ふくろたか

札幌と福岡に思いを馳せるジム一家の東京暮らし

デートコースはゴール裏・第2話/97年JFL

2015年01月21日 | デートコースはG裏

札幌にとっても、我が家にとっても、97年は大きな一年だったと思う。

まず3月8日に披露宴。

入籍こそ前年9月に済ませていたが、この日をもって名実ともに夫婦になった。

この日の札幌が何をしていたか、答えられる人は相当のツワモノ。

JFL開幕に先立ち、ナビスコ杯の初戦に臨んだ日である。

披露宴も二次会も終えて、ホテルに入ったワタシと2号が

新婚初夜に最初にしたことは、深夜のスポーツニュースのチェックだった。

結果はG大阪に3対3。そのダイジェスト映像に夫婦で思ったことは二つ。

「ガンバ相手に3得点で引き分け。今年は期待できるかも」

「ガンバの9番FW、スゴくないか?」(注1) 二つの思いは後に的中する。


この新婚夫婦の期待に応えるように、この年の札幌は26勝4敗&ホーム無敗という

他を圧する戦績でJFLを制し、Jリーグ昇格を決めた(注2)。

「厚別にさえ行けば、負け試合を見ずに済んだ」という幸せなシーズンだった。

好調だったゆえ、思い出に残った厚別の試合も多い。

雨中の厚別開幕で、コータがハットを決めた5月15日の大塚(現・徳島)戦。

3号がおなかにいた2号を気遣いつつも、「これも胎教の一つ」と厚別に赴いて、

昇格確定の喜びを味わった10月22日の大分戦。

しかし、思い出の試合を一つだけ挙げろ、と言われたら、

文句なしに5月25日の「伝説の川崎戦」(注3)となる

後半終了間際、ゴール前に上がるディドの背中に「プロとは何か?」を教わり、

バルデスの劇的な同点ヘッドに、夫婦で馬鹿みたいに跳びはねながら、

「ああ、もはやこのクラブから一生離れられないな」と覚悟を決めた一戦だった。

また、ワタシが「観戦→出勤」というハシゴに初めて挑んだ一戦でもあった。

仕事中に握ったペンの震えがどうしても止まらずに困った記憶がある。

あの歓喜と興奮を再び味わってみたいものだ。いや、楽勝続きでも、それはそれで幸せだが


この年の11月18日。札幌のJ昇格が正式に決まった。

岡田ジャパンがジョホールバルでW杯初出場を決めて、

たくぎんの経営破綻が明るみに出て、

2号の父が3号の顔を見ることなく逝った。まさに、公私とも激動の一日だった。

思えば、翌98年に札幌に降りかかる嵐の兆しだったのかもしれない。

(第3話に続く)


注1:このシーズンに28戦で25得点を挙げて、

J得点王に輝いた「浪速の黒豹」パトリック・エムボマである。

注2:札幌公式の試合結果のバックナンバー。10月のNTT関東(現・大宮)戦の

5対3のスコアがなぜか逆になって、札幌に5敗目が付いているぞ(苦笑)。

注3:前半2失点。後半にMFマラドーナのFKで1点を返したが、後半43分に失点。

2点差で敗色濃厚の時間帯に、FWバルデスが神がかり&起死回生の2得点。

最後は延長戦でバルデスがVゴール&ハット達成。思い出しても身震いする展開。