記したが、この明暗にワタシはおだちまくり、
「パーティーは終わりだ!!」と蝶野の迷言を吠え続けた記憶がある。

なお、この明暗はその後も尾を引く。
札幌は次節で3位大分を撃破し、J1昇格&J2制覇に突き進む。
一方の浦和は新潟に2対4の黒星。3位大分を突き放す好機を逸して、
残り7戦でカズヲをコーチ降格=事実上の解任
横山謙三・総監督の指揮下で背水の戦いに臨むハメになる。
おかげで「最終戦で土橋の昇格決定Vゴール」という伝説も生まれたが

同じような明暗は12年や昨季のさいスタでも味わったが、
アウエーとしての「極限度」は、この00年の駒場の激闘に軍配が上がる。
だから、20年の時を経て実現する「駒場決戦」には
「極限の敵地をまた体感してみたい」
「極限の敵地を一人でも多くの若いサポに体感してほしい」(=おじさん自重)
そんな二つの相反する思いを抱いている。

  • アジアU23選手権
決勝は、韓国1(1延長0)サウジアラビア
王者の五輪本番のOA枠には北辺のJクラブの守護神を何とぞ。
  • JRA
AJCCは1・2・4着orz 東海Sは斬った2頭のワン・ツーorz orz
ワタシの馬券はマイネルフロストの魂とともに天に召された(泣)。