虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

あの子を思い出した②

2022-02-20 | 塾長日記
あの子・・・仮称、愛ちゃんで綴ってみる。

愛ちゃんは、小学6年から中学3年まで通ってくれた。
4年間の迎えと送りは私の家内が行ってくれた。
どうしても家内の都合が合わない時は、
愛ちゃんの友人のお母さんにお願いしたことも
4年間の中には幾度かあった。

愛ちゃんの友人のお母さんは
「気になされずいつでも良いので言って下さい」
と仰っていただけた。
私も自分から約束したことなので、
できるだけ迷惑を掛けないようにしたかった。

「素直さ、謙虚さ、勉強好き」の要素を備えた愛ちゃんは
きちんと学力をつけて行った。受験生の中3になって志望校が明確になり、
一切ぶれること無く自分が決めた高校に挑む姿勢を貫いた。
では愛ちゃんは無味乾燥なガリ勉娘なのか・・・
全然違う。朗らかで優しい気持ちのほんわかした女の子だ。
見ているだけでこちらまで笑顔になれた。

愛ちゃんたちの時代は「特色化選抜」と「一般選抜」の
前期・後期の二部受験制度だった。
特色化選抜の前期で決まる生徒が五割。
クラスの約半数が卒業式前に自分の進学先を決定し、
残り半数が卒業後にもう一度試験に挑むことになっていた。

当時の記憶を辿ると、卒業式準備をした者は
この特色化選抜で合格した生徒が中心となって
合唱の伴奏を請け負ったり、式典準備をしたと記憶している。
愛ちゃんは、この特色化選抜で残念な結果となり、
卒業後の一般選抜に挑むことになった。
愛ちゃんの友人たちは特色化選抜で自身の進学先を決め、
心穏やかになっていた。
しかし、周りで受験に立ち向かっている友人の姿を見ると
素直に喜べない気持ちが表情から読み取れた。
少々大袈裟かも知れないが、天国と地獄の3月だった。
15歳の子どもたちには大きな壁だった。

愛ちゃんは特色化選抜の結果が出てから、
毎日塾に来て勉強したいと言ってきた。
私:「先生の奥さんもピアノのレッスンがあるので毎日はお迎えに行けないぞ」
愛:「大丈夫です。自分で自転車で来ます」
私:「でも片道4キロ位あるよ。来れるか?」
愛:「やってみます」

そんなやり取りだったと思う。
それから愛ちゃんは毎日塾に来て勉強していた。
帰りは真っ暗な中、一人で自転車を漕いで帰った行った。
私:「あと少しで先生の奥さんのレッスンが終わるのでちょっと待ってなさい」
愛:「もうこれ以上迷惑を掛けられないので自分で帰ります」
ニコッと笑って暗い夜道に消えて行った。
自然と涙が溢れてきた。
「この子たちに15歳の節目を付けてやりたい・・・」
そんな思いから上野塾卒業式が生まれた。

続く








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